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第一章
今日も次の日もその次も
しおりを挟む春が来たばかりのとある日 サフィロの街 喫茶「のばら」の前で
「それじゃあ、元気でね二人とも。経営のほうもいいけれど、きちんと休みもとるのですよ。あぁ、それとほんのときどきで、たまにでいいので手紙も書いてくださいな、最近は国の方でもそういった運送関係にも力を入れていますし――」
「わかりました、わかりましたから。もう何回もききました」
「むぅ……あくまでも、念押しをしているのですよ、わたくしは」
数日の間サフィロの街に滞在した母エルゼが、馬車に乗り込むのを見送るアルフとイヴの夫婦の姿があった。
「まったく、もう……それとですね、わたくしは孫の顔をみるのをあきらめてはいませんからね、ふたりとも」
「母さんもう馬車がでますよ」
「そのとおりです、奥さま、馬車が出ます」
「奥さま、馬車が出ますので窓から顔を出しては危のうございます」
馬車の窓を全開にして、いまにも飛び出しそうなエルゼを必死で止めるお付のメイドふたり。彼女たちの仕事も楽ではなさそうである。
「……それじゃあ、母さん、手紙は書くからさ」
「どうか、お元気でお健やかに。おかあさま」
「えぇ、貴方たちも元気でーーーー!」
二頭立ての黒い馬車が、見えなくなるまで、エルゼの声が聞こえなくなるまで、アルフとイヴはそれを見送る。
「ねぇ、お弁当を渡しましたけれど、どれが私のつくったおかずか、おかあさまにわかりますかしらね?」
「わかるよ、多分。さすがに卵のからまでもが入った卵料理だしね」
くつくつと、アルフは笑う。
それを見て、イヴは頬を薔薇の花びらのように赤く染める。
「……いじわる、ですわ、アルフ」
「おや、私がいじわるなことは知っているだろう? イヴ」
「そうでしたわね、知っていますわ。今さっきよりも、昨晩の方がもっともっといじわるさんされましたもの」
「えーと……その、なんだ……すまない」
イヴは、にっこりと笑って、それから瞳を細めて色っぽい微笑みに表情を変えて、アルフの腕を抱きしめる。ドレスと、胸を整えるコルセット越しのはずなのに、アルフの腕には、心地いい柔らかさと温かさが伝わってくる。
「だからね、アルフ旦那様。今日は、いっぱい、優しくしてくださいな、ね?」
「あぁ」
あぁ、そうだ。
なんだかんだで、自分は、このとっても美人で年上の、ふわふわとした性格のように見えておねだり上手で甘え上手の妻には、多分、ずっと、生涯、あるとしたら永遠に未来永劫、その先も、かなわないんだろう。
元はと言えば、妻との「約束」ひとつでここまで来てしまった自分だ。それもあたりまえのことなのだろう。
「店主さん、奥さま、そろそろいい加減に、お店に戻ってくれますか?」
イヴを抱きしめるかキスするか、それともその両方をするかと考えていたアルフだが、呆れたようなヤナギの声にその楽しい考えを中断させられる。
「いいところだったのだけど、空気を読んでくれないかい、ヤナギ」
「空気を読むのはそちらです。そろそろ店主さんの代わりにお茶を淹れてるダーナがお客さん放り出してこっちにのりこんできますよ。ダーナ怖いですよ。はやく戻ってきた方がいいんじゃないですかね」
はぁ、とヤナギは皮肉っぽくため息をつく。その黒髪には、薄紫色と白色の藤の花を形作った布製の髪飾りがゆれている。
これはエルゼがお土産として配った品物のひとつで、極東列島出身の職人が作り上げた逸品なのだとかなんとか。
意外にも、というか、それともそれが当たり前だというか、エルゼは喫茶「のばら」のスタッフたちにも慕われている存在だったらしい。
「……わかっていなかったのは、私たちだけだったのかもな」
「ん、何がどうしたっていうです?」
「あぁ、いや、なんでもないんだ。すぐに戻るよ」
「……えぇ、戻りましょうか」
厨房側の入口まで回り込み、「のばら」の店内に戻る。
今は、お昼のご飯と午後のおやつの時間の中間あたりで、本来はお客が少ないはずの時間帯なのだが、今日はいつもよりは人が多い。
窓際のソファ席には、仕立て屋のおかみと靴屋の親方が、あれ以来気に入ったらしい苺尽くしの菓子を食べている。勿論飲み物は苺のフレーバーティーだ。
大きなテーブル席にいるのは、常連のリセウスだが、他にも彼の先輩らしき役人と、この街の代官と、その秘書らしい人物がそれぞれの好みの紅茶を片手になにやら話をしている。
そして、サンルーム席では、外見も中身もまるで似ていない画家の姉弟が、豪華なフルーツタルトと素朴なビスケットを食べながら、お互いの最近の報告やら、描いたスケッチの見せ合いをしている。
カウンター席に座っているのは、いつもの街娘二人組だ。ふわふわの明るい茶髪のほうがミリィ、しっとりとした長く真っ直ぐの黒髪の方がルリエラ。彼女たちはいつもとおなじように、スコーンを注文して、それぞれ違うジャムをつけてもらいそれをはんぶんこにして食べることにしているらしい。飲み物は二人ともにスコーンとそれによく合うロイヤルミルクティーだ。
「はふ……はむ……! んー、んーーー! やっぱりスコーンは焼きたてだね、ルリエラ!」
「ミリィ、お行儀悪いわ……はむ……もぐもぐ……もぐ……うん。でも、そうね、焼きたてあつあつのスコーンをほおばるのって幸せね、ミリィ」
「そうね、これ以上の幸せってないわね!」
ほう、面白いことを言う。……アルフの、子供のころからずっと残されているいたずら心がぴょこんと顔を出してきた。
「へぇ、じゃあこれ以上を行ってみるかい?」
「「え?」」
いきなりそんなことを言われたミリィとルリエラは困惑と不安の顔だ。
「イヴ、イヴ、おいで」
「なんですのあなた?」
「イヴ、カウンターの、席に座りなさい。その子、ミリィさんの隣にね」
「あなた? でも」
「特別、だよ。気分がいいから今日だけ特別。というか旦那さん命令」
困惑顔のイヴを「今日だけ特別」「旦那さん命令」という言葉でカウンター席に座らせることにする。
街娘たちは、とくに茶髪のミリィは、信じられない! とでもいう顔で、自分たちの隣の席に近づく絶世の美女と、店主アルフをと見ている。そのほっぺたはピンク色に染まって、今にも頭のてっぺんあたりからでも湯気をふきだしそうだ。
「隣の席、よろしいかしら?」
「は、はははははははは、ははははははははは、はいいい!!」
ずっと、あこがれていたであろう、きれいなひとが隣に来て、思わずなのだろうミリィは、両手をお祈りみたいな形にくんでいる。
ミリィの隣の席にいるルリエラでさえも、青色がかったグレーの瞳を大きくまんまるくして、そのきれいなひとの姿、立ち振る舞いを、なにもかもを、見逃すまいとしている。
「さて、店主さん。今日はどんなお紅茶とお菓子がおすすめかしら?」
「それはもちろん、あったかいロイヤルミルクティーとやきたてスコーンの組み合わせだよ」
「では、それをいただくわ」
「「――」」
ミリィもルリエラも言葉がもう出ない。このきれいなひとが、自分たちの隣で、自分たちと同じものを食べて飲むのか、と、信じられないような、信じたくないような顔だ。ちらちらと、店主アルフの方、助けを乞うような涙目で見てくる。
「せっかく同じカウンター席にいるんだよ? もうちょっとお話とかしてみたらどうだい?」
「無理……て、店主さん、無理無理無理無理無理……や、もう、無理です……幸せ袋が……破裂します……」
よくわからないことを言い出すミリィ。というかそんな袋がどこかに存在しているのだとしたら、アルフの幸せ袋こそとっくに破裂済みだ。
「破裂した向こうには、また新しい幸せが見えるよー。ほら、がんばれがんばれ?」
「うわぁああああああああああああああああああぅ!」
「店主さんの、鬼畜ーー!」
若い街娘たちの悲鳴を心地よく聞きながら、アルフはイヴにロイヤルミルクティーと焼きたてのスコーンの皿をさしだす。
イヴは、そのティーカップをに白さを保つ両手で包みこむように持ち、ひとくち、ふたくち。
「どうだい?」
「幸せの、味です」
まつげにふちどられたうつくしい菫の瞳をうっとりと細めて、イヴは言う。
「今日も、紅茶があったかくておいしくて……幸せですわ」
そして、今日もアルフは紅茶を淹れる。
次の日も、その次の日も、ずっとこんな日が続けばいいと、そう願いながら。
今日も 喫茶「のばら」は営業中。
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