7 / 69
第6話
しおりを挟む日曜日。
待ち合わせ場所であるコーヒーチェーン店に到着すると、すでに店内で待っていた香倉は片手を上げて柔らかな笑みをみせた。
注文もそこそこに、圭人は鞄から小さなケースを取り出すと、香倉へと差し出した。
男はにこにこと嬉しそうに名刺入れを受け取って、「困っていたんだ」と口にしてはいたけれど、本当のところはわからないままだった。
今日の香倉は普段とは雰囲気が異なっていて、色素の薄い栗色の髪もラフな感じでセットされている。
淡いグレーのシャツの上に、黒い七分丈のテーラードジャケットを羽織っていて、濃紺のパンツに、きれいめのドレススニーカーを合わせていた。
特に何も考えずにジーンズを選び、目についたパーカーを頭から被ってきてしまった圭人は、垢抜けない自分が少し恥ずかしかった。
喉が渇いたということにして、アイスコーヒーを腹に流し込む。
長居はせずにさっさと退席しようと考えていたのだが、席を立とうとした途端に伸びてきた男の指が、圭人の貧相な手首に絡んで離れなかった。
「待って。これから時間はある?」
香倉は圭人の分の伝票をさっと取り上げると、そのまま強引に腕を引いて圭人を隣に座らせた。
やけに近くなった距離で、人形めいた涼やかな美貌が圭人の瞳の奥を覗き込んだ。
「えと。……なくもないですが」
「きみのことをもっと知りたいんだ。番候補として、互いのことを知り合うチャンスをくれないかな?」
物腰は柔らかではあるものの、香倉はなんだかんだアルファらしく強引だった。
会計を済ませ、店の扉にぶら下がる鈴の音に見送られて外へ出ると、圭人は香倉に背を押されて街へと繰り出すことになったのである。
そこからはあちこち連れ回された。
ふらりと建物に入ってウインドウショッピングをしてみたり、高層階の展望デッキへと足を運んで都会の景観を眺めたり、ちょっと値が張る高級バーガーをご馳走になってしまったり。
遊歩道を散策しながら、キッチンカーに並んで甘味の食べ歩きもして、偶然見かけた大道芸に足を止めて感想を言い合ったりもした。
気ままに場所を巡っているようにみえて、定番のデートスポットばかりだということには途中で気が付いて。
ああ、この人は自分と文字通りデートがしたいのかと、圭人は慣れないむず痒さを持て余してそわそわと落ち着かない気持ちになったりもした。
とはいえ、見た目よりもずっと気さくで話し上手な香倉の隣は、なんだかんだ居心地が良く、僅かに残っていた戸惑いや緊張感はいつの間にか溶けて消えていて。
当初こそ気が進まなかった圭人ではあったものの、いつの間にか彼との時間を心から楽しんでしまっている自分に気付いてしまった。
人気サッカーチームの観戦チケットを手に入れたという香倉の誘いに乗せられて、うっかり次の約束までさせられてしまった圭人は、踏み出したい気持ちと、逃げ出したい気持ちの狭間で揺れていた。
「香倉さん」
駅へと向かう道中で広い背中に呼び掛ける。
足を止めて振り向いた男は、夕方の風に吹かれて色気があった。
「ん?」
「……俺は不出来なオメガです。見た目もこんなだし。その……貴方に見合うものを、何も持っていないというか」
「他の相手を探せと言われても、おれは頷けないよ?」
香倉はあっさりと言い切って、圭人の右手をそっと掬い取る。
スーツ姿のときよりも年若く見える彼は、甘く蕩けた怜悧さで圭人を見つめ、目を細めた。
「きみに出逢う前なら、いくらでも他を選べただろう。でも残念だけど、圭人くんのかわりにはもう誰も成り得ない」
淡い色の双眸に、迷子のような顔をした圭人が映っていた。
ごくごく平凡な容姿の冴えない自分。ベータとしての未来を失い、オメガにもまだ成りきれず。
――運命、なんて言葉を素直に歓迎できる無垢な心さえ、とっくの昔に失っている。
「本当に俺なんかでいいんですか……?」
眉を寄せる圭人に、可笑しそうにアルファの男は微笑んだ。
「きみしか選びたくないんだよ。おれときみにとっては互いだけが特別で、それはもう揺るがない」
「それは、あなたがアルファだから?」
「きみがオメガで、おれの運命だから」
香倉の言葉に宿る情熱的なものに嘘はないのだろう。しかし圭人はどこか釈然としなかった。
……少なくとも、ベータの価値観で生きてきた圭人にとって、アルファやオメガの行動論というのはたまに難解で。
たった一目見ただけで相手を選ぶという彼らの軽率な行動を、運命という一言で受容するには、夢を忘れ過ぎていた。
触れ合っていた指先を宙に浮かせ、握りしめる。
傍らで自分を見つめてくるその人に視線を返し、圭人は告げた。
「……時間をくれませんか。その運命とやらを俺が信じることができるまで」
359
お気に入りに追加
3,860
あなたにおすすめの小説

