8 / 10
8 これはなんという感情なんでしょう②
しおりを挟むああ、ここは天国だろうか。ぬくぬくと気持ちよくて、窓の外に見える雪景色が嘘みたいだ。
この学園には植物の生態観察や栽培の知識を学ぶ一環として温室植物園が併設されている。ここは温度が一定に保たれているため、真冬でも温かく快適に過ごせるのだ。
今、俺はその温室植物園の片隅で、食堂でテイクアウトしてきた弁当箱を簡易テーブルの上に広げているところだ。
今日はハンバーグ弁当だ。デミグラスソースの。うまい。毎度思うが、学食のレベルを超えてるよな。肉汁があふれてジューシーで……食材がいいのかシェフの腕前がいいのか分からんが、なんにせよ、さすが王立! と思わされる逸品だ。
ここはこの時間、それほど人の出入りもなくわりと落ち着いている。静かに食事するにはもってこいの場所だ。まあ、ここで昼食を食べようなんて物好きは俺ぐらいしかいないのだろう。
しかし俺としても、学園での心安らげる数少ない時間なのだ。許してくれ。そんな不審な目を向けるんじゃない。
「あっ、ジェイミー様。髪に虫がっ。今お取りしますので動かないでくださいっ」
「ん? いいよ別に。そのままで」
「えっ……でも虫がお嫌いですよね、ジェイミー様。ここの温室も虫が多くて苦手だからってあまり近寄らなかったくらいなのに」
「虫ぐらい、どうってことないさ」
考えるだけで憂鬱なことなんて、もっといっぱいあるんだからな。
「はぁ、そうですか……。って、そんなことはいいんですよっ! それよりもジェイミー様、いつまでこんなことを続ける気ですか。せっかくグラシエット様が振り向いてくださったというのに、こんな逃げるような真似を……!」
「うっ……」
お友達ーズの一言によって、あっけなく現実に引き戻されてしまった。
考えたくないこと、その一。ヘイデン様のこと。
目に入るだけで鼓動が速くなる気がするし、巻き毛の少年と一緒にいるところを見ようものならキュッと心臓をつままれたような居心地の悪さを感じる。前ならそれでもなんとか受け入れられていたと思うのだが。
「それは嫉妬、ですね」
「し、しっと!?」
「はい。恋をされてる証拠です。ドキドキするのも、それが理由です」
お友達ーズの一人があっけらかんと言い放った。
恋。──恋、だと!? あの小生意気でおませな弟だけにとどまらず、絶対的味方のお前たちまでそんなことを言うのか!
「追われると逃げたくなる気持ちも分かりますが、今こそしっかりグラシエット様と向き合うべきです」
「でも、あいつにどんな顔したらいいのか……」
「ああ、くりくり頭ですか? 彼は大丈夫でしょう。それよりもっと自分のことを心配されたらどうですか!」
一喝されてしまった。シュンとした俺を見て、お友達ーズの面々はやれやれ……といったように顔を見合わせていた。
だって。俺が向き合ったところで、それは道理に反することなんだ。ヘイデン様のお相手は、本物のジェイミー君でなければいけない。偽物の俺なんかじゃなく。
言えない言葉を、俺はハンバーグとともに飲み込んだ。
考えたくないこと、その二。“じゃあどうすればジェイミー君の意識を戻せるか?”ってことだ。
考えたくないというか、頭を悩ませていると言ったほうがいいか。
ジェイミー君の思い出を辿ってみても、なんの変化も見られなかった。微笑ましいなと思いながらも、ちょっと切なくなったくらいで。
となれば。再現性を求めるなら、やはり何らかの衝撃を体に与えるしかない。
放課後、俺は階段の前でふとそんな考えがよぎった。
──ここから落ちたら……でも気を失うほどではないかもしれない。
「エルベール様」
あらぬ考え事をしていたら、後ろから声をかけられた。思わず足を踏み外しそうになり焦る。わたわたと腕を振り、なんとか持ちこたえた。
「おっつ……はは、ごめんね。な、何かな?」
「グラシエット様が向こうで探しておられましたが」
「ああ、いいのいいの。ほっといて。わざわざありがとうね」
「いえ……あのエルベール様」
ん? まだ何かあるのか? 見たところ、あまり話したことはない生徒だけど。あれ、この子。以前に確か「エルベール様推しです」と言ってくれたあの男子生徒だろうか。そんなことを言ってくれる生徒なんて珍しくて嬉しかったから、なんとなく覚えている。
「何か……お手伝いできることはありますか? どんな汚れ役でもやります」
「い、いや別に……大丈夫だけど」
「僕はっ……エルベール様のあの不敵な笑みが大好きで……流し目で罵ってもらいたい……じゃなくて、何かお役に立ちたいと」
おい。途中、心の声がだだ漏れてなかったか? その後も必死に「最近、何か思いつめてるようにお見受けされて……」とか何とか付け足していたが、頭に入ってこないんですけど。
しかし本当に、彼に手を借りてまですることなどないのだが。ここは愛想笑いを浮かべて、やんわりとお断りさせていただこう。
そうしていると、遠くで「ジェイミー!」と呼ぶ声が聞こえた気がした。空耳であってほしいが、悠長にはしていられない。
俺は男子生徒に軽く挨拶をして、「もしヘイデン様が来たら、向こうに行ったことにして」と言付けを頼み、慌てて階段を駆け下りた。
「あっ、エルベール様っ……!」
──あれ、視界が斜めに見えるのは気のせいだろうか?
一瞬、スローモーションのように静止したように見えたが、その後は体が勢いづいて自分の力では制御できなかった。慌てすぎて足を引っかけたのだろう。身体能力とかの問題じゃない。これはただのドジとしか言いようがない。こういう時に限っていつもやらかすんだよなぁ、俺のばか。
暖かい日差しが頭上から降り注いでいる。
穏やかな緑の庭に大きな樹が二つ植わっていて、そこに渡してあるブランコが風で少し揺れていた。辺りにはピンクや紫、黄色などの色とりどりの花が咲いていて、その景色の奥にはなだらかな丘や木々が続いている。
そして目の前にはティーカップとお菓子、にこやかに微笑むヘイデン様。
──ん? ヘイデン様?
でも俺の知っている仏頂面のヘイデン様ではなく、あの絵の中の幼き頃のヘイデン様のように見える。
そういえば階段から落ちたよな、俺? と両手を開いてみる。自分のとは思えないほど小さな手のひらがそこにあった。
んんん? 夢ですか、これ? それにしては臨場感がすごいのですが。
目の前のヘイデン様も、俺に向けているとは思えないニコニコ笑顔でご機嫌な様子だ。目尻が下がり、口角もキュッと上がって……なんつーか、破壊力抜群だ。天使。天使がおります、ここに。
俺はヘイデン様に話しかけようとした。だが、思うように声が出ない。ゲームでいうところの、スキップ不可の強制イベントのように目の前で物事が進んでいく。意識は俺だが自動操縦されているみたいな、ただ誰かの記憶を追体験しているような、そんな不思議な気分だった。
『……でね、あのお空にうかんでいるくもはねっ、ほんとうはわたがしみたいに食べれるんだよ!』
『へえ! ジェイミーはなんでもしってるんだね。すごいや』
『うん、あたりまえだろっ。ヘイデンのほうが知らなさすぎるんだ』
──おいおい待て待て待て。嘘八百を教えるな!
と思わずツッコミが出てしまったが、これは可愛らしい子供同士の会話のそれだ。実に微笑ましく、内心では俺は親のように二人を見守っていた。
それにこの体、やはりというべきか、ジェイミー君のようだ。なんだか妙な納得感。
しかも小さい頃は呼び捨てだったんだ、ヘイデン様のこと。ヘイデン様もなんか子供らしく素直だし……。二人の関係性をふいに垣間見た気がして、オタクの俺、大歓喜である。
『こんどはあのブランコであそぼ! それともまた追いかけっこする?』
『だめだよ、おとなしくしときなさいって言われてたでしょ』
『だいじょうぶだって。ほら行こ、ヘイデン!』
『まってよジェイミー!』
ジェイミー! と声が響く。ああ、そんなに走ったら……! と心配する俺をよそに、一際大きな「ジェイミー!」が脳内に響いた。そのやかましくも思える声で、はっと我に返った。
「おいジェイミー!」
「……はっ、はい!」
「はあぁ。よかった、目を覚ましてくれて……」
何事かと目を瞬かせていると、安堵の表情で息をついている男子生徒と、目を細め、なにやら難しい顔つきのヘイデン様が俺を見下ろしていた。
44
お気に入りに追加
1,277
あなたにおすすめの小説
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

