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それでも雪は降り続く①
しおりを挟む学園でのあいつの様子は、やはり以前とは少し違っていた。
喋り方や顔つき、雰囲気に至るまで、どこか別人と接しているような、そんな違和感を覚えた。
例えば、周りへの友好的な態度。作ったような白々しい笑み。表情はいくらか柔らかくなったような気がするが……いや柔らかくなったというより、間抜けな反応ゆえにそう見えていただけかもしれない。
しかしこと自分の取り巻きに対しては、あいつは取り繕うことなく自然に振る舞っているようだった。僕や他の生徒に対するものとは明らかに違う。
──それは昔、僕にも向けられていたもの。
ふとそんな考えが頭をよぎり、僕は急いでそれをかき消した。
何を今更そんなこと。もう、あの頃とは違う。分かっているはずなのに。
あいつが僕に対して見せていた醜い独占欲。仲良くしていたクラスメイトへの嫌がらせ。その他諸々の所業……それらを忘れてはいけない。
心をかき乱されるような感覚に、言いようのない苛立ちは募るばかりだった。
腹立たしいのはそれだけじゃない。無防備なのか無頓着なのか、ハラハラさせるようなことをあいつは躊躇いなくしでかすのだ。
あいつは体があまり強いほうではない。それが限界近くまで無理をすることが度々あった。
案の定、ある日の体育の授業であいつは倒れた。
走るなんて体への負担が大きい行為、普段なら高みの見物とばかりに避けていたはずなのに。今までのあいつなら考えられないことだった。
みっともない姿を晒す様はとても見ていられるものではなく、あまりにも目に余る光景だったので僕は体育教師に進言することにした。どういうわけだか目を丸くされてしまったが。
僕は忠告しただけだ。何もおかしいことではない。明らかに苦しそうにしている者を見過ごすなんて、人としての道理に反するではないか。
しかし医務室のベッドに横たわる、汚れにまみれたあいつを目にした時に思った。我ながらこれはどういうつもりなのだろう、と。
様子を見に来ただけならまだしも、傷口を手当てし、タオルで顔の汚れを拭い、土だらけのボサボサの髪まで整えてやっている──何もそこまでする必要性はあるのか?
自分がしている行動の説明がつかなかった。このようなことをしていたら、勘違いされてもおかしくない。
その証拠に、あいつの取り巻きたちが妙な表情でこちらを見ていた。
深い意味はない。人を助けるのに理由などない。
本当にそういった気持ちから動いたことだった。だが苦し紛れの言い訳に聞こえるのはなぜなんだ。
──だとしたら。手に持ったこのタオルの理由はどう付けるというんだ? 手入れするような行動の意味は?
心に去来する声を何度か反芻した後、僕はそこに蓋をした。そうすれば、もやもやはいつか消える。
取り巻きたちの好奇の視線が収まることもなく、気まずい空気が流れる中、よだれを垂らし爆睡しているアホ面を苦々しく眺める。
久しぶりに見た……ジェイミーの寝顔。
貼り付けられたみたいに僕はしばらくその場に立ち尽くしていた。
「ヘイデン。新国王即位祝賀会までには婚約話の答えを出しておきなさい。……まあ、分かっているだろうがな?」
そんな僕の戸惑いなど知る由もなく、父の小言は日ごとに強くなっていった。
慣れているとはいえ、少しばかり反発したくもなる。最初から決定権なんかないくせに、と。
だが十六歳といえばもう大人としての扱いを受ける年齢ではある。意地を張っていたところで事は進まない。どこかで収拾を付けなければいけないのも確かだ。
僕は家のために動くただの駒。ああ分かっているさ、そんなこと。
結婚、か……。
好きでもない者との結婚。
幼い頃からどこか頭の片隅には漠然と受け入れ、と同時に受け入れがたく、遠ざけていたもの。
僕にはあいつが眩しかった。気持ちを明るくする存在だった。
田舎特有の粗さはあったものの、それが逆に温かみに感じられ、朗らかな空気をまとうあいつの隣にいるのは心地が良かった。
初めての友達だった。好奇心旺盛なあいつ──ジェイミーと一緒だと、外の世界へ飛び出すことも怖くなかった。
だから子供の頃に結婚の話が出た時、僕が相手では彼はきっとつまらないだろう、そう思った。月日が経てば僕よりもっといい人が現れるだろうとも。
だが成長とともに変わっていくあいつを、僕のほうが受け入れることができなかった。
憧れていたジェイミーはいなくなったんだと、心の中のどこか……神聖な領域にある、かつて何よりも大事にしていたであろう扉に、僕は自らの手で鍵をかけた。その鍵はもう、どこにいってしまったのか分からない。
そして今。怪我の影響によってまたもジェイミーの性格が変わった。記憶に曖昧な部分があるのだといって。
あいつを見ているとなぜだか苛立ちを感じる。いつもそうだ。心配させられたり、もやもやしたり……。
こんな思いになるくらい、疎ましく思っているということだ。最近は特にそれを再確認させられる。尚更、あいつと結婚など──。
……いや、やめよう。どうせ決まっていた事案だ。こうして反抗していたとしても、いずれ向き合わなければならなかったことだ。
