上 下
22 / 69

第21話

しおりを挟む
  

「僕はてっきり、二人で発情期を過ごしたんだと思ってた。香倉さんと番になっちゃえば良かったのに」

「いや……番ってなるとさ、また別の覚悟が……」

「うーん、まあそっか。圭人もまだオメガ歴半年だもんね。いきなり人生決める選択を迫られても、困っちゃうかぁ」

 いつものコーヒーチェーン店で九藤が大きく息をついて、「とりあえず、お疲れさま」と労いの言葉をかけてくれた。

 クリスマスが終わってもこの時期は賑やかだ。
 街は瞬く間に装いを変えて、次は新年に向けてお祭り騒ぎが続いていく。
 年末年始の休暇に入った人々も多いのか、店内の様子も普段とは異なり、さまざまな世代の客が入り混じっていた。

「圭人のためでも、あの人がチャンスを逃したのは意外だったな。なんだか二人とも面倒な性格してるよね」
 
「そうかな……?」

「運命の相手と番になった知り合いがいるんだけどね、その子は出逢って一週間で首を噛ませたって言ってたんだ。圭人は発情期がまだだったし、そこまで性急に進めることは無理だったわけだけど……香倉さんって案外理性的というか、真面目な人なんだなって」

「あれだけきみにご執心なのに、よくだよね」と親友はしきりに首を傾げている。

 九藤が言うように、圭人を本気で番にしたいのなら、さっさと首を噛むのが一番手っ取り早い。
 今までは圭人の発情期を待っていたのだとしても、あの夜は香倉にとっては間違いなく好機だった。

 強引にでも番にしてしまえば、圭人は嫌でも香倉に縛られる。
 例えそこに気持ちが伴っていなかったとしても、一生傍を離れられず、縁を切れず、香倉は圭人をほしいままにできるのだから。
 ――それができるのがアルファという生き物なのだ。
 
(俺のためを思ってくれてたんだよな……)
 
 圭人のゆっくりとしたペースに合わせてくれていたことも。
 まず信頼関係を築くことを優先してくれたことも。
 アルファの衝動にまかせて強引に番にする手段を選ばず、立ち止まってくれたことも。

 首を噛まれることに比べたら、首輪ネックガードが外れないことくらい何でもないと思えてしまう。
 マーキングも、「浮気は厳禁」と取り決めた約束も、今思えば羽のように軽やかで何てことのない枷だった。

 香倉が向けてくる独占欲のようなものに困惑することはあっても、突然の発情期ヒートを起こしたあの夜でさえ、彼が最後の一線を踏み越えることはなく。
 圭人を懸命に守ってくれて、しかも圭人の自由を決定的に摘み取ることはしないでくれた。
 ……これがほかのアルファだったら? 圭人にそこまでの配慮をしてくれただろうか?

(ほんと、とことん俺は甘えてたんだ)
 
 捻くれた見方をすれば。――香倉にも迷いがあるのかもしれなかった。
 自分がこんなだから、彼にも不安や躊躇いが生じたのかもしれない。
 
「香倉さん、体調は?」
 
 白いマグカップに入ったココアにふうふうと息を吹きかけながら、九藤が訊ねてくる。
 外は雪がちらついているようだった。店の窓ガラスは薄っすらと白く曇っており、向こう側をあまりよく見通せない。
 
「入院はしなかったって言ってたけど、詳しくは聞いてないんだ。あれから忙しくしてるみたいで」

「……お見舞いというか、顔を見に行ってみた?」

 圭人は首を振った。ほろ苦く、切ないものが胸の奥でぶり返す。
 誤魔化すように熱いコーヒーを胃袋の中に流し込んだ。
 
「断られた」
 
 香倉には、発情期が終わった後に一度お礼を兼ねて連絡を入れている。
 そのときに少し話をして、それきりになっていた。次に会う予定も決まっていない。

「そっか……。……まあ、元気だして。というか食べようよ~ほら! 今日は僕が奢ってあげるから何でも注文してっ。発情期中に絶食なんて信じられない!」

「これ以上心配させないでよね!」なんて言いながら、九藤はメニューを捲っては端から注文をし始めた。

 九藤は優しい。香倉だけじゃなく、九藤だって十分すぎるほど優しかった。
 オメガと診断されて、途方に暮れていた圭人を導いてくれたのは間違いなく九藤だ。
 この一年でいろんなものが激変したが、失ったものだけじゃないと思えることが救いだった。

「なぁノゾム、やっぱり今日は俺が奢るよ。いつものお礼だから、ノゾムこそ好きなもの頼んで。あ、こっちの甘いのなんてどうかな?」
 
「どうしたの急に。そういうの、悩み事が解決してから言ってくれる?」
 
「そう言わないでくれって。感謝してるのは本当。あと、最近どうもオメガの先輩が眩しく見える病に罹ってて」
 
「ふふっ、なにそれ? 僕も輝いてるってこと?」
 
「すんげー輝いてる。めちゃくちゃ可愛いし、頭良いし、優しいし? 俺がアルファだったら絶対に一番に口説いてた」
 
「あははっ。圭人と僕なら、僕がアルファでしょ! あっでも、そうしたら僕のライバルがあの人になるのかぁ。争ったところで勝てる気がしないや」 
 
 テーブルの上に所狭しと皿を並べ、二人で腹を抱えて笑いながら、ささやかな忘年会を楽しんだ。
 誰かとこうして喋っていても、少しでも気を抜くと苦い予感が頭をよぎる。
 ……香倉には今度こそ呆れられてしまったかもしれない。あれから連絡もない。馬鹿だったという自覚があるだけに、不安を振り払うことができなかった。
 
