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第3話

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「うげ、高槻の姉さんってオメガ差別主義者なんだあ……意外だった……」

 うっかり漏れたのだろう呟きには哀れみの響きがあって、圭人は己の姉の言動に、堪らぬ恥ずかしさと情けなさを感じた。

 大学でばったり会うなり事情を察したらしい九藤は、圭人を大学の敷地の片隅にある人気のないベンチへと引っ張った。
 そこに並んで腰を下ろして、ここ数日のうちに圭人の身に起きた出来事について九藤は真摯に耳を傾けてくれている。

 「あの日のこと」を知っている相手だから、圭人ももう洗いざらい話してしまった。
 思い返せば、二次性の再検査を強く勧めてくれたのも九藤だった。
 彼なりに圭人のことを気に掛けてくれていたのかもしれない。

「なんかもう、大変だったねとしか僕は言えないけど。そんなこともあるんだね。偶然の連鎖っていうか」

「健康体だったのが仇になったらしい。病院なんて今までほとんど用がなかったし……大出血でもしてれば良かったわ」

 落ち込みを隠せずにいると、九藤に慰めの言葉をかけられる。
 問題児なんて言われているのに、このゼミ仲間は実はとても優しい。

「お姉さんみたいにオメガに偏見がある人は多いよね。身内に厳しい人も多いってきくし」

「九藤の家族はどうなんだ? みんな気にしない派?」
 
「うちは母と祖母もオメガで、オメガも多い一族なんだ。まあアルファのほうが数は多いんだけど、オメガを伴侶にしてる人も多いから、オメガだからって見下されることは基本ないよ。むしろ過保護ってゆーか」

 ぷらぷらと白いスニーカーを揺らしながら語ってくれる九藤の姿を、普段よりも回転の鈍い頭でぼんやりと見つめる。
 圭人はしみじみと頷いた。

「九藤は可愛いしな……アルファが多い家系なら美形も多そうだな」

「ふふ、褒めてくれてもなんもないよ? 兄は確かに男前だし、僕が可愛いのは事実だけど」

 ぱち、と冗談めかしてウインクをした九藤はお世辞抜きに可愛らしかった。
 ちょっと癒される。

 ベータのほかの友人たちには、実はオメガだったと打ち明けるのはまだ躊躇いがあって。
 だけど胸の内に溜まる鬱々としたものを吐き出さずにはいられなかったのだ。
 友人としてはまだ日が浅いが、こうして親身になって話を聞いてくれる存在が傍にいてくれたことはきっと幸運だった。

 はぁ、と何度目になるかわからない溜め息を盛大に吐き出して、圭人は両手で顔を覆った。

「急にオメガと言われてもな…………オメガって可愛らしい子が多いんだろ? なんで俺なんだろ」

「それこそ先入観だって。男らしい人とか、いろいろいるし」

「地味な俺でもアルファにアピールしなくちゃいけないのか……?」

「番を求めるならね? 要らないなら、別にいいんじゃないかな」

「……良く考えたらさ、九藤ってオメガとして強すぎない? 頭も良いし、これで家柄も揃ってたら完璧じゃんか」

 圭人の言葉を、友人は首を振って否定して。眉尻を下げて儚く微笑んだ。

「全然、そんなことないよ。……家はまあ、代々アルファが家業も継いできたみたいだし、それなりだけどね」

「九藤ってまさか、どこぞの名家の御曹司……?」

「一応ね。でも僕は継がないし、会社のための結婚もするつもりないし」

 あっさりと言ってのけるが、つまり九藤は所謂「血統書付き」と言われる良家のオメガだということだ。
 血筋の良いオメガはアルファから引く手あまただと圭人も耳にしたことがある。

 ……それに比べて自分は。
 平凡なベータ家系から生まれた突然変異である圭人は、所謂「雑種」と揶揄される類の底辺のオメガである。
 
 血統書付きとか雑種とか、動物のような言い方で人間が形容されることにも実は違和感があった。
 ――ベータとして生きてきた今までは、ほとんど気にせずに聞き流していたことなのに。
 オメガと判明した直後からそういった違和感が次々に圭人の中に芽吹いては、苦味を伴って胸の奥の柔い部分をつつくのだ。

 オメガには理解があるつもりでいた過去の自分の盲目さが恥ずかしく、突如として現れた性差という分厚い壁に、ここ最近の圭人はひたすら打ちのめされるばかりで。
 これから先のことを考えるほど、夜も眠れぬ日が増えていた。

「僕は確かに恵まれてるとは思うし、オメガらしく産んでもらったとも思うよ。でも、オメガとして生まれたからには、僕は寧ろ――」

 圭人が顔を上げると、言葉を途切れさせた九藤はどこか苦悶するような笑みを滲ませていた。
 しかしそれは一瞬のことで、圭人へと視線を寄越した時にはもう、九藤はいつもの自信に満ち溢れた笑顔を刷いている。
 
 鮮やかな陽射しが二人の頭上に降り注ぎ、時折強く吹く風が、旺盛な若葉を抱いた木立を揺らす。
 さわさわと葉が擦れあうたびに、二人の足元に落ちた影も踊るようだった。

「……九藤?」

「ううん、何も。あ、この前のアルファには連絡した? 彼がタイプじゃないなら、高槻みたいなベータっぽいオメガが好きってアルファも知り合いにいるよ。今度紹介しよっか?」

「……遠慮しとく。まだ、オメガとして振る舞える自信もないんだよな」

「難しく考える必要ないってば。今は発情期ヒートもある程度は薬でコントロールできる時代だし、オメガの社会進出も進んでる。オメガだからって小さくなる必要もないし、自由に生きていいんだ。番うかどうかだって、オメガにも選択権があるんだし」

 どこか饒舌になった九藤はそう言うと、細い首に巻かれた白い首輪ネックガードを軽くひっぱった。――オメガの自由と尊厳を守るための、オメガの必需品だ。

 圭人の首にはまだないが、いずれは首輪を着けることになるのだろう。
 それは同時に、社会に対して自分はオメガであると示すことだった。

「オメガってこんなに……生きにくいんだなぁ。情けないんだけど、俺、自分がオメガになるまでどこか他人事だったよ。なんか、ごめんな……」

「ふふっ。なんだか昔の僕を見てるみたい。悩むのも当然だよ。オメガだと判明した奴は一度は神を恨むものだし」

 弱々しく項垂れる圭人に向けられる九藤の言葉には、棘がない。温かな毛布でくるむように、彼の態度はどこまでも柔らかなものだった。
 九藤も悩んだのだろうか。神を恨み、自分の運のなさを嘆いたのだろうか。
 
「……高槻クン。ひとつだけ、先輩オメガ様がイイコトを教えてあげようか」

 視線を上げた圭人の前で、華奢な人差し指がくるくると円を描く。
 さくらんぼのような可憐な唇にそっと指先を添えて、とびきりに可愛らしい仕草をしてみせた九藤は、上目遣いで圭人の顔を覗き込んだ。
 
「確かに僕は君よりも可愛らしくて、オメガらしいのかもしれない。家もまあ金持ちの部類だし? 才能にだって恵まれているのかも。――でもね?」

 眩いばかりの友人の笑みの中に、どこか達観した切ないものが混ざっているように圭人の瞳には映った。
 
「オメガにはさ、アルファと違って序列はないんだよ。優秀なオメガや、オメガらしいオメガだからって、幸せを掴めるとは限らない。……オメガっていうのは、そういう生き物なんだよね」
 
 
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