ベータですが、運命の番だと迫られています
モト
BL
ベータの三栗七生は、ひょんなことから弁護士の八乙女梓に“運命の番”認定を受ける。
運命の番だと言われても三栗はベータで、八乙女はアルファ。
執着されまくる話。アルファの運命の番は果たしてベータなのか?
ベータがオメガになることはありません。
“運命の番”は、別名“魂の番”と呼ばれています。独自設定あり
※ムーンライトノベルズでも投稿しております

アルファのアイツが勃起不全だって言ったの誰だよ!?
モト
BL
中学の頃から一緒のアルファが勃起不全だと噂が流れた。おいおい。それって本当かよ。あんな完璧なアルファが勃起不全とかありえねぇって。
平凡モブのオメガが油断して美味しくいただかれる話。ラブコメ。
ムーンライトノベルズにも掲載しております。

王冠にかける恋【完結】番外編更新中
毬谷
BL
完結済み・番外編更新中
◆
国立天風学園にはこんな噂があった。
『この学園に在籍する生徒は全員オメガである』
もちろん、根も歯もない噂だったが、学園になんら関わりのない国民たちはその噂を疑うことはなかった。
何故そんな噂が出回ったかというと、出入りの業者がこんなことを漏らしたからである。
『生徒たちは、全員首輪をしている』
◆
王制がある現代のとある国。
次期国王である第一王子・五鳳院景(ごおういんけい)も通う超エリート校・国立天風学園。
そこの生徒である笠間真加(かさままなか)は、ある日「ハル」という名前しかわからない謎の生徒と出会って……
◆
オメガバース学園もの
超ロイヤルアルファ×(比較的)普通の男子高校生オメガです。

成り行き番の溺愛生活
アオ
BL
タイトルそのままです
成り行きで番になってしまったら溺愛生活が待っていたというありきたりな話です
始めて投稿するので変なところが多々あると思いますがそこは勘弁してください
オメガバースで独自の設定があるかもです
27歳×16歳のカップルです
この小説の世界では法律上大丈夫です オメガバの世界だからね
それでもよければ読んでくださるとうれしいです

孤独を癒して
星屑
BL
運命の番として出会った2人。
「運命」という言葉がピッタリの出会い方をした、
デロデロに甘やかしたいアルファと、守られるだけじゃないオメガの話。
*不定期更新。
*感想などいただけると励みになります。
*完結は絶対させます!

BLR15【完結】ある日指輪を拾ったら、国を救った英雄の強面騎士団長と一緒に暮らすことになりました
厘/りん
BL
ナルン王国の下町に暮らす ルカ。
この国は一部の人だけに使える魔法が神様から贈られる。ルカはその一人で武器や防具、アクセサリーに『加護』を付けて売って生活をしていた。
ある日、配達の為に下町を歩いていたら指輪が落ちていた。見覚えのある指輪だったので届けに行くと…。
国を救った英雄(強面の可愛い物好き)と出生に秘密ありの痩せた青年のお話。
☆英雄騎士 現在28歳
ルカ 現在18歳
☆第11回BL小説大賞 21位
皆様のおかげで、奨励賞をいただきました。ありがとう御座いました。

キンモクセイは夏の記憶とともに
広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。
小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。

モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)
夏目碧央
BL
兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。
ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる