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 仕事に忙殺されるうちに一月が終わり、気付けば二月になっていた。
 
 最近はろくに圭人と連絡も取れていなかった。
 普段よりも文字でのやり取りが増えていたが、今はそれも途絶えている。
 
 何でもいいから、そろそろ本気で圭人の声が聞きたかった。
 とはいえ電話なんてしたら余裕なく恋人を問い詰めてしまいそうで、数回迷って、結局まだこちらから何か行動を起こすことを躊躇っている。

(けど……会いたいな。そろそろ限界だ)

 はあ、と白い吐息を夜風に流す。背中を丸めて歩きながら、香倉は紺色のマフラーに顔を埋めた。
 残業を終えて会社を出る頃にはいつも外は極寒で、寒さだけでなく寂しさが身に沁みる。

 寂しくて、恋人が恋しくて、会いたくて……遠くにいる彼の気配を求めるように、布地に頬を擦り付けた。
 こんなことなら自分も圭人のお下がりのマフラーを強請ねだれば良かったと、何度か考えた。
 圭人のあの甘い匂いが、今はとても恋しい。
 
(バレンタインだし……チョコでも買って会いに行ってみようか)
 
 もう十分すぎるほど、自分は待ったはず。
 ここまで耐えて待ち続けていたのだから、もう襲ってしまっても許されるんじゃないかと、最近は耳許で悪魔が囁いてくる。

 ぽつんぽつんと設置されている街灯が冷たい風の中で弱々しく歩道を照らしていた。
 日中に比べて交通量が激減している通りを足早に歩いていくと、角を曲がったところで最寄り駅が見えてくる。
 
 あの駅の入口から圭人が飛び出してきてくれたらいいのに、なんて妄想をしてみても、実現することはない。現実の無情さを味わうだけだ。
 叶わない妄想の代わりに、正月のデートで圭人と一緒に選んだマフラーや、クリスマスプレゼントでもらったネクタイを最近はヘビロテしている。
 女々しいなと自分でも思うが、恋人との繋がりに触れていないと、挫けてしまいそうな時もある。
 
 ……待つとは言ったものの、無限にはとても待てない。
 ゴールは近いような気がしているのに、なかなかそこに辿り着けない現状がもどかしい。
 
 一日に一度、警備会社から香倉に連絡が入る。彼らからの報告で、圭人の無事は確認できているけれど、本当は圭人の口から話を聞きたい。
 無防備で危なっかしいオメガの恋人。自分が恋した運命の男の子。
 ……自分がこれほど不安に苛まれているなんて、きっとあの子は想像もしていないんだろう。
  

 §

 
 その日は朝から雪が降っていた。
 午後には大雪になるという予報で、遠くから出勤してくる一部の同僚は今日は休みをとっていたり、テレワークになっていたりした。
 
 香倉は普段通りに出勤していた。
 いつもより少しだけ静かなオフィスでPC画面に向き合っていると、午後もだいぶ過ぎた頃、強ばった顔をした九藤が戻ってきて、香倉に声がかかった。
 ミーティングルームに呼ばれる。珍しく余裕がない男の様子に、香倉は眉をひそめた。

