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3 やっぱり平和が一番です

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 晩餐会から一ヶ月。あれから父は機嫌がいい。見るからにホクホク顔だ。ピリついていた家族の食卓にもようやく笑顔が戻ってきた。

「式は来年の春頃にしようと思うが、よいな」

「え、来年……ってまだ学生ですよね、俺たち」

「問題でもあるか?」

「いえ、ないです」

 家が明るくなったのはいいが、朝から気の早い話題が飛び交う状況に少々うんざりしてきたのも事実。笑みをたたえる父に少し鼻白む気持ちが沸き起こってしまうのも仕方がない。

 だって、ちょっと早くないか。式の時期もそうだけど、物事が決まっていくペースがさ。
 こうもスムーズに進んでいくのを見ると、実は裏ではすでに計画が進行していたんじゃないか……とすら思える。

 気乗りしない俺はのらりくらりとやり過ごし、朝食を猛スピードで平らげて、そそくさと学園へと向かった。






「おはよ」

「……ああ」

 ヘイデン様に声をかけると、うざったそうにでも返事を返してくれるようになった。無視されてた頃を思うと微笑ましいかぎりだ。

 青春だね。甘酸っぱいね。これで「やりましたねジェイミー様!」とか「よっ! 我が学園一のお似合いカップル!」などの掛け声さえなければもっとよかったことだろう。一気に雰囲気が台無しだ。教室にいる他の生徒もドン引きしているじゃないか。今すぐやめろやめるんだ、お友達ーズたちよ。

 壁から顔だけ出して目を潤ませている異様な生徒たちと、引きつった笑みを浮かべる俺を交互に見たあと、ヘイデン様は呆れたように自分の席に着いた。

「今日、天気いいね」

「昨日も良かったが」

「か、髪もめっちゃきまってるじゃん」

「いつもと同じだ」

 ……我ながら会話デッキが弱すぎる。天気と髪型は弱すぎる。
 なんとか会話が成り立つようにはなったけど、まだどこかぎこちなくて、まるでコミュ障同士のなんとも言えないやり取りのそれである。
 煽り合いをしている時はするすると言葉が出てくるっていうのに、なんでこうなるんだ。

「あ、え、えっと……式の予定だけど」

「今じゃないと駄目か」

 ヘイデン様がふと一点を見つめながら言った。
 その視線の先には、扉の前で石のように固まって立っている巻き毛の少年がいた。

 あ、やっちまった、と思った。

 婚約が決まってから今日まで少しずつ態度が軟化してきていて勘違いしそうになるが、ヘイデン様の本命はあの男子生徒のほうなのだ。

 巻き毛の彼が入りにくそうにしていたので、俺はヘイデン様からそっと離れた。

 というか前はあんなに強気だったくせに、ここにきて下手に気を遣うんじゃないよ、少年も。
 ヘイデン様の気持ちはちゃんとキミに向いている。その証拠にほら、あんなにも優しく微笑んでいるじゃないか。

 そんな二人の様子を見て、俺は「形だけの結婚」の言葉を頭の中でずっと反芻していた。




▲▽△




 空を仰ぐと、すっかり秋めいた穏やかな青空になっていた。暑さも和らぎ、ふいに吹く風に思わずブルッと身震いする。
 中庭でとる昼食もそろそろ納め時かな。さすがに肌寒くなってきた。食堂を使うのは気が重いが、そうも言ってられない。俺は羽織っていたカーディガンをしっかりと着なおした。

「グラシエット様とあのくりくり頭、いつまで一緒にいる気なんでしょうね? 正式にジェイミー様との婚約が決まったというのに!」

「本当に噂が広まるのは風よりも速いな……」

「何言ってるんですか、おめでたいことなんですからもっと喜びましょうよ!」

 お友達ーズと一緒にいると、塞ぎがちになる心がいくらか軽くなるような気がするのは、この素直さのおかげだろうか。いちいちアイドルのファンみたいな掛け声や歓声を上げちゃうのも、心の底から喜んでくれているが故なのだろう。少し自重してほしくはあるが。

「しかしグラシエット様も酷なことをしますよね。ジェイミー様の気持ちを弄ぶようなことをして」

「んー……そういうだからな」

「いえ! もともとはジェイミー様と親しくされていたのに、コロコロと心変わりなさって。かと思えば婚約してもなお、他の男にうつつを抜かしたままでっ……。ひどいと思います!」

「まあ俺も色々やっちゃったからな、嫌われるようなこと。仕方ねえよ。それに人の気持ちなんてそんな縛れるようなもんじゃないだろ。ヘイデン様の心の中のほうがきっと複雑だと思うよ。俺なんかが推し量ることのできないくらいにはな」

「ジェイミー様……」

 おいたわしや……って顔をされたが、本当のことだ。

 俺とヘイデン様は形式上、夫夫になるだけで、絶対仲良くしなきゃいけないわけではない。
 これはいわゆる“ビジネス結婚”なのだ。
 最悪、お互い決められた仕事をきっちりこなしていればいい。あとはプライベートの範疇であり口出しする権利はない。ヘイデン様の心の拠り所があの少年であろうと、それはヘイデン様の自由だ。

 家同士の結婚を承諾してくれただけでも御の字。そう思わなければ。

 確かに気になることがあるにはあった。晩餐会の時から思っていたこと……そう、ヘイデン様はどこか無理してるんじゃないか? ってことだ。

 嫌なものを無理矢理飲み込んでいたら、心はいつか爆発する。場合によっては壊れてしまう。大人の俺でも毎月、法定外の残業を強いられていた時は病みそうだったんだから。

 それで晩餐会が終わってすぐぐらいの時、ヘイデン様に聞いてみたことがあった。それとなく。自然を装って。

 ヘイデン様の答えは「妥協案を出してやったのに文句でもあるのか」だった。

 ……はい。文句はございません。
 この度は大変助かりました。ありがとうございました。

 ヘイデン様はすでに覚悟の上だったらしい。あの歳で。俺があれこれ気をもんでいる頃にはとっくに腹を決めてらっしゃった。
 了承に踏み切った理由までは聞けなかったが、真面目なヘイデン様のことだ、諸々折り合いをつけて出した答えなのだろう。ヘイデン様は俺が思っている以上に大人なのかもしれない。
 ならば俺もその覚悟にできるだけ応えたいと思った。何ができるか今のところ見当もついてないけど。


 それより、と俺は話題を変えた。

「そろそろ学園祭の準備が始まるな」

「あ、そうですね! いや~斬新なアイデアだと思いました、“執事喫茶”! よく思いつきましたねジェイミー様!」

「ええ、ほんと! 普段、当たり前のようにしてもらってることを自分たちが実際にやることで、そのありがたみを知る……素晴らしい視点だと思います!」

「まあ、労働……いや奉仕する側の気持ちも知らないとな。支えられてるだけじゃなく」

 とかなんとかそれらしいことを言ってはいるが、出し物を決める際に、ただ単に「模擬店のほうがいいな~」と思って出した俺の案が最後の候補として残り、物珍しさから採用されただけのことだ。
 当初は楽器の演奏に八割がた決まりそうだったのだが、それはどのクラスもやっているし、例年と同じで代わり映えもせず飽きもあったのだろう。
 とりわけ担任の先生なんかは、まさかフィーチャーされると思ってなかった俺の弱々しいプレゼンを絶賛してくれた。
 どうやら彼女は一般階級の出で、自力で働きながら教員になった苦労人らしく、「実際に働くことを経験するのは良いことだわ!」とあれよあれよと決まっていった。





 そうして言い出しっぺの俺は必然的に実行委員に選ばれてしまったわけなんだが。
 これってただ面倒を押し付けられただけなのでは……? と嫌な思いがよぎりつつも、放課後、各クラスが集まる会議があったので出席した。
 そこに、ふと知ってる顔を見つけた。

