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(国王視点)

 ラドリア国のリオ・ナバ王は、恋や愛を知らない。
 知らないというよりも、遠ざけて生きてきたといった方が正しいのかもしれない。
 不毛の地と呼ばれるラドリア——。
 もう何百年もカラカラに乾いた気候が続いていて、農作物はもちろん草木もまともに育たない国だ。河は干上がり、水もない。家畜を育てる餌が育たないので、豚や牛も飼えなかった。
 だからラドリア国民はいつも飢えていた。
 そんなラドリア国を軍事国家として育て上げ、なんとか外貨を稼げるようにしたのが、若きリオ・ナバ国王なのだ。
 リオ・ナバの父である前国王は、リオ・ナバがまだ十六歳のときに崩御(死亡)した。十年前のことだ。
 リオ・ナバは、たくましい体と類まれな美貌だけではなく、高いインテリジェンス(知性)にも恵まれていた。その頭脳をフルに使って次々に改革を進め、豊かな財力を持った国にラドニアを育て上げたのだ。
 恋愛にかまけている時間はまったくなかった。
 ほんの数刻前までは⋯⋯。

「俺たちの鼓動は、たしかに重なった——」
 と呟いて、リオ・ナバはたくましい胸を押さえた。
 砂漠の金色の砂のような複雑で美しい色の短髪。鋭い切れ長の目の奥には、限りなく透明に近い色味の瞳が光っている。
 たくましい胸筋に張り付くようなシャツはシンプルで上質な黒いシルク。フロックコートは脱いでいる。そんなくつろいだ姿で、書籍に囲まれた執務室に座っていた。
 リオ・ナバは、数刻前に自分に起こったことがとても不思議だった。
 ナリスリア国から嫁いできたオメガ王女——いきなり、『自分は偽者です』とひれ伏した王女を見た瞬間に、王女の心臓の鼓動がはっきりと聞こえたような気がしたからだ。
 そしてそのドキドキと鳴るオメガ王女の鼓動は、自分の胸の鼓動のリズムと数秒も違わずピタリと重なったのだ——。
「ほんとうに不思議だ、こんなことがあるのか?」
 リオ・ナバはそのとき、アルファとして強い衝動も感じた。『このオメガ王女の世界のすべてを、俺だけで満たしたい』という、クレイジーな想いだ。
「つまり、俺たちは運命の番ということだ——」
 運命の番——とは、天の導きによって生まれながらに結ばれる運命のアルファとオメガのこと。
 昔から伝わるこの類の話を、リオ・ナバは今まで、『ロマンチックな作り話』だと思っていた。
 だけど、今は違う——。
「俺たちは運命の番だ——」
 そう呟いて、リオ・ナバはハンサムな顔に笑みを浮かべた。
 執務室の壁ぞいの棚にはたくさんの本がぎっしり詰まっている。すべてリオ・ナバが自国を豊かにするために学んだ本だった。ラテン語で書かれた古い軍関係の本もあれば、東洋の文字で書かれた農業に関する本もあった。
 軍力に秀でた国に育て上げることができたのも、乾いた土地でカカオの木を育てることに成功したのも、すべてリオ・ナバの寝る間を惜しむ努力の賜物だ。
「それにしても王女は質素な服を着ていた、どんな事情があるのか⋯⋯」
 ナリスリア国から嫁いできたオメガ王女は花嫁とは思えないほど地味な格好をしていた。
 だけどその容姿は素晴らしく、柔らかい金色の巻毛は思わず触りたくなるほど艶やかに輝き、こぼれそうなほど大きな目の瞳は青。暖かい南の国の海の色のようなコバルトブルーだ。
「美しい色だった」
 オメガ王女の姿を思い出してリオ・ナバがまた口元に笑みを浮かべたとき、
「陛下——。失礼致します」
 と、黒髪の騎士が入ってきた。背が高く、鷹を思わせるような鋭い視線をしている。ハンサムな顔立ちのアルファ騎士団長、サントスだった。リオ・ナバの腹心だ。
 サントスは、リオ・ナバを見るとギョッとして、目を見開いた。
「どうなさったのですか? もしかして、陛下は笑っていらっしゃるのですか?」
 リオ・ナバは部下や召使いに穏やかに接しているが、めったに笑顔を見せないことで有名なのだ。恋愛どころか、笑う暇すらなかったからだ。
「——たまには笑うさ」
 リオは咳払いをしてから、自分の前の椅子をサントスにすすめる。サントスは「なんとも珍しい⋯⋯」と呟きながら、長剣を脇に置いて座った。
「それで? 詳しいことがわかったか?」
 ナリスリア国から来たオメガ花嫁は、自分のことを『偽者の花嫁』と言った。しかも、『処刑してください』と真っ青な顔で懇願した。
 いったいどういうことなのか?