「……何かありましたか」
 
 二人きりのミーティングルームで訊ねてみる。
 苦々しい表情をした九藤が大きく頷いた。
 
「ああ。あった、大ありだ。落ち着いて聞いてくれ。――ついさっき、例の警備会社から連絡があった。うちの弟とお前の恋人が、外出先でトラブルに巻き込まれたらしい」

 香倉にも緊張が走った。部屋の空気が一気に引き締まる。
 警備会社のスタッフは香倉のほうにも連絡をくれていたそうだが、気付けなかったようだ。
 
 香倉に代わって報告を受けた九藤によると、二人は今日の午後、オメガばかりが集まるイベントに参加していたらしい。

 オメガ性の人間しか参加できない特別なイベントだったらしく、ベータを中心に構成されていた警備会社の護衛チームのほとんどが会場の外での待機となってしまったようで。

 二人が会場入りしてから一時間ほど経った頃、突然九藤の弟から異変を知らせる連絡があって、電話口からはサイレン音が聞こえてきたのだという。

「弟はアルファテロだと言っていたようだが詳細はわからない。これから俺は現地に向かう。――お前も行くだろう?」

 低い声で訊ねられて、「当然です……!」と香倉は力強く頷いた。
 九藤にも警備会社にも問い詰めたいことは山ほどあったが、まずは何よりも恋人が心配だった。


 十分後、九藤が手配してきた社用車に乗り込んで会社を出た。
 社名の入っていない、これと言って特徴のないシンプルな白い車両だったので、「意外なチョイスですね」と香倉が指摘すると、「俺も弟も目立つわけにいかないだろう」と九藤が言うので納得した。
 九藤グループの御曹司がトラブルに巻き込まれたとなれば、確かに醜聞になる。

 運転を任されたのはもちろん香倉だった。
 雪のせいで道路はどこも渋滞していて、なかなかスムーズに先に進めない。新たな雪がどんどん積もっていくので、道も悪く、ガタガタと車体が揺れる。

 忙しいくせに弟のためとなればあっさり仕事を投げ出して、リスクを承知で現場に駆け付けようとするのだから、隣の男は余程弟が可愛いらしい。

 会社を出てしばらくしたあたりで、警備会社から再び九藤に連絡があった。
 二人を無事に保護したが、圭人が突発的なヒートを起こしたらしい。現場の判断で緊急薬を使用したところ、一度意識を失う事態になったのだという。

 念のため圭人にはオメガ科を受診させるとの報告を受けて、こちらも目的地を変更した。
 無事ときいて一旦は安堵したが、自分も九藤も苛立っていた。ゆっくりとした速度のまま雪道を進んでいく。
 
「……何故、弟さんは圭人を連れてそんな場所に?」
 
 飲み込もうと思ったがどうしてもできなくて、つい苛立ちをこぼしてしまった。
 
「俺が知るか。どうせ気分転換だろうよ、お前の恋人もだいぶ煮詰まってたようだからな」

 不機嫌な声が助手席から返ってくる。
 そんな事実は初めて聞いた。
 圭人が少し悩んでいるようだと警備会社から報告は受けていたが、それほど悩んでいたのなら、さっさと自分からアクションを起こせば良かった。
 ――そうすれば、圭人がこんな事件に巻き込まれることもなかったかもしれない。

 保護された九藤の弟に詳しく事情を訊いたところ、やはりアルファテロが発生したらしい。
 二人は犯人には遭遇していないそうだが、オメガしかいないはずの施設内で確かにアルファの発情フェロモンを感じたらしく、雪まみれになりながら逃げ出してきたという。

 オメガ狩りだかなんだか知らないが、ふざけた事件に圭人を巻き込んだ犯人は到底許せない。
 腹の中ではどす黒い感情が煮え滾っていて、できることならこの怒りを馬鹿なアルファどもに直接ぶつけてしまいたかった。
 今は一刻も早く恋人のもとへと向かいたいのに、それを邪魔してくる今日の天気もひどく憎らしい。

(犯人も憎いが……圭人をこの人に会わせるのも嫌なんだよなぁ)
 
 傍らに座る、自分よりも格上の美貌のアルファの男。
 ……恋人に久しぶりに会いにいくというのに、圭人が九藤に見惚れるなんてことになったら香倉は面白くない。それに圭人の体調のこともある。

 ちょっと考えて、香倉は助手席の九藤に声をかけた。
 
「九藤さん。弟さんとは連絡がとれますよね?」

「とれるが、なんだよ」

「申し訳ないのですが、待ち合わせ場所を相談していただきたいなと。それとこの車、返却は明後日になっても構いませんか? できれば私、明日は会社を休みたいので」
 
 香倉の言わんとすることをすべて察してくれたらしく、アルファの上司は深い深い溜息を吐いた。

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