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春待つ花の章
めぐりゆく一日(その一)
しおりを挟むドールブティック茉莉花堂の朝は遅いが、その店員の朝は意外と早い。
特にメルは騎士学院――王立銀月騎士学院で早寝早起きを叩き込まれたこともあるために、この家では一番の早起きだった。
茉莉花堂のある建物は細長いつくりとなっていて、店舗の奥は二階建ての居住スペース、その更に奥にいくと王都でも高名なドール職人であるベオルーク・フェルツの工房となっている。この工房は職人通りに面した店舗でもある。
メルはいつも通りに手早く洗面と着替えをすませ、背中まである金の髪をととのえる。
この髪もここに来たばかりのときはまだ肩ぐらいまでしかなかったし、こんなに丁寧に櫛で梳くことも、騎士学院時代はまずなかった。
「だいぶ伸びたなぁ、そろそろ切ってもいいんじゃないかしら」
毛先をつまみながら、一人ごとを言う。
親しい友人やプリムローズおかみさんとベオルークおっさん、それに白が切らないほうがいいと熱心に勧めてくるため切らないでいたのだ。
「だぁめ」
案の定、メルの足元に猫の子のようにじゃれついていた白が、反対してくる。
「だめ、メルは長いほうが似合う、そりゃあ短いのもかわいいけど、長い方がいいよ。切るのはすぐだけど、伸ばすのは時間がかかるんだよ?」
「それはそうだけど、長いのは手入れも大変だし作業の邪魔になりそうだし」
「髪はまとめてれば邪魔にならないよ、ということで、メルの今日の髪型はおさげにしよう? それともポニーテール? おだんごちゃんもいいよね」
「私の髪を遊び道具にしてるでしょ」
「……それに関してはノーコメントを出させてもらうけど、とにかく僕はメルの髪が好きなの」
白はそう言って、メルの手から櫛を奪って金の髪を梳く。誰かに、特に白に髪の毛をいじられるのは、気持ちよくて目がとろんとしてしまう。
その気持ちよさにひたっているうちに、白はあっという間にメルの髪を二つのおさげにまとめてしまった。毛先に結ばれたリボンは紺色。落ち着いた雰囲気の深い青色をした今日のドレスに合わせてくれたようだ。
「とりあえず、ありがと」
「どういたしましてー」
「じゃ、行こっか」
メルは白といっしょに部屋を出て、一階の台所で買い物用のかごを手に取り勝手口から外に出る。
「今日もいいお天気!」
職人通りの大きな道に出ると、メルはかごをもった腕を思いっきり空に向かって伸ばし深呼吸する。植物の多い花咲く都ルルデアは、人通りや馬車がまだほとんど通っていない時間帯に限ってはそれなりに空気はきれいだ。
三回ばかり深呼吸をして、市場への道を白と一緒に行く。
白はあっちこっちふらふらしているが、いつものことなのでメルは気にせずどんどん歩いて行く。そのうち追いつくか、あるいは茉莉花堂に戻れば待っているか、あるいか何日か後にひょっこり姿をみせるかだ。
今日は焼きたての丸パンに、チーズ、春キャベツ、スモークチキン、めずらしい異国のハーブティをほんのすこし、あとは宝石ベリーを見つけたのでそれも買った。
宝石ベリーは見た目もきらきらときれいで美味しい割には手頃な価格なのだ。今日時間があればタルトでもこしらえて、お店に来るお客さんのお茶請けにしてもいいだろう。
「結構買ったね、重くない?」
「今日は大丈夫だよ」
白が買い物かごを覗き込みながら話しかけてくる。
今日の買い物はかさばりはするがそれほど重たくはないし、騎士学院で育ったメルは細腕にみえても力持ちだ。
二人は市場の人の群れをすいすい避けて、職人通りの店に戻る。
勝手口を開けると、ベオルークおっさんとプリムローズおかみさんとが台所で仲良く朝ごはん用のスープを作っているところだった。……これは、お邪魔してしまったかもしれない。
「おはよう、メル」
「おはよう、メルちゃん」
「おはようございます、おっさんにおかみさん。今日は焼きたてパンと美味しそうなチーズやチキンが買えました」
「お使いありがとうね。帰ってきたところ申し訳ないんだけど、シャイトがまだ起きてこないのよ。メルちゃん起こしてきてくれるかしら? 朝ごはんの準備はこっちがしちゃうから、ね、お願い」
「シャイト先生、今日もお寝坊なんですね。わかりました、いってきます!」
メルは腕まくりするかのような動きをして気合をいれてから、二階への階段を勇ましくのぼる。ここの居住スペースは、一階がベオルークとプリムローズの部屋に台所などの水回り。二階がシャイトの部屋と、メルの部屋。あとは試作品などを置いている倉庫だった。
シャイトの部屋の前につくとメルは、躊躇せずにドアを開けた。
「先生! シャイト先生! 朝だよ朝! あーさーだーよー! 起きて! 」
シャイトが眠っているベッドのそばに立ち、ご近所迷惑にならない程度の声で何度も何度も呼びかける。
が、相手は強敵。
シャイトはかけ布団にくるまったまま、動かない。
なので、その布団を力ずくではぎとってやる。抵抗されても気にしない。師匠と弟子であっても、今は無慈悲に。
「っ……ぅ、まぶしい……」
「起きて、シャイト先生! せっかくのスープが冷めちゃう! それに今日は焼きたてパンが買えたんだから、早くしないと焼きたてじゃなくなるでしょ!」
「……ご飯はいらない、眠りたい」
「まーた昨日夜更かししたんでしょう、自業自得だよ」