 栗色の、ふわふわ巻き毛のあの男子生徒だった。
 彼は俺を見るなり一瞬固まって、スっと目を逸らした。どことなく気まずさを感じつつ、俺も彼とは距離をとり離れた席に座ることにした。

 彼のクラスは演劇をするらしい。へぇーと思いながら、俺も自分のクラスがする予定の催し物を発表した。
 会議が終わり、帰り支度をしていると、少年に声をかけられた。

「……おめでとう、ございます」

「あ、ああ」

 わざわざそれを言いに来てくれたの? えっ、礼儀正しいな、おい。
 そんで……俺はどんな言葉を返したらいいんだ。
 不意を突かれ返答に迷っていると、彼はそれだけ言ってきびすを返した。その時、なにを思ったか俺はとっさに彼を呼び止めてしまった。

「……なんですか」

「いや、その。あんまり気にしなくていいから、結婚とか」

 彼の目がグッと一段険しくなる。そして歯を食いしばるように睨みつけられた。
 少年の中ではまだ整理がついていないのだろう。無理もない。
 今の俺の発言も、少年からしてみればちょっと上から目線に聞こえただろうか。嫌味っぽかったかもしれん。ごめんな。

 声をかけてもいたずらに刺激する結果になってしまうのなら、声をかけるのも控えたほうがいいか……。彼が走って行くのを見送りながら、最適解を悶々と考えていた。



 なんでこんな気を遣ってばかりなんだ。ひとり寂しく仕事とゲームだけしていた頃が恋しいよ、まったく。

 それに俺が心配する必要もないくらい二人の仲は変わらずラブラブだし。
 ただ、婚約の噂が知れ渡ったのと、ヘイデン様が俺に小さくでも反応を返すようになったことでヘイデン様、巻き毛の少年、俺の三人の間に微妙な空気感が生まれてしまったのは確かだ。

 その結果、むしろヘイデン様と巻き毛の少年の周りに悲恋を帯びた禁断の恋の空気が漂いだして、より一層、甘さが増した感がある。そんな二人の姿に目を引かれている生徒も少なからずいるようだった。

 まるで俺は引き立て役だ。もしくは敵役。「権力に屈するな! 純愛を貫け!」という観客の総意が、視線や空気感でひしひしと伝わってくる。正妻、という立ち位置が、傍からは権力を振りかざして奪い取ったみたいに映るのだろう。

 ……いいけどさ、別に。でもちょっと──いやだいぶ面白くないけどな? 報われない当て馬に配役されて、どう楽しく生きろと?
 まあ、あれこれ言ったところで現実が変わるわけではない。なんたって俺とヘイデン様は「形だけ」の関係で、この物語の主役はあの二人なんだから。

 ジェイミー君よ、許してくれな。

 そんなこんなで俺は学園祭の準備で忙しく動くことで気を紛らわせていた。
 メニュー決め、人員の割り振り。予算や経費の計算、実行委員会への参加。備品の買い出しや提供するお菓子の仕入れ先との交渉。内装の装飾。そういった実務をこなして日々が過ぎていった。
 何か打ち込めることがあって逆によかったと思う。やることがないと気が滅入りそうだったから。




△▼△




 学園祭当日は秋晴れの天気のいい日だった。
 この日は学園内が一般にも解放され、生徒の他に生徒の家族や一般客など多くの人が訪れており、賑わっていた。

 執事喫茶は意外にも好評だった。他の教室でも模擬店は出ていたが、俺のクラスのは給仕係が皆執事かメイド仕様の風変わりな店だったこともあり、興味本位で覗いていく人たちもいた。

 “働くのは負け”という意識が根強い一部の貴族階級の生徒の中には隅で不服そうにしている者や、堂々とサボっている者もいたが、コスプレのような感覚が新鮮だったのか他の生徒は割と楽しそうに店番をしてくれていた。

 中でもヘイデン様の執事服姿は凛とした立ち姿も相まって、とても似合っていた。女子生徒もさることながら、男子生徒もヘイデン様に給仕されると頬を染めたり、ソワソワしたりしていた。

 確かに格好良い。悔しいけど格好良い。晩餐会の時もそうだったが、ああいう正装がまたよく似合うんだ、これが。おまけにうっすら笑みをたたえようものなら、キャッと黄色い声を上げてしまう気持ちも理解できる。

 だが俺、いやジェイミー君だって負けてないぞ。給仕している時、品の良いご婦人に「あなたイケてるわね」とチップを渡されそうになったんだから。丁重にお断りしたが、俺も意外とイイ線いってるのでは……? と少し嬉しくなった。
 貴族風の紳士に口説かれそうになった時はさすがに驚いたけど。冗談というかリップサービスだったのかもしれんが、うら若き青少年になんつーことをするんだ、と心の中では戦々恐々となった。もちろん即答でお断りした。

 そんなこともありつつ、俺は接客対応の他にも裏で軽食や飲み物を作ったり、人手が足りないところをカバーしながら、あっちこっちに動き回っていた。時には教室の前で呼び込みをしたりもした。



 店番は大体、一、二時間おきくらいの交代制。休み時間は他のクラスの出し物を見に行ったり、食事したり、皆思い思いに過ごしていた。俺は動いてるほうが逆に気が休まるから、社畜精神フル稼働でほぼ店に立ち続けていたが。

「いい加減、休め」

 注文が入った紅茶を客席に持っていこうとした時、作業台の前にヘイデン様が腕組みして立っていた。気配に気付かなくて危うくこぼしそうになり、一旦、トレーを台に置く。

「び、びっくりした……。大丈夫だから。裏でたまに休んでるし。あ、もう客足も引いてきたし、みんな休憩入ってるよ。ヘイデン様も休めば」

「また倒れても知らんぞ。自分の体の貧弱さを見くびっているんじゃないのか」

 ……ずるいな、こういうところ。俺が元社畜で鋼の精神を持っていたからよかったものの、相手が俺じゃなかったらコロッとほだされちゃうよ。こんな優しさ出されたら。言い方はなんか当たり強いけど。

「え、なに、心配してくれるんですか? あのヘイデン様が、俺なんかの? まーお優しいんですねえ。でも慣れてるんで大丈夫ですよ、ありがとうございます。じゃ」

「慣れてる、とは何にだ? そもそも労働はおろか奉仕の精神など持ち合わせていないお前が、どういう風の吹き回しでこんな提案をした? 何を企んでいる。一体どういうつもりなんだ」

「ちょ、別に何もないよ。たかだか学園祭の出し物だろ、ケチつけんなよ、今さら。てか冷めちゃうから、これ」

「記憶がなくなって心を改めたとでも言いたいのか。それで過去を清算できると? 誰かのために茶を運ぶのも誰彼構わず笑いかけるのも、またいつ発作が起きるかも分からないのに馬鹿の一つ覚えみたいに体を動かそうとするのも、その腹積もりゆえのことなんだろう。お前のその浅知恵になど……」

「はいはい、もうそれでいいです。体は本当にヤバいラインにきたら分かりますんで大丈夫ですから。過呼吸もあんまり意識しないほうが案外良かったりするもんなんですよ。ほら、それより色んな出し物出てるみたいだし、ホールでは演奏会もやってるみたいっすよ。デートに最適なんじゃないすか」

「デート……?」

「あ、そういえば午後の演目であの子の舞台があったはず。開演までまだちょっと時間あるけど観に行ってあげたら。つーことで、ほいっ。行ってらっしゃい。しばらく戻って来なくていいぞー」

「なっ……、おいっ!」

 ごちゃごちゃ言ってるヘイデン様の背中をぐいぐい押して、扉を閉め、鍵をかけた。
 見えないところでよろしくやってろ、ったく。勤労は精神の安定にもつながるんです。邪魔しないでください。

