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しおりを挟む圭人とのデート当日。
彼のオメガフェロモンを独占したいがために今日もまたレンタカーを手配して、香倉は待ち合わせ場所に向かっていた。
車を走らせながら、まだ迷っていた。後部座席には、あのブランドショップのロゴが入った小さな紙袋が置いてある。
結局、首輪はロック機能つきのものを購入した。
香倉の心の迷いを見抜いたショップ店員が「一旦、お客様のデータを登録しておいてはいかがでしょう」「あとで変更もできますし、マスターキーもあるのですから」と言うので、まんまと唆されてしまった。
圭人のための首輪だというのに、着脱には香倉の指先が必要なこの首輪。
一緒に住んでもいないのに……重すぎる。圭人はどんな反応をするだろう。独占欲も大概にしろと自分を殴ってやりたい。でももう遅いのだ。
いっそこのまま渡してしまおうか。……いや、今後のことを考えれば、正直に圭人に頭を下げて、あのブランドショップに一緒に出向いてもらうべきだろう。
正直に話をすれば、幸いマスターキーもあるのだし、もしかしたら圭人はこの独占欲に満ちた重い首輪をこのまま受け入れてくれるかもしれない。
(希望的観測だな……)
先週は急な仕事が入ってしまって、圭人に会えなかった。
会いたくて会いたくて、仕事中も圭人のことが心配で、指折り数えて迎えた今日だった。
それなのに久々の恋人との時間に水を差そうとするかのように、スマートフォンが何度も震えては邪魔をする。
賑わう珈琲店のテーブルに圭人を残して、仕方なく一度店を出た。苛々する本音を押し殺してスマートフォンを耳にあて、営業用の声をつくる。
どこから香倉のプライベート用の番号を手に入れたのかは知らないが、今日は休日だということはわかっているはず。なのに大した用事もないくせに話を引き延ばし、しつこく食事の誘いをかけてくる得意先に腹が立った。
通話を終え、急いで店内に戻ると、珈琲の香りにまざって圭人の甘い匂いが濃く漂っていた。
無防備な彼が、変な輩に絡まれていなくてほっとした。
しかし香倉がやっとのことでテーブルに戻ると、どういうわけか圭人は固い顔をしていて。
何かあったのかと訊ねる前に、圭人の薄い唇が静かな声色を奏でた。
「……史仁さん。俺に、運命を感じるための方法を教えてくれませんか」
「え?」
「疑ってるわけじゃないんだ。出逢いの経緯はどうあれ、史仁さんは今もこうして俺といてくれるし……史仁さんが言う運命っていうのも、きっと本当なんだろうって今は思ってる。でも……まだ俺は、自分で実感できてなくて」
無垢な黒曜石の瞳が、まっすぐ香倉を見つめてくる。
「だから感じてみたい。アルファの史仁さんの運命の番が……本当に俺なんだって、納得したいんだ」
圭人の真剣な言葉は、香倉の内側の柔い部分に幾本も針を突き刺したようだった。
咄嗟に言ってしまいたかった。
――まだそんなことを言うの? これだけずっとおれを誘っておいて、狂わせておいて、教えられなきゃわからない?
