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第一章 蛇の頭と鶏の頭

第3話 黒い髪の少女

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 薄暗うすくらい闇の中、フェリエッタは、顔に冷たい物が当たるのを感じて目を覚ます。

 どうやら、かたく冷たい地面にうつぶせに倒れて、気を失っていたらしい。倒れる際にぶつけてしまったのか、体中が打撲のように痛い。

 フェリエッタは、混乱と痛みから、頭を押さえながら身を起こす。夏の日差しで暖かかったキャベンディッシュの館とは違い、ここは体中が凍えるような寒さで、思わず身震いしてしまう。



 周囲には、何もない空間が広がり、暗闇がどこまでも続いているように見える。地面は、大理石のように平たく、硬い素材でできている。そして地面には、魔法陣は描かれており、フェリエッタはその中央で倒れていた。

 その魔法陣に、フェリエッタは見覚えがあった。

「これって、やっぱり勇者召喚ゆうしゃしょうかんの儀で使われる魔法陣だ。」

 フェリエッタは、発動している勇者召喚の魔法陣を見るのは、初めだった。だが、魔法学院まほうがくいんで、何度も見てきたあの術式を間違えるはずがない。

 それに、ピュタゴレア教の孤児院の育ちであるフェリエッタにとって、この魔法陣は単なる召喚用の魔法陣の他に、また別の意味を持っていた。



 ピュタゴレア教は、女神トリアをヒト族の救世神として信仰する宗教である。ピュタゴレア教の経典によれば、ヒト族が危機に陥った際、神の国から神の代理人が召喚され、世界を救ったとされる。後世の人たちはその代理人に敬意を表し、彼を勇者と呼んだ。

 これは、ピュタゴレア教の孤児院で生活していたころから、マザー・トマシーナから耳にタコができるほど聞いた話である。教徒にとって、勇者召喚の魔法陣は救いの象徴そのものである。


(あれ? 何だろう、これ。)

 魔法陣の上には、何やら大きな羽毛のようなものがバラまかれている。英雄召喚に羽毛は使わないはずだ。

 フェリエッタは、その羽毛にどこか見覚えがある気がしたが、それが何かまでは思い出すことができない。

 もう少し何かないかと、再び顔を周囲に向けたフェリエッタは、闇の中からこちらをのぞいている、二つの目があることに気が付いた。


 いや、その目は二つどころではなかった。


「ヒィッ!!」

 複数の目が、覗き込むように、こちらを見ていることに気が付いたフェリエッタは、後ろへと飛び下がる。

「うっ!」

 無理に体を動かしたことで、体中の打撲がきしむように痛む。
目の持ち主は、皆一様に同じように黒い衣装に身を包み、フードを深くおおうように被っている。どうやら、それで闇に溶け込み、フェリエッタを観察していたのであろう。

 フードの向こうからは、狂気に満ちたような目でこちらを見つめている

 黒いフードの連中は、何か聞き馴染なじみのない言語で言葉を交わしている。

 突如、まばゆい光がフェリエッタの顔に向けられた。炎より明るく、白い一筋ひとすじのその光は、ランプと違って音もなく現れた。
 
 驚いたフェリエッタは、手を顔の前にかざした。その強い光は、闇に慣れた目に痛いほど突き刺さる。光の向こうからは、いくつもの目がフェリエッタのことを視姦しかんするかのように見つめていた。