 しかしそこは聞き分けの良い男、ヘイデン様である。それ以上文句を言いに来ることはなかった。まあ来たところで着地点のない言い合いが続くだけなのだが。





 ヘイデン様を閉め出してしばらくすると、巻き毛の少年がひとりで入店してきた。
 あれ? と思い、ヘイデン様とちょうど入れ違いになってしまったことを伝えると、「ええと……」とおずおずと切り出された。

「上着を……貸してほしいんです」

「え、上着? これ?」

 着ていた執事服の上着を示すと、彼はコクコクと頷いた。

「衣装がちょっと……間に合わなくて」

「ああ、演劇の。いいよ、はい」

 俺は躊躇いなく上着を脱いで貸してやった。彼のほうが体が少し小さいからサイズ的にお下がりみたいになるかもしれないけど。そう言ったら、確かに、と少し笑ってくれた。

「どんな内容なの?」

 話しかけないほうがいいかと思ってたけど、つい普通に話しかけてしまった。笑ってくれてつい気が緩んだのかも。

「……ラブストーリーです。昔の戯曲の」

「へぇ。でも昔のって難しかったりしない? 俺みたいに疎い奴が観ても分かる?」

「分かりやすく今風にアレンジしてるので。……その、昔の作品って悲恋が多いから、そういうのが苦手じゃなければ」

「まあ恋愛もの、あんまり通ってきてないからな……なんとも……。あっ、そうだ。ちょっと待って」

 俺は少年に紅茶を一杯ご馳走した。エルベール家御用達の茶葉だ。メイドさんいわく、香りが良くてリラックス効果もある逸品だそうだ。今の彼にぴったりだ。少しでも緊張が和らげばいい。
 少年は目をぱちくりさせて俺を見た後、そっとカップに口をつけた。飲み干したカップを手渡す時なんかは、美味しかったです、と律儀に言ってくれた。

「あのさ、敬語とか使わなくていいから。今までみたいに生意気なくらいで全然いいよ」

 少年は何とも言えない顔で頷き、そしてペコリとお辞儀をして出ていった。

 フッ、可愛いところもあるじゃないか。少年よ。なんだかグッと距離が近付いた気がするぞ。根は悪い子じゃなさそうだ。そりゃそうか、あのヘイデン様が選んだ相手なんだから。
 あの少年とも良好な関係が築ければ、今後も続いていくであろうストレスを大幅に減らせるかもしれない。

 それを抜きにしても、友に飢えている俺にとって気軽に話せる存在というのは何にも代えがたい。もし仲良くなれるのなら、それに越したことはないよな……なんて今後の展望に思いを馳せながら仕事に戻った。




△▽▲




「──というわけで。ここは僕たちが代わりに店番しますので、ジェイミー様。どうぞごゆ~っくり休んできてくださいねっ!」

「んん? え、ああ……ありがと……?」

 今度はなんだ……と思えば、目の前には満面の笑みをたたえたお友達ーズたちがずらっと勢揃いしていた。

 え、なに、このキラキラオーラの圧は。逆に不穏なんだが。もしやドッキリとかじゃないだろうな……? と、あるはずもないカメラの存在をキョロキョロと探していたら、その隙にお友達ーズたちによって俺は半ば強引に店から追い出されてしまった。
 ついさっきのヘイデン様と同じ状況の自分に、思わず眉根が寄る。

 彼らの話を聞くに、なんとこれはヘイデン様の差し金だった。
 休憩中のお友達ーズたちにわざわざ声をかけ、俺を休ませろとのお達しを出したらしい。くそ、ヘイデン様め。やり返してきやがったな。

 俺は何度も断ったのだが、「グラシエット様の命令ですから」と彼らはかたくなに聞かなかった。
 いや、うん。お前ら。どっちの言うことを聞くんだ? と思ったが、なぜか嬉しそうにしているあいつらを見てると抵抗する気もなくなり、結果されるがまま任せる形になってしまった。

 しかしこう、なんだ。ワーカホリックからいきなり解放されると、いつもどうしたらいいか分からなくなるんだよな。
 ただこうして、ぽつねんと廊下にひとり佇んでいても仕方がない。せっかくだし他のクラスの出し物でも見て回るか……と俺はとぼとぼと歩き出した。