買われた悪役令息は攻略対象に異常なくらい愛でられてます
瑳来
BL
元は純日本人の俺は不慮な事故にあい死んでしまった。そんな俺の第2の人生は死ぬ前に姉がやっていた乙女ゲームの悪役令息だった。悪役令息の役割を全うしていた俺はついに天罰がくらい捕らえられて人身売買のオークションに出品されていた。
そこで俺を落札したのは俺を破滅へと追い込んだ王家の第1王子でありゲームの攻略対象だった。
そんな落ちぶれた俺と俺を買った何考えてるかわかんない王子との生活がはじまった。

健気な公爵令息は、王弟殿下に溺愛される。
りさあゆ
BL
ミリアリア国の、ナーヴァス公爵の次男のルーカス。
産まれた時から、少し体が弱い。
だが、国や、公爵家の為にと、自分に出来る事は何でもすると、優しい心を持った少年だ。
そのルーカスを産まれた時から、溺愛する
この国の王弟殿下。
可愛くて仕方ない。
それは、いつしか恋に変わっていく。
お互い好き同士だが、なかなか言い出せずに、すれ違っていく。
ご都合主義の世界です。
なので、ツッコミたい事は、心の中でお願いします。
暖かい目で見て頂ければと。
よろしくお願いします!
悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
*
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、自らを反省しました。BLゲームの世界で推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い

悪役令息、皇子殿下(7歳)に転生する
めろ
BL
皇子殿下(7歳)に転生したっぽいけど、何も分からない。
侍従(8歳)と仲良くするように言われたけど、無表情すぎて何を考えてるのか分からない。
分からないことばかりの中、どうにか日々を過ごしていくうちに
主人公・イリヤはとある事件に巻き込まれて……?
思い出せない前世の死と
戸惑いながらも歩み始めた今世の生の狭間で、
ほんのりシリアスな主従ファンタジーBL開幕!
.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚
HOTランキング入りしました😭🙌
♡もエールもありがとうございます…!!
※第1話からプチ改稿中
(内容ほとんど変わりませんが、
サブタイトルがついている話は改稿済みになります)
大変お待たせしました!連載再開いたします…!


悪役令息に転生しましたが、なんだか弟の様子がおかしいです
ひよ
BL
「今日からお前の弟となるルークだ」
そうお父様から紹介された男の子を見て前世の記憶が蘇る。
そして、自分が乙女ゲーの悪役令息リオンでありその弟ルークがヤンデレキャラだということを悟る。
最悪なエンドを迎えないよう、ルークに優しく接するリオン。
ってあれ、なんだか弟の様子がおかしいのだが。。。
初投稿です。拙いところもあると思いますが、温かい目で見てくださると嬉しいです!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる