1 / 88
序章
月星の加護は無く
しおりを挟むそれは月星さえもみえない夜だった。
大きな雨粒たちに覆われた真夜中の街を、疾走する影がひとつ。
肩までの波打つ金の髪をふりみだし、青い瞳をゆがませ、白い夜着につつまれた若さにみちたしなやかな体をがむしゃらにただひたすらに走らせているのは、まだ十四歳になったばかりの少女。
彼女の名をメルレーテ・ラプティ、同じ学院の友人たちからはメルと呼ばれている。
もっとも、その学院にはもう彼女は通えないのだが。
「はぁ……はっ……、ごほっ、ごほっ」
十四歳という年齢にふさわしい生気と活気にあふれるメルとはいえ、ずっと走りつづけていれば当然限界は来る。
息を乱し、咳き込んでしまう。
それでもメルはまだ走ろうとする。
……メルも、こんな、暗い雨の夜、誰もいない街を好き好んで走りたいわけじゃない。ただ。もてあましているのだ。やり場のない、想いを。
そしてなにより、帰りたくはなかった。あの温かい家には。もう、帰りたくなかった。あんな、メルを思いやっている家族のもとには、帰りたくなかった。
走る体力を使い切ったメルは、それでもなお、ふら、ふら、とゆっくりと歩く。
父も母も、祖母も、兄たちも、姉も、私のことをすごく思ってくれている。
メルは、自分の右のてのひらを見た。
その手は、数知れない剣の稽古でできた傷やまめだらけで、この年頃のごく一般的な少女のそれとはかけ離れてすぎている。
けれど、この手はもう剣をとれないのだ。
……メルにかけられたのは「そういう呪」だった。
剣の祝福から遠ざかる呪。
……剣を持つことができない たったそれだけ それだけの。
だが、それをかけられたのは騎士を志していたメルにとっては、死刑を宣告されたのに等しい。
かけてきた相手は、何のことはない、平均的に見て多少強いかどうかというぐらいの邪術師だった。いくらか相応の寄進を神殿にすれば解呪はできるだろう、だが、解呪しない限り永遠に続くものだった。
問題は、その解呪のための金をメル自身が用意できなかったことだ。
実家に金を用立てて欲しいと相談したら、そのまま騎士になるために学んでいた学院をやめさせられたのだった。
「もう剣なんか持つ必要なんかない」
「お前は女の子なんだから」
「騎士になどならなくていいのだよ」
「おじいさんの夢をお前はおしつけられていたんだよ、そのおじいさんももう亡いのだから、お前が無理することもないのだよ」
「ねぇ、いいお話があるのよ。私のお友達の息子さんがあなたを気に入ってくれてね」
「私……私は、私は」
のろのろとした歩みがとうとう止まる。
「私は、誰かのお人形じゃ、ない」
雨はより一層強くなってくる。
そしてとうとうメルの体は、その雨粒の重さにも耐えられない、というかのように地面に向かって落ちた。まるで、枯れ落ちる木の葉のような儚さで。
石畳の地面はとてもつめたくてごつごつしていて、無慈悲だった。その上雨で濡れているので、雨水が衣服に染み込んで気持ち悪いことこの上ない。
冷たさと疲労と絶望感とで、メルの意識と視界だんだんと、黒に染まっていく。
自分はこのまま、あっけなく死んでいくのだろうか?
涙とともにこぼれたのは、こんな言葉だった。
「お人形だったのかな、私」
「人形にしては、可愛げがないな」
……。
メルの言葉に応じたのは、随分と失礼な男性のセリフ。
それが聞こえたところで、彼女の視界は完全に黒に染まり落ちた。
……あつい。
メルは、温かさ、というよりはほとんど蒸し暑さで目を覚ました。
それもそのはずだった、ベッドの中でメルは何枚も掛け布団や毛布を被り、ゆたんぽのようなものまで抱えさせられていたのだから。
「う……?」
うめき声を上げると、ひんやりしたものが額に触れた。どうやらそれは白い女性の手のようだった。
「よかった、気がついたのね」
その手の主である中年ぐらいの女性が声をかけてくる。落ち着かせるような、しっとりした声。
ここは何処かの民家の一室のようだった。
「あの……」
「大丈夫よ。もうあとは熱は下がるだけだって、お医者様も言っていたわ」
そう言い、女性はメルの布団をかけなおす……正直言ってひどく暑くてたまらないのだが、親切からしてくれていることであるため、その事実を指摘するのは申し訳がない気がしたので言い出せない。
「あのシャイトが、まさか女の子を連れて帰ってくる日がくるとは思ってなかったわ」
「ここは……どこなの。あなたは……」
「ここはね、職人通りにある工房兼住宅よ。私はそこの職人の妻ってわけ。名前はプリムローズっていうの、よろしくね」
「……私は、メルレーテ。メルで結構です」
「そう、メルちゃんはおうちはどこかしら」
「……家出、してきたので」
そういうと、プリムローズは首をちょっとかしげて、困ったような悲しいような顔になった。
「シャイトという人が、私をここに?」
「えぇ、そろそろ顔をだすと思うわ……あ」
きぃ、とそんなに広くない部屋に扉の軋む音が響いた。
現れたのは、黒い髪に黒い瞳をした、この街からずっとずっと東にあるという極東列島の住人のような容姿の男。
「なんだ、目をさましていたのか」