 腹が減ったのでとりあえず食堂に行くと、生徒はもちろん、普段出入りすることができない一般のお客さんも多く賑わっていた。
 ……こりゃあ落ち着いてメシを食える状況じゃないな。Uターンして他の出店で軽くつまむことにしよう。
 ドリンクや手軽につまめるスナック、お手製のケーキやクッキー、サンドイッチ……その中から何個か適当に見繕って購入した。うん、うまい。歩きながら食う焼き鳥串最高。
 食べ物以外では、刺繍やクラフト作品、アートや創作物が展示されていたり、チェスのようなボードゲームで遊べる所や絵画教室、ダンス、スポーツなど多様なレクリエーションが行われていた。

 ふむふむとそれらを見て回り、最後にホールのほうにも寄ってみることにした。

 ホールではちょうど、あの巻き毛の少年のクラスの発表が始まっていた。演劇……確か戯曲とか言ってたな。ラブストーリー。どれどれと入り口近くの空いてる席に座り、舞台を眺めてみる。

 どうやら身分違いの恋がテーマらしい。戦地へ赴く兵士と貴族令嬢の報われない恋。心の中ではお互いを求め合っているのに、素直になれないばかりか戦争や身分などの外的要因によって引き裂かれ、兵士は死の間際になってようやく愛を告げる。ひとりぼっちで、夜空に向かって。その頃には令嬢は他の貴族の息子と婚約していて、のちに兵士の死を知ることとなる──。

 俺はぼろぼろと流れる涙を止められなかった。思いのほか感情移入してしまい、えぐえぐとハンカチで目元と鼻を拭う。もう恥ずかしいなんて言ってられない。中身はアラサーお兄さんなのだ。涙もろくなってしまうのはどうか許してほしい。
 しかし前世では恋愛映画などほぼ観てこなかったが、こんなに感動できるものだったんだな。心が洗われたみたいだ。俺は清々しい気分で席を立った。

 ちなみに巻き毛の少年の出番はセリフが数個ある程度の貴族のモブ役だった。それよりなにより、やはり上着が少しぶかぶかだったのが俺の中でちょっとツボで、思わずフッと笑みがこぼれてしまった。いや頑張ったよ、うん。後でグッジョブと伝えておこう。



「ありがとうございました」

 無事、学園祭も終わり、後片付けをしていた時。少年が上着を返しに俺たちの教室にやって来た。俺は彼に、演劇の率直な感想とねぎらいの言葉をかけた。
 一瞬ひるんだ様子だったが、すぐにはにかみの笑顔を浮かべる少年に、なんだかこちらの心も温かくなる。

「いつからお前らは仲良くなったんだ?」

「あ、ヘイデン様!」

「げ、ヘイデン様……」

 軽く修羅場です。この状況。
 しかしヘイデン様の登場でピリつくかと思いきや、前ほどのトゲトゲした雰囲気はない。むしろ戦友の帰還を喜び合ってるかのような和やかなムードだ。ヘイデン様の頭には若干「?」が浮かんでいる。

「上着を貸してもらっていただけです。劇で使うために」

「……それならば俺に言えばよかったろう」

「あ、はい……でもご迷惑おかけしたくなくて」

「おい。俺だったら迷惑かけてもいいと思ったわけ?」

「ちがっ……! 結果的にはそうなっちゃったけど、でも本当はヘイデン様にお伺いしようと思ってたんだよ!」

「へいへい。そーですか。でもヘイデン様のだったらもっとぶかぶかだったかもね~」

「はあ!? そんな小さくないけど!」

「へんっ、どうだか」

「お前ら、いい加減にしろ。……はあ、またうるさい日々が始まるのか……」

 ヘイデン様がなにやらブツブツ言っていたけど、俺はそれどころじゃなく、生意気に突っかかってくる巻き毛の少年との攻防を繰り広げていた。

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