 鋭い光に包まれる中、フェリエッタは右手を掴まれた。

「キャアアアッ!!」

 彼女の悲鳴は、静かな闇の中を、切り裂くように響き渡る。パニックになったフェリエッタは、魔法を使うことすら忘れていた。

 その悲鳴には、恐怖と絶望が凝縮ぎょうしゅくしていた。連中の腕は、フェリエッタと同じ、ヒト族の腕と変わりはしない。

 しかし、その意図は分からないまま、力強く握られるその行為自体が、フェリエッタにとって恐怖そのものであった。

「な、なにをするのです?」

 怯える声でたずねるフェリエッタの問いに、男たちは返答することはなかった。

 へたり込んで座っているフェリエッタは、その体が意図せず流れ出す、暖かいもので、彼女のローブが徐々に濡れていくのを感じていた。

「は、離してください!!」

 黒いフードの連中はフェリエッタの腕をさらに強く握りしめ、自分たちの方へと無理やり引っ張ってくる。

「や、やめて、ください。」

 彼女は、必死に抵抗するが、全身に走る体の痛みや恐怖で体が思うように動かず、ズルズルと徐々にフェリエッタの体は連中に近づいていく。



 フェリエッタの心はすでに折れていた。先ほどまでは、領主に罵倒ばとうされていたと思ったら、今はよくわからないことに巻き込まれている。

 彼女の胸元にある、女神トリアを表した逆三角形の下から十字架が伸びる形のペンダントが、光に当てられてキラリと光る。

 残された左手で、首からぶら下がるペンダントを握り締め、彼女は目を閉じて祈る。

(天にまします我らの神よ。どうか、ここからお救いください!!)

ドゴォォ!!

 祈りをささげたのと同時に、低い轟音が鳴り渡った。フェリエッタは、それに驚き、閉じていた目を開ける。



 黒いフードの連中の背後には、壁の破片だった塊が飛び散り、あたりには砂埃すなぼこりが舞い上がっている。さらには、何か水のようなものも撒かれている。

 フェリエッタは、黒いフードの連中の背中の向こう側の光景に目を向ける。

 奥の壁には、大きな穴が空いていた。空いた穴の先からは、先ほどの白い光とは異なり、柔らかい光がこぼれている。

 そして、その穴の向こうには、一人の”黒い髪の少女”がいた。なびいている黒髪が、淡い光に当てられてきれいだ。

 その少女の顔は、逆光でよく見えない。それに、彼女の服装は、とても女性用のものには見えなかった。

 長いズボンを履き、男性貴族の服装にも似たタキシードのような服を着ている。その上には、さらにオーバーコートのようなものを羽織はおっていた。

 その姿は、フェリエッタの目から見て、ひどく異質のものに見えた。だが、フェリエッタにとって、その黒髪の少女のことが救世主のようにも見えたのだった。

 少女は、こちらに向かって何か叫んでいるようだが、フェリエッタには何を言っているのか理解できなかった。



 フェリエッタを取り囲んでいた黒いフードの連中の一人が、その少女に向かって手をかざす。その手の先に、赤い魔法陣の光が浮かび上がり、熱を帯びた一つの火球が現れた。

 黒いフードの男は、その火球を少女に向けて発射する。

 少女に当たる! そう思った次の瞬間、火球は黒い何かに包まれて消えた。

 火球を消したのは、黒い水のような何かで、形状を変えながらふわふわと少女の周囲に浮いている。少女は、そのままフェリエッタたちの方へとゆっくりと歩き出す。

 黒いフードの男は、少女を近づけまいと次々と火球を魔法陣から生み出し、発射する。

 少女は黒い水の塊を自在に変化させ、自分に飛んでくる火球を次々と包んで消しながら進む。その目は、火球をものともせずに、まっすぐとこちらを見つめていた。

 黒いフードの男が、火球で少女を足止めしている間に、他の黒いフードの連中はフェリエッタを連れて逃げようとしていた。掴んだフェリエッタの腕を引っ張り、無理やり立たせて歩かせる。

