63 / 69
21
しおりを挟む仕事に忙殺されるうちに一月が終わり、気付けば二月になっていた。
最近はろくに圭人と連絡も取れていなかった。
普段よりも文字でのやり取りが増えていたが、今はそれも途絶えている。
何でもいいから、そろそろ本気で圭人の声が聞きたかった。
とはいえ電話なんてしたら余裕なく恋人を問い詰めてしまいそうで、数回迷って、結局まだこちらから何か行動を起こすことを躊躇っている。
(けど……会いたいな。そろそろ限界だ)
はあ、と白い吐息を夜風に流す。背中を丸めて歩きながら、香倉は紺色のマフラーに顔を埋めた。
残業を終えて会社を出る頃にはいつも外は極寒で、寒さだけでなく寂しさが身に沁みる。
寂しくて、恋人が恋しくて、会いたくて……遠くにいる彼の気配を求めるように、布地に頬を擦り付けた。
こんなことなら自分も圭人のお下がりのマフラーを強請れば良かったと、何度か考えた。
圭人のあの甘い匂いが、今はとても恋しい。
(バレンタインだし……チョコでも買って会いに行ってみようか)
もう十分すぎるほど、自分は待ったはず。
ここまで耐えて待ち続けていたのだから、もう襲ってしまっても許されるんじゃないかと、最近は耳許で悪魔が囁いてくる。
ぽつんぽつんと設置されている街灯が冷たい風の中で弱々しく歩道を照らしていた。
日中に比べて交通量が激減している通りを足早に歩いていくと、角を曲がったところで最寄り駅が見えてくる。
あの駅の入口から圭人が飛び出してきてくれたらいいのに、なんて妄想をしてみても、実現することはない。現実の無情さを味わうだけだ。
叶わない妄想の代わりに、正月のデートで圭人と一緒に選んだマフラーや、クリスマスプレゼントでもらったネクタイを最近はヘビロテしている。
女々しいなと自分でも思うが、恋人との繋がりに触れていないと、挫けてしまいそうな時もある。
……待つとは言ったものの、無限にはとても待てない。
ゴールは近いような気がしているのに、なかなかそこに辿り着けない現状がもどかしい。
一日に一度、警備会社から香倉に連絡が入る。彼らからの報告で、圭人の無事は確認できているけれど、本当は圭人の口から話を聞きたい。
無防備で危なっかしいオメガの恋人。自分が恋した運命の男の子。
……自分がこれほど不安に苛まれているなんて、きっとあの子は想像もしていないんだろう。
§
その日は朝から雪が降っていた。
午後には大雪になるという予報で、遠くから出勤してくる一部の同僚は今日は休みをとっていたり、テレワークになっていたりした。
香倉は普段通りに出勤していた。
いつもより少しだけ静かなオフィスでPC画面に向き合っていると、午後もだいぶ過ぎた頃、強ばった顔をした九藤が戻ってきて、香倉に声がかかった。
ミーティングルームに呼ばれる。珍しく余裕がない男の様子に、香倉は眉をひそめた。
「……何かありましたか」
二人きりのミーティングルームで訊ねてみる。
苦々しい表情をした九藤が大きく頷いた。
「ああ。あった、大ありだ。落ち着いて聞いてくれ。――ついさっき、例の警備会社から連絡があった。うちの弟とお前の恋人が、外出先でトラブルに巻き込まれたらしい」
香倉にも緊張が走った。部屋の空気が一気に引き締まる。
警備会社のスタッフは香倉のほうにも連絡をくれていたそうだが、気付けなかったようだ。
香倉に代わって報告を受けた九藤によると、二人は今日の午後、オメガばかりが集まるイベントに参加していたらしい。
オメガ性の人間しか参加できない特別なイベントだったらしく、ベータを中心に構成されていた警備会社の護衛チームのほとんどが会場の外での待機となってしまったようで。
二人が会場入りしてから一時間ほど経った頃、突然九藤の弟から異変を知らせる連絡があって、電話口からはサイレン音が聞こえてきたのだという。
「弟はアルファテロだと言っていたようだが詳細はわからない。これから俺は現地に向かう。――お前も行くだろう?」
低い声で訊ねられて、「当然です……!」と香倉は力強く頷いた。
九藤にも警備会社にも問い詰めたいことは山ほどあったが、まずは何よりも恋人が心配だった。
十分後、九藤が手配してきた社用車に乗り込んで会社を出た。
社名の入っていない、これと言って特徴のないシンプルな白い車両だったので、「意外なチョイスですね」と香倉が指摘すると、「俺も弟も目立つわけにいかないだろう」と九藤が言うので納得した。
九藤グループの御曹司がトラブルに巻き込まれたとなれば、確かに醜聞になる。
運転を任されたのはもちろん香倉だった。
雪のせいで道路はどこも渋滞していて、なかなかスムーズに先に進めない。新たな雪がどんどん積もっていくので、道も悪く、ガタガタと車体が揺れる。
