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第29話
しおりを挟む焦りを誤魔化しながら、学生としてやらなければならない学業に集中して。
レポートも、試験も、一つ一つ消化していった。
だけど目の前にある課題をいくらこなしても、鬱々とした心が晴れていくことはない。
――本当に向き合うべきことから、また逃げている。
圭人にもその自覚はあって、相変わらずな自分には辟易するしかなかった。
人間、そんなにすぐには変われない。わかっていたことだけれど、自分の根っこの部分を変えていくことは難しく、成長のない自分自身に日に日に嫌気が差していく。
(そういえば……今週末のことはどうしよう。史仁さんからも連絡はないし)
大学で試験を終えて、帰る道すがら。
道の端につくられた雪山を避けて歩きながら、圭人はポケットに手を入れてみた。
画面を覗いてみても、スマートフォンはやはり沈黙したままだ。
ここ最近は、香倉と繋がっているメッセージアプリの方にも音沙汰はない。
といっても、まだ香倉を誘う気もなければ、彼に会う決意も固まっていない……なのに、連絡が欲しいだなんて矛盾している。
何度も誘いを断ったのは圭人のほうだというのに、寂しさや不安を感じるだなんて勝手なものだ。
――初めてのヒートであれだけ迷惑をかけて、それでも好きだと言ってもらえて。
今までだって真摯な付き合いをしてきたつもりだったけれど、番うことを前提に、改めて真剣に付き合っていこうとまで言ってもらえて。
彼の心が自分の傍にあると感じられて、この上なく幸せだった。――それなのに自分は。
意地を張って、彼に嘘を吐いて。
そのくせ現在、一人では手に負えない現実に打ちのめされている。
本当は彼に会いたい。――会ってしまいたい。
あの優しい声が聞きたい。笑顔に包まれたい。隣に座ってもらって、この心の痛みに耳を傾けてほしいなんて……甘えた願望が芽生え始めている。
渇いた笑いがうっすらと白く色付いて、凍てつく真冬の寒さに溶けていく。
二月に入り、残っている試験やレポート課題も、あと僅かになっていた。
コンビニにも、スーパーにも、駅の中にさえ、ピンクのハートが連なる甘ったるいコーナーが出現して。世間はどこもかしこも恋人たちのイベントに浮かれているようにもみえた。
昨年までの圭人なら、この時期は女の子からのチョコレートを期待しつつも精一杯に無関心を装って、ハートの特設コーナーの横を素通りしていたものだけれど。
(いや、待てよ。オメガになったから……俺も、もしかして渡す側になるのか……?)
はたと気付いた途端に、駅の階段を昇りつつ見上げた、桃色のハートいっぱいのファンシーな特設コーナーから、圭人は目が離せなくなってしまった。
躊躇しつつも、店頭に近付いてみる。
バレンタイン商品をこうしてじっくりと眺めることはたぶん初めてだった。商品棚には綺麗にラッピングされたギフト用の菓子や紅茶、コーヒー豆やスキンケア商品までが所狭しと並んでいる。
客のほとんどいない店内に誘われて、ふらふらと足を踏み入れてしまった。
さまざまな雑貨を取り扱っている店舗のようだった。店の片隅にはオメガ用の首輪も並べてあって、思わず足を止める。
(首輪か……)
マフラーの下に隠れている自らの首輪に、生地ごしに触れた。
香倉とのこの先の関係性を考えれば首輪を新調すべきだろうと考えていたが、きっともう、必要もないのだろう。
――今の圭人に必要なのは目の前にあるような首輪ではなく、覚悟を伴う首輪なのだから。
ガラス製の板の上には、材質や装飾、デザインもさまざまな色とりどりの首輪が美しく陳列されている。
必要ないと理解しているのに、靴の裏を縫い付けられたかのように、その場から動けない。
しばらくぼんやりと首輪に魅入っていると、陳列された商品の向こう側を通りかかった女性客とふと視線が合った。
あ、と思うよりも早く女性客のほうから視線は外され、彼女は店を出ていってしまう。
(……?)
不自然さに戸惑っていると、今度は女性店員に横からそっと声をかけられた。
「恐れ入ります、お客様。――僅かですが、匂いが漏れているようでして。お薬はお持ちですか?」
「え……!? すみません……っ」
慌てて店員から距離をとるも、彼女自身が発情しかけている様子はない。
発情兆候はないはずだが、指摘されてしまったということが問題だった。……さっきの客はアルファだったのだろうか?
困り顔をした店員に再度謝罪し、急いで店を出て駅構内を見回した。
気を緩めた自分に舌打ちしたい気分だった。
人が密集していない場所を選んで小走りで移動しながら、薬を取り出して口に含む。――通いなれた場所でまだ良かった。
近くに利用者の少ない公衆トイレがあったのを思い出して、飛び込んだ。個室に入り、鍵をかける。
……オメガの生きづらさは知っているはずだった。
だけどオメガ差別の減ってきた、この時代ならばなんとか自分らしくやっていける。そう思っていた。
きっと自分は上手くやれるだろうと高を括っていた。――多くのオメガたちが長いあいだ苦しんで生きてきた歴史を、生意気にも、甘くみていた。
「ここ少しオメガの匂いしない? 気持ち悪いし、別のトコいく?」
息を吐く間もなく、男性用トイレに入ってきた他の客の声が響いてきて、圭人は身を固くした。
なるべく気配を殺し、息を殺し、早く薬が効いてきますようにと祈ることしかできない。
「うーわマジかよ。はあ、こんな場所で誘ってんのかね? ……常識ねえなあッ!」
圭人がこもっていた個室のドアが外側から激しく蹴られたような音がした。びくりと肩が跳ねる。
ぶつくさと文句を吐き捨てる男たちの気配が遠ざかっていくのを感じ、圭人は細く息を吐き出した。
彼らは恐らく、アルファだったのだろう。
微かに反応を示した自身の身体を抱きしめる。
(早く、なんとかしないと……)
思い描くような未来が遠すぎる。
日々、不安定な体調を抱えて手一杯で。
暴走するオメガの身体が、香倉以外のアルファにも反応するようになったこの身体が怖かった。
……時間の問題だという予感がひしひしとするのだ。
このままではいつか誰かに犯される。
今日まで無事なのはただ幸運だっただけ。現状のままではいつか見知らぬアルファに犯されてしまうに違いなくて。――そんなことになるくらいなら。
(……やっぱり、史仁さんがいい)
こんな状況下で、嫌でも理解させられた。
自分にとって、香倉がどれほど特別なアルファであるのかを。彼と今までに重ねてきた時間の尊さを。
彼に会いたい。香倉の匂いに包まれたい。寂しいなんて、自分には言う資格もないのかもしれない。
わかっているけれど、恋しかった。
§
早朝から降り始めた雪は大学の敷地をうっすらと白く覆いつくしていた。
レポートの提出に来たところで偶然にも九藤と鉢合わせ、本日の予定を訊ねられて。
正直に答えれば、ちょっぴり辛口なお誘いが返ってきた。
「ふうん、時間あるんだね。じゃあさ、今日の午後は一緒にサロン行こうよ。そしたらさ、きみのその鬱陶しい溜め息も少しは引っ込んでくれるでしょ?」
キャメル色のコートに手編み風の白いマフラーをあわせた九藤は、今日も文句なしに可愛らしい。しかしよく見ると目の奥が笑っていない。
返答を迷ううちに、ずずいと距離を詰められた。
「今日は僕に付き合って。で、サロンでみんなに怒られて? それが嫌なら早く香倉さんと会ってきてね?」
「なに、その選択肢……」
「だってきみ、いつまでもウジウジしてるから。オメガらしくさっさと誘ってきなってば。大体さ、あの人がいつまでも大人しくしてると思ってるの?」
「……史仁さん?」
「それ以外に誰がいるの? あの人、アルファなんだよ?」
九藤の指摘が耳に痛かった。
季節はバレンタインだ。容姿端麗なアルファなら、それだけでモテるだろう。チョコなんて、きっと拒否しても押し付けられるに違いない。
香倉の気持ちを疑うわけではないが、今こうしている間にも、彼を狙う誰かからアプローチを受けているような気がしてならなくて。
そう考えてしまうせいか、掃ってもはらっても湧き出てくる不安に邪魔をされ、昨夜からスマートフォンの画面をタップする指が何度も止まってしまう。
「……や、連絡は取りたいんだけどさ。今更だし、バレンタイン前で史仁さん絶対モテてるんだろうと思うと……返信くれるのかな、とか……」
不安を言葉にするうちに、自分の情けなさにまた気分が沈んでしまった。
親友は一際大きな溜め息をついた。
「きみって本当にさぁ……。……とにかく、次の試験が終わったら東駐車場に集合ね! いい加減にしないと、オメガの神様に愛想尽かされちゃっても知らないよ!?」
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