奥歯を噛みしめ、急激にすり減っていく理性をぎりぎりのところで繋ぎ止める。
(知りたいならいくらでも教えてあげる。……こっちの気も知らないで)
苦々しい空気を吸い込んだあと、深く長く吐き出す。
どうして圭人がそんなことを言い出したのか、気になったが――この怒りは、嘆きは、アルファの衝動の一部なのだと香倉ははたと気付いた。
自分の片割れがいつまでも自分を求めてくれないことが、寂しいのだ。
信じてくれない彼が切なくて、もどかしくて、ひどく恋しい…………彼に運命を刻みつけてやりたい。
溢れ出てくる感情をなんとか制し、香倉は立ち上がった。
「……いいよ、教えてあげる。ここではなんだから、場所を移動しようか」
こんなにも甘い匂いを漂わせて、いつまでもそんなことを口にする圭人が許せなかった。
§
人の目が多い駐車場には戻らなかった。近くに広い公園があったことを思い出し、圭人の腕を引いて公園の奥の雑木林の中を進んでいく。
塗装が剥げかけている古びた東屋を見つけ、中に入り込んだ。圭人と並んで腰を下ろす。
期待と戸惑いに揺れる双眸を見下ろし、年下のオメガに問いかけた。
「――ねえ圭人。キスしてみてもいい?」
つないだ手から、彼の緊張が伝わってくる。
圭人に嫌がる素振りはみられない。注意深くそれを確認してから、自分の眼鏡を取っぱらった。
はやる気持ちを抑え、ゆっくりと顔を近づける。こんなにも慎重にするキスは初めてだった。
圭人の唇に自分のものをあわせた瞬間、さまざまな感情が溢れだし、花火みたいに身体中で弾けた。心が満たされていく。
やっと触れられた喜び。嬉しくて、愛おしくて――――だけどすぐに、もっともっと欲しくなる。
がっつきそうになる自分を抑えて、可憐なオメガのひな鳥にペースをあわせるつもりで、触れるだけのキスを三回。
それ以上は我慢しようと思っていたのに、意外なことに続きを仕掛けてきたのは圭人のほうだった。
求められるままに圭人の舌を口腔内に受け入れ、甘やかしてやりながら柔らかな感触を味わった。
――――泣きたくなるくらいの感動。
圭人から求められることなんて初めてで。差し出された温もりに溺れていく。
アルファとオメガらしく、余裕なく貪るように求めあった。
互いの身体に腕をまわし、隙間を埋めて、できるだけ彼と一つになる。本来の自分たちがきっとそうであるように。
いつまでも求めあって、やっと離れることができたとき、香倉の膝の上で圭人は首まで真っ赤に染まっていた。
「これが、おれときみの運命の味。……納得してくれた?」
コクコクと圭人は小刻みに頷いた。小動物みたいで微笑ましい。
互いの昂ぶった興奮が服の上からもわかる。
……圭人は恥ずかしそうにしているが、反応をみせてくれたことが香倉には嬉しかった。香倉とのキスで、圭人は感じたのだ。
このまま彼に手を出してしまおうかと欲に飲まれかけたものの、香倉にブレーキをかけさせたのは、皮肉にも車の中に置いたままのあれだった。
(この細い首筋を、おれのものにしたい)
濃厚なオメガフェロモンをギリギリでやり過ごし、香倉は圭人を安心させるように笑みをつくった。
途中で強めの抑制剤を飲んでおいて良かった。――圭人の油断を誘わないと。
「落ち着いたら車に戻ろうか。きみに渡したいものがあるんだ」
しばらく話をしながら時間を潰し、身体の熱が冷めてきてから、手を繋いでレンタカーに戻った。
先日車の販売店から連絡があったので、次に圭人とデートする頃にはきっと新車も届いているはず。圭人は驚くだろうか。
「遅くなってしまったけど、これを圭人に。どうかな?」
秋の午後の陽光が差し込む車内。ブランドショップの紙袋から化粧箱を取り出し、圭人の許可を得て開封した。
気づかれぬよう、マスターキーと説明書をさり気なく取り除いて、圭人から見えない死角に隠す。
まだぼんやりとしている圭人が香倉の行動を怪しむ様子はなかった。
「うわ、かっこいい……こんな高そうなもの、本当に俺がもらっていいんですか?」
箱の中身が見えるよう、助手席のほうへと傾ける。
圭人の反応は予想以上だった。見開かれた黒曜石がきらきらと輝く。
「きみのために選んだんだよ。圭人の首に、おれが着けてもいいかな?」
「お、お願いします……」
甘ったるい雰囲気を演出しながら、年下のオメガの首に、黒光りする真新しい首輪を装着させる。円形になるようあわせた繋ぎ目から、カチリと音がした。
――ああ、これでやっと、圭人はおれのものだ。
不思議と罪悪感はなかった。彼の首をようやく自分のものにできた満足感に酔いしれる。
何も気付いていない圭人は、嬉しそうにはにかんだ笑みを浮かべていた。
「似合ってるよ、圭人」
「ありがとうございます……俺、大切にしますね」
返事の代わりに香倉は頷いた。可愛らしい彼に頬が緩む。
圭人は自分を信じきっている。うっとりと頬を紅潮させ微笑む横顔。
香倉の胸の底をチクリと何かがつついてきたが、知らぬふりをした。
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