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7 これはなんという感情なんでしょう①

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 拝啓ジェイミー君。キミは今、どこにいるのかな。社畜生活真っ只中だろうか?
 そこはとてもつらいところだと思う。毎日毎日、満員電車に揺られ、会社では罵倒され、納期と戦い、凝り固まった体で真っ白く光る四角い画面に向き合うだけの日々は、さぞや過酷に違いない。

 俺はベッドの中から問いかけてみる。絵の中の小さなジェイミー君に。

「戻ってきてよ、ジェイミー君……」

 つぶやいた声は思ったよりも弱々しかった。枕元には、王都の祭りで買った騎士の人形が静かに寝そべっていた。こいつくらいにしか聞こえてなかっただろうな、今の俺の声。
 冬の朝は寒い。できれば布団から出たくない。しかしこう、布団をかぶったまま絵を眺めていたところで何かが変わるわけでもなく……。

「失礼します、ジェイミー様。朝食の準備ができました……ひゃっ!」

 ドアをノックする音がしてすぐ、メイドさんが部屋に入ってきた。なかなか食堂に降りてこない俺を心配したのか、様子を見に来てくれたようだった。
 あ、そうだった。今の俺の部屋、物が散乱しちゃってて汚かったかも。何か手がかりはないかと、俺のほうでもジェイミー君の思い出の品を漁りまくっていたのだ。部屋だけではなく、物置部屋に収納されていた分まで引っ張り出してきていた。

 まあ出てくる出てくる。さすがはジェイミー君だ。愛の重さに関しては誰にも負けていない。
 しかし記憶を辿れることはできても、中身が違うのだから、根本的な解決にはならなかった。
 そうなるとやはり、意識がまるごと飛ぶような大きな衝撃が必要ということか……。

 オロオロしているメイドさんに、「そのままにしといて大丈夫です。後で片付けるんで」と声をかけ、俺はのろのろと布団から這い出て、学園へ行く支度をはじめた。

 俺がジェイミー君として目が覚めて約半年。どんなにつらくても心折れそうでも、学園を休むことはなかった。
 だけどこのところ気が重い。自分でもどうしたらいいのか分からない、胸がざわつくようなこの気持ち。
 大きなため息をつき、俺は朝食をとりに食堂へと向かった。



「体調でも悪いのか、ジェイミー」

 なかなか食が進まない俺を見て、父がおもむろに声をかけてきた。眉間に皺を寄せ、視線はほぼ料理が残っている皿と俺とを行ったり来たりしている。

「……いえ、大丈夫です」

「お前の大丈夫は当てにならんから言っておるのだ。また変な気を起こそうものなら……いや、よそう。朝からこんな話は。とにかく、体調が悪いなら医者に……」

「父上。気にすることないですよ。こいつのコレはどーせアレなんだから」

「……?」

「恋わずらい、ってやつ」

 普段はほとんど喋らない弟が、業を煮やしたように口を挟んできた。何を言うのかと思えば、あろうことかそんな色気づいたことを言い出すとは。

 俺はそれまでの緩慢な動きが嘘のように、光の速さで皿に載っていたパンを弟の口にねじ込み、その口を塞いだ。これ以上余計なことを言われたらたまったもんじゃない。弟は「もごっ!」と言って抗議の目で睨んできたが、構うもんか。

「お前なあっ! こ、こ、恋とか言うなよなっ! そんな恥ずかしいこと!!」

 兄はそんなことを教えた覚えはございません!!
 そんな兄弟の戯れの中に、メイドさんが申し訳なさそうにそっと割って入った。そしてひそひそと俺に耳打ちをする。

「──ジェイミー様。ヘイデン様がいらっしゃいました」

「!! ……い、今行く」

 メイドさんの報告に俺は逃げ出したくなった。ドキドキする胸に手を当てながら、特別、意識をしないよう心がけて席を立ったが、父や兄弟たちから発せられる空気はどこか生温かい。若干の腹立たしさを覚えながら、俺は足取り重く玄関へと向かった。

「……ね?」

「……うむ。確かに、そうだな」






 玄関前には立派な馬車が停まっていた。つややかに整えられた二頭の馬が礼儀正しく待っていて、時折ブルル、と鼻を鳴らし白い息を吐いている。その隣には無愛想な顔をしたヘイデン様が立っていた。

「遅い」

「いや、すぐ来たって」

「とりあえず中に入れ」

「……」

 言われるがまま、グラシエット家の馬車に乗り込む。
 ふかふかの座席に腰を下ろし、向い側に座るヘイデン様に目をやるが、様子はいたっていつも通りだ。足を組み、不機嫌そうに外を眺めている。

