悠久の機甲歩兵

竹氏

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戦火

第239話 誓いを込めて

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 祭りの後、宿へ戻った僕は早々に部屋へ戻ると、植物繊維を編んだ寝台に大の字に寝転がった。
 ニクラウスが言うには、民衆への周知は思った以上に上手く行ったとのこと。これはサンスカーラとの組手が大きな理由だろう。表情に浮かぶ苛立ちに関しては、敢えて触れないが。
 とはいえ、その代償として自分は精神的にも肉体的にも疲労しており、意識的に目を閉じると間もなく、意識は夢の世界にすらいかないまま暗闇へ落ちたのである。
 それからどれほどの時間が経ったのか、土中の部屋に眠る自分にはわからない。だから誰かに体を揺すられた時、僕はまさか寝過ごしたかと重い身体を起こした。

「すまない、寝坊した――へ?」

「無防備すぎない?」

 目の前にあった顔はシューニャとよく似ているものの、長い髪と露出の多い服装、そして快活な喋り方は似ても似つかない。
 ランプに照らされて浮かび上がったのは、他でもない彼女の姉。サンスカーラその人である。

「……何故、サーラさんがここに?」

「理由は後。ちょっと付き合って」

 状況は一切わからないが、声を落としていることから、未だ周囲は夜なのかもしれない。できれば明日にしてくださいと言いたかったが、彼女は有無を言わさず僕を寝台から引っ張り出した。

「あの……鍵かけてませんでしたっけ?」

「ここの酒場が私の仕事場だから、鍵くらいちょろまかせるのよぅ。後、ちゃんとした服着てくれない?」

「事情説明をお願いしても? まだ朝じゃないならもう少し寝ていたいんですが――」

「私の口からは言えないけど、導師にとって悪いことじゃないから――お願いっ、義姉の頼みだと思って」

 普段着である戦闘服のズボンと、インナーであるタンクトップ姿では何か問題があるらしい。ただ、あれほどシューニャの事で敵対的だった彼女から、拝み手で頭を下げられては文句も言えず、僕はとりあえず先の軍服に着替えて武器を携える。

「はぁ……それで、僕はどうすれば?」

「――こっちよ」

 何か目指す物があるのは確からしく、サンスカーラは周囲に人の動きが無いことを確認し、困惑したままの自分を先導しつつ宿を出る。とはいえ、宿直の職員でも居ない限り貸し切りの宿で、何かから隠れるような様子は奇妙と言う他にない。
 そして彼女の口から言えないと言う以上は、サンスカーラは誰かの使者なのだろう。わざわざ彼女を使って秘密裏に自分を呼び出すとなれば、思い当たるのはシューニャの家族くらいだが、サンスカーラが向かったのは家がある方向とは真逆な上に、しかも守護の穴から外へ出る道だった。

「サーラさん、一応聞きたいんですが……何か厄介事ですか?」

「そうでもないわよぅ。私にとっては色々思うところもあったんだけど――約束だしね」

 要領を得ない回答に、僕はそっと自動小銃の安全装置を外す。
 守護の穴から出てしまえば外は緩やかな傾斜の農地であり、見通しの利く場所で囲まれてしまえば、マキナ無しで対処するのは難しい。
 できればシューニャの肉親であるサンスカーラを疑いたくはないが、万が一ということもあり得るため、僕の足は自然と外へ出る直前で止まった。

「何してるのよぅ? ほら早く」

「外に出ていきなり槍に囲まれる、なんてのは勘弁ですから」

「変なとこで用心深いのねぇ。闇討ちするなら宿で刺してるし、妹を泣かすような真似はしないわよぅ」

「そりゃそうですが、また安心できないことを言いますね……」

 せっかく鍵付きの高級宿だというのに、それだけで安全と考えるのは早計だったらしい。いざそう言われると、何か警報装置くらいはつけた方が無難にも思えてくる。
 とはいえ、実際サンスカーラは不服そうに唇を尖らせたものの、シューニャのことに関して嘘を言っているとは考えにくかったため、僕はようやく外へ足を踏み出した。

 ――夜明け前か?

 霧に覆われて視程は短いものの、完全な闇ではなく酷く頼りない光が差し込んでいる。
 それを分かった上での行動だったらしい。サンスカーラはランタンさえ持っておらず、それでも不思議と迷うことなく道を行き、やがて辿り着いたのは木立に囲まれた泉だった。

「ここは司書の谷の水源か何か、ですか?」

「そんなところよぅ。じゃ、案内はここまでね」

「は? え、いや、ちょっと待ってくださいよ?」

 サンスカーラは役目を終えたとばかりにその場で踵を返す。
 無論、僕は何の説明も受けないままなので慌てるしかなかったのだが、彼女は自分の横を通り過ぎる時に、何故か少し寂し気に笑って呟いた。

「妹のこと、ちゃんと受け止めてあげてよ」

 意味深な一言に僕はサンスカーラを止めようと伸ばした手を凍らせる。それは僅かな躊躇だったかもしれないが、彼女の身体が霧の中に溶けていくまでには十分な時間だった。
 そして思考の整理がつかない内に、まるで自分を呼ぶように泉からパチャリと水音が響き渡る。ここまでお膳立てされれば、その理由が誰かなど聞くまでもない。
 浅く透き通る水の上。薄く浮かぶ霧の中によく見知った少女が立っていた。
 彼女を覆う白地に金糸の布は胸と腰だけを隠し、レースのように薄い衣は風に揺れ、薄い明かりにサファイアのような青い宝石が輝いている。
 大きく素肌を晒す、普段とはあまりにも異なる装いに、僕は小さく息を呑んだ。