忙しいくせに弟のためとなればあっさり仕事を投げ出して、リスクを承知で現場に駆け付けようとするのだから、隣の男は余程弟が可愛いらしい。
会社を出てしばらくしたあたりで、警備会社から再び九藤に連絡があった。
二人を無事に保護したが、圭人が突発的なヒートを起こしたらしい。現場の判断で緊急薬を使用したところ、一度意識を失う事態になったのだという。
念のため圭人にはオメガ科を受診させるとの報告を受けて、こちらも目的地を変更した。
無事ときいて一旦は安堵したが、自分も九藤も苛立っていた。ゆっくりとした速度のまま雪道を進んでいく。
「……何故、弟さんは圭人を連れてそんな場所に?」
飲み込もうと思ったがどうしてもできなくて、つい苛立ちをこぼしてしまった。
「俺が知るか。どうせ気分転換だろうよ、お前の恋人もだいぶ煮詰まってたようだからな」
不機嫌な声が助手席から返ってくる。
そんな事実は初めて聞いた。
圭人が少し悩んでいるようだと警備会社から報告は受けていたが、それほど悩んでいたのなら、さっさと自分からアクションを起こせば良かった。
――そうすれば、圭人がこんな事件に巻き込まれることもなかったかもしれない。
保護された九藤の弟に詳しく事情を訊いたところ、やはりアルファテロが発生したらしい。
二人は犯人には遭遇していないそうだが、オメガしかいないはずの施設内で確かにアルファの発情フェロモンを感じたらしく、雪まみれになりながら逃げ出してきたという。
オメガ狩りだかなんだか知らないが、ふざけた事件に圭人を巻き込んだ犯人は到底許せない。
腹の中ではどす黒い感情が煮え滾っていて、できることならこの怒りを馬鹿なアルファどもに直接ぶつけてしまいたかった。
今は一刻も早く恋人のもとへと向かいたいのに、それを邪魔してくる今日の天気もひどく憎らしい。
(犯人も憎いが……圭人をこの人に会わせるのも嫌なんだよなぁ)
傍らに座る、自分よりも格上の美貌のアルファの男。
……恋人に久しぶりに会いにいくというのに、圭人が九藤に見惚れるなんてことになったら香倉は面白くない。それに圭人の体調のこともある。
ちょっと考えて、香倉は助手席の九藤に声をかけた。
「九藤さん。弟さんとは連絡がとれますよね?」
「とれるが、なんだよ」
「申し訳ないのですが、待ち合わせ場所を相談していただきたいなと。それとこの車、返却は明後日になっても構いませんか? できれば私、明日は会社を休みたいので」
香倉の言わんとすることをすべて察してくれたらしく、アルファの上司は深い深い溜息を吐いた。
122
お気に入りに追加
3,407
あなたにおすすめの小説
祝福という名の厄介なモノがあるんですけど
野犬 猫兄
BL
魔導研究員のディルカには悩みがあった。
愛し愛される二人の証しとして、同じ場所に同じアザが発現するという『花祝紋』が独り身のディルカの身体にいつの間にか現れていたのだ。
それは女神の祝福とまでいわれるアザで、そんな大層なもの誰にも見せられるわけがない。
ディルカは、そんなアザがあるものだから、誰とも恋愛できずにいた。
イチャイチャ……イチャイチャしたいんですけど?!
□■
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです!
完結しました。
応援していただきありがとうございます!
□■
第11回BL大賞では、ポイントを入れてくださった皆様、またお読みくださった皆様、どうもありがとうございましたm(__)m
王と正妃~アルファの夫に恋がしてみたいと言われたので、初恋をやり直してみることにした~
仁茂田もに
BL
「恋がしてみたいんだが」
アルファの夫から突然そう告げられたオメガのアレクシスはただひたすら困惑していた。
政略結婚して三十年近く――夫夫として関係を持って二十年以上が経つ。
その間、自分たちは国王と正妃として正しく義務を果たしてきた。
しかし、そこに必要以上の感情は含まれなかったはずだ。
何も期待せず、ただ妃としての役割を全うしようと思っていたアレクシスだったが、国王エドワードはその発言以来急激に距離を詰めてきて――。
一度、決定的にすれ違ってしまったふたりが二十年以上経って初恋をやり直そうとする話です。
昔若気の至りでやらかした王様×王様の昔のやらかしを別に怒ってない正妃(男)
オメガの復讐
riiko
BL
幸せな結婚式、二人のこれからを祝福するかのように参列者からは祝いの声。
しかしこの結婚式にはとてつもない野望が隠されていた。
とっても短いお話ですが、物語お楽しみいただけたら幸いです☆
王子のこと大好きでした。僕が居なくてもこの国の平和、守ってくださいますよね?