「……そんなに嫌なら送り迎えなんてしなくていいんだぞ。朝なんて一番大変だろうに。それに別に頼んでないしさ」

「頼まれてやるようなことではないだろう。お前が学園で僕を避けるせいで話ができないから、わざわざ出向いてやっているだけだ」

「うっ……」

 そう、確かにここ最近、俺はヘイデン様を避けていた。姿を見るやいなや恥ずかしさがこみ上げてきてしまって、反射的に「逃げなきゃ!」と思ってしまうのだ。だからヘイデン様はこうして送り迎えという形で俺を強制的に捕獲しにくるようになったんだけど。
 嬉しくないわけではない──いやむしろ嬉しいし、ありがたいと思っている。数時間の道のりを、こんな朝っぱらからわざわざ迎えに来てくれているのだ。申し訳なさすらある。

 しかしそこまでしてくれているのに、どうにも受け止めきれない自分がいる。心の準備というか、受け止めてはいけない気がする、というか……。以前みたく憎まれ口を叩かれていたほうがよっぽど心は平静でいられたんだけどな。

 車内はいつものごとく、喋ろうとすると気まずくなる空気に包まれていた。
 その空気を割くように、ヘイデン様が口を開いた。

「あと二週間もすれば冬休みだが、予定はあるのか」

「……今のところ、まだ何にもないっすね」

「そうか。……ならば、うちの別荘に来ないか」

「べ、別荘!?」

 これぞお金持ちの代名詞! な庶民の憧れでもある、別荘。それをさらっと行ってのけるあたり、ヘイデン様は生粋のお貴族様なんだよなぁ……と思わせられる。何をいまさらって話だが。

「湖畔のほうに別荘があっただろう。昔、お前もよく来ていた。記憶にまつわる何かが得られるかもしれない」

「お、おう……。でも家族水入らずなんだろ? その中に俺が入るのは……」

「毎年のことだ、うちの家族は息抜きがてら数日滞在する程度ですぐ帰る。お前はその後に来てくれて構わない。……というか、お前ももはや家族の一員なのだから、そんなこと気にする必要はないだろう」

「え、あ、そ……すね」

 そこが最重要事項だろ。婚約者の家族なんて気を使うに決まってるんだから。
 しかしだ。向こうの家族がいたとして、それはそれで気が重いが、ヘイデン様と二人っきりというのもなかなかにヘビーなのでは?

「二人っきり、じゃない……よな?」

 ヘイデン様の目がスッと冷たくなった。若干の圧とともに。

「……問題はないはずだが」

 ジェイミー君の意識を取り戻せる何かがあるのかもしれない、そのために行くのだ。俺だって分かってる。何かを邪推したわけでもありませんし、今までだってお互いの部屋に入ったこともあります。ええ。でも今回はなぜか俺の警戒心が主張してきているのです。何でかは分かりません。

「お前の覚悟とはそんなものか」

 うう。二言目にはそれだ。ずるいぞこの野郎……! そのサラサラな黒髪をわしゃわしゃにしてやろうか! それかなにかしらのハラスメントで訴えられてしまえ!

「……分かった、行くよ。行けばいいんだろ」

 俺は渋々ながら、冬休みにグラシエット家の別荘へ赴くことを了承した。俺はまたも大きくため息をついたが、ヘイデン様を見ると同じように息を吐いていた。






「おはようございます、ヘイデン様。エルベール様」

「おい、やめろ。いつもみたいにあんた、とかジェイミー、とかで呼べよっ」

「朝から麗しいお二人のお姿を目にすることができて眼福この上ないです……とでも言うと思った? 冗談ですー。パンピージョーク!」

 ふざけたように笑う巻き毛の少年を見ていると、我がことのように心が痛む。彼の気持ちが分かるからだ。いや、俺なんかに分かってほしくはないかもしれないが。平静を装っているが、きっと気を張っているに違いない。そう思えてしまうのだ。

「なんか暗くない? いつものあんたのアホ面のほうがマシに思えるレベルなんだけど」

 ──罪悪感。
 そんな嫌な感情が浮かんできて、俺はそれをかき消すように、ことさら尊大に振る舞った。

「アホっていう奴のほうがアホなんですー。それにな、朝からこの仏頂面を拝まされてみろ。そりゃあ表情も暗くなりますわって」

「よかった。いつも通りですね、ヘイデン様」

「──ああ。そうだな」

 おい、そこの二人! 何をそこで通じ合っているんだ! 頷き合ってるんじゃないよ!

「あ、ヘイデン様。これ、この前お借りしていた小説です。とても面白かったです。同じ作者の作品、今度図書館で借りて呼んでみますね」

「ああ。きっと気に入ると思う」

 ……ぐぬぬ。別れたと聞いていたが、普通に仲が良さそうじゃないか。だめだ。二人を見ていると、未だに「形だけの結婚」が頭をよぎる。ヘイデン様が色々と清算して、俺のために動いてくれているのは分かる。でもなんでこんなにモヤモヤが消えないんだ。
 前世で二十八年間生きてきて、こんなに気持ちがかき乱される経験はなかった。

 だが。いらぬ杞憂もモヤモヤも、ジェイミー君が戻って来れば万事解決する。俺のこのやり場のない気持ちも消える。
 早くジェイミー君を連れ戻さなければ。改めて俺はその方法について、人知れず考えを巡らせるのだった。

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