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激動の今を生きる
第280話 ボクと僕だけの夕間暮れ
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足早に進むファティマの後について、要塞の中を歩く事暫く。
彼女が向かった先は、縦に細長い銃眼から夕陽の赤い光が差し込む要塞の一室だった。
「ここなら、きっと誰も来ませんよね……」
薄く埃の舞う部屋の中、ファティマは小さな独り言を漏らす。
どうやら彼女にとっては、2人きりで、という部分が余程重要なのか、レーダーのようにクルクルと大きな耳を回して、近くに人の動きがないかを警戒しているらしい。
おかげで、自分の中にあった予想は半ば確信に変わっていたが、僕は敢えて銃眼から外を覗くふりをしたまま、ファティマが話を切り出すのを待っていた。
戦場での勘はともかくとして、この頭は思った以上にポンコツなのだ。下手にこちらから突っ込んで、大火傷というのは避けたかったのである。
そんな自分の内心を知ってか知らずか、ようやくこちらへ向き直った猫娘は、いつもとは違ってガチガチに緊張した面持ちで震える声を出した。
「――あ、あの、おにーさん、それで、お、お話、なんですけど」
「うん。とりあえず少し落ち着いてくれ。そこまで肩に力を入れていたら、喋る前に疲れてしまうだろう」
リラックスリラックス、と少しおどけたように言いながら、大袈裟に肩を落として見せる。
だが、ファティマは一瞬キョトンとした表情を浮かべてから、何かが気に食わなかったらしく、眉間に小さな皺を作った。
「誰のせいでこんなにキンチョーしてると思ってるんですか……」
またも小さな声ではあったが、今度はわざと聞こえるように言ったのだろう。大きく逸らされた視線からは、あからさまな呆れが感じられる。
しかし、そう言われてしまうと自分にできることなどあるはずもなく、僕は小さく肩を竦めるしかなかった。
「そいつは困ったな。どうしても緊張がほぐれないようなら、お話はまた今度にでも――」
「それは駄目です! 絶対絶対ダメですっ!!」
不満な表情が一転。慌てた様子でこちらへ迫ってくる。
無論、今更踵を返そうなどとは最初から思っておらず、僕はその反応に苦笑するしかなかったが。
「ははは、そんなに焦らなくても僕は逃げたりしないよ」
「む、むぅー……おにーさんは意地悪です」
「ごめんごめん。それで、話って言うのは?」
冗談と分かった途端、慌てた様子から膨れっ面へ。ファティマは珍しくコロコロと表情を変える。
ただ、結果的に少し肩の力が抜けたのだろう。僕が謝りつつ話を半ば強引に本題へ向ければ、彼女は少しの間を置いてから、普段の調子でポツリと零した。
「……好きって言葉の意味を、教えてくれませんか」
真剣な金色に瞳を輝かせ、しかしどこか躊躇いがちな雰囲気も内包していたように思う。
おかげで僕は少し面食らってしまい、的確な返答はおろか、言葉に詰まってしまったのだが、ファティマはこの反応を予想していたらしい。尻尾の先を小さく揺すりながら、聞きたいことの詳細を語りだした。
「好きって言葉には、たくさん種類があると思うんです。食べ物とか趣味とかと、誰かに向ける好きは全然違う感じがしますし、誰かに向ける好きって、家族とか仲間とか細かく分かれてるじゃないですか」
「ああ、僕もそれが普通だと思うが」
好きという単語は短いが複雑で、趣味も仲間意識も尊敬も、そして恋慕をも指し示すことができてしまう不思議な言葉。
だからこそ、ファティマはらしくないほどに緊張したのだろう。それでも最早後に退くつもりはないらしく、彼女は意を決したように1歩踏み出すと、震える唇へ力を籠めた。