声で確信した……間違いない、メルが意識を失う前にものすごく失礼な言葉を投げかけてきたのは、この男だ。
メルは、布団にうずもれながら睨むようにその男を見上げる。
「プリムかあさん、あとは俺がついてるから。プリムかあさんは食事をとったほうがいい」
「そうね。じゃあこのお嬢さんをお願いね、シャイト」
プリムローズは、メルを振り返って
「なにか不自由があったら、気にせずシャイトに言ってね」
と、微笑んで部屋を出た。
「……」
「……」
そして部屋には、メルとシャイトという男だけが残されたのだが、シャイトはまるでメルが居ないかのように、壁際にある小さな机で何か作業をはじめてしまった。メルのことを詮索するつもりはない、ということだろうか。しかし、先程まで眠っていて、まったく眠くないメルにとって暇つぶしのための話し相手すらないのはちょっと苦痛だった。
「何作ってるの?」
仕方なく、自分から話し相手になってくれとアピールすることにする。
シャイトは、自分の座っている椅子をメルの方に向けて、手元のものを見せてくれた。
それは、小さな服だった。
最初は赤子の服だろうかと思ったのだが、それにしても小さいし、赤子の服にしては細身で大人っぽいデザインだ。
「なぁに、それ」
「……ドールドレスだ。ここは人形工房だからな」
「ドール……ドレス」
よく見ると、机の上には茶色い髪をした裸の人形が座っている。
シャイトはその茶髪の人形のための服を作っているのだろう。
女の子が夢見るような甘いピンクの色のドールドレスは、作りかけとは言え見事なことはメルにもわかった。
ただ、気になることもあった。
「その子に、このピンクを合わせるなら、なにかこう、はっきりした差し色があったほうがいいんじゃないの?」
「ほう?」
「濃いめの黄色か赤で、スカートの裾のあたりに刺繍をいれるとか」
「気が合うな、これから黄色でスカートの裾に薔薇の刺繍をいれる作業をするところだった」
そう言って、シャイトは濃い黄色の糸を顔の横で振ってみせる。
その黄色は、メルが思い描いていた色よりも、ずっとこのドールドレスに合いそうだった。
「ねぇシャイトさん、あなたは、ドールドレス職人なの?」
「シャイトでいい。今はそういうことになっているな」
「ねぇねぇ、シャイト、針を使うのって、難しい?」
「針を使う事自体は、根気くらべみたいなものだ。だがそれ以上に、ドールドレス作りは天性のセンスが必要だな」
「……」
そこからはしばらく、針と糸と布が擦れ合う音だけが部屋に響いていた。
「私、作れるかな」
「……何をだ」
「ドールドレス」
「お人形は嫌いかとばかり思っていたぞ」
メルが倒れた直前の言葉を皮肉っているのだろう。
「もう一度、自分の足で歩いてみたい。きっと、そんなことせずに、どこかでさっさと良縁をみつけてお嫁に行ったりするのが賢い生き方だって、他の人は言うかもしれないけれど、私は自分で自分を満足させられる程度でしかない馬鹿みたいな生き方をして、愚かに走っていたいの」
言いながら涙が出てきそうになる。
なんて身勝手で支離滅裂なわがままなんだろうか。
「なるほど本当に馬鹿だな、しかも大して儲かるものでもないのに」
「そうなの? ……こんなにきれいなドレスなのに?」
「褒めても何も出さん。……だがまぁ、それなら生まれ持ったセンスそのものは悪くなさそうだ」
そういって、シャイトは作業を中断して、深い黒色の瞳でメルの方をじっと見る。
メルも、シャイトの瞳から視線をそらさない。
「さっきも言ったが、針を持つのは、根気がいるぞ」
「はい」
「それでも、この道に来るか?」
「はい」
「……俺を先生と呼べるか?」
「よろしくお願いします、シャイト先生」
諦めたようなため息とともに、シャイトは瞳をそらす。そしてもうひとつ、ため息。
「あぁ。これからよろしく、な」
師となったシャイトの顔は、夕焼けの光のせいか、多少赤くなっているようにメルにはみえた。
これが、メルレーテ・ラプティのはじまり。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
【完結】私は死んだ。だからわたしは笑うことにした。
彩華(あやはな)
恋愛
最後に見たのは恋人の手をとる婚約者の姿。私はそれを見ながら階段から落ちた。
目を覚ましたわたしは変わった。見舞いにも来ない両親にー。婚約者にもー。わたしは私の為に彼らをやり込める。わたしは・・・私の為に、笑う。
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
拝啓 お顔もお名前も存じ上げない婚約者様
オケラ
恋愛
15歳のユアは上流貴族のお嬢様。自然とたわむれるのが大好きな女の子で、毎日山で植物を愛でている。しかし、こうして自由に過ごせるのもあと半年だけ。16歳になると正式に結婚することが決まっている。彼女には生まれた時から婚約者がいるが、まだ一度も会ったことがない。名前も知らないのは幼き日の彼女のわがままが原因で……。半年後に結婚を控える中、彼女は山の中でとある殿方と出会い……。
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる