悠久の機甲歩兵

竹氏

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激動の今を生きる

第310話 託された者

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 重装歩兵を伴った軍獣《アンヴ》に跨り、俺は瓦礫と化した町を行く。
 目抜き通りは閑散として、周囲の警戒に当たる兵士以外に見える人影は、怯えた目をして身を隠す僅かな民衆の姿だけ。
 彼らはアルキエルモから逃げ出すこともできず、戦火に巻き込まれたのだろう。
 だが、この場で俺がすべきは彼らに同情を寄せる事ではなく、戦後処理を円滑に進めることだ。その結果奴隷に落とされる者も、殺される者も現れるだろうが、大多数の人々に未来を見せる方途でもあると信じ、視線を外す。
 すると間もなく、先導していた若い騎士が手綱を引いて、他より一層背の高い瓦礫の山を指さした。

「こちらです、閣下」

「うむ」

 鞍から身を翻し、元々塔だったであろうルルクエンの残骸を、己が足で踏みしめる。
 隣で膝から崩れ落ちた男を見た時、たとえ敵であろうとも、そうしなければ不敬だろうと思ったからだ。

「ウォデアス陛下……ッ!」

「間違いないのだな? ガルヴァーニ・トツデン」

 地面に額をつけた帝国軍の将は、そうだと呻き声を漏らす。
 足元を見下ろした視線の先。地面に敷かれた布の上に横たえられる
 真銀で作られた豪奢な鎧は傷つき壊れ、美しかったであろう赤いマントは襤褸布のようになり、威厳を湛えていたはずの体もあちこちが欠損していた。
 カサドール帝国を覇道によって収めようとした男に対し、俺は静かに目を伏せる。野心に燃えていたその瞳に、自分の姿など映ることは永遠にないことはわかっていながら。
 皇帝たる者の死を慰めるには、あまりに短い黙祷だった。しかし、隣に崩れた序列第一位将軍は、ありがたいと1滴の涙を拳に落としてから、静かに姿勢を正した。

「……カサドール帝国は失われた。貴殿らの勝ちだ、チェサピーク殿」

「早計だな。いかに将軍とはいえ、貴様がこの場で降伏を宣言したところで、未だクロウドンは無傷だ。皇帝の血脈が玉座を離さねば、なんの意味もなかろう。俺の知るカサドール帝国といえば、老人子どもに武器を握らせるに至っても降伏せぬ国のはずだが?」

「カニバルの大侵攻、デニス・パピネ城の戦いを知っているのか……あの戦いは建国の帝、エンシア陛下の苦戦を知った民が、自ら立ち上がった団結の結果だ」

 初代皇帝、エンシア・カサドールが生きた時代と言えば、今よりはるか昔のこと。長老の語る昔話か、文献にしか残っていないほどに。
 そんな帝国の歴史に、敵対者の首領である俺が言及したことは、失意のガルヴァーニにとっても驚きだったらしい。見開いた眼をこちらに向けたものの、再びと地面へ視線を落としてしまう。その横顔はどこか誇らしげで、その癖やけに自嘲的な笑みを浮かべていた。


「此度の戦に民が立ち上がることはない。我々は最強の獣――ミクスチャに依存し、貴殿らの猛烈なる侵攻を察してなお、民には神国への戦勝ばかり語っておったのだ。挙句、頼みの化物を操ることも最早叶わぬ以上、クロウドンに残っている僅かな近衛隊のみで何ができよう。嫡男のラシュカ殿下は誇り高くご聡明なお方にあられる。アルキエルモが落ち、ウォデアス閣下が討ち死になされたと知られれば、これ以上臣民の流血は望まれぬはず」

 憔悴した男の言葉に、嘘はないのだろう。
 ガルヴァーニ・トツデンと言えば、武威こそレディ・ヘルファイアに届かずとも、数多戦場を駆け抜けて周辺諸国に名を馳せた名将である。敵味方双方の血肉が山河となるような光景も多く目にしてきたはず。
 だが、アルキエルモの周囲に広がっていた戦場は、そんな彼が武器を捨てて声を上げ、降伏を訴えねばならぬような状況にあった。
 統率を失った化物に旗の種類など理解できるはずもない。王国もコレクタも帝国も、人間もキメラリアも、抗うも逃げるも関係なく、奴らはあらゆる人種を殺戮する。
 誰が黙して耐えられよう。その先に打開の糸口もないまま、ひたすら断末魔を聞き続けるだけの状況に。
 だからこそ、俺は迷うことなく降伏を受け入れ、こうして亡き主の元まで連れてきたのだ。

「……とはいえ、ここで歩みを止めるわけにはいくまいな」

 多くの流血を伴った戦いは終わった。だが、これで全てに片が付いたとはまだ言えない。
 残された皇帝の血。ラシュカ・カサドールが敗北を認め、その首をこちらへ差し出すまでは。


 ■


 装甲のストレス値軽度、フレーム状態良好、アクチュエータおよび同制御系動作正常、推進系異常無し、エーテル機関出力安定。
 浮遊感が体を包む最中、僕はヘッドユニットの中を流れるシステムチェックの文字に目を通し、その途中で小さくため息をついた。

 ――弾薬の消耗が激しい、か。いくら近接武器に頼れる場面が多いとはいえ、どこへ行っても補給がままならないのはやはり痛い。

 着地体制の指示を受けた自動制御がブースターを点火し、自由落下する機体を減速させる。
 ちょっとでも時短しておこうと始めた確認作業だが、効率はともかく精神衛生上はあまりよろしくなかった。遅かれ早かれ目にすることだが、せめてダマルの軽口が欲しいとさえ思ってしまうほどだ。

『わかっていたことだがなぁ……反省反省』

『何のこと?』

『自分のことだよ。好きなように戦えと言われると、昔の感覚でトリガを引いてしまってるらしい』

 シューニャの不思議そうな声に、見えないと分かっていながら自嘲的な笑みを浮かべてしまう。
 翡翠の診断結果など聞かせて面白い物でもないのだから、沈黙を貫いていればいいものを。自分の口はそれを選ばない。
 というのも、腕の中で黙り込んでいる彼のことが原因だった。

『さて、ついたよ。アラン君』

 システムメッセージを透明化して見えた先。布にくるまれた母親を抱く青年は、こちらに視線を向けようともしない。
 今まで敵だった相手。しかし、モーガルから託された恩人最後の血脈。
 自分でさえ戸惑いが声になって出ていくのだから、母親を失うと同時に仲間の仇敵に託された彼の心中は、他人が察するに余りある。
 だから僕はそれ以上何も言わず、静かに着地すると同時に2人をそっと地面に下ろした。

「キョーイチぃ! おっかえり――って、ありゃ?」

 翡翠を見ていたのだろう。白い少女は元気そうな様子で駆け寄ってきたものの、その前に立った青年を前に足を止めた。

『あぁ、ただいまポラリス』

「……この人、だぁれ?」

 コテンと小さな頭が傾く。
 それは俯いた顔を覗き込むような格好だったが、無邪気な問いかけを前にしても彼は沈黙を貫いたため、僕は小さく肩を竦めた。

『モーガルさんのご子息だよ。色々あって、うちに来ることになってね』

「ふぅん? ねぇねぇ、それ、なにもってるの?」

「ッ――触るな!」

 突然響いた冷たい声に、大きな布巻きへ興味深げに伸びていた手は、ビクリと震えて静止する。
 初めて持ち上がったアランの瞳は、まるで我が子を奪われまいと威嚇する肉食獣のように燃えていた。
 悲しみによる炎とでも言うべきか。ポラリスは僕の後ろに隠れようとはしたものの、理不尽な怒りに怯えるのは悔しかったのだろう。途中で立ち止まると、小さな拳を握って空色の瞳を吊り上げた。

「な、なにさぁ……! そんなにどならなくたっていいじゃんか! ねぇキョウイチ?」

 自分は何も悪いことなんてしていない。そんな目で見上げてくる彼女の気持ちも分かる。
 ポラリスにとっては単純な興味から起こした行動に過ぎなかったのだから、当然だろう。
 ただ、今のアランにはそれすら受け入れる余裕が無いこともまた事実であり、僕は翡翠を脱装してから彼女の前にしゃがんで目線の高さを合わせた。

「うん。あそこに居るのが、モーガルさんなんだよ」

「えっ? モーガルが、どして、ぐるぐる巻き?」

 途端にポラリスは不思議そうな顔をする。
 大人の女性であるモーガルが、何故布に包まれて運ばれなければならないのか。想像もつかなかったに違いない。
 だが、僕はその答えを口にせず、静かに体の前にポラリスを抱いて、また俯いている青年へと向き直った。

「アラン君、この子はポラリスという。僕とモーガルさんを巡り合わせてくれたんだ。どうか、彼女にモーガルさんの顔を見せてやってほしい。頼む」

 深く深く、頭を下げる。
 アランがどんな顔をしているのか、僕には分からない。ただ、何か察したらしいポラリスが同じように頭を下げると、彼は静かにモーガルの身体を地面へ下ろし、布の包みをゆっくりと解いた。
 その顔が見えた時、ポラリスが服の裾を強く握ったのがわかる。だが、彼女は恐れることなく僕の腕から離れてモーガルへ歩み寄ると、傍らにしゃがみこんでから、小さな手をそっと皺の刻まれた顔に伸ばした。

「……つめたいよ、モーガル……なんで? ねぇ、なんで? わたしをなでてくれた時は、あんなにあったかかったのに……」

「モーガルさんは自分の体を張って、彼を守りぬいたんだ。機甲歩兵として、何より母親として……とても誇り高い、最期だった」

「そっか……だから、わらって……」

 喉の奥に、何かが詰まる。それをグッと飲み下して堪えながら、僕はポラリスの頭を撫でた。
 彼女は聡い。年齢に不相応な程に。
 だからこそ、モーガルの表情から何かを汲んだのだろう。やがて鼻声になりながらも、自らの手で布の包みを優しく閉じた。
 細い体を強く抱きしめれば、ポラリスはくるりと体を回して、僕の胸に顔を埋める。
 鼻のなる音と微かな嗚咽。いつもはひんやりとしている彼女の肌から、暖かい体温が伝わってくる。
 だが、それも間もなくポラリスは振り払うと、涙で濡れた頬を拭わないまま、アランへと歩み寄り、その袖を小さく引いた。

「ごめん、なさい……わかんなくて。えっと……?」

「……いい。アランだ」

「うん。ごめんね、アラン兄ちゃん」

 ポラリスの素直さは、僅かでも彼の感情を解いてくれたらしい。ようやくアランは少し表情を弛めて見せてくれた。
 ただ、それもほんの一瞬であり、背後から近づいてきた凛とした声には、僅かな緊張感が走ったようにも思えた。

「ふぅん? 拾い物があるとは聞いていたけれど、そこの彼のことかしら?」

「まぁ、そんなところだよ。色々あってね」

 棘という程ではないが、マオリィネの言葉には明らかに警戒感が浮かんでいた。
 見ず知らずの存在と言うだけでも、それは当たり前の反応だろう。挙句、見た目から敵対者だったことが分かるとなれば尚のこと。
 特に鎧を鳴らして現れたもう1人に関しては、警戒どころか殺意さえ感じられるほどなのだから。

「色々、っつぅ部分を聞かせてもらいてぇもんだな相棒。まぁ、パイロットスーツを着た野郎ってこたぁ、いつぞや人の肩に散弾銃ぶちこんでくれたアホウドリのパイロットなんだろ? よくのこのこと顔出せたもんだなオイ」

 空気が一気に張り詰める。これには凛々しく見えたポラリスも、素早く僕の後ろに隠れて強く腰を抱きしめながら、恐る恐る覗き込む始末。
 殺意というのも、間違いでは無いのだろう。ダマルの手は腰の後ろに回っており、機関拳銃へと添えられている。
 対するアランは腰を僅かに落としてはいたが、恐れた様子はなく、むしろ返り討ちにしてやるとばかりに拳を握っていた。

「だからどうした。お前は英雄に救われ生き延びたのだから、それでいいだろう。1人として帰ってこなかった、俺の仲間たちと違ってな」

「カッ! 化物作りの片棒担いどいてよく言うぜ。てめぇらにどんな大義があんのか知らねぇが、帝国とグルになって戦争吹っ掛けてきたのはそっちだろうが。それで殴り返されるとは思いもよらなかったって、どんだけ頭ン中お花畑なんだよ」

「貴様――今の言葉を撤回しろ! 死んでいった者を侮辱するな!」

 青年の体が動き、ガントレットがグリップを掴む。
 だが、拳が前に出るより先に、また機関拳銃のトリガに指がかかるより早く、辺りにゴォンという音が鳴り響いた。
 玉匣の側面装甲にぶつけられた拳に、誰もの視線が集まっている。その中には当事者2人の物もあり、彼らが動きを止めたことを確認してから、僕は長く長く息を吐いた。

「そこまでにしてくれ。まずダマル、傷を負わされたことに憤慨する気持ちはわかるが、死者を愚弄するようなことは口にするものじゃない。それは最低限の礼儀だ」

 固まっていた全身鎧の骸骨は、一旦兜のスリットを握っていた機関拳銃に落とすと、わざとらしく金属音を鳴らしながら、それを腰の後ろへ叩き込んだ。分かりやすいぶっきらぼうなやり方は、骨の性格上仕方の無いことだろう。
 それを確認してから、僕は体ごと青年の方へと向き直る。