「じゃあ、おにーさんが今日のお昼、キメラリアが好きなんじゃなくて、ボクだから好きなんだ、って、言ってくれたのは、どういう意味の好き、なんですか……?」
金色に染まった期待と不安が、真っ直ぐな視線に映り込む。
昼間の自分はただ、キメラリア好きの変態、という妙な噂に反論しただけで、彼女に何かを伝えようとして発言したわけではない。
平時とは異なる、戦闘中の自分が零した言葉。今になって考えれば、とんでもなく恥ずかしいことを平然と言ってしまった気がしてならないが、逆に言えば、やはりそれは疑いようのない本心なのだ。
だからこそ、普段は飄々として自由な雰囲気の彼女が、小さく身体を震わせながら自分を見つめているのだろう。
それだけわかれば、鈍感もへったくれもなく、最早何かを堪えたり隠したしようとも思えない。
強いていうなれば、長く待たせてしまった分、ロマンチックな雰囲気と捻りの効いた格好のいい言葉でも出してみたかったのだが、そこは所詮自分である。少し頭を捻ったところで、異性との経験値が足らない上に元より性能が低い脳味噌からは、心を揺さぶるような言葉も浮いてこず、埃っぽい石煉瓦の一室は、茜色が差していてもなお雰囲気などあったものではない。
わかっていたことではあるが、結局自分はそういう話が酷く苦手なのだろう。シューニャともマオリィネとも異なる、彼女なりの求め方に対し、自分の咽はいとも容易く凍り付く。
それでも、ファティマの視線から逃げないよう、ポンコツなりに精一杯意地を張らねばならないと、照れ隠しついでに小さく頬を掻いた。
「……なんて言えばいいだろう。ファティのことは家族としても、背中を預ける仲間としても大切、なんだが――いや、そうじゃないな」
耳へ回り込んだ自らの言葉に、今更逃げようとするな、と拳に力を籠める。
ただでさえ、後出しジャンケンなのだ。それでもなお心を曝け出せないなら、ここから先へ進むことなどできはしない。
その緊張は空気の壁を突き抜けて、ファティマにも伝わったのだろう。彼女はビクリと肩を震わせて、胸の前で両手を強く握っていた。
大きく息を吸って吐く簡単な1動作。心の中にある重いコッキングレバーを引き、声帯にあるトリガに指をかけた。
これ以上、待たせてなるものか。
「僕は、ファティのことが好きなんだ。種族や出自がどうだとか、仲間だからというのじゃなく、異性の――1人の女の子としての、ファティのことが」
それは銃火器などという大層なものではなく、ただの石ころのように、どうしようもなく単純で、本当にどこにでも転がっているような言葉だったと、我ながら思う。
けれど、たかが1つの石礫であろうとも、水面を揺らすことくらいはできたらしい。
「ぁ……にゃ……はっ!?」
ファティマは小さく口を開けたまま呆然としていたものの、少しずつ言葉を噛み砕いていたらしい。徐々に頬が赤みを帯び、ほんのりと表情も緩んでいく。
ただ、表情筋が自然と弛んだことに気付いたのか、ハッと目を見開いて我に返ると、慌てた様子でこちらに背を向けてしまった。それもどうしてか、自らの長い尻尾を胸に掴まえ、無理矢理前に引きずり込んでいるではないか。
「ど、どうした急に?」
「え、えと、その、ですね……ボク、変じゃ、ないですか?」
「変? まぁそりゃ、今の行動は少し不思議だとは思うが」
「そうじゃなくて! ボク、男の人に真っ直ぐ好き、なんて言ってもらうの初めてで、毛並み、とか、恰好、とか、おかしくなってないかな、って……」
ふと、猫は毛繕いをして気持ちを落ち着かせようとするという、800年前に聞いたであろう話を思い出した。
キメラリア・ケットと太古の猫が別物なのは理解しているが、尻尾の先を必死に梳こうとするファティマの行動を見ていると、遺伝子には色濃く残っている部分もあるのだろう。
無論、今重要なのは受け継がれしDNAの話ではなく、ファティマが未経験の事態を前に、何が何だかわからなくなっているらしい、ということである。
ただ、実際に落ち着いたのは忙しなく手を動かす彼女ではなく、何故かそれを眺めていた自分の方だったが。
「……別に変じゃないよ。いつも通り、綺麗な毛並みだ」
「そ、そう、でしょうか……うぅ、なんていうかこう、全身がくすぐったい感じで、なんだか落ち着きません」
「随分と待たせてしまったからね。やっぱり簡単には信じてもらえないだろうか?」
色々あったとはいえ、その全てはあくまで自分の問題でしかなく、我ながら途中で見限られて当然ではないかとさえ思っていた程だ。
しかし、ようやく尻尾を手放してこちらへ向き直ったファティマは、そうじゃなくて、と俯き加減の首を大きく横に振った。
「だってボク、ただのキメラリアなんですよ。最近は考えてませんでしたけど、ボクの立場って本当は、おにーさんに雇ってもらってるただのリベレイタですし……あっ、でもボクがおにーさんのこと大好きだっていうのは、ホントにホントに嘘じゃなくって、ええっと――わにゃっ!?」
混乱した言い訳を、彼女がこの後どれほど続けるつもりだったのかはわからない。
ただ、現代常識に基づく価値観の話を聞き続けてやれるほど、自分は気長な方でないことは確かであり、彼女の細く引き締まった腰へ手を回して抱き寄せ、続く言葉を封じ込めた。
「僕が言うのも何だが、キメラリアだとかリベレイタだとか、そんなの全部今更のことだろうに。昼にも言った通り、僕はファティマという名の君が好きなんだから」
「う、にぃ……ホントに、ホントに夢じゃ、ない、ですよね?」
「証明が必要かい?」
腕の中で大きな目を潤ませながら見上げてくる彼女に、僕は自然と頬を緩める。
この甘い香りも柔らかさも体温も、全てを愛おしいと思う感情さえも、夢などという曖昧なものになどしたくはない。
だからこそ、僕は現実なのだと刻みつけて欲しくて、片手で赤らんだ頬を優しく撫でたのだが、何故かファティマはハッとした表情を浮かべると、両手を僕の胸に添えて緩く力を込めた。
「あっ、ちょ、ちょっと待ってください! その、ボクもおにーさんとくっついてたいですし、好き好きって、いい子いい子ってしてほしいんですけど……キスは、ちょっと」
「……まさかとは思うが、あの時の頭突きがそうだと思ってない、よね?」
「えっ、違うんですか? あの時ボク、お口がくっつくように狙いましたけど」
ファティマを腕から解放し、僕は片手を自らの額に当てながら、石造りの天井を仰ぎ見た。
思い出されるのは司書の谷、誓いの泉におけるプチ流血の記憶。
正面衝突とでも形容すべきアレが、正しい口づけだったとすれば、恋人や夫婦が愛を確かめ合う行為、と言うよりはむしろ、最早何らかの儀式に変質している気がしてならない。
無論、シューニャやマオリィネが頭突きをしてきていないからには、彼女の無知が生んだ勘違いであることは疑いようもなく、僕はいつも通りの苦笑を浮かべながら、ファティマの肩へそっと手を置いた。
「そりゃあ血が出る訳だ……普通は怪我なんてしないから、安心していいよ。ほら、目を瞑って」
「え、えと……は、はい。これで――んむ……っ」
身体を強張らせた彼女の唇を、静かに、そして優しく塞いだ。
それは触れ合うだけのささやかな口付けでも、ファティマの身体が小さく震えているのがわかった。
しかし、強張っていたのは最初だけで、ほぐれてしまえばほのかな温かさと少し湿った柔らかさだけが残り、胸の中がそれだけに満たされていく。
甘く愛おしい時間。だが、それは常に永遠ならざるもので、どちらからともなく静かに離れた。
「ほら、痛くなかっただろう?」
溶けたチョコレートのような表情を浮かべるファティマに微笑みを向ければ、彼女は顔を見られるのが恥ずかしかったらしい。寄りかかるように抱き着いてきたかと思えば、大きな耳の生える橙色の頭を僕の胸へと埋めた。
「……なんで、でしょうか……とっても気持ちよくて、胸の中が温かくて、今もまだ身体がフワフワしてます」
「ハハ、改めてそう言われると、なんだか恥ずかしいな」
「でも、夢じゃないん、ですよね?」
「ああ。僕がファティを好きだってことも、ファティが僕を受け入れてくれたことも全部、ここにある現実だ」
「えへへ……ボク、とっても――とっても嬉しいです」
腕の中から上目遣いに見上げてくる彼女は、にへらと表情を綻ばせる。それが可愛くて、どうしようもなく嬉しくて、だから多分僕自身も、鏡を向けられれば同じようにふやけた面をしていたことだろう。
ただそれは間もなく、青春的な興味を宿した甘い声によって塗りつぶされたが。
「ねぇ、おにーさん。もっとたくさん好き好きする方法ってあるんですか? ボク、恋人さん同士がすることってよく知らないんですけど」
「ん゛ん゛ッ!? あ、あぁ、えーと……それはなんというか……」
危うくむせそうになって、咳払いで堪える。
何せ自分の恋愛経験は、年齢を盾に見栄を張れども薄氷が如し。若い恋人たちが健全に微笑ましく過ごす様など、映像か物語で得た想像、否妄想と言うべき産物であり、その先へ踏み込んだ行為に関しても、未経験でないというだけに過ぎないのだ。
彼女の口にした好き好きする方法というあまりに漠然した言葉は、確かに甘美な響きを理性に突き刺してくる。無垢なファティマだからこそなのか、その破壊力は電磁加速砲が如し。
それでも、まだ返事を保留している相手が居る以上、僕は喉から出かかった言葉を必死に押し戻す。
ただでさえ恋人という免罪符を得た今、下手に踏み込んでしまえば、キメラリア特有の発情という制御しがたい巨大地雷を踏み抜きかねず、状況がそうなってしまえば欲望を抑えていられる自信もない。
だから僕は口ごもるしかなく、しかしその程度で興味津々たる少女が、追撃の手を緩めてくれるはずもなかった。
「知ってるなら教えて欲しいです。それとも……もしかしておにーさん、ボクと好き好きするの、嫌、ですか?」
「そ、そんなことはない! ――ん、だけど……その、僕は皆と重婚関係を持ちたい、と思ってるんだ。後出しな上に不誠実な話かもしれないが、どうか皆にきちんと返事をするまでは――むぐっ!?」
情けないながら、自ら選んだ道に対する釈明に、いつの間にか随分と慣れたものだ、なんて思っていた。
だが、ファティマはそれを最後まで聞くことなく、僕の頬を両手で掴まえると、言い訳を垂れ流す口を柔らかい唇で塞いだ。
視界一杯に広がる彼女の顔。つい今しがた覚えたばかりの口づけにも関わらず、既に最初のような緊張した様子はなく、そっと離れる時、悪戯染みた笑みを浮かべながら、僕の鼻先をチロリと赤い舌が舐めて行った。
「ふふっ、わかってますよ。おにーさんは優しいですし、英雄さんですもん。けど、皆にちゃんとお返事ができた後は、いっぱいいっぱい愛してくださいね? ボクも、おにーさんの1番にしてもらえるように頑張りますから」
天使の様に美しい笑みと、どこか妖艶な響きを帯びた甘え声。
全く、今までも愛おしかった彼女は、一体いつから輪をかけて可愛くなったのか。
無垢な少女から向けられる金の視線に、僕は早くも、これはもう敵わないな、と照れ笑いを浮かべ、短い口癖を零すしかなかった。
「……ああ、約束、しよう」