 リオ・ナバは腹心の部下のサントスは調べさせることにした。召使いたちには、「ナリスリア国の王女が『処刑』の話しをしても気にせずに、手厚くもてなせ」と命じている。
「はい、こういうときに各国に張り巡らせたスパイ網が役に立ちます。ナリスリア国は諜報活動に力を入れていないでしょう?」
「ああ、あの国は軍関係は弱いからな」
「ええ、そうです。だから簡単に情報が集まりました」
「もったいぶってないで、早く言え、サントス——」
 国王のリオと騎士団長のサントスは同年代で、気心がしれている。ふたりの会話は自然にくだけた雰囲気になった。
 その王とサントスは声の質がとてもよく似ていた。ふたりが話していると、同じ楽器で低音の心地よい音楽が奏でられているかのように聞こえる。声の双子——と従者たちがこっそり呼ぶほどなのだ。
「あのお方の名前はフウル・ルクセン、ナリスリア国の第一オメガ王女です」
「第一王女? それでは世継ぎの立場ではないか?」
「はい。ですが、ナリスリア国の実権を握っているエリザベート王妃は、フウル王女の義理の母なのです。王妃にはヘンリエッタ王女という実子がいます。第二王女で、このヘンリエッタ王女が、数年前に我が国に嫁ぐと約束を交わしたオメガです」
「なるほど——。エリザベート王妃は、実子を王にしたいというわけか。よくある話だ。だが、我が国を騙すとは許せぬ——」
 リオ・ナバの顔が厳しくなる。
「⋯⋯では、処刑なさいますか?」
 サントスが身を乗り出した。
「処刑? 誰をだ?」
「我々を騙したフウル王女でございます」
「馬鹿なことを言うな!」
 リオ・ナバは思わず厳しい声を出した。
 サントスが、「もうしわけございません!」と頭を下げる。だけど顔には戸惑いが浮かんでいる。リオ・ナバの真意を測りかねているのだろう。
 リオは、また咳払いをしてから、続けた。
「——つまり、あのオメガ王女にはなんの罪もないということだ」
「たしかにそうでございますね、聞いたところによると、フウル王女さまは幼いころから、義母のエリザベート王妃に激しい折檻を受けてお育ちになったようでございますし⋯⋯」
「折檻だと?」
「はい——。それだけではございません、フウル王女は貴族や大臣、それに国民からも虐げられていたらしいのです」
「どうしてだ? あのように美しいオメガ王女をなぜ虐げる? 素晴らしい『ギフト』の持ち主ではないか?」
 オメガ王女が来てから、ラドリア国には恵みの雨が降っている。これこそがラドリア国が待ち望んだ能力だった。
「それはやはり、義母である王妃の策略ではないでしょうか? 自分の息子を王位につけるためでしょう。フウル王女の実父である前国王は、エリザベート王妃に頭が上がらなかったようですから⋯⋯」
「なんということだ——」
 それであのような質素な服装だったのか⋯⋯。リオ・ナバの心は怒りでいっぱいになった。
「許せぬ」
 と呟いて、机の上の羽ペンを強く握りしめる。
 リオの手の中で羽ペンがバキッと折れた——。
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