とにかく形だけだとしても……この結婚を受け入れよう。
僕はグラシエット家の人間だ。かつて騎士として名を馳せていた先祖の話を祖父から伝え聞き、多少なりとも誇りを感じてはいる。だから子供じみた一時の感情で、家に不利益をもたらすわけにはいかない。
駒の感情など……答えなど、あってないようなものなのだから。
祝賀晩餐会の席では、意外とすんなりあいつを見つけることができた。
ゆるやかにウェーブのかかった金髪を後ろに半分結い上げ、黒のシンプルなスーツに身を包んだあいつは、相変わらず貼り付けた笑みを浮かべていた。
しかし少し気を張っているのか、そわそわと落ち着きのない挙動が目立つ。それに加え、社交や人脈作りもそこそこに食い気に走るという、おおよそ貴族とは思えない愚行も見られた。
呆れたものだ。あれでも一応、貴族の端くれだろうに。自覚はあるのか、まったく。
婚約承諾の件を伝えるとともに、あいつにはちゃんと教えてやらねば。
今後グラシエットの名を名乗る者として、それなりの立ち振る舞いを考えてもらわないと困る、と。
……結果、ただの言い合いに終始してしまったわけだが。
だが不思議と嫌な気分にはならなかった。むしろスッキリしたまである。
お互い、言いたいことを言い合ったからだからだろうか。それにしては些細な内容だったような気がしないでもない。いやそもそも、からかうような態度をしてきたのは向こうであって……。
「何か、いいことでもありました?」
「いえ、特には」
「そうですか。なんか楽しそうにしてらっしゃるから。まあ、このようなおめでたい場ですものね。うんと楽しまないと」
どこの令嬢だったか、会話をしていた際にそんなことを言われた。
僕は大勢の人間が集まる場は苦手だ。なぜそんな楽しそうに見えたのかは分からない。
だがこのような場において気疲れせずいられたのは、あいつの影響が少なからずあったのかもしれない。
この会場に着いた頃は、話をするのはいつぶりだろうか、どんな顔をして話せば……などと思いのほか緊張していた。
それが子供のケンカのような言い合いをしたことで、嘘のように心持ちが軽くなった。それは紛れもない事実だった。
それからはジェイミーのことを、改めてよく観察してみることにした。
妙な演技などせず、あいつは気安く話しかけてくるようになった。返事を返してやれば口元は微かに緩み、噛み締めるように笑う。
あいつなりに気を使ってもいるようだった。
僕との距離感を幾分か気にしているのか、時々、以前よりぎこちなくなったり、生意気にも僕を心配する素振りを見せることもあった。
あいつへの怒りや、避けたくなる気持ちが薄らいできているとはいえ、違和感や不信感を完全に払拭しきれたわけではない。だがそれでも、少しずつ向き合ってみようと思い始めていた。
婚約の話題が学園内でも広まり、周囲の反応も様々だった。何やら噂する声が方々から聞こえてきたが、そんなのは今に始まったことではない。当然、気分の良いものでもないが。
それよりも、ちゃんと話をしなければいけない相手がいる。
巻き毛の彼(名をアルという)に、事の次第を伝えなければ。
「……婚約が決定したということは、この関係を続ける必要もない、ってことですもんね」
「ああ。すまない……」
僕はアルに対して酷い行いをしている。それは自覚している。だからこそ濁してはいけない。
僕はアルのことを好いている。趣味や話も合うし、何より素直で芯もあって、家同士のしがらみもない、純粋な関係を築ける相手だ。政略結婚の件がなければ、僕は彼と恋に落ちていたかもしれない。
──結婚は好きな人としたい。
でも結局、家同士の結婚を選んだ。僕はそういう男なんだ。
「あの人……エルベール様のことがやっぱり好きだ、と?」
「いや、そうではない。あくまで形式的なものだ」
そこで彼は僕の顔をじっと見て、うーんと考えるような仕草をした。そして何か合点がいったという風に頷いた。
「僕の気持ちは変わりませんから」
急には受け入れられなくて当たり前だ。彼を傷付け、いらぬ好奇の目に晒して……私的なことに彼を巻き込んだ罪は大きい。どんな罰でも受けよう、そう思った。
「ヘイデン様のこと、好きにはなりません。でも……」
僕は真剣に彼の様子を見つめていた。そうすることしかできなかった。もぞもぞしながら慎重に言葉を選び、そして愛嬌に満ちた笑顔をこぼす彼の姿を。
「サポートぐらいはさせてください。共犯者として」
「共犯って……」
アルはことさら明るく、いたずらっぽく言った。僕の心を見透かすかのように。
しかしサポートとは何のことだ。すでに十分、してもらっている。これ以上、彼を利用するなんて申し訳が立たない。
「ヘイデン様ったらまったく、煮え切らないんだから! うーん、これはどうしたもんか……」
「……」
叱られるのは甘んじて受けよう。だがブツブツと独り言を、ああでもないこうでもないと企むように呟いているのはどうにかならないものだろうか。
思いもよらぬ反応に、僕は少し拍子抜けした気持ちになっていた。
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