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Act 1 大事な恋の壊し方(本編)

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 週末。片手じゃとても足りない数のため息を道中に落としながら、とある駅のホームに降り立った。
 重すぎる足取りのオレを何人もの乗客が追い越していき、我先にとエスカレーターの列へと吸い込まれていく。
 彼らと先を争う気にもなれないオレはゆっくりと時間をかけてすぐ横の階段をのぼる。いくらか混雑が落ち着いていた改札を抜けると、季節外れの花吹雪でも降らせそうなほど爽やかな笑顔でこちらに手を振る瀬川さんに出迎えられた。

 ……二度と会わないはずだったのに、わざわざ瀬川さんのマンションの最寄り駅までやってきたのは、もちろん、彼の家にオレの学生証を返してもらうためだ。

 改札の外には女の子がやたらと多かった。彼女たちが足を止めて熱い視線を送っている相手が誰かなんて、言わずもがなだ。
 瀬川さんは周囲から向けられる視線なんて慣れっこなのか、特に気にした様子もなく真っ直ぐにオレの方へと寄ってくる。
 花がほころぶような自然な笑顔で、「待ってたよ」なんて女の子が喜びそうなことを口にするから、本性なんて知りようもない彼女たちはすっかり瀬川さんの虜となっているようだった。
 ……やめてくれよ。思わず頬を引き攣らせてしまったオレは、ちょっと雑な感じで右手を差し出した。

「学生証、持ってきてくれたんですよね? ありがとうございます」
「ふふ、ごめんね、家に置いてきちゃったんだ」
「……」

 絶対に、わざとだろう。
 お詫びにランチでも奢るよという彼の斜め上の言葉には無言で返して、改札ホームに回れ右しようとしたオレの腕を瀬川さんは少し慌てたように掴んできた。
 周囲の女の子からちらほらと黄色い悲鳴が上がる。ああ、この人といると本当に目立って嫌になる。
 
「律、ごめんって。ランチはいいから、このまま真っ直ぐ一緒に取りに戻ろう。学生証、必要なんだろう?」

 女の子たちの視線も煩わしいが、もう一度瀬川さんに会いにくるのも嫌すぎるので、オレは大人しくその提案に頷いた。

 駅を出て歩き出せば、数メートル進むたびに女の子たちから誘いの声がかけられる。
 彼が歩くだけで、いっそ息をしているだけで女の子たちが振り向くのだ。そこそこの顔に生んでもらった自覚のあるオレだって、この光景には世の中の不公平さというものを感じてしまう。
 すっかり忘れていたが、千華ちゃんも同じように瀬川さんに声を掛けたんだろうか。想像すると、友人としてはちょっと複雑だった。

 ……なんて、現実逃避するように思考を飛ばしていたら、突然瀬川さんの大きな手がオレの右手に重なった。

「え、――ちょっと!?」
「ごめん、面倒だから少し走るよ」

 断っても断っても相次ぐナンパを慣れた様子で躱していた瀬川さんだけど、流石に鬱陶しくなったらしい。
 鞄から取り出したキャップを深く被り、オレの右手を強引に掴むと、瀬川さんは足早に駆け出した。背後からは黄色いどよめきが湧き上がる。……いたたまれない。なんだこれ。

 引っ張られるまま土曜の混雑した大通りを進んで、細い道をいくつか曲がると、見上げるほどに立派なタワーマンションが現れた。
 前回はよくわからなかったが、外観からして、見れば見るほど学生の一人暮らしには不似合いな贅沢すぎる物件だった。

 マンションの出入り口に佇む警備員に尻込みしたオレは建物の前で待っていたいと訴えてみたものの、結局そのまま瀬川さんに引き摺られてしまって。
 コンシュルジュのいる高級ホテルみたいなエントランスフロアを通り、エレベーターに押し込まれ、これまた隅々まで手入れの行き届いた美しいフロアに降り立って。
 ゆとりのある間隔で点在する見覚えのある扉の一つをくぐると――どういうわけか、オレの身体は壁面に縫い付けられていた。

「……あの、学生証を返してもらいに来たんです」
「タダで返すはずがないだろう? 何のために仕込んだと思ってるんだ」

 ……ああ、失敗した。
 この男を警戒するなら、どんなに鬱陶しかろうと、衆人環視の状況をつくるべきだったのだ。
 こうして二人きりになってしまえば、何をされるかわからない。

「嬉しいよ。律が会いに来てくれて」

 人工甘味料たっぷりの眼差しと虫歯になりそうな言葉が降ってくる。
 たしかに彼に会いには来たわけだけれど、言葉が背負う意味合いにだいぶ認識の相違があるような。
 どこまで本気で言っているのかは知らないが、瀬川さんは幸せを噛みしめるような笑顔でついとオレの頬を撫でると、額に触れるだけのキスを落とした。
 壁ドンの姿勢でオレを閉じ込めたまま、鼻に、眉間に、瞼にと……彼はオレの顔面に嫌がらせのようにキスの雨を落としていく。演技派なんだとしても熱が入りすぎだ。

 嫌悪を隠しきれずに抵抗すると、何故か嬉しそうに笑われて。今度は上着の下に右手が滑り込んできた。
 思わず身体を固くしたオレの耳元で、瀬川さんは艶っぽく低音を囁いた。

「きもちよくなるやつ、飲む?」
「飲みたくない……! こういうのも、オレはしたくないんですって」
「そう? でも俺はしたいんだよね」

 タチが悪いと思った。王様気質のこの男と相対すると、主導権を悉く奪われてしまうのだ。選択肢なんてハナからなくて、抵抗しても、いなされて押し流される。
 カチャカチャとベルトを弄る音に気付いた時にはもう遅く、下着の中に男の手が潜り込んできて。阻む間もなく、横暴な掌がオレのペニスを包み込んだ。

「……ッ!」

 急所を握られ、息を詰める。身動きがとれなくなったオレの耳に彼は熱い息を吹き込んで、舌で中を嬲って、耳朶に甘噛みを繰り返した。

「ねえ、律。今日の予定は?」

 ……あの日のことを思い出して、身体がふるりと震えてしまう。
 まるで舌なめずりをする肉食獣が、捕らえた獲物の感触を確かめるような愛撫だった。
 力が抜けかけているオレの身体は瀬川さんにしっかりと抱き寄せられる。壁との間に挟み込むように身体全体を押し付けられて、狭い檻の中で、オレは悪魔に与えられる愛撫に悲鳴を上げたくなった。

「今日は、このあとバイトがあって……ッ!」

 咄嗟に、嘘をついた。
 だって、このまま瀬川さんのペースに呑まれてはたまらない。

「ふうん、じゃあそれは休んでくれる? 律は今日、俺と遊んでもらうから」

 妖艶に笑うヘーゼルの瞳を必死に睨みつけても、オレなんかじゃ到底、太刀打ちなんてできっこない。
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