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9(辺境伯視点)

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 ルードヴィッヒ・フォン・シュタインは、辺境伯の正装をしていた。
 黒い毛皮で縁取られたとても豪華な長いマントをがっしりとたくましい肩にふわりと羽織っている。
 マントの下は漆黒のベルベットの長上着だ。
 隆々と盛り上がった肩には数多くの勲章が飾られている。胸元はおどろくほど分厚く、服の下の鍛え上げた胸筋がはっきりとわかるほどだ。
 そんな姿で、玉座と呼んでもおかしくないほど手の込んだ、たくさんの宝玉がきらめく椅子に座っていた。
 若干二十八歳——。
 広大な国境領地を支配する金髪碧眼の若き辺境伯である。
 類まれな美貌にたくましい長身は、見る者すべてに畏敬の念を抱かせる。
 人々はルードヴィッヒのことを、『王よりも王に相応しい男』と呼んでいるほどだ。
「ルードヴィッヒ・フォン・シュタイン辺境伯さま! どうぞわたくしどもの礼をお受けください」
 ここはシュタイン城の大広間——。
 遠くの異国の地からやってきた使者たちが、ルードヴィッヒの前で深く頭を下げていた。
 世界中から集まった使者たちがつぎつぎに、たくさんの貢ぎ物を持って挨拶にやってきているのだ。
 ルードヴィッヒは使者の挨拶を聞きながら、
 ——これはいったいどういうことだ?
 と、深く考え込んでいた。
 ——どうして俺はアレクシアどのがこれほどに気になるのだ?
 戦場にとつぜんあらわれた銀髪のオメガの少年。ボロボロの服を着ていてもにじみ出る品位と清らかさは隠しきれない⋯⋯。
 そのオメガの少年を馬上に助けあげようと彼の華奢な腕に触れた瞬間だった。まるで雷に打たれたような、心臓が止まるほどの激しい衝撃が、ルードヴィッヒの体に一気に走り抜けたのだ。
 そのときルードヴィッヒの中でなにかが変わった。
 だがそのなにかがなんなのかが、どうしてもわからない⋯⋯。
 ——アレクシアどのが、オメガ聖女だからだろうか?
 ルードヴィッヒは、『アレクシアは聖女だ』ともちろんすぐにわかったのだった。
 ルードヴィッヒの肩の傷が治ったとき、アレクシアは『薬草のおかげ』と言ったが、どう考えてもあれは聖女の奇跡だ。とつぜん咲いた白百合がその証拠だ。
 ルードヴィッヒのもとには国中の情報が集まってくる。
 情報戦は戦いのもっとも大事な部分。だからルードヴィッヒ直属のスパイ網を国中に張り巡らしているのだ。
 国王が住む首都も例外ではない。首都にいるスパイからの連絡によると、セント・リリィ修道院で騒ぎがあって、ひとりのオメガ聖女が処刑されそうになったが、逃げ出したらしい。
 ——間違いなくこの少年が、その逃亡中のオメガ聖女だ。
 ルードヴィッヒは出会ってすぐにわかったが、素知らぬ顔をすることに決めたのだった。
 ——こんなに清らかな瞳をしたオメガが、犯罪者のはずがない。
 と直感で感じたからだ。
 ルードヴィッヒは自分の直感を大事にしているのだ。
 ——それにしても、どうしてアレクシアどのは、『悪役令息』のふりなどしようと思ったのだろう?
 それが不思議だ⋯⋯。
「兄上? ⋯⋯兄上!」
「ん?」
 ハッと我にかえって顔をあげた。
 隣に立っている長い金髪の騎士が、「次の使者でございますよ」と耳打ちをする。ルードヴィッヒと同じコバルトブルーの瞳を持つ美男子で、ふたつ下の弟だ。
 オメガだが、騎士団の副団長の地位についている。
 名を、ララ・フォン・シュタインといった。
「兄上? どうなさったのですか?」
 ララが美しい顔をしかめて聞いた。
「——急用だ」
 ルードヴィッヒはもう我慢できなかった。アレクシアのことが気になってしかたがない。すくっと立ち上がると歩き出した。
 使者たちも、従者たちも、そして弟のララも唖然としているなか、長い足で大広間を横切って廊下へ出ていく。
 ——アレクシアどのは風邪をひいていないだろうか? 
 数時間前に川に落ちたアレクシアを間一髪で救えたのは、もちろんルードヴィッヒがこっそりとアレクシアを追いかけていたからだ。
 凍えてしまうからという理由でアレクシアの服を脱がしたが、思い返してみると、とんでもないことをしてしまったような気もする⋯⋯。
「怒っていないといいのだが⋯⋯」
「え? だれが怒るのでございますか?」
「ん?」
 廊下を歩く足を止めて後ろを振り返ると、弟のララを先頭に従者たちがずらりとついてきていた。
「ララ⋯⋯」
「はい、なんでしょう、兄上」
「俺が一輪の清らかな白百合の花を見つけたと仮定する⋯⋯」
「え? 花を見つけられたのですか、兄上?」
「⋯⋯仮定だ」
「あ、はい。仮定でございますね。それで?」
「見つけた瞬間からずっと、その白百合のことが心配で心配でたまらないとしたら、それはどういう意味だと思う?」
「花が心配な意味でございますか?」
「そうだ。この『意味』が俺は知りたいのだ。⋯⋯風が吹けば白百合が倒れていないだろうかと気になってしかたがない。雨が降れば白百合が濡れたら大変なことになるのではないかと気になって気が狂いそうになる」
「はあ⋯⋯」
「寒くないだろうか? 暑くないだろうか? ⋯⋯とにかく、すべてが気になっていっときも目がはなせないほどなのだ」
「⋯⋯なるほど」
「白百合が元気そうだと俺は天にも登れるほど嬉しくなるし、逆に枯れそうな気配があれば、胸をかきむしりたくなるほど苦しい」
「⋯⋯」
「この白百合が咲きほこり、いつかは枯れるであろうその日まで——。俺はそばに寄り添い、一生をともに過ごしたい。⋯⋯どう思う、ララ? この俺の気持ちの理由はなんだ?」
「兄上、それは⋯⋯」
「それは?」
「薬草学に興味を持たれたからでしょう!」
 キッパリとララは答えた。
「——そうなのか?」
「はい、間違いございません!」
 ララの自信満々の答えを聞いて、ルードヴィッヒはますます混乱した。
 ——俺はアレクシアどのに興味を持っているだけ⋯⋯ということなのだろうか?
 と、考え始めた。
 するとそのとき、「あのお⋯⋯」と声をかけてきた従者がいた。黒髪の少年従者のカールだ。
「ルードヴィッヒさま?」
「なんだ、カール?」
「わたくしが考えますに、ルードヴィッヒさまのそのお気持ちは、『愛』でございます」
「愛だと?」
 愛——。
 戦いと政治が人生のすべてのルードヴィッヒにとって、『愛』は頭のすみにも浮かんだことがないほど縁遠い言葉だ。
 カールがにっこりと笑って話をつづける。
「相手のことが心配でたまらないのは、それは間違いなく『愛』でございます。きっと、ルードヴィッヒさまは、その白百合を愛していらっしゃるのでしょう。もしもその白百合が人間ならば、『恋に落ちた』ようなものでございます!」
「恋に落ちた、ともうしたか?」
「はい!」
 無邪気にカールがうなずく。
 ——おお、なんということだ⋯⋯。俺は恋に落ちたのか!
 こうしてルードヴィッヒ・フォン・シュタイン辺境伯は、自分の心にやっと気がついたのだった⋯⋯。
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