悠久の機甲歩兵

竹氏

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激動の今を生きる

第296話 猟師の昔語り

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「……静かになったと思ったら、寝ちまったかい」

 外で話を聞いていたのか、あるいはただの偶然か。
 猟師だと名乗った女性は戻ってくるなり、そんなことを言ってポラリスの髪をそっと撫でる。
 その表情からはどことなく、母親のような慈しみが感じられ、僕は自然と頭を下げた。

「ええ、お陰様でようやく落ち着いてくれました。いきなり押しかけた挙句、こんな騒動に巻き込んでしまって申し訳ない」

「何、構わないよ。ってのは変に気取ってるより、それくらいワガママで素直で奔放な方が可愛いもんさ」

 自分はこれまで、誰かの親になった事はない。しかし、ポラリスという少女に対して、健やかで自由に育ってほしい、などと己の父性的な部分は叫んでいる。
 ならばこそ、細い目から母性を滲ませる猟師は、善性と慈愛を持って彼女に声をかけてくれたことに、僕は再々頭を下げるのだ。

「恐れ入ります。何かお礼をさせていただければいいのですが――」

「フフフ、英雄様ともあろうお方が随分と殊勝な事を言うもんだ。なら、少しばかり教えて欲しいことがあるんだが、いいかい?」

 女性の中にある英雄像がどんなものなのかは知らないが、少なくともこう何度も旋毛《つむじ》を見せつけるような存在ではないのだろう。おかしい奴だと笑われてしまった。
 それでも嫌味に感じないのだから、不思議な物である。

「ええ、自分に答えられることなら構いませんが、なんでしょう?」

「いや何、さっきその子に聞かれたことなんだが、アンタは20歳で成人になる国ってのをご存知かい? アタシは若い頃からずっと、それを探してるんだ」

 体が静かに強張った。
 それは800年前における、世界共通の常識である。企業連合に属する諸地域も、敵対国家だった共和国も、地図に描かれた隅から隅に至るまで、自分たちが生きた時代の遥か昔よりまかり通る、誰も疑わない普通だった。
 しかし、シューニャたちに再三突きつけられてきた内容から、現代の常識と異なっていることは今更言うまでもないだろう。
 ポラリスを保護してもらった恩がある以上、できることなら嘘はつきたくない。しかし、知ってるも何も私はそこ出身なんですよ、などと気安く口にするには、あまりにも自分の抱える秘密に迫りすぎる。
 そのため僕は、一瞬の間こそおいてしまったものの、仕方ないと割り切って平静を保ちつつ、現代を生きているアマミ・キョウイチとしての答えを口にした。

「国、ですか。恥ずかしながら、私は生まれてこの方、帝国と王国と交易国の3ヶ国にしか訪れたことがないものでして。しかし、何故そのような国を長年探されているのです?」

「理由かい……? まぁなんだ、ちょっとした希望ってのかね。恥ずかしい上に長ったらしい昔話になっちまうんだけど、聞いてくれるかい?」

 そう言って膝をついた彼女は、石で囲んだ竈《かまど》の中で燻る炭に、懐から取り出したタバコを押し当てて赤く火を灯した。


 ■


 私は孤児だった。
 世の中に溢れる報われない命の1つ。成人しない内に何らかの理由で親という庇護を失い、飢えか病かそれ以外かによって失われるだけの、枯れた大地にはありふれた、何の価値もない存在。
 ただ、私が他と比べてマシだったのは、それなりに体が頑丈で大きく、それなりに大人へ近づく年齢で、負けん気だけが強かったことだろう。
 そこに目をつけた奴が居た。誰だったのかは知らない。

