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Act 1 大事な恋の壊し方(本編)
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しおりを挟む結局あれからも何度か、どうしてか、同じようなことが続いてしまって。
動画や写真で脅すだけではなく、あの手この手でオレの尻を狙ってくる瀬川さんに為す術なく、関係を断ち切れないままズルズルと後ろ暗い接触が続いてしまっていた。
……これじゃもう言い逃れだってできないし、智実に対する完全な裏切りだろう。
最悪なことに、瀬川さんがオレに向ける性的な興味は未だに冷める気配がなかった。
不誠実だと言われかねない行動を自覚するたびに、次第に罪の意識にとらわれるようになっていた。
別に大層な信条を持っているわけではなかったけれど、普通に一人の人間として、相手への誠実さを大事にしたり、正義や道徳というものを重んじたり、品行方正とまではいかないまでも非難されない生き方を心掛けてきたオレにとって、今の状況はまさに地獄のようだった。
――つい先日まで、正しさしかない平凡な道を歩いていたはずなのに。
いつの間にかオレの現在地はあるべき場所から大きく逸れていて、霧の中で惑うみたいに、元居た場所への戻り方を完全に見失ってしまっていた。
沼地に足をとられ、身動きもできないまま泥水の底に沈んでいくように時間ばかりが過ぎていく。
「りっちゃん、本当にどうしたの? 最近ずっと元気ないよね」
大学からの帰り道。スモークブルーの厚手のストールを寒そうに手繰り寄せながら、智実がオレの顔を覗いてきた。
歩道には色褪せた落ち葉がところどころで厚く積もり、スニーカーが枯れ葉を踏み砕くたびに、いよいよ冬の気配が近くにあった。
……心配させてしまっている。大事なのに、何より大切にしようと誓った相手だったのに、裏切るようなことをして、オレは今なお、彼女を裏切り続けてしまっている。
智実だけじゃない。千華ちゃんにだってそうだ。
最近は瀬川さんとうまくいっていると喜んでいるようなのに、裏でオレたちがこんな手酷い裏切りをしているなんて、二人はきっと想像もしてないだろう。
「……そう見える?」
「うん。何か悩み事でもあるの?」
「まぁ……うん。ちょっと、悩んでるかも」
「ふうん。……私にも言えないこと?」
窺うような、上目遣い。さらりと風に流れる黒髪も、天使のような可憐さも、彼女の清廉な内面も、今のオレにはひどく遠く感じて眩しいばかりで。
ごめんね、と濁して曖昧に笑うしかなかった。
ついこの間までは智実と時間を共有できるだけで心がふわふわと弾んでいって幸せを噛み締めることができたのに、最近は一緒にいるだけで、心臓が千切れそうなくらいに苦しかった。
誤魔化したオレに対して、智実は優しかった。
ふうん、とあっさりと許してくれるその寛容さに、オレは自分の至らなさを糾弾されている気分になる。
「でも、言えるようになったら話してね? りっちゃんはネガティブなところがあるから、きっとまた悩み過ぎてるんでしょう? 思いつめちゃうんじゃないか、それだけが心配よ」
こんな天使みたいな子に、オレはなんてことをしてるんだろう。
ひどく胸が痛かった。智実と言葉を交わすたびに、良心の呵責に耐えかねて、心がばらばらに崩れていきそうになる。
もうすぐ、智実と付き合って一年の記念日だった。
本来ならば今頃、どんな風に智実を喜ばせようかと想いを巡らせて、あれこれと思案しては幸せの中を揺蕩っているはずだった。
オレにとって智実は歴代の彼女たちの中でも特別だった。
大学に入学してすぐ、智実と出会った日、オレは生まれて初めて雷に打たれるような衝撃を経験した。
生まれて初めて自分から懸命にアピールをしたし、彼女と話す他の男に嫉妬したり、些細な会話に一喜一憂したりして、何度も悩みながら必死の思いでデートの約束を結んでもらって。
丁寧にゆっくりと関係を編んでいって、生まれて初めて自分から想いを告げて。半年以上をかけて、ようやく成就させた大切な恋だったのだ。
まだ言葉にして伝えたことはないけれど、もしもこのまま智実と卒業まで付き合うことができたなら、絶対に彼女にプロポーズしようと心に固く決めていた。
それなのに。
「そうだ。今日このあと、うちに寄ってかない? ごはん一緒に食べようよ。りっちゃんの好きな生姜焼き作ってあげる」
智実が殊更に明るく誘ってくれた。
彼女の微笑みはやっぱり女神のようで、オレの大好きな笑顔だった。
――心の底から行きたいと願った。だけど、行けっこない。
普段通りの自分を装う自信がまったくなかった。良くも悪くも、自分の心は瀬川さんのように器用ではないのだと思い知る。
「すっごく行きたい……んだけど、ごめん。バイトはないんだけど、このあと用事があって」
嘘だった。でも、嘘を吐く以外に断る方法が見つからなくて。
慣れない息苦しさに、オレの心はもうとっくに限界を超えて、ぼろぼろに咽び泣いている。
寂しそうな顔をした智実だったけれど、それは瞬きをするくらいの時間で、すぐにきれいな笑顔を整えていた。気丈な彼女の振る舞いごと、本当は抱きしめてしまいたかった。
「そっか。仕方ないね。じゃあ次は、遊びに来てね?」
智実と過ごす時間こそが、オレにとって何よりも至福の時間だったんだ。
愛する彼女と他愛ない会話を重ね、時間を共有し、幸せを噛み締めながら同じものを食べて、触れ合って……それこそが、オレの幸福であったはずなのに。
(……こんなに汚れてしまったオレが、智実に触れていいんだろうか?)
幸せに満ちていたはずのこの恋が、あの男のせいで汚されて、軋んでいく。
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