彼女が向かった先は、縦に細長い銃眼から夕陽の赤い光が差し込む要塞の一室だった。
「ここなら、きっと誰も来ませんよね……」
薄く埃の舞う部屋の中、ファティマは小さな独り言を漏らす。
どうやら彼女にとっては、2人きりで、という部分が余程重要なのか、レーダーのようにクルクルと大きな耳を回して、近くに人の動きがないかを警戒しているらしい。
おかげで、自分の中にあった予想は半ば確信に変わっていたが、僕は敢えて銃眼から外を覗くふりをしたまま、ファティマが話を切り出すのを待っていた。
戦場での勘はともかくとして、この頭は思った以上にポンコツなのだ。下手にこちらから突っ込んで、大火傷というのは避けたかったのである。
そんな自分の内心を知ってか知らずか、ようやくこちらへ向き直った猫娘は、いつもとは違ってガチガチに緊張した面持ちで震える声を出した。
「――あ、あの、おにーさん、それで、お、お話、なんですけど」
「うん。とりあえず少し落ち着いてくれ。そこまで肩に力を入れていたら、喋る前に疲れてしまうだろう」
リラックスリラックス、と少しおどけたように言いながら、大袈裟に肩を落として見せる。
だが、ファティマは一瞬キョトンとした表情を浮かべてから、何かが気に食わなかったらしく、眉間に小さな皺を作った。
「誰のせいでこんなにキンチョーしてると思ってるんですか……」
またも小さな声ではあったが、今度はわざと聞こえるように言ったのだろう。大きく逸らされた視線からは、あからさまな呆れが感じられる。
しかし、そう言われてしまうと自分にできることなどあるはずもなく、僕は小さく肩を竦めるしかなかった。
「そいつは困ったな。どうしても緊張がほぐれないようなら、お話はまた今度にでも――」
「それは駄目です! 絶対絶対ダメですっ!!」
不満な表情が一転。慌てた様子でこちらへ迫ってくる。
無論、今更踵を返そうなどとは最初から思っておらず、僕はその反応に苦笑するしかなかったが。
「ははは、そんなに焦らなくても僕は逃げたりしないよ」
「む、むぅー……おにーさんは意地悪です」
「ごめんごめん。それで、話って言うのは?」
冗談と分かった途端、慌てた様子から膨れっ面へ。ファティマは珍しくコロコロと表情を変える。
ただ、結果的に少し肩の力が抜けたのだろう。僕が謝りつつ話を半ば強引に本題へ向ければ、彼女は少しの間を置いてから、普段の調子でポツリと零した。
「……好きって言葉の意味を、教えてくれませんか」
真剣な金色に瞳を輝かせ、しかしどこか躊躇いがちな雰囲気も内包していたように思う。
おかげで僕は少し面食らってしまい、的確な返答はおろか、言葉に詰まってしまったのだが、ファティマはこの反応を予想していたらしい。尻尾の先を小さく揺すりながら、聞きたいことの詳細を語りだした。
「好きって言葉には、たくさん種類があると思うんです。食べ物とか趣味とかと、誰かに向ける好きは全然違う感じがしますし、誰かに向ける好きって、家族とか仲間とか細かく分かれてるじゃないですか」
「ああ、僕もそれが普通だと思うが」
好きという単語は短いが複雑で、趣味も仲間意識も尊敬も、そして恋慕をも指し示すことができてしまう不思議な言葉。
だからこそ、ファティマはらしくないほどに緊張したのだろう。それでも最早後に退くつもりはないらしく、彼女は意を決したように1歩踏み出すと、震える唇へ力を籠めた。
「じゃあ、おにーさんが今日のお昼、キメラリアが好きなんじゃなくて、ボクだから好きなんだ、って、言ってくれたのは、どういう意味の好き、なんですか……?」
金色に染まった期待と不安が、真っ直ぐな視線に映り込む。
昼間の自分はただ、キメラリア好きの変態、という妙な噂に反論しただけで、彼女に何かを伝えようとして発言したわけではない。
平時とは異なる、戦闘中の自分が零した言葉。今になって考えれば、とんでもなく恥ずかしいことを平然と言ってしまった気がしてならないが、逆に言えば、やはりそれは疑いようのない本心なのだ。
だからこそ、普段は飄々として自由な雰囲気の彼女が、小さく身体を震わせながら自分を見つめているのだろう。
それだけわかれば、鈍感もへったくれもなく、最早何かを堪えたり隠したしようとも思えない。
強いていうなれば、長く待たせてしまった分、ロマンチックな雰囲気と捻りの効いた格好のいい言葉でも出してみたかったのだが、そこは所詮自分である。少し頭を捻ったところで、異性との経験値が足らない上に元より性能が低い脳味噌からは、心を揺さぶるような言葉も浮いてこず、埃っぽい石煉瓦の一室は、茜色が差していてもなお雰囲気などあったものではない。
わかっていたことではあるが、結局自分はそういう話が酷く苦手なのだろう。シューニャともマオリィネとも異なる、彼女なりの求め方に対し、自分の咽はいとも容易く凍り付く。
それでも、ファティマの視線から逃げないよう、ポンコツなりに精一杯意地を張らねばならないと、照れ隠しついでに小さく頬を掻いた。
「……なんて言えばいいだろう。ファティのことは家族としても、背中を預ける仲間としても大切、なんだが――いや、そうじゃないな」
耳へ回り込んだ自らの言葉に、今更逃げようとするな、と拳に力を籠める。
ただでさえ、後出しジャンケンなのだ。それでもなお心を曝け出せないなら、ここから先へ進むことなどできはしない。
その緊張は空気の壁を突き抜けて、ファティマにも伝わったのだろう。彼女はビクリと肩を震わせて、胸の前で両手を強く握っていた。
大きく息を吸って吐く簡単な1動作。心の中にある重いコッキングレバーを引き、声帯にあるトリガに指をかけた。
これ以上、待たせてなるものか。
「僕は、ファティのことが好きなんだ。種族や出自がどうだとか、仲間だからというのじゃなく、異性の――1人の女の子としての、ファティのことが」
それは銃火器などという大層なものではなく、ただの石ころのように、どうしようもなく単純で、本当にどこにでも転がっているような言葉だったと、我ながら思う。
けれど、たかが1つの石礫であろうとも、水面を揺らすことくらいはできたらしい。
「ぁ……にゃ……はっ!?」
ファティマは小さく口を開けたまま呆然としていたものの、少しずつ言葉を噛み砕いていたらしい。徐々に頬が赤みを帯び、ほんのりと表情も緩んでいく。
ただ、表情筋が自然と弛んだことに気付いたのか、ハッと目を見開いて我に返ると、慌てた様子でこちらに背を向けてしまった。それもどうしてか、自らの長い尻尾を胸に掴まえ、無理矢理前に引きずり込んでいるではないか。
「ど、どうした急に?」
「え、えと、その、ですね……ボク、変じゃ、ないですか?」
「変? まぁそりゃ、今の行動は少し不思議だとは思うが」
「そうじゃなくて! ボク、男の人に真っ直ぐ好き、なんて言ってもらうの初めてで、毛並み、とか、恰好、とか、おかしくなってないかな、って……」
ふと、猫は毛繕いをして気持ちを落ち着かせようとするという、800年前に聞いたであろう話を思い出した。
キメラリア・ケットと太古の猫が別物なのは理解しているが、尻尾の先を必死に梳こうとするファティマの行動を見ていると、遺伝子には色濃く残っている部分もあるのだろう。
無論、今重要なのは受け継がれしDNAの話ではなく、ファティマが未経験の事態を前に、何が何だかわからなくなっているらしい、ということである。
ただ、実際に落ち着いたのは忙しなく手を動かす彼女ではなく、何故かそれを眺めていた自分の方だったが。
「……別に変じゃないよ。いつも通り、綺麗な毛並みだ」
「そ、そう、でしょうか……うぅ、なんていうかこう、全身がくすぐったい感じで、なんだか落ち着きません」
「随分と待たせてしまったからね。やっぱり簡単には信じてもらえないだろうか?」
色々あったとはいえ、その全てはあくまで自分の問題でしかなく、我ながら途中で見限られて当然ではないかとさえ思っていた程だ。
しかし、ようやく尻尾を手放してこちらへ向き直ったファティマは、そうじゃなくて、と俯き加減の首を大きく横に振った。
「だってボク、ただのキメラリアなんですよ。最近は考えてませんでしたけど、ボクの立場って本当は、おにーさんに雇ってもらってるただのリベレイタですし……あっ、でもボクがおにーさんのこと大好きだっていうのは、ホントにホントに嘘じゃなくって、ええっと――わにゃっ!?」
混乱した言い訳を、彼女がこの後どれほど続けるつもりだったのかはわからない。
ただ、現代常識に基づく価値観の話を聞き続けてやれるほど、自分は気長な方でないことは確かであり、彼女の細く引き締まった腰へ手を回して抱き寄せ、続く言葉を封じ込めた。
「僕が言うのも何だが、キメラリアだとかリベレイタだとか、そんなの全部今更のことだろうに。昼にも言った通り、僕はファティマという名の君が好きなんだから」
「う、にぃ……ホントに、ホントに夢じゃ、ない、ですよね?」
「証明が必要かい?」
腕の中で大きな目を潤ませながら見上げてくる彼女に、僕は自然と頬を緩める。
この甘い香りも柔らかさも体温も、全てを愛おしいと思う感情さえも、夢などという曖昧なものになどしたくはない。
だからこそ、僕は現実なのだと刻みつけて欲しくて、片手で赤らんだ頬を優しく撫でたのだが、何故かファティマはハッとした表情を浮かべると、両手を僕の胸に添えて緩く力を込めた。
「あっ、ちょ、ちょっと待ってください! その、ボクもおにーさんとくっついてたいですし、好き好きって、いい子いい子ってしてほしいんですけど……キスは、ちょっと」
「……まさかとは思うが、あの時の頭突きがそうだと思ってない、よね?」
「えっ、違うんですか? あの時ボク、お口がくっつくように狙いましたけど」
ファティマを腕から解放し、僕は片手を自らの額に当てながら、石造りの天井を仰ぎ見た。
思い出されるのは司書の谷、誓いの泉におけるプチ流血の記憶。
正面衝突とでも形容すべきアレが、正しい口づけだったとすれば、恋人や夫婦が愛を確かめ合う行為、と言うよりはむしろ、最早何らかの儀式に変質している気がしてならない。
無論、シューニャやマオリィネが頭突きをしてきていないからには、彼女の無知が生んだ勘違いであることは疑いようもなく、僕はいつも通りの苦笑を浮かべながら、ファティマの肩へそっと手を置いた。
「そりゃあ血が出る訳だ……普通は怪我なんてしないから、安心していいよ。ほら、目を瞑って」
「え、えと……は、はい。これで――んむ……っ」
身体を強張らせた彼女の唇を、静かに、そして優しく塞いだ。
それは触れ合うだけのささやかな口付けでも、ファティマの身体が小さく震えているのがわかった。
しかし、強張っていたのは最初だけで、ほぐれてしまえばほのかな温かさと少し湿った柔らかさだけが残り、胸の中がそれだけに満たされていく。
甘く愛おしい時間。だが、それは常に永遠ならざるもので、どちらからともなく静かに離れた。
「ほら、痛くなかっただろう?」
溶けたチョコレートのような表情を浮かべるファティマに微笑みを向ければ、彼女は顔を見られるのが恥ずかしかったらしい。寄りかかるように抱き着いてきたかと思えば、大きな耳の生える橙色の頭を僕の胸へと埋めた。