「こいつぁ中々悪くない。生への執着がある、他人を追い落としてでも生きようとする、泥くせぇ力だ」

 同じような境遇の連中と食い物を奪い合う私が、そんな上から目線の言葉に睨み返した私が、その物好きなコレクタは気に入ったのだという。 

「よぉ小娘、俺たちの仲間として働く気があるなら、飯の面倒くらいは見てやるが、どうだ?」

「何それ……こんな掃き溜めから、何を拾うっての?」

「ゴミだろうが使えそうなら拾うってだけだ。その背格好なら、もうすぐ成人ってとこだろ。うちでリベレイタになりゃ、少なくともお前の言う掃き溜めよかマシな暮らしは、保証してやるぜ?」

 自分がどんな目で物好きなコレクタを睨んだかはわからないが、それを相手はなおのこと面白いとでも思ったらしい。
 逆に掃き溜めの中で年齢すら曖昧だった私はといえば、その甘美な誘いに抗えるはずもなく、結局何も分からないまま流浪のコレクタに拾われることを選び、14歳のリベレイタ見習いを名乗ることとなったのである。というのも、コレクタとやらが何者でどんな組織だろうと、腹を満たすことができるのならなんだってよかったのだ。
 それから大体2年くらいの間に、私はあちこちで仕事に駆り出された。
 訓練などあるはずもなく、有り合わせのボロい剣だけを握らされ、防具もまともに身につけないまま、敵対する人種や邪魔な動物に斬り込んでいく。細い身体の自分にあるのは気迫だけ。それでも運良くコレクタの勝利に貢献できれば、その日はいつもより食事が豪華になり、役にたたなければ血まみれの体に雑な手当だけを施され、腹を空かせたままその辺の地面に転がされる。
 それでも孤児の頃よりはマシだった。敵の剣が喉を突き破りそうになることはあっても、飢え死ぬような空腹を堪えるよりは楽だと思えたからである。
 そんな私に転機が訪れたのは、飯が食えることをありがたく思いながら、今日死ぬか明日死ぬかという生活を続けていた何でもない日のことだった。

「全員聞け! いーい情報が手に入ったぞォ!」

 ドタドタと足を鳴らしながら野営地に戻ってきたのは、自分が属する集団コレクタのコレクタリーダーだった。私を拾った物好きなコレクタは、多分コイツだったのだと思うのだが、どうしてかイマイチ覚えていない。
 ただ、このコレクタリーダーはお調子者であり、スクロールをブンブン振り回す姿を見た時、誰もが呆れたようにため息をついていた。ちなみに私もげんなりした記憶がある。

「まぁたはじまったぞ……今回のは何です頭領?」

「どうせまた、虫やら獣やらに集落が襲われてるから助けてーとか言って、見た目の良さそうな村娘に泣きつかれでもしたんじゃないの? どーせ終わった後は、報酬のお支払いだけで相手にされなくなるんだから、いい加減学習しろって」

「うぐ……そりゃ確かに、あの時の娘とはいい感じだったのに、終わった途端素っ気なくなったけどよ――って違う違う違う、今回はそういうのじゃねえんだって! むしろ、コレクタとしちゃ見逃せねえ類の奴なんだよ!」

「はいはいわかったから、サッサと内容を言えっての」

 周囲の冷ややかな反応について、子どもながら長としての資質はどうなのかと思っていたが、今考えれば周りからはそれなりに慕われている男だったのだろう。
 しかし、これに続いて彼が放った言葉は、いつもの失笑を買うようなものではなかった。

「ハハァ、聞いて驚けぇ!? 今回の仕事は、オン・ダ・ノーラ神国とカサドール帝国の間にある緩衝地帯に見つかった遺跡の調査だ! この間の地揺れが理由かはわからんが、砂の中から出てきたんだとさ!」

「お、おいおい、それって……」

「私たちが遺跡に1番乗りできるってことかい!?」

「こいつは成功させりゃ箔がつくぞ……組織コレクタとして認められるのも夢じゃねえ!」

「いよいよ俺たちにも運が向いてきたって訳だ! お前ら、この仕事に異存はねえな!?」

 情報の真偽はともかく、周囲が一斉に沸き立つのは当然であろう。無論私も、未踏の遺跡に挑むとあって緊張したし、反面皆の反応からこの仕事を成功させれば、もう使い捨てのリベレイタではなくなるのではないかという淡い期待を抱きもした。
 一旦やる気が漲れば、それを冷静に抑える者など中堅の以下のコレクタになど居るはずもない。私たちは各々輝かしい将来を思い描き、当時の国境緩衝地帯へ向けて移動した。
 そして目的地を目前にした時、甘美な将来を思い描く人間の群れは、与えられた仕事が釣り針であり、自分たちが絶望を測るための道具に過ぎなかったことを思い知らされたのである。

「て、鉄蟹の群れだぁーッ!」

 誰が叫んだのかは覚えていない。
 鉄蟹が遺跡によく潜む脅威であることくらい、コレクタにとっては一般常識であり、お金が無くともその対策はとっている。
 だが、砂利の広がる荒地で突然襲い掛かってきたそれらは、自分達の想像をはるかに超えた数だった。
 叫びをあげる暇すらない内に、殿《しんがり》を務めていた男が焼け焦げ、彼と歓談に興じていた女の頭から、細長い鋼の手が生えている。
 人間の群れが混乱に陥るまでなんて、あっという間だった。

「こ、こんな数の鉄蟹が溢れてるなんて聞いてないよ!?」

「くッ! お前ら、一旦逃げるぞ! 走れ走れ!」

「ど、どっちに逃げるんですか頭領!? あっちこっちから湧いて来てますぜ!?」

 消えていく逃げ道。しかし、果敢に立ち向かおうとも、統率の取れていないまばらな攻撃で鉄蟹を押し返すことはできず、雷に焼かれ、身体を引き裂かれ、首をねじ切られて仲間たちが死んでいく。
 そう、彼らにとって失われているのは仲間だったのだ。ならば、そうでない者が生きていることは不自然だろう。
 冷たい女の声が耳に触れたのは、その時だった。

「――出番だよ、リベレイタたち。今まで飼ってもらった分、しっかり働いて頂戴」

 血の気が引いたことは言うまでもない。
 振り返った時に見えたのは小さくなっていく背中。彼らは鉄蟹の数が少なかった1点に切り込み、退路を確保することができたのだろう。
 鉄屑のような剣を握る私や、他のリベレイタたちだけが残ったところで、囮になるかはわからない。だが、全員で動けば全ての鉄蟹が追跡してくることになる。それなら飼っていただけの存在を置き去っていくくらい、何も不思議ではない。
 リベレイタたちは思い思いの言葉を叫んでいたように思うが、乾き切った私の喉からは、置いて行かないで、という言葉さえ出なかった。
 周囲に響くバチンバチンという雷の音。炎で焼かれたのとは異なる、独特の臭い。

「嫌、だ……」

 きっと残された誰もが正気ではなかったのだろう。錆びた剣を振りかぶり、鉄蟹に斬りかかっていくなど。
 私は怖くて震えていた。まるで縋るように鉄屑を握りしめるばかりで、他のリベレイタたちと違って戦おうとすることさえできないまま。
 もう自分には帰る場所はない。適当な食事を与えられようとも、雑な手当てで地面に転がされようと、そこに居る限り安心だと言える場所はなくなってしまった。
 それがとても恐ろしく、ガシャガシャと迫りくる死に頭の中が真っ白になる。
 青白い閃光が涙の向こうで輝く。
 もうだめだ、痛いのはイヤだ、怖い怖い。そんなことを思って、きつく目を瞑った。
 顔に凄まじい風が吹きつけた。それが何なのかはわからなかったが、ただこれが死ぬ前なのだと思ったことを覚えている。
 しかし、その後訪れたのは耐えがたい苦痛でも静寂でもなく、低く落ち着いた声だった。

『生きているか、少女』

 滲む視界を静かに開く。
 その先にあったのは、黒いマントを揺らす朱色をした鎧の姿だった。
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