初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋

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 秋が深まる頃には圭人のオメガ性も随分と成熟が進んできたのか、より甘美になった匂いが執拗に香倉を誘うようになっていた。
 
 オメガフェロモンの分泌量が増してきたのだろう。
 圭人と一緒にいると、時折、見知らぬアルファが圭人のフェロモンに反応するような素振りをみせるようになった。

 圭人との関係にはそれほど進展もなかったが、特にぎくしゃくすることもなく順調そのもので、最近では週に一度は顔を合わせている。
 しかし週末のたびに圭人に自分のアルファの匂いを移していても、香倉の不安は膨らむ一方だった。
 
 自覚のないまま香倉だけを誘ってくる若いオメガを、心のどこかで、とっくに手に入れた気になっていたのだと気付かされた。
 圭人の身体がオメガとして成熟していくのを目の当たりにするたび、香倉だけの特権を奪いとられ、苦労して手に入れた特等席を脅かされているような、そんな不安と苦味を噛みしめていた。


 十月のある週末。混雑する映画館のロビーでのことだった。
 圭人の甘い匂いといつまでも無防備なままの細い首筋に魅了され、香倉は一瞬、我を失いかけた。
 すぐに正気を取り戻して圭人の首に触れていた指先を取り払ったが、彼は驚いた顔をしていた。

「ごめん。……そろそろ、首輪ネックガードを着けないといけないのかなと思って。きみの項が隠れてしまうのは勿体ないけれど」

 咄嗟に誤魔化したが、圭人の表情は曇ってしまう。……嫌だった?
 
「……俺、いまフェロモン出してる?」

「ああ、いい匂いだよ。薄荷みたいな甘い爽やかな匂い。最近は前よりも少し匂いが濃くなってきてるから、心配かな」

 ――首輪ネックガード。圭人がそれを嫌がっていることはなんとなく察していた。
 最近、圭人は浮かない顔をすることが増えている。
 香倉の前では空元気を装っているものの、ふとした瞬間に帯びる哀愁が目につくのだ。

 どうしたのかと訊ねても、「学校でちょっと」「就活が」と濁すばかりであまり詳しいことは話そうとしない。
 それでも何が原因で彼が塞ぎ込んでいるのか、香倉もおおよその想像はついていた。

(大学はともかく、落ち込むくらいなら就職なんてやめればいいのに。おれがいるんだから……まあ、今はまだ言えないけど)
 
 だが番のいないオメガにとって首輪は必需品だ。 
 どんな理由があろうとも、そろそろ首輪くらいつけて欲しいというのが香倉の本音だった。
 毎週こうして顔を合わせていても、いや、顔を合わせているからこそ余計に、圭人の相変わらずの無防備さにはハラハラさせられている。
 ……彼が、自分だけを誘惑しているのならまだよかったのに。

 危機感の薄い圭人にどうやって首輪をつけてもらおうかと、最近はそればかり考えていたので、この流れはむしろチャンスだと香倉は思い直した。
 会話の流れに乗っかる形で、圭人を見つめ、一つ提案を試みる。
 
「――ねえ圭人。良ければ今度、首輪をプレゼントさせてくれないかな? きみに似合うものをおれが選びたいんだ」

 圭人は目を丸くした。
 室内のライトが映り込みきらきらと揺れる黒い瞳に、彼の心が色を灯す。
 驚き、戸惑い、遠慮、……喜び。様々な感情が垣間見えたが、そこに嫌悪の色がないことに香倉は安堵した。

「え、それは……嬉しい、けど」 

「本当に贈らせてもらっても?」

 圭人は頷いてくれた。――良かった。
 控えめな態度ではあったけれど、圭人は間違いなく喜んでくれているように感じた。
 今まで彼と重ねてきた時間は、確実に実を結びつつある。
 彼の返答に特別な意味なんてないとわかっていても、香倉の胸にはくすぐったい実感と幸福が溢れていた。

 
§

 
(これは違うか……悪目立ちするな。圭人には似合わないし、圭人の趣味でもなさそうだ)

 リビングにあるソファに腰を下ろし、香倉はゆったりとタブレットの画面を眺めていた。
 次々に有名ブランドのウェブサイトを巡っていくが、なかなかこれといった首輪を見つけられない。
 
 きっと、圭人にはシンプルなデザインの首輪が似合うだろう。
 色は黒か紺がいい。圭人の好みそうな色だ。
 しかし安っぽい品を贈るつもりは毛頭なかった。
 アルファが贈ったものだと一目でわかるような、相応のものを選ばなければ意味がない。

 ――圭人はきっと知らないのだろう。
 でなければ、首輪を贈ると提案されて、あんなにも素直に頷いてくれるとは思えなかった。
 
 今の時代、アルファがオメガに首輪を贈ることは求愛の意味がある。
 昨今では首を噛まれることを嫌がるオメガも増えているから、「相思相愛の証」として恋人から貰った首輪を身に着けるオメガも多いのだ。

 特にオメガの恋人を持つ者は、プロポーズの際に相手に首輪を渡す場合もあるらしい。
 つまりオメガ性の人間にとってみても、「誰かから渡された首輪を受け入れること」は特別な意味を持っているはずだった。
 
 しかし現時点で圭人にそのことを伝えたところで、困らせてしまうだけでなく、首輪を拒否されてしまう可能性があることは香倉もわかっていて。
 だから敢えて余計なことは言わず、「首輪を貰って欲しい」としか伝えなかった。

 狡猾に自分が望む返答を引き出した自覚はある。圭人の無知を利用したのだ。
 だけど一番に優先すべきは圭人の安全で、多少の独占欲はあれど、圭人を心配する香倉の気持ちには一ミリの嘘もない。

 香倉が贈った首輪を身に着けていれば、圭人には特別なアルファがいるという牽制になる。
 圭人自身はそれを知らなくても、行為に意味なんて絡めなくても、周囲は勝手にそう解釈するだろう。
 それで自分は満足するつもりだったし、それ以上を望むつもりなんて香倉にはなかった。
 ――最初は、本当にそのはずだった。
 
 とあるブランドのウェブサイトを閲覧していたとき。
 たまたま目に入ってきたキャッチコピーに香倉は動きを止めた。
 
(ロック機能付きの首輪……? 首輪をアルファが管理する……?)

 なんて傲慢な、と鼻で笑ってしまいたいのに、画面をスクロールする指先が止まってしまう。
 恐る恐るその画像をタップし詳細を確認すれば、アルファの独占欲を刺激するフレーズがいくつも並んでいた。

 ――いや、駄目だろう。
 これは夫婦や夫夫だから許されることだ。
 理性がやめろと叫んでいる。しかし気になって仕方なかった。
 香倉の気の迷いを後押しするように、画面には圭人が気に入りそうな魅力的なデザインがずらりと並んでいた。
 
(いや……ロック機能はいいんだ。そのほうが安全だし…………認証登録をおれにしなければいいわけで) 

 自分に言い訳しながら商品を確認していく。
 一旦保留にせねばと思いつつ、でも一刻も早く圭人に首輪を装着させたいという気持ちもあって。
 ひとまず仕事帰りに来店予約を入れておくことにした。

 店に行くまでに頭を冷やそう。
 きっと店に行けば、他にも同じようなデザインの首輪はあるだろう。
 冷静な自分を取り戻してから、あれではない、別のものを選んで購入してくればいい。――そう思っていたはずだった。
 
 
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