人生1919回血迷った人
BL
Ωにしか見えない一途なαが婚約破棄され失恋する話。聖女となり、国を豊かにする為に一人苦しみと戦ってきた彼は性格の悪さを理由に婚約破棄を言い渡される。しかしそれは歴代最年少で聖女になった弊害で仕方のないことだった。
・五話完結予定です。
※オメガバースでαが受けっぽいです。
そばかす糸目はのんびりしたい
楢山幕府
BL
由緒ある名家の末っ子として生まれたユージン。
母親が後妻で、眉目秀麗な直系の遺伝を受け継がなかったことから、一族からは空気として扱われていた。
ただ一人、溺愛してくる老いた父親を除いて。
ユージンは、のんびりするのが好きだった。
いつでも、のんびりしたいと思っている。
でも何故か忙しい。
ひとたび出張へ出れば、冒険者に囲まれる始末。
いつになったら、のんびりできるのか。もう開き直って、のんびりしていいのか。
果たして、そばかす糸目はのんびりできるのか。
懐かれ体質が好きな方向けです。今のところ主人公は、のんびり重視の恋愛未満です。
全17話、約6万文字。
恋のキューピットは歪な愛に招かれる
春於
BL
〈あらすじ〉
ベータの美坂秀斗は、アルファである両親と親友が運命の番に出会った瞬間を目の当たりにしたことで心に深い傷を負った。
それも親友の相手は自分を慕ってくれていた後輩だったこともあり、それからは二人から逃げ、自分の心の傷から目を逸らすように生きてきた。
そして三十路になった今、このまま誰とも恋をせずに死ぬのだろうと思っていたところにかつての親友と遭遇してしまう。
〈キャラクター設定〉
美坂(松雪) 秀斗
・ベータ
・30歳
・会社員(総合商社勤務)
・物静かで穏やか
・仲良くなるまで時間がかかるが、心を許すと依存気味になる
・自分に自信がなく、消極的
・アルファ×アルファの政略結婚をした両親の元に生まれた一人っ子
・両親が目の前で運命の番を見つけ、自分を捨てたことがトラウマになっている
養父と正式に養子縁組を結ぶまでは松雪姓だった
・行方をくらますために一時期留学していたのもあり、語学が堪能
二見 蒼
・アルファ
・30歳
・御曹司(二見不動産)
・明るくて面倒見が良い
・一途
・独占欲が強い
・中学3年生のときに不登校気味で1人でいる秀斗を気遣って接しているうちに好きになっていく
・元々家業を継ぐために学んでいたために優秀だったが、秀斗を迎え入れるために誰からも文句を言われぬように会社を繁栄させようと邁進してる
・日向のことは家族としての好意を持っており、光希のこともちゃんと愛している
・運命の番(日向)に出会ったときは本能によって心が惹かれるのを感じたが、秀斗の姿がないのに気づくと同時に日向に向けていた熱はすぐさま消え去った
二見(筒井) 日向
・オメガ
・28歳
・フリーランスのSE(今は育児休業中)
・人懐っこくて甘え上手
・猪突猛進なところがある
・感情豊かで少し気分の浮き沈みが激しい
・高校一年生のときに困っている自分に声をかけてくれた秀斗に一目惚れし、絶対に秀斗と結婚すると決めていた
・秀斗を迎え入れるために早めに子どもをつくろうと蒼と相談していたため、会社には勤めずにフリーランスとして仕事をしている
・蒼のことは家族としての好意を持っており、光希のこともちゃんと愛している
・運命の番(蒼)に出会ったときは本能によって心が惹かれるのを感じたが、秀斗の姿がないのに気づいた瞬間に絶望をして一時期病んでた
※他サイトにも掲載しています
ビーボーイ創作BL大賞3に応募していた作品です
【完結】僕の大事な魔王様
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
BL
母竜と眠っていた幼いドラゴンは、なぜか人間が住む都市へ召喚された。意味が分からず本能のままに隠れたが発見され、引きずり出されて兵士に殺されそうになる。
「お母さん、お父さん、助けて! 魔王様!!」
魔族の守護者であった魔王様がいない世界で、神様に縋る人間のように叫ぶ。必死の嘆願は幼ドラゴンの魔力を得て、遠くまで響いた。そう、隣接する別の世界から魔王を召喚するほどに……。
俺様魔王×いたいけな幼ドラゴン――成長するまで見守ると決めた魔王は、徐々に真剣な想いを抱くようになる。彼の想いは幼過ぎる竜に届くのか。ハッピーエンド確定
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/11……完結
2023/09/28……カクヨム、週間恋愛 57位
2023/09/23……エブリスタ、トレンドBL 5位
2023/09/23……小説家になろう、日間ファンタジー 39位
2023/09/21……連載開始
完結•枯れおじ隊長は冷徹な副隊長に最後の恋をする
禅
BL
赤の騎士隊長でありαのランドルは恋愛感情が枯れていた。過去の経験から、恋愛も政略結婚も面倒くさくなり、35歳になっても独身。
だが、優秀な副隊長であるフリオには自分のようになってはいけないと見合いを勧めるが全滅。頭を悩ませているところに、とある事件が発生。
そこでαだと思っていたフリオからΩのフェロモンの香りがして……
※オメガバースがある世界
ムーンライトノベルズにも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる