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Act 1 大事な恋の壊し方(本編)

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 翌日、彼のもとから解放されたオレは、今後の身の振り方を真剣に考えた。
 どうするべきなのか、何が正しいのか……自問自答を繰り返し、あれこれと思案して。
 ――そして、瀬川さんとの関係を完全に絶つことに決めたのだ。

 もともと維持するつもりもなかった関係だ。
 望んでもいない、ずっと解放されたいとすら願っていた彼との関係にこちらから終止符を打って、強引に幕を下ろす。
 恐怖心や不安はもちろんあったが、そうすることに抵抗はなかった。もっと早く決断していれば良かったとさえ思ったほどだ。

 脅しの原因になった映像や、瀬川さんの持っているデータは結局何一つ消すことはできなかったけれど、もし流出したとしても、もう構わないと腹を括った。

 恥ずべき不名誉な噂が出回ろうと、何を言われようと……智実や千華ちゃんを裏切り続けるのに比べたら、心が感じる罪の重さはずっとマシだろう。
 別の理由で思い悩むことになっても仕方がないし、智実の耳に入ってすべての悪行が白日のもとに晒されることになっても、その時はもう致し方ないと思えた。
 智実に対して、それだけの過ちだって犯したのだ。
 悲しいし悔しいけれども、彼女に嫌われても、もしかしたら彼女を失うことになったとしてもやむを得ない。今はそう思えるようになってきていた。

 決心したら、心がどこか軽くなった気がした。
 重ねてきた罪が消えたわけではないけれど、前ほどの重さに苛まれることもない。
 冬の夜空をちらほらと彩り始めたイルミネーションほど目映くも綺麗でもないけれど、オレにとってこの結論はやっと見出した希望みたいに澄みきっていた。

 瀬川さんからの連絡手段をすべて遮断して。
 最近また財布から姿を消していた学生証や保険証は再発行の手続きをした。まあ、親にはめちゃくちゃ怒られたけど。
 念のために一人になることも極力避けて、必ず親しい誰かと一緒に行動をする。
 なるべく人目の多い場所に身を置くように心掛けた。

 自分から罪を告白する勇気は今はまだないけれど、もしも智実や千華ちゃんにあの映像を見られるようなことがあれば、正直にありのままを伝えようと決めていた。
 そうなったときは、改めて警察に相談するという選択肢を考えてもいいわけで。

 ――最初からこうしておけば良かったのだ。
 冷静に対処すれば、あんなに苦しい思いをしながら、瀬川さんの掌の上で馬鹿みたいにくるくると踊らされることもなかっただろうに。
 これで少しずつ、穏やかに。元の生活が戻ってくるはずだった。


 ◇


 珍しく、その日はオレよりも智実のほうがため息をついていた。
 すっかり侘しい冬の色に塗り替わった外の風景を眺めながら、物憂げな様子で彼女はぼんやりと息を吐き、晴れない表情で頬杖をついている。
 学校帰りにふたりで寄った、最近オープンしたばかりのカフェは同年代の客で混みあっていて。店内にはわいわいと明るい声が溢れていた。

「何かあった? 元気もないし、ため息なんて珍しいね」
「あ、ごめんね。その……千華のことが気になっちゃって。あの子、最近また瀬川さんとうまくいってないみたいでさ、また悩んでるんだよね」

 智実の可憐な唇から飛び出してきた名前にドキリとした。
 下手に言葉を連ねるのは怖かった。内心の動揺を慎重に覆い隠して、相槌を打つ。それだけでひどく渇いた舌の上に、ほのかに甘いミルク入りコーヒーを流し込んだ。

「ねえ、りっちゃん。瀬川さんに何か聞いてる?」
「いや……最近あまり瀬川さんとは連絡取ってないんだよね。実は少し、距離を置こうかと思ってて」
「そうなの?」
「うん、まあ……価値観の違いというか、やっぱり合わないなって。女の子同士でもあるでしょ、そういうの。だからその、千華ちゃんの力にはなれなくて。ごめんね」

 真実と嘘を織り交ぜて伝えれば、智実は少し考えるような顔をしていたけれど深く追求してくることはない。
 瀬川さんとの微妙な関係を仄めかしたのはわざとだった。
 せっかく瀬川さんとの繋がりをすべて絶ったというのに、千華ちゃんのためにと頼られても困るのだ。力にはなれないし、力になろうとしたところで、それは千華ちゃんのためにはならないだろう。
 彼女が悲しむ姿は見たくないが、千華ちゃんのために裏で瀬川さんとの関係を続けることは、もっと違う気がした。

(瀬川さんがオレたちの関係をわざわざ千華ちゃんに暴露するとも思えないけれど……あの人のすることは読めないしなぁ)

 可能性はゼロではないが、既に腹は括っている。瀬川さんがどういう行動をとるのかはわからないけれど、もうこれに関しては祈るしかない。
 だが、久しぶりに瀬川さんの気配を身近に感じて、嫌な不安が背中を撫でたことは事実だった。
 ここ最近はすっかり凪いでいたはずのオレの心を、木枯らしが荒らす。

「……? 智実、どうかした?」
「ん、何もないよ?」

 白いテーブル越しに座っている彼女の視線が、オレの首元を漂っていたような気がしたのだ。が、勘違いだったのかもしれない。
 にこりと可憐な笑みをつくる智実に、こちらも笑みを返した。
 あの日、瀬川さんにつけられた忌々しい情事の跡はとっくに消えているはずだ。数日前ならともかく、見咎められるようなものは今はもう何も残っていない。

 ……そう思うものの、心の底にこびり付く後ろめたさは誤魔化しようがないもので。
 清廉な眸から逃げるように、オレは自然なふうを装って大きな窓のほうを眺めることにした。
 汚れ一つなく磨かれた透明のガラス板の向こうを学生たちが賑やかに通り過ぎていく。街中はちらほらと気の早いクリスマスで飾り付けられていた。
 店内にも軽快にアレンジされた冬の定番曲が流れてきて、弾けるリズムに乗っかって、これから街全体が浮足立ったまま年の瀬へと駆けていくのだ。

(千華ちゃんは心配だけど……オレにとっての一番は決まっている。彼女を大事にしなくちゃ。智実を失ったら、オレはきっとこの先の人生まで見失う)

 オレたちのテーブルにはまだ、温くなったコーヒーみたいな時間が満ちていた。
 彼女の美しい横顔にオレは静かに誓いを立てる。
 帰ったら、オレたちの記念日の計画を練ろう。智実が心から喜んでくれるようなものを考えて、天使の顔に、可憐で眩しいあの笑顔を呼び寄せたい。

 茶色い液体にたっぷりと乗っていた甘そうなクリームが、彼女の手の中でゆるやかに溶けていく。
 何かを思案するように智実はそれからもしばらく唇を結んだまま、コーヒーカップを握りしめていた。
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