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初夏の涼風の章

今日の茉莉花堂は(その三)

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「……シャイト先生、そのことは心配しなくても大丈夫です、から」
「ああ、まぁわかってはいるが、一応師匠として、店主としていろいろ気にはなるんでね。気を悪くしたならいちおう謝っておく」
 シャイトはそう言って、軽くぺこりと頭を下げると、早速フォークでサマープディングを攻略にかかる。

 メルはそんな師匠の姿を見ながら、ぼんやりと考えるのだった。
 恋人であるジルセウス……ジルのことを。
 ジルは次男とはいえリヴェルテイア侯爵家の人間だ。メルとの恋人関係はいわゆるところの身分違いの恋となってしまう。どうにも二人の将来のことを考えると、このままではあまりいい方向には転びそうにないのだった。
 でも、でも今は、今のうちだけは、私はジルの恋人だし、ジルは私の恋人。
 ……今は、それで、いい。


 メルがそんなことをちょっとだけ暗い気持ちで考えていると、シャイトはサマープディングの皿と冷たい紅茶のはいった茶器を手に、カーテンの中に消えた。
 ということは、お客様がみえたのに違いない。



「こんにちは、メル!」
「……やぁ、メル。夏バテとかしてない?」
「こんにちは、メル。今日は馬車でこちらに向かう途中、偶然この二人をみつけてね、相乗りしてきたってわけさ。それにしても今日も僕のメルは小さな薔薇のつぼみのように可愛いね。嬉しいよ」

 茉莉花堂のドアを勢い良く開けて入ってきたのは、メルの親友のユウハとユイハ、それに……メルの恋人のジルセウスだった。
「皆、いらっしゃい。今日はサマープディングがあるの。結構自信作だから食べていってちょうだい。水出しの冷たい紅茶もあるから、今持ってくるね」
「サマープディング! いいわね。あの甘酸っぱさは夏の食欲のないときでもつい食べたくなっちゃうわよねぇ」
「お前は甘いものならいつでも食べたいんだろ」
 そんなユウハとユイハの双子のやりとりを背に、メルはサマープディングと紅茶を取りに向かうのだった。


 
「それにしても、今年はまだ七月のはじめだというのに暑いね。一日中魔法窯の前にいるだろうベオルーク殿の体調は大丈夫かい?」

 生クリームとベリーソースたっぷりのサマープディングのソース類をこぼすこと無く、お上品に食べながら、ジルセウスがメルに尋ねた。
「あぁ、ベオルークのおっさ……じゃない、ベオルークさんなら毎年のことだし大丈夫だって本人は言ってる。プリムローズおかみさんもサポートについているし、万一のことにはならないとは……思うよ」
「メルも、ちゃんと水分だけじゃなく塩分もとってるか? 糖分……は多分問題ないだろうけど」
 サマープディングをフォークでつんつんしながらちょっと心配そうに聞くのはユイハだ。
「大丈夫、そのあたりは騎士学院でちゃんと勉強もしたでしょ」
「そうよユイハ兄さん。メルは剣術だけじゃなくて、座学の方もほとんど最優秀だったじゃないの。メルなら大丈夫よ」
「へぇ……そうだったのかい? メルが……意外なようなそうでないような。メルは何にでも一生懸命だから、銀月騎士学院時代も優秀な成績だったのはすごくよくわかるね」
「昔の話、昔の話。今は新米ドールドレス職人だよ」


「花の国ルルドって大陸全体からみても結構北のほうなのに、暑いよな」
「湿度の問題かもしれないね、ルルドは蒸し暑い方だから、同じ暑さでも不快な感覚がより大きいのかもよ。これも学院でならったでしょ」
「僕はメルほど座学得意じゃないし」
「それでもいつも試験の順位表で名前、私と並んでいたじゃないの」
「あれは……」
 するとユウハがくすくす笑っている。どういうことだろう。
「ふふ、ユイハ兄さんはね、メルと名前を並べて書かれたいからいつも試験だけは、頑張……兄さん、なんで私のお腹に刀の柄を押し当てているの……?」
「お前が余計な事言うからだ……っ」
「本当にユイハ君とユウハ嬢は仲良しだね」
 ジルセウスがにこにこ笑っている。
 それを見ていると、メルも嬉しくて、つい笑顔になるのだ。


「ジルセウスはやっぱりあれか、夏の間は避暑とか行くのか?」
 気を取り直して、刀の柄からも手を離したユイハがジルセウスに話を振る。
「あぁ、避暑地の別荘でもいろいろと社交があるのでね。さすがにすっぽかすわけにはいかなさそうだ」
 ジルセウスはため息をつきながら、首を振って言う。
「向こうは確かに涼しいだろうけど――どうにもつまらない上に面倒くさいからね、それになにより、あちらにはドールブティック茉莉花堂はないし、愛しい可愛いメルも居ないし……」
「ジ……ジル……その、恥ずかしい、よ」
 メルが恥ずかしそうに目を伏せると、ジルセウスは得意気に言う。
「ほら、こんなに可愛いメルを置いて、花咲く都を離れられるかい? まさに身を切られる思いだよ」
「私は白薔薇をちょん切ってしまいたい思いだわ」
「……妹よ、同感だ」

「ね、ねぇジル、リヴェルテイア家の別荘ってどこにあるの?」
 なんだか茉莉花堂の空気が精神的に冷たくなってきたので、メルはその空気を変えられないかとジルにこんな質問をしてみる。
「あぁ、リヴェリテイア家の避暑用の別荘は、星降りの湖アルフェンカの傍にあるよ。湖畔には貴族向けの別荘がいくつもあるんだ」
 その言葉に、ユイハとユウハがぴくりと反応した。
「ん……星降りの湖アルフェンカ?」
「そこって確か……」
「二人は何か知っているの?」
「あぁ、最近アルフェンカの近くで、かなり昔の巨大な遺跡が発見されてね。いまその周辺は冒険者なんかで大賑わいだそうだ」
「そういえば、今年の騎士学院の実習地候補の一つだったような気もするわ」
「へぇ、私も行ってみようかな……」

「メル、それはやめてくれ」
「それはやめろ」
「それはやめてね?」

 三人にそれぞれの言葉で止められて、メルはちょっとむっとなる。

「メル、冒険者は一流の人達はそりゃあちゃんとした人たちだけど、結局のところは二流三流の荒くれが大多数だ。そんな中に君のような可憐な花が舞い降りたらどうなるか――」
「それにメルは絶対、遺跡を外から見るだけじゃ気がすまないだろ?」
「とにかく、駄目よ。私の可愛いメルにもう危ないことをしてほしくないもの。あとは、白薔薇の貴公子様との湖畔デートなんて許しません、だわ」

「な、なんか、みんな酷くない? 私を一体何だと思って……色んな意味で」


「だってメルだし?」
「ねえ?」
「メルだものね、しょうがないよ」


 身も蓋もない三人の言葉に、思わずメルはがっくりとうなだれてため息をつく。
「はぁ……避暑地、行ってみたいのになぁ……」

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