八秒

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八秒

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二十四、二十三と機械音がカウントダウンを続けている。これはただのカウントダウンではない。今俺がいる摩天楼を崩壊させることが可能な爆弾が爆発するまでの時間だ。



この時になって改めて思う。最適解は他にあったのではないかと。人生においてもそうだ。いつも選択の連続で、でもその多くは些細なもので重さというものを知らない。俺もそんな人間の一人だ。



だが、一人の解体処理班になって初めて選択の重さというのを知った。ここまで重圧のあるものだと。



十八、十七。こうやって考え事をしている間にも秒数は減っていく。ゼロになればこの建物は崩れ落ちてしまう。どちらかの配線が正しい選択だと言ってこの爆弾を仕掛けた人間は自害した。



その話は本当かどうかわからないが俺は信じてここに来るという選択をした。煙に満たされた室内を手で掻き分けて、爆弾を発見して、今目の前に立っている。隣には俺と同じで変わり者の女が解体作業を始める準備をしていた。



ここは狂気と正気が入り混じっている。もう無理だからという諦めの理性と、まだわからないとギャンブルを仕掛ける理性。どう転んだって正気ではいられないだろう。



十六、十五。爆弾を発見したころにはこの時間しか残されていない。まだ手を付けていないのに時間はゼロに等しい。



ここから配線を探して断ち切らなければならないのに肝心の配線が分からない。視界不良に複雑に組まれた爆弾は俺の手を焼くのには十分だった。



十四、十三。今手にしている機材を駆使しして解体に臨んではいるがカウントダウンは止まらない。それに汗も止まらない。滝の様に顔から流れ落ち、口の中は渇きを訴えている。



十二、十一。なんでこんなところに来ちまったんだよ。格好なんか付けないでおとなしく爆発するところを見届ければよかったな。今頃になって激しい後悔が俺のことを襲ってくる。



上司からの昇級という言葉に惑わされた自分のことを思い切り殴りたい。だがそんなことしている時間も無い。安い自尊心を切り貼りして形成された自分にできることは時間稼ぎ位の脇役ポジションくらいだろう。



十、九。ついに十秒を切ってしまったか。カチカチと着実に爆発に近づいている音が爆弾から聞こえてくる。時計の音に追われることはあってもこんなことは人生で最初で最後だろう。



八。悪臭が辺りに漂い始めた。どうやら恐怖で漏らしちまったみたいだ。もう汗か小便なのか分からない位に服が濡れている。ここに来るまでは白かった服も黒煙にまみれてくすんだ色になってしまった。



七。あーもうダメなんて言っていられない。解体作業は上手くいっていない。爆弾は相も変わらず黒い塊のままで終わっている。配線なんて本当にあるのかと疑ってしまう。いあや、自分のことを信じてやれることをするしかないんだ。そうやって見せかけの自尊心を大きくしていく。



六。才のある鷹だった俺は爪をひけらかして生きていたが、このちっぽけな爪は大事なところで役に立ってくれない。所詮は安いもので本物にはかなわないのだろう。



五。今作戦を切り上げればまだ助かるかもしれない。後ろには脱出用の通路が確保されている。この中に入れば三秒後には外に出れて、身の安全が確保される。でも俺にこの選択は出来ない。己で選んだ道と、隣にいる一人の女がまだ諦めていないからだ。



四。このままいたってジリ貧だ。進捗はゼロ。残された時間は後一秒だけ。足りない頭をフル活動させて、生存できる方法を模索する。己の本性を曝け出して敗走するのか、亡者の様に爆弾に手を掛けるのか。



三。もう助かる方法は配線の切断しか残っていない。形見えぬ死に向かう気分は最悪だ。先端技術が走る街に鳴り響く悪魔のマーチ。頭の中は最悪のイメージで覆いつくされている。彼女も同じなのだろうか。




二。「もうここにはあなたと私しかいないわね」配線が見えた瞬間に彼女は俺に笑いながら俺にニッパーを渡してきた。俺に全てを託すつもりなのだろう。確率は二分の一。青か赤。必要なのは狂気か正気化。偶然か必然か。臆病か勇気か。



こんな糞みたいな運試しに対して俺は、今までの生きざまに跪くことしかできない。もし失敗すればどうなる?あぁ頭の中はぐちゃぐちゃだ。どうすればいい?配線を断ち切ればいい。それだけだ。本当にこれで終わりなのか?あっているのか?確証は?



一。クソが!もう時間は残っていない。考える時間も残されていない。俺にできることは今までの生き方があっていたのかを天秤にかけ傾くことを見届けることしかできない。



「ありがとう」渡されたニッパーを地面に俺は落とした。俺にはそんな勇気が無かったから。臆病な彼女の顔は涙で濡れていた。あぁ、罪悪感ではちきれそうだ。



ゼロ。



一秒後。カウントダウンが告げた最後の時。ここが未来なのか。なんて汚くて美しいのだろう。天秤はどうやら公平に判断を下してくれたみたいだ。次のカウントが近い。心臓がそのことを教えてくれる。



二秒後。ここに俺以外に誰かいたのだろうか。そんな些細な事すら思いだせない。ただ記憶が無くなって色あせていったら悲しいかな。それに孤独だって知らないんだ。忘れ去られることも。



三秒後。刻まれた敗北の跡。尊い犠牲だったのかもしれない。遠くには形のない有機物が見える。それは原形を想像することも不可能な位。何か忘れているな。



四秒後。チカチカと光る蛍光灯の明かりを発見して立ち上がろうとした。だがそんなことは出来なかった。逃げてしまった自分。笑っていた彼女。思い出した。俺たちは_



五秒後。片足に痛みが走る。上手く力が入らない。ここはもう摩天楼なんかではない。ただ死を待つだけの牢獄。今は最愛の人を見続けることしかできない。



六秒後。視界がちょっとだけ傾いている。聴覚と網膜に最後の時が焼き付いている。視界は赤色に染まっていく。俺は事態を理解した。辺りには散らばったガラス片。外から吹き付ける穏やかな風。



爆発から七秒後。今はただただ幻覚と分かっていても見続けるという選択を取るということしか出来ない。



八秒後。孤独を知らなかった俺はもういないし、臆病だった俺も居ない。ここにいるのはちっぽけな勇気を持った人間だ。あぁ、次のカウントダウンが近いみたいだ。



もう少しでいくから__待っていてくれ。
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