「アラン君も、恨み言があるなら僕に言え。君の仲間を撃墜した男は目の前に居るんだ。気持ちが許さないのなら殺す気でかかってきても構わない。相手にならいくらでもなってやる。ただ、自分だけが苦痛を味わっている訳ではないことは、理解しておいてもらいたいな」

 若い彼には納得し難い話だったかもしれない。暫く僕のことを睨んでいたものの、チラと周囲へ視線を流すと、恐る恐るといった様子で握りしめていた拳をようやく解いた。
 その理由はよくわからないが、いつの間にか周囲に集まってきていた女性陣の影響は大きいだろう。
 いくら玉匣の車内に居たとしても、耳のいいファティマやアポロニアが銃声を聞き逃すはずもないのだ。当然、彼女らが動けばシューニャがついてくることとなり、結果追加された6つの瞳による集中砲火が、青年にはそこそこキツかったのかもしれない。
 特に過去何度も受けた身から言わせれば、無表情から発される視線の圧力は半端ではないのだ。敢えて誰とは言わないが。
 ただ、おかげで張り詰めた空気も弛緩し、僕は大きく息を吐いた。これでようやくまともに話が進められる。

「はぁ……悪いシューニャ、聞きたいことがあるんだが」

「ん、埋葬のこと?」

 運転席上のハッチから顔を覗かせていた彼女は、紺色のポンチョを落下傘のように膨らませながら僕の隣へ飛び降りると、布に包まれて地面へ寝かされたままのモーガルに、チラと翠玉の視線を向けてから、小さく首を傾げた。
 そのわざとらしい行為も含め、どうやら車内からモニター越しに、こちらの会話を聞いていたらしい。もしかすると、見知らぬパイロットスーツの男を警戒していただけかもしれないが。

「ああ。僕には昔のやり方しかわからないから」

「王国軍の中を当たれば、ラジアータの呼び声を唱えられる人は居ると思う。ここでは簡単な方法しかできないけれど――?」

 ふと、シューニャの視線が僕の後ろへ流れたため、それに釣られて振り返れば、モーガルの隣にしゃがみ込んだアランがこちらをじっと見つめていた。
 影を帯びている目は何か言いたげな一方、強い躊躇いも浮かんでいる。あるいは、遠慮とでも言うべきだろうか。
 ただ、憶測で何かを進めるべきではない気がして、僕はシューニャに手で待ってやってくれと合図を出してから、黙ったまま彼の方へ向き直った。
 声のない時間。
 どこかでライターがカチンとなった気がする。多分、ダマルだろう。それがきっかけとなったかは分からないが、アランは唇を微かに震わせた。

「……できれば昔のやり方で、やってもらえないか?」

 仲間の仇に甘えねばならない悔しさか、あるいはモーガルと約束を交わした者への遠慮か。
 何かを堪えるような声も、なお僕が黙っていると分かるや、続く言葉が堰を切ったように溢れ出した。

「母は、機甲歩兵だった。ラジアータの聖堂に骨を収めるより、神代の方を母は好むだろう。それがたとえ戦場に置かれる簡単な物でも、母はそういう人だった、から」

 懺悔するのような雰囲気でも、金髪の隙間から覗く赤い瞳はしっかり僕を捉えていた。
 歩み寄ったと言うには小さな1歩。それでも、僕に断る選択肢などあるはずもない。たとえ自らの記憶がポンコツ極まりない物でも、それが彼の望みならば。

「……わかった。なら、もう1往復してくるとしよう。アラン君は場所を決めてやってくれ。ファティ、悪いが彼の決めた場所を、深めに掘り返しておいてくれるかい?」

「はぁい」

「あ、私も手伝うわ」

 ファティマとマオリィネは、返事を残して玉匣の中へ消えていく。シューニャとアポロニアはモーガルの周囲に立ち、しゃがみ込んだアランとポラリスから話を聞いているようだった。
 この様子なら、彼を置いて離れても問題は起こらないだろうと、小さく息をついてから脱いだばかりの翡翠を着装する。
 スタンバイ状態を維持していたシステムは素早く立ち上がり、開けた視界の片隅に、煙草を手にした全身鎧が映り込む。
 先程のこともあるため一応、わかっているだろうが、という意味を込めてヘッドユニットを向ければ、ダマルは早く行けとガントレットを振った。どうやら、血も脳もない身体で頭を過熱させたことは、流石の骸骨でもばつが悪かったのだろう。
 空戦ユニットの補助翼を展開し、僕が飛び上がるその瞬間まで、ついぞ骨は細いスリットをこちらへ向けようとはしなかったのだから。
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