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第22話
しおりを挟む「やっぱ向いてないんだよなぁ……」
本のページを捲るたびに、指先に貼ったいくつもの絆創膏がぺたぺたとくっついて煩わしい。両手を見下ろし、圭人は溜息をついた。
正月料理の準備に精を出す母親を手伝ってみたが、その結果、不格好な勲章が並んでしまった。
料理が得意ではない自覚は昔からあった。
けれど、一般的に番持ちのオメガに求められるものは家事能力であり、繁殖能力であるという。
繁殖……は横に置いておいて、家事というものに真剣に取り組んでみた結果がこれだ。
掃除や洗濯は何とかなるが、料理というやつはどうにも圭人とは相性が悪いのだ。分量どおりに作っても、出来上がりの味が濃かったり薄かったりするし、食材は不格好で、わたわたしているうちに焦がしてしまう。
不得意であっても経験を積めば……と考えていたが、どうやら、経験を積んだところで人並みに作れるようになるのかも怪しいレベルだ。
選ぶ選ばざるは別として、家庭を守るオメガ、という生き方は恐らく自分には向いていない。
毎日毎日、家で誰かの帰りを待つ日々を想像するだけでも、眉間に力が入ってしまうし。
――ならば婚活というのも、もとから向いていなかったんじゃないかという疑念がわいた。
容姿端麗で尚且つ家事一般が得意なオメガも多いはずだ。そんな魅力に溢れたオメガたちに混ざって、地味でポンコツな自分がアピールしてみても、誰も見向きもしてくれなかったに違いない。
(あー、ダメだな。また自信が……)
暗いものに引っ張られそうになって、慌てて振り払った。
パジャマの上から首に巻きつけた灰色の上質なマフラーに顔をうずめる。好ましいアルファの匂いがして、彼に抱きしめられているような心地がした。
香倉からの連絡は途絶えたままだが、彼の匂いが傍にあるだけで、寂しさが少しだけ散っていく。
――『理想のオメガになるための20の方法』。
本屋に平積みにされていた書籍を購入してみたはいいものの、こちらもどうも、内容が自分には程遠い気がした。
きっと、誰かの人生や理想を単純に模倣するだけでは駄目なのだろう。
自分はオメガだが、ベータとしての経験も価値観もやはり捨てることはできない。塗りつぶせるものでも、忘れられるものでもないし、大切な自分の一部として胸に抱いていたい。
(でも、史仁さんはアルファらしい願望が強いって言ってたし……どうしたら良いんだろう)
ぼんやりと物思いに耽っていると、傍らに置いてあったスマートフォンが着信を告げて鳴り響いた。
画面に視線を落とした途端、心臓が跳ねた。
――香倉からだった。
『圭人? いま大丈夫?』
「うん……久しぶり、史仁さん」
長いこと不安に揺さぶられていた恋心が、彼の声に包まれるだけで、柔くほどけていく。
他愛もない話を少ししたあと、正月の予定を訊ねられて瞬いた。
「……会ってくれるの?」
『どうして? おれはいつだって圭人に会いたくて堪らないよ?』
「だってさ……会えないって」
『……医者に止められてたんだ。体調はもう問題ないんだけれど、事情があって』
事情、と圭人がつい呟くと、「今度詳しく話すよ」と機械越しの声が伝えてくる。
香倉のその言葉を、実は圭人はあまり信用していなかった。
たしか、首輪のときも同じようなことを言われて、有耶無耶にされたのだ。
「……ねえ、史仁さん。ひとつ、我儘を言ってみたいんだけどさ。断ってくれても、全然良いんだけど」
いけないと思いつつ、ぶり返した不安が疼いてしまう。
機械の向こう側で彼が笑みをつくった気配に誘われて、理性のブレーキが緩んでしまう。
また、彼に迷惑をかけてしまうとわかっているはずなのに。
『いいよ、言ってみて?』
「この前貸してくれたマフラー、……あたたかくて、気に入っちゃったんだ。……もう少し俺に貸してくれないかな?」
『構わないけど……マフラーが欲しいなら、新品を贈るよ?』
「ううん、これがいい」
もう一度微かに笑う気配があって、「気に入ってくれたなら、あげるよ」と容易く言ってくれた。
嬉しくて、灰色のカシミヤマフラーの下でこっそりと唇を噛みしめる。ちょっぴり泣きそうだった。
我儘を許してくれる程度には、自分はまだ彼の中に居場所があるのだと思えて、ほっとする。
「……代わりのもの、贈るね」
楽しみにしてる、と囁いてくれた声がいつまでも耳の奥に残った。
§
大晦日。
その日もキッチンに立つ母親に教えを乞うていた。
煮立った鍋に慎重にぶりの切り身を並べ、蓋をする。
ふうと大きく息をつく圭人を見て、母親がくすくすと苦笑している。不出来な弟子で申し訳ない。
「手伝ってくれるのは助かるけど、就職活動はもういいの? お友達との約束は?」
「就活は小休止中。ちょっと、根本的なところから見直さないといけないと思って。今日も明日も予定はないし、やることがあるなら手伝うよ」
「去年の年末は遊び歩いていたアンタがねぇ……」
確かに、と圭人も苦い笑みが漏れた。
自分がオメガだなんて、あの頃は夢にも思っていなかったわけだが、今になって振り返ると危なっかしい行動をしていた。
飲み会も多かったし、異性に限らず出逢いもそれなりにあったのだ。下手にアルファに反応して発情なんて事態になれば、今の穏やかな日常はなかっただろう。
何事もなく、圭人が今日こうしてのんびりと過ごしていられるのは、奇跡にも近い。
「……オメガだってわかったらさ、大学の友達には距離つくられちゃって。だから今年はゆっくり過ごすよ」
洗い物をしていた母親の手が止まった。
……そういえば、大学での出来事はあまり話してこなかったかもしれない。失敗した。心配してほしかったわけではないのだが、滑り落ちてしまった言葉はもう戻せない。
案の定、圭人のほうを振り向いた母親は痛ましいものを見るような表情をしていた。
「――ごめんなさいね、ベータに生んであげられなくて。いらぬ苦労をさせているわ」
「いやいや、母さんのせいじゃないし、謝らないでよ。俺こそ二人には迷惑かけてるし、ごめんね? 姉ちゃんもあんなだし」
「迷惑じゃないわ、あなたは私たちの大事な息子だもの」
叱るように言われて、ポーカーフェイスを繕うのに苦労した。
自分に向けられた言葉を心の中で噛みしめる。
「あは、ありがと。……俺さ、自分がオメガだったことは、そろそろ諦めようと思ってるんだよね」
「諦める?」
「ベータだったら良かったってどうしても考えてたけど、明日からはそういうのもやめようかなって」
新年だしね、と重たくなった空気を払拭するように圭人は大げさに肩を竦めて、明るく言った。
キッチン台の上を片付け、零れた調味料をふき取ったあとは、母の手書きのレシピノートを眺めて次の工程を確認するふりをしていた。
「そう……なら、私ももう言わないようにするわね」
「うん」
「あと、その首輪をくださった方も今度連れてきなさいよ? ご挨拶しなくちゃ」
「……へ?」
驚いて顔を上げた圭人をみて、「わかるわよ」と母親が笑った。
「だってその首輪、大事そうにしてるじゃない。最近ずっと暗い顔をしてたのに、今日はなんだか楽しそうだわ」
「……うわ、恥っず」
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