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第5話
しおりを挟む昼休憩が終わるからと香倉が先に店を出ていってからも、彼の言葉は圭人の頭の片隅にこびりついたままだった。
……馬鹿みたいだと、頭を振ってみても消えなくて。
少女漫画や恋愛ドラマで聞くような台詞に翻弄されてどうするのだと、ちょっとばかり情けないような気持ちにもなる。
(運命の番、か)
アルファとオメガを結ぶ夢物語だ。夢物語だと、思っていた。
自分をベータだと思い込んでいた頃に何度か耳にしたことはあったものの、まさかそんなものが自分の身に降り掛かる日がくるなんて……狐にでもつままれたような気分だった。
アルファの男の濃紺の傘が消えていった通りの向こうをぼうっと眺め続けていた圭人だったが、ふと時計を見上げて我に返った。
自分も午後は講義があったのだ。
慌てて本やファイルをキャリングケースに仕舞い込み、上着を掴んで席を立とうとしたところで、圭人はそれに気付いた。
メニュー表の陰に半ば隠すように置かれていた、小振りなケース。
そっと手を伸ばして開けてみれば、新品の名刺が十数枚ほど入っていた。
――間違いなく、香倉の名刺入れである。
何故こんなところにと疑問に思うと同時に、一抹の別の疑念が圭人の頭を過ぎった。
(あの人……わざと忘れてったわけじゃないよな? まさかな!?)
§
「アルファ様がそこまで言うなら本当かも。運命の番なんて、オメガみんなの憧れだよ?」
午後の一コマ目の講義が終わり、近くの教室で授業だったらしい九藤と鉢合わせて。
香倉と昼食をとってきたことを一応報告すると、によによと緩みまくった笑顔でそんなことを言われた。
安いビニール傘を広げ、そのまま一緒に雨の中を歩く。
向かう場所は少し離れた場所にある学部棟の、同じゼミ室だ。
九藤はすっかり圭人の良き相談相手となってくれていて。
ここ最近は、顔を合わせればそのまま二人で連れ立って行動することも多くなっていた。
オメガとしては先輩である九藤は、圭人の話に耳を傾けるばかりでなく、オメガならではの知識や情報も惜しまずに与えようとしてくれる。
信頼度の高いオメガ科病院はどこであるとか、急な発情期で困った時にサポートしてくれる民間サービスや機関について。
ほかにも、同じ大学内にいる要注意アルファはどの学部の誰々で、この場所は危険だから気をつけろというようなことまで、ありとあらゆることを事細かに教えてくれた。
実生活に即したレクチャーは非常に有り難く、圭人はもう、九藤に足を向けては寝られないほどだった。
「あのアルファの人なら信じても大丈夫だと思うなぁ。わざわざ名刺をくれるくらいだし、彼は身元もしっかりしてるから、下手なお見合いパーティに行くよりも余程良いと思うよ?」
九藤は傘越しに分厚い雨雲を見上げながら、横を歩く圭人をちらりと見遣る。
「付き合ってみたら? 運命の番かもしれないんでしょ?」
「そう簡単に言われても……」
圭人は続く言葉を見失い、言い淀んだ。
九藤によれば、アルファにもいろいろな輩がいるらしく。
たちの悪いアルファに項を噛まれてしまったオメガ達が悲惨な末路を辿るなんて話は、さして珍しいものでもないらしい。
彼がわざわざ交際を促すくらいなのだから、香倉はきっと、信用に足るアルファなのだろう。
そうとわかっていても尚、圭人が踏み切れないのには理由があった。
「やっぱりあの人は圭人の好みじゃないの? でも、だからって適当なアルファに噛ませるなんてやめてよね? いくら就活を考えてたからって、それは駄目。番って、オメガにとっては一生の契約なんだから……!」
「……ふはっ、ノゾムってホント、例の噂とは別人だよなぁ。こんな世話焼きだなんて意外だったよ」
苦笑しつつ圭人が思わず本音を溢すと、九藤は可愛らしい頬を不服そうにぷっくりと膨らませている。まるで怒れる子リスである。
「んもー! 僕が真剣に考えてあげてるっていうのに! 大体さ、圭人は何をそんなに躊躇っているのさっ」
煮えきらない態度をストレートに指摘されて、圭人は足を止めた。
――自分が躊躇っているもの。
番を探しているはずなのに、アルファの男に破格の条件を提示されても、素直に頷けなかった理由は。
傘の柄を握りしめ、圭人は白状した。
「……俺はさ、自分がずっとベータだと思っていたから」
「うん」
「恋愛対象は今までは女の子だったんだ。付き合ったりっていう経験はなかったけど、初恋の相手も、中学の時に同じクラスだったベータの女の子でさ」
そこまで話せば、すべてを言わずともオメガの友人は理解してくれたようだった。
濡れた地面を踏みしめる二人分の足音と、しとしとと傘を打つ雨音に耳を傾けているうちに、敷地の端にある真新しい建物に辿り着く。
張り出した軒下で、それぞれ傘についた水滴を払い落としていると、九藤の静かな声が圭人を呼んだ。周囲にはもう誰の姿もない。
「あのね、アルファの男に抵抗があるのは理解したよ。だけどオメガは孕む性だから……男でも、番になる相手は男のほうが多いんだよね。女の子のアルファと番う、男オメガは稀だと考えたほうがいいのかも」
「……あぁ」
「この前のアルファの男性は、アルファの中でもそこそこ上位に位置する人だと思う。圭人の気持ちは理解するけど、オメガとしては、彼をふいにするのはあまりに勿体ないよ」
言葉を選びながら、それでも圭人が損をしないようにと、彼が心を砕いてくれているのが伝わってきた。
圭人の知る九藤ノゾムという男は、やっぱり耳にしていた噂とは程遠い人物で。――何故あんないい加減な噂がそこかしこで流布されているのか、その理由を圭人は今はもう何となく理解している。
「きみの不運には同情してる。……でも、よく考えて」
繊細な笑みを残して、九藤は建物の扉をくぐっていった。照明が落とされたままの薄暗い廊下を小さな背中がゆっくりと進んでいく。
彼を追いかけようとしたその時、ポケットに入れていたスマートフォンが短く震えて圭人の意識を引っ張った。
画面をタップし、歩きながら確認する。
そこに表示されたのは真新しい連絡先だった。
週末の都合を尋ねる文字列が目に入る。
勿体ないとまで言ってくれた友人の言葉が、もう一度胸の奥に木霊した。
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