そう言ってメルは、ベッドのそばにあるサイドテーブルを見る。そこには散らばった刺繍糸の断片と、刺繍の入ったドールドレス。
どうやら、刺繍を入れてみたはいいが気に入らなくて、夜中までやり直していたのだろう。
作品にかける熱意は立派だが、朝ごはんに遅れるような寝坊するほどの夜更かしはいけない。
「メル、起こして」
シャイトはそういって、まるでアンデットのように手を伸ばしてくる。腕を引っ張って物理的に体を起こして欲しい、ということらしい。
「わかりました、よ……っと!」
シャイトも一応成人男性なのでそれなりに体重はあるが、メルも以前は鍛えていたので、引っ張って起こすぐらいの重さなら問題はなかった。
「……やっぱりまぶしい、眠い」
ぼんやりとベッドの上で目をこするシャイト。
まったく、うちの先生はなんで二十代も半ばを過ぎてこうなのだろう。とメルは心の中でため息をつく。
ちゃんとした格好をしていればそれなりには女性がほっとかないだろうに、未だに独身。というか恋人すら居ない。人付き合いも大嫌いで、すごい面倒くさがりで、ドレスを作る以外の事はしたがらない。
根っからの芸術家気質、あるいは職人気質とでもいうのだろうか。
「ねぇ、ちょっと」
「……なんだい、もうちゃんと起きてるだろう?」
「起きてるのはわかるんだけどね……なんで着替えようとしてるの! 乙女の前だってわかってる?」
「ん……見る?」
シャイトがかわいらしく小首をかしげて聞いてきたのが、メルには妙にいらっ、ときたので、彼に枕をぶつけてから部屋を出た。
四人でそろって朝の食事をとってから、後片付けはベオルークとプリムローズに任せ、メルは茉莉花堂の店舗を掃除する。
掃除そのものはあまり好きではないが、きれいな部屋はやはり気持ちがいいのでなるべく丁寧に、棚のすみずみまで掃除を行う。
それが終わったら、今度は窓際にディプレイされているドールのコーディネートを考える仕事だった。
メルは、このコーディネートを考える仕事が大好きだ。
もちろんドールドレスを作るのが一番好きだが、いわゆる「きせかえ」をするのも楽しい。しかもこれでお給金をもらっている立派な仕事のひとつなのだからなおのことである。
悩み抜いた末に、今日のディスプレイはピンクとサックスというカラフルな色の組み合わせを軸にしてみた。
だいぶ風も暖かくなってきたので、こんな明るい色使いもいいだろう。
六十センチほどの大きなドールのふわふわした短いスカートを丁寧に整えてやって、椅子代わりのトランクに座らせる。そしてその膝のうえに、十センチちょっとの小さなドールを座らせておく。こうすると、まるで「人形が人形遊びをしている」ようにみえると好評だった。
「うん、今日はこんな感じかな!」
ディスプレイも完成し、今度はエプロンをつけてお店でお客様に出す簡単なお菓子を台所で作り始める。
二年前のメルは料理といえば、野営したときなどに作る簡単な煮込み料理などしかできなかったが、今ではそれなりにできるようになった。
今日はやはり宝石ベリーのタルトを作ることにする。クッキーも作ろうとおもったが、今日のところはまだ保存用の缶の中に残っていたので、大丈夫だろう。
宝石ベリーがあまったらジャムも作りたいな、と考えながらメルはタルト生地を練っていく。
できた生地を型にいれて、火力調整したオーブンに放り込んだあともまだ作業は終わらない。カスタードクリームを作ったり、宝石ベリーを洗っていたんでいるものをより分けたりしなくてはいけないし、オーブンのご機嫌も伺わなくてはいけない。
この花の国ルルドの魔術がとても発展していて、他の国に比べればかなり高性能な料理用魔術オーブンが比較的安価で手に入るといっても、庶民が使えるようなオーブンはそれほど性能はよろしくない。
「ん……よし、今日のはいい焼け方してる!」
そんな魔術オーブンのご機嫌は今日はよろしかったらしい。とりだされたのは見事な焼け具合のタルトだ。
「あとはしばらく冷ましておいて……と。デコレーションはあとですればいいし」
まだまだ、一応定めてある開店時間には余裕がある。
この時間をつかって、メルはシャイトにドールドレスつくりの新しい技術を教わったり、作品つくりをしたりしていた。
「シャイト先生、入るよ―」
茉莉花堂店舗部分の奥。カーテンで仕切られたその場所が、シャイトの作業スペースだった。メルは一応声をかけてからカーテンを開けて覗いてみる。
「メルか、入っていいぞ」
シャイトは自分の作業の手をとめずに、メルに応対する。
「うん。シャイト先生、あのね、今日はここ聞きたいの」
「ふむ、スカートをスカラップにするのか」
「うん、花びらみたいな形で面白いかと思ってね。それでこの裏地なんだけど」
「あぁ、これはな……」
「あ、いけない。そろそろ開店時間だ」
作業に夢中になりすぎていたが、そろそろ開店時間である十一時の鐘がなるころだ。入り口の鍵をあけなければお客さんは入ってこれない。
「律儀だな。うちは開店と同時に客が飛び込んでくるタイプの店でもないぞ」
「それでも、お役所に届けた営業時間は守らなきゃ駄目」
「……律儀だな」
いつの間にかカウンターに座っていた白に見守られながら、かちゃり、と店舗入口の鍵を開ける。
「よし、開店。今日はどんなお客さん来るのかな?」
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