「……なんで、でしょうか……とっても気持ちよくて、胸の中が温かくて、今もまだ身体がフワフワしてます」
「ハハ、改めてそう言われると、なんだか恥ずかしいな」
「でも、夢じゃないん、ですよね?」
「ああ。僕がファティを好きだってことも、ファティが僕を受け入れてくれたことも全部、ここにある現実だ」
「えへへ……ボク、とっても――とっても嬉しいです」
腕の中から上目遣いに見上げてくる彼女は、にへらと表情を綻ばせる。それが可愛くて、どうしようもなく嬉しくて、だから多分僕自身も、鏡を向けられれば同じようにふやけた面をしていたことだろう。
ただそれは間もなく、青春的な興味を宿した甘い声によって塗りつぶされたが。
「ねぇ、おにーさん。もっとたくさん好き好きする方法ってあるんですか? ボク、恋人さん同士がすることってよく知らないんですけど」
「ん゛ん゛ッ!? あ、あぁ、えーと……それはなんというか……」
危うくむせそうになって、咳払いで堪える。
何せ自分の恋愛経験は、年齢を盾に見栄を張れども薄氷が如し。若い恋人たちが健全に微笑ましく過ごす様など、映像か物語で得た想像、否妄想と言うべき産物であり、その先へ踏み込んだ行為に関しても、未経験でないというだけに過ぎないのだ。
彼女の口にした好き好きする方法というあまりに漠然した言葉は、確かに甘美な響きを理性に突き刺してくる。無垢なファティマだからこそなのか、その破壊力は電磁加速砲が如し。
それでも、まだ返事を保留している相手が居る以上、僕は喉から出かかった言葉を必死に押し戻す。
ただでさえ恋人という免罪符を得た今、下手に踏み込んでしまえば、キメラリア特有の発情という制御しがたい巨大地雷を踏み抜きかねず、状況がそうなってしまえば欲望を抑えていられる自信もない。
だから僕は口ごもるしかなく、しかしその程度で興味津々たる少女が、追撃の手を緩めてくれるはずもなかった。
「知ってるなら教えて欲しいです。それとも……もしかしておにーさん、ボクと好き好きするの、嫌、ですか?」
「そ、そんなことはない! ――ん、だけど……その、僕は皆と重婚関係を持ちたい、と思ってるんだ。後出しな上に不誠実な話かもしれないが、どうか皆にきちんと返事をするまでは――むぐっ!?」
情けないながら、自ら選んだ道に対する釈明に、いつの間にか随分と慣れたものだ、なんて思っていた。
だが、ファティマはそれを最後まで聞くことなく、僕の頬を両手で掴まえると、言い訳を垂れ流す口を柔らかい唇で塞いだ。
視界一杯に広がる彼女の顔。つい今しがた覚えたばかりの口づけにも関わらず、既に最初のような緊張した様子はなく、そっと離れる時、悪戯染みた笑みを浮かべながら、僕の鼻先をチロリと赤い舌が舐めて行った。
「ふふっ、わかってますよ。おにーさんは優しいですし、英雄さんですもん。けど、皆にちゃんとお返事ができた後は、いっぱいいっぱい愛してくださいね? ボクも、おにーさんの1番にしてもらえるように頑張りますから」
天使の様に美しい笑みと、どこか妖艶な響きを帯びた甘え声。
全く、今までも愛おしかった彼女は、一体いつから輪をかけて可愛くなったのか。
無垢な少女から向けられる金の視線に、僕は早くも、これはもう敵わないな、と照れ笑いを浮かべ、短い口癖を零すしかなかった。
「……ああ、約束、しよう」
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そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
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