 発情期をアルファと過ごす意味を甘く考えていた。
 自分がただの男ではないことをどこかで忘れていた。
 香倉が立ち止まってくれなければ、圭人の人生はあの夜から一変していたかもしれない。
 ――運良くそうはならなかったとしても、オメガとして覚悟が足りていなかったことに変わりはない。
 
 発情期を経験してもなお、圭人の中に根差した迷いや不安が消えたわけではなかった。
 オメガであるという事実も、誰かに簡単に迷惑をかけてしまうこの身体のことも、まだどこかで圭人自身がきちんと受け入れることができずにいる。
 ベータやアルファのように自由気ままに生きていくことのできない、不安要素だらけのオメガとしての生が、この先も大きく口を開けて自分を待っている。
 そう考えるだけで足がすくんで、心細くて、仕方がない。

 オメガとしての人生をどんな風に切り開いていけばいいのか、本当はまだ迷っていて。

 あの初夏の日、「番になるのだから」と交際を申し出てくれた香倉を突き放せなかったのも、仕方がないことだったのかもしれない。
 彼は間違いなく、失意の底にいた圭人のもとに差し込んだ一筋の光だった。
 弱った心を包まれて、そっと傷口に寄り添ってくれる存在にまんまと心を奪われたのだ。
 優しくされて、居場所も価値も与えられて。
 大切な存在だと、まるで言い聞かせるように香倉は圭人に何度も何度も愛を囁いてくれたから。

 神の悪戯が導いた相手だと理解していても、相手が男だとわかっていても、……この心は簡単に彼に落ちてしまった。それが必然だとでもいうように。

(あんなにも素敵な人の番にしてもらえるのに……俺は一体、何を躊躇っているんだろう?)

 オメガとしての生き方に向き合う姿勢が足りていなかったのは間違いない。
 番を決めるということは、たぶん、圭人がずっと取り組んできた就職活動よりも重大な分岐点になるというのに。――自分はまだベータとしての生き方に未練があって、こだわっていたし、逃避していた。
 この半年間は無駄ではなかったかもしれないが、オメガとして、もっと意味のあるものにもできたはずだった。

 店を出てすぐに、圭人は足を止めた。
 大学に入ってから贔屓にしているコーヒーチェーン店の、出入り口。そこにはまだ、彼に出逢った初夏の記憶が鮮明に宿っているような気がした。

「圭人、どうしたの?」

「なんにもない。……うっわ、今滑った! ノゾム、ちょっとここ、凍ってるって!」

「もー、置いてくよ?」

 九藤の隣に並んで、雪が積もりつつある濡れた歩道を歩いていく。
 いくら気安い仲になっても、可愛らしい親友とは親友以上になるイメージが不思議とまったくできなくて。
 どうしてあの男なのだろう、と自らの胸の内に問いかけてみるも、答えはいつまでも返ってこない。

 厳しい寒さがあっという間に身体の芯まで染みてきた。二人して身体を震わせながら、お祭り騒ぎの商店街を足早に通り抜けて、駅前の交差点を渡ったところで手を振りあって別れた。
 すぐに胸を占める不安を蹴散らしたくて、駅の階段を駆け上がる。

 ――未来図を描き直すために、きっと、考えなくてはならないことが山ほどある。
 自分が決断を下すために、本当にしなくてはいけないことは何だろう?
  
しおりを挟む
感想 74

あなたにおすすめの小説

ベータですが、運命の番だと迫られています

モト
BL
ベータの三栗七生は、ひょんなことから弁護士の八乙女梓に“運命の番”認定を受ける。 運命の番だと言われても三栗はベータで、八乙女はアルファ。 執着されまくる話。アルファの運命の番は果たしてベータなのか? ベータがオメガになることはありません。 “運命の番”は、別名“魂の番”と呼ばれています。独自設定あり ※ムーンライトノベルズでも投稿しております

公爵家の五男坊はあきらめない

三矢由巳
BL
ローテンエルデ王国のレームブルック公爵の妾腹の五男グスタフは公爵領で領民と交流し、気ままに日々を過ごしていた。 生母と生き別れ、父に放任されて育った彼は誰にも期待なんかしない、将来のことはあきらめていると乳兄弟のエルンストに語っていた。 冬至の祭の夜に暴漢に襲われ二人の運命は急変する。 負傷し意識のないエルンストの枕元でグスタフは叫ぶ。 「俺はおまえなしでは生きていけないんだ」 都では次の王位をめぐる政争が繰り広げられていた。 知らぬ間に巻き込まれていたことを知るグスタフ。 生き延びるため、グスタフはエルンストとともに都へ向かう。 あきらめたら待つのは死のみ。

夢見がちオメガ姫の理想のアルファ王子

葉薊【ハアザミ】
BL
四方木 聖(よもぎ ひじり)はちょっぴり夢見がちな乙女男子。 幼少の頃は父母のような理想の家庭を築くのが夢だったが、自分が理想のオメガから程遠いと知って断念する。 一方で、かつてはオメガだと信じて疑わなかった幼馴染の嘉瀬 冬治(かせ とうじ)は聖理想のアルファへと成長を遂げていた。 やがて冬治への恋心を自覚する聖だが、理想のオメガからは程遠い自分ではふさわしくないという思い込みに苛まれる。 ※ちょっぴりサブカプあり。全てアルファ×オメガです。

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

成り行き番の溺愛生活

アオ
BL
タイトルそのままです 成り行きで番になってしまったら溺愛生活が待っていたというありきたりな話です 始めて投稿するので変なところが多々あると思いますがそこは勘弁してください オメガバースで独自の設定があるかもです 27歳×16歳のカップルです この小説の世界では法律上大丈夫です  オメガバの世界だからね それでもよければ読んでくださるとうれしいです

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

処理中です...