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第33話①

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 今日の午後に圭人たちの身に起こった出来事を、香倉は既に知っていた。
 ずっと言えずにいた身体の不調のことも打ち明けたけれど、彼はやはり驚かなくて。
 圭人の無事を何度も確認し、居場所を確かめた上で、ふわりと柔らいだ声色で香倉が口にした言葉は、
 
『今からきみを迎えに行っても?』
 
 だった。
 相変わらず圭人を甘やかそうとしてくれる彼に、ついに涙が一粒落ちた。慌てて拭う。
 
「嬉しいけど……俺、史仁さんに会ったら発情してしまうかも」
 
『問題ないよ、おれのことはいくらでも誘ってくれて構わない。……あぁ、念のために同乗のアルファを降ろしたあとに向かうから、あと十五分ほど待てるかな?』
 
「うん。雪道に気を付けて。……来てくれてありがとう、俺、ずっと史仁さんに会いたかった」

『おれも会いたくて堪らなかったよ、圭人。――愛してる。すぐに行くから、そこで待っていて』
 
 甘い囁きをもらって、通話を切った。
 サロンでの出来事はすぐに香倉に報告が入っていたようで、既に会社を早退しこちらへと向かってくれていたらしい。
 しかし今朝からの大雪が交通網に混乱を招いており、到着が大幅に遅れているとのことだった。
 
 九藤家の車に戻って待機していた親友にそれを報告すると、彼はなぜか大袈裟に溜め息を吐いて。
「悪いけど先に帰るね」と返してきた。
「雪の中で凍えてる落としものを拾って帰らないといけないから」とのことだった。

 九藤を見送ってからは、ボディーガードの彼女たちが乗ってきたという警備会社の車両にお邪魔させてもらって、近くの運動場の駐車場に移動して香倉の到着を待っていた。
 ほどなくして一台の白いコンパクトカーが敷地内に滑り込んでくる。
 あれだ、という直感に導かれて圭人は車から飛び出した。
 
 コンパクトカーの運転席のドアが開かれた瞬間に――――氷点下の雪原に春の花弁をまいたような、清涼感のある優しい匂いが周囲に広がって。
 この身体のすべてが、彼に焦がれ、惹きつけられた。
 
「――――圭人!」

 駆け寄ろうとするも発情の予兆があって慌てて足をとめた圭人を、春の匂いを纏わせた男が躊躇なく抱きしめる。
 好ましい匂いに身体ごと満たされて。運命に導かれた相手と触れあえて、幸せで。
 ……このまま、この場で発情しても構わないかも、なんて馬鹿なことを考えてしまった。

 

 香倉が家まで送り届けてくれるというので、警備会社の彼女たちとは運動場で別れた。
 いつもの彼の車ではないので訊ねてみると、上司の許可を取って社用車を借りて来たのだという。いいのかなと躊躇はあったが、彼と離れたくないので飲み込んだ。

 先程までこの車には別のアルファも乗っていたらしいが、気配はさっぱり消え失せて残っていない。
 
「圭人、おれのフェロモンは怖くない?」
 
 出発前、シフトレバーを握った香倉が訊ねてきた。
 
「平気……強い酒を飲んでるみたいにフワフワするけど、史仁さんの匂いは最初から好きだったし。……俺、発情してるのに本当に隣にいてもいいの?」
 
「いいに決まってるだろう。おれもちゃんと薬を飲んできているから、安心して」

 白いコンパクトカーを走らせ、シャーベッド状に雨と雪が混ざりあった道をゆく。
 もう日が暮れる時刻になっていて、車を走らせているうちに次第に街並みは夜闇に覆われていった。

 雨が降り止んでからは助手席の窓を半分ほど開けて、冷たい夜風を頬に感じていた。
 火照ってしまう身体ごと冷却したかったのに、隣の男がコートを押し付けてくるので、仕方なく言われるとおりに香倉のコートで軽く身を包む。

 圭人は香倉の様子を窺いながら、ずっと気になっていたことをぶつけてみた。

「全部知ってたのに……史仁さんは、どうして何も言わないでいてくれたの?」
 
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