 どうやら、壁沿いに回り込んで、奥の穴から外に出るようとしているようだ

「イタッ。」

 体を無理に動かされたことで、フェリエッタの身体には痛みが走った。



 黒髪の少女は、他のフードの連中が逃げ出していることに気づき、それを止めようとする。ところが、少女に向かって放たれる火球が、その行く手を阻んでいた。

 はじめは、自在に黒い水の塊をあやつり、飛んでくる火球を軽くいなしていた彼女だったが、激しくなる火球に次第に押され始めていた。

 火球を放っている黒いフードの男が、何かを大声で叫ぶ。それを聞いた残りの連中は、フェリエッタの腕をさらに強く引っ張り、出口である穴へ足を急ぐ。



 ところが、出口である穴の近くまでやって来た時である。

 穴の向こうから一人の男が飛び出し、フェリエッタの手を掴む黒いフードを、いきなり蹴飛ばしたのである。

 新しく現れたその男は、刈り上げられたブロンドの髪を持ち、丸い色眼鏡をかけていた。服装は、最初に現れた少女のものと似ている。

 ブロンド髪の男は、フェリエッタの周りにいた連中を、殴り、蹴り、次々攻撃することで、あっという間に無力化していった。

 全員を気絶させ、フェリエッタが無事なことを確認したブロンド髪の男は、戦っている黒髪の少女の方に向かって、親指を立ててジェスチャーを送った。



 火球を放っていた黒いフードの男は、自分たちの仲間が、何者かに瞬殺されたことに動揺してしまう。そして、思わず攻撃の手を、少し緩めてしまった。

 黒髪の少女は、その隙を見逃さない。

 素早く右手を、黒いフードの男の方へと向ける。少女の手には、一つの“羽ペン”が握られていた。

 “羽ペン”のペン先からは、一本の無定形むていけいな黒い鎖状が伸び、火球を放っていた黒いフードの男に巻き付く。鎖に縛られてしまった男は、その動きを止めてしまい、よろけてその場に倒れた。

 それと同時に、赤い魔法陣が消え、激しく降り注いでいた火球も収まる。男の倒れたすぐそばには、一冊の“本”が転がった。

 穴の外から光が入ってきているとはいえ、部屋の中はまだ薄暗かった。かすかに入る光にさらされたその“本”が、フェリエッタの目に入る。

(え? あれってアリスティア魔法学院の魔導書!?)

 フェリエッタがまだ学生だった頃、よく教本として使っていた魔導書に確か同じような“本”があったはずであった。なぜ、そのようなものがここにあるのだろう。



 時間にしてみれば、戦闘が始まってからは5分にも満たない出来事ではあった。

 自分が、なぜこの場所にいて、どうしてこのようなことに巻き込まれてしまったのかは、まだわからない。しかしながら、たった今自分に迫っていた危機は去ったのだ。

 そう感じたフェリエッタが、その場にへたり込み、ふぅと息をなで下ろしたとき、その背後に人影が動いた。ブロンド髪の男の攻撃を、間一髪で避けた黒いフードがいたのだ。

 そいつは、フェリエッタを背後から襲う。

 背面から羽交い絞めにされ、その口元を押さえつけられたフェリエッタは、再びパニックに陥る。

「んー!」

 口を押えながらも、フェリエッタは前にいる二人に助けを求めた。ブロンド髪の男と黒髪の少女は、フェリエッタの方を振り向き、火球を放っていた黒いフードの男に対する注意を、一瞬そらしてしまった。

バチン!!

 目をそらした一瞬の間に、火球を放っていた黒いフードの男は、縛り上げていた黒い鎖を引きちぎり、出口の穴へと走って逃げようとする。

 出口の穴に迫りくるその男の懐に、キラリと何か光るものが見えた。隠し持っていた刃物を、穴の近くに立っていたブロンド髪の男の背中に突き立て、穴から逃げていった。



 フェリエッタを羽交い絞めにしているフードの者に関しては、黒髪の少女の放った一撃が、頭部にあたったことで、今度こそ無力化される。

 後ろから抱きかかえるように羽交い絞めされていた身体の力が抜け、フェリエッタは、そのまま前方に倒れこんだ。

 閉じていく目に、黒髪の少女がこちらに駆け寄っているのが映る。

(そういえば昨日の夜は、書類を作っていて碌に寝ていなかったんだった。)

 フェリエッタは、ゆっくりと意識を失っていった。




 次にフェリエッタが目覚めると、そこには見慣れない真っ白の天井があった。どうやら、自分はあのまま気を失って、今はどこかのベッドの上で寝ているらしい。フェリエッタは、上半身を起こそうと体を動かすが、起き上がることはできなかった。

「んー!?」

 フェリエッタの両手両足は、何かの器具でベッドに固定されていた。困惑したフェリエッタは、助けを呼ぶために声を出そうとするが、その口には猿ぐつわがかまされており、声にならないうなり声しか出すことができなかった。

 ベッドの脇には、白い服を着た老人が座り、フェリエッタのことを見つめていた。老人は、フェリエッタが起きたのを見ると、にやりと微笑ほほえみ、彼女にささやくように言葉を発したのである。

「起きたね。現代へようこそ。」

 その言葉の真意を聞く前に、フェリエッタは恐怖で再び意識を失うのであった。
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