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第一章 蛇の頭と鶏の頭

第9話 魔法無き世界

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「うわー! ここすごいですね!!」

 フェリエッタと黒薙は、二人で病院の廊下ろうかを歩いていた。黒薙にとっては、何も変わらぬ病院の白い通路つうろであった。しかし、フェリエッタは、初めて見るものばかりである。あらゆるものに目をかがやかせながら、廊下を歩いていた。

「あまりさわがないようにしてください。」

 二人は、コカトリスの犠牲者ぎせいしゃと思われる患者の面会の許可がとれたので、患者が隔離されている専用病棟せんようびょうとうに向かっているところであった。

「天井で光っているのは何ですか?」

「…あれは蛍光灯というものです。」

「あそこの扉は勝手に開いたり閉じたりしてますけど、どんな魔法なんです?」

「…あれは、自動ドアというものです。」

「あ! 向こうから包帯を巻いたゾンビがやってきますよ!」

「…あの人はまだ生きています。」

 ふらふらと目的地への経路を外れて、脇道わきみちへと入っていくフェリエッタの肩を掴み、黒薙が引き止める。

「あの、病室を出る前に言いましたが、あなたのように別世界から来た人のことは、この世界では秘匿ひとくされています。迂闊うかつな行動は、つつしむようにしてください。」

「す、すみません。」

 そう言われたフェリエッタは、ちぢこまり、黒薙の後をトボトボついていくのであった。



 専用病棟への入り口は、バリケードのようなもので封鎖ふうさしてあった。黒薙はそれを超えて、さらに奥へと進んでいく。フェリエッタはその後を追いかけた。

「中では、このマスクを着用してください」

 黒薙は、フェリエッタに医療用いりょうようのマスクを手渡す。フェリエッタは、黒薙がマスクをつける様子を真似て、自分の顔にもマスクを着ける。

 黒薙は一つの扉の前で足を止め、その扉を開ける。

 中は、奥へと続くように大部屋が広がり、そこに横一列よこいちれつに並ぶように複数のベッドが置いてあった。ベッドのそばには、装置がそれぞれ置いてあり、患者のバイタル状態を常時じょうじ計測しているようだ。

 ベッドの上には患者がいた。その様子は、医学の知識がなくても異常だと一目で分かるものばかりだった。

 患者は、どれも眼球を見開みひらき、その表情は固まったように動かない。そして、今からでも動き出しそうな躍動感やくどかんのある格好で、患者たちはベッドの上に寝ている。

 どの患者の身体も、ピクリとも動いていない。何も言われていなければ、マネキンがベッドの上で、みょうなポーズをしながら寝ているようにしか見えないだろう。

 患者たちの周りでは、感染防止の防護服を着た医師たちがせわしなく動いていた。みな、この異常な状態を何とかしようとしているのだ。

「まさか、これが全部コカトリスの犠牲者ぎせいしゃなんですか!?」

「はい。おそらくそうです。」

「…こんなに。」



 驚くフェリエッタをよそに、黒薙は、中に入り、一人の男性医師に近づく。

「おいそがしいところ、すみません。黒薙です。」

 声を細めて男性医師に話しかけると、彼は手を止め、黒薙の方に振り返った。

「君があの黒薙君か。ということは、そこにいるのが組織に保護されたという女の子か。」

「は、はい。フェリエッタといいます。」

 男性医師は、特に表情を変えることなく言葉を続ける。

「ここは、少し人目ひとめが多い。別の病室に移動しよう。」

 そういうと、男性医師は近くにいた看護師に何か指示を出した後、大部屋から出た。



 黒薙とフェリエッタは、男性医師についていき、別の病室に入った。その病室は、大部屋に比べて小さく、中央になにかがカーテンで囲まれている。

「これが、8日前に発見された最初の患者だ。」

 男性医師は、そういうとカーテンを剥ぐ。

 そこには、一人の男性がいた。男性は、大部屋で見た患者たちのように、微動びどうだにせず固まっている。ただその姿は、何かから逃げるようにも見える。

「彼は、この鳥巣入とりすいる市の北部、山のふもとの旧道付近で発見された。発見時には、もうすでにこの状態だったそうだ。」

 男性医師は、かすかに脈打っている心電図をうつした、そばの装置を指さす。

「今はあのバイタル情報だけが、彼がかろうじて生きていることを伝えている。」 

 黒薙は、男性が寝ているベッドに近づき、顔をのぞき込む。目をいている表情には、恐怖がにじみ出ているように見える。

 近距離で覗き込んでいるのにかかわらず、彼は何も反応しない。

「あなたは、どう思いますか。」

 黒薙は、フェリエッタの方を向き、彼女に話しかける。



 彼の様子は、コカトリスの石化攻撃を受けたときの症状と似ている。そう考えたフェリエッタは、魔法学院まほうがくいん時代にならった魔法を使うことにした。

「私にまかしてください。」

 そう言うと、フェリエッタは、固まって動かない男性が眠るベッドへと近づく。
固まっている男性の上で、フェリエッタは両手を広げてねんじる。魔素まそが自分の周りに集まるのを感じる。

「“我が創生そうせいしたるは白、超源ちょうげんの加速を持って具現せよ 解呪促進プロモートディスペル”」

 フェリエッタが詠唱すると、彼女を中心に周囲には大きな白い魔法陣が展開された。

「これは!?」

 フェリエッタの後ろで、黒薙が叫ぶ。

 次第に、固まっていた男性の体から、何やらもやのようなものがたち始めた。そして、その勢いは次第に強まり、固まっている男性の全身を覆うほどに広がっていく。

 その様子を、黒薙と男性医師は固唾かたずをのんで見守っていた。



 しばらくの間、その状態が続いたが、石化が解けたことを確信したフェリエッタは、魔法を発動するのを止めた。彼女の周りに展開されていた魔法陣が、次第に小さくなっていく。

「うわぁぁぁぁぁ! …ってアレ? どこ?」

 先ほどまで決死けっしの形相で固まっていた男性が、ベッドの上で飛び上がる。彼は、ひどく困惑しているようであった。

 その様子を見た男性医師は、石化から回復したその人のもとへと駆け寄っていく。



「あれは、一体何なのですか。」

 後ろに下がって、安堵あんどの汗を拭っているフェリエッタに、黒薙は問いかけた。

「え? ただの解呪かいじゅの魔法ですよ。」

 フェリエッタは、きょとんとした様子で答えた。解呪の魔法は、一般的な魔法使いであれば、必須と言ってもいいスキルであった。

「でも、ちょっと運が良かったですね。本当なら…。」

「あなたは、魔法を使えるのですね。」

「は、はい。」

 黒薙の気迫きはく気圧けおされ、フェリエッタは少し押され気味に答える。

「…分かりました。この世界では、魔法は存在しておらず、使える人間もいません。以後、人前ひとまえで使用する際には気を付けてください。」

 その言葉を聞いたフェリエッタは驚く。

「え! あそこの天井の蛍光灯?なんかはどうしているんです?」

「あれらも魔法ではありません。」

「まさか! それじゃ、どうやって動いているんです?」

「全て科学によって、動いています。」

「え!!」

 フェリエッタの世界では、魔法を使って何かをすることは、決して珍しいことではなかった。彼女にとって、今まで見てきたこの世界の道具には、魔法を使って動いているとしか思えないものばかりであったのだ。



 この世界の道具は、全て魔法を介さない科学によって動いている。それを聞いても、フェリエッタには、に落ちないことがあった

「で、でも、私をおそってきたあの人は、魔法を使っていましたよね。それに、クロナギさんも、黒いインクのようなものをあやつっていたじゃないですか。あれも、全て科学なんですか?」

「…そうでした。すみません、あらかじめ説明をするべきでした。」

 そう言うと黒薙は、スーツの上に着ているコートから、革製のポーチを取り出し、中に入っている羽ペンを取り出す。

 その羽ペンは、白い鳥の羽の先に、万年筆のような金色のペン先が付いており、羽の周りには美しい装飾そうしょくが施されている。

「この世界に魔法は存在していません。もちろん、この世界の人で使える人もいません。しかし、この世界には、ときどき別の世界から、特殊な道具がもたらされることがあります。」

「私みたいに、ですか?」

「大まかにはそうですね。私たちは、これらの存在を“アイテム”と呼び、これを使用することで、特殊な力を扱います。」

「え!」

「私の能力は、この羽ペンを使うことによって、ペン先から出るインクを自在に操ることができることができるというものです。なので、私が魔法を使えるわけではありません。」

「それでは、私があの時に見たのは、その魔法具まほうぐによるものだったんですね。」

「はい。」

「そ、そんな…。」

 信じられないといった様子で、フェリエッタは答える。

 思い返してみれば、フェリエッタを襲ってきた黒いフードの男も、アリスティア魔法学院まほうがくいん魔導書まどうしょを使っていた。おそらくそれで、火球の炎を生み出す魔法を発動していたのだろう。

 フェリエッタの世界でも、魔法を自在にコントロールすることができずに、魔法具使うことで魔法の恩恵おんけいを受けている人は多い。

 しかし、それでも魔法そのものが存在しないことは、ひどく信じられない事である。



 説明を終えた黒薙は、後ろにいる男性医師に呼ばれる。彼女は、呆然ぼうぜんとしているフェリエッタを置いて、石化から回復した人の様子を見に行った。

「魔法がないなんて。…やっぱり、コカトリスはわたしが何とかしないといけないんですね、女神トリア様。」

 黒薙の背中を見ながら、フェリエッタは小さく呟いた。
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