「シュー、ニャ?」

 自然と口から零れた彼女の名。それが合図だったのか、彼女は泉を揺らしながら踊り始める。
 ゆるくゆるく流れるように、それでいて周りの霧を払うかのように、くるくるくるりと音もなく。
 いつもは理知的で無表情で不器用な彼女が、まるで誘うように官能的に、それでいてどこか神秘的に舞っていた。木々のざわめき以外に音楽もないのに、その動きは一切迷いが見られない。
 この踊りが仮に魅了の魔法だとすれば、自分は一切抗う術を持たなかっただろう。僕は半長靴はんちょうかが濡れることもいとわず、まるで引き寄せられるように泉に足を踏み入れる。
 するとシューニャは滑らかに踊りながら、静かにこちらへ近づいてきて、最後にそのまま僕へとしなだれかかって、ようやく動きを止めた。

「……キョウイチ」

 激しい運動だったからか、彼女は玉のような汗を浮かべながら、どうだった? と感想を求めるように熱っぽい視線を向けてくる。
 このダンスがどういう意味を持つものかを僕は知らない。けれど、自分だけに彼女が見せたかったことだけはよくわかった。

「とても綺麗だったよ。薄着のシューニャもいつもと違って新鮮だ」

「こ、この格好は、その……やっぱり恥ずかしい……けど、気に入ってもらえたのならよかった。服は母が準備してくれたし、姉も色々手伝ってくれたから」

「凄い家族だなぁ……踊りにも何か意味が?」

 泉の水は冷たかったが、それも心地いいのだろう。
 シューニャは体重を自分に預けて静かに目を閉じ、深呼吸でゆっくりと息を整えていく。

「――貴方への、誓い」

「誓い?」

 不思議な言葉に、僕は自然と細い身体を離す。
 すると彼女は息を整えるのとは違うような、まるで何かを決意するように大きく深呼吸してから、揺れる翠玉の瞳で僕を見た。

「愛する人に全てを捧げる、求婚の踊り……相手以外の誰にも見られてはいけない、秘密の舞」

「それを、僕に……?」

「……私はキョウイチに、泉から連れ出してもらうことを望む。それは誓いを受け入れてくれた証。逆に私を置いて立ち去れば、求婚を断るという意味になる。どっちつかずなら、永久に泉からは出られない」

 足踏みを続ける自分に対し、シューニャはどこか脅迫じみた生まれ故郷の形を選んだのだろう。そんな選択をさせてしまった自分への後悔が半分、そうまでしても自分を捕まえに来てくれた嬉しさが半分で、僕は薄着の彼女に向き合った。
 もう先延ばしにはしない。そう思って、深く息を吐く。

「選ぶ前に、聞いておきたいことがある。こんなことを後出しで言うのは不誠実だが……僕は本気で皆との重婚を考えている。シューニャはそれでも――」

「今更のこと。私は重婚に関して、ずっと変な事ではないと言い続けている」

「それは国法に照らし合わせてのことだろう。そうじゃなく、君の感情として、だよ」

 言いながら、自分は卑怯だと心底思った。浮気性のクソ野郎とでもシューニャが言ってくれるなら、この質問にも意味があっただろう。
 しかし、緩く首を振る彼女はそんなことを口にしなかった。

「元々私は他人に興味なんてなかった。でも、今の私はタマクシゲの皆のことを好きだし、あの場所をとても気に入っている。だから、皆で幸せになるというのは、私も賛成」

「そうか……そう思ってくれているなら」

「けれど、私も1つ聞かせて欲しい」

 シューニャは僕の答えを遮って、何かに怯えるように、またどこか申し訳なさそうに視線を彷徨わせる。

「その……私はファティのように甘え上手じゃないし、アポロニアのように胸が大きくもないし、マオリィネのように綺麗でもないし、ポラリスのように明るくもない……けれど、それでもキョウイチは、私を1人の女として見てくれるの?」

 何か重大な発表があるかと思って僕は身構えたが、彼女の口から零れたのはそれこそ今更な内容だった。
 自分も人のことは言えないが、シューニャも相当に恋愛下手というべきか、大間抜けであるらしい。そんな彼女が愛しくて、僕は細い腰を抱き寄せた。

「ひゃ……ッ!?」

「僕は他の誰でもない、シューニャだから好きなんだ。格好つけても情けないのは変わらないけど――心の底から君が愛おしいと思う」

 こんなことなら、もっと早く心を決めておけばよかったのではないか。そんなことを思ってしまうが、柔らかい彼女の匂いに包まれる今は、過ぎ去った時間なんてどうだってよかった。
 ただただ、愛らしい少女を求めたい。重婚を目指す以上、これはシューニャだけに向けられた感情ではないにせよ、また切り分けて減るほど弱いものでもない。

「き、キョウイチ、それは――んむっ!?」

 彼女が何か言おうと顔を上げた時、僕は金紗の頭を抱えるようにして、その柔らかい唇を塞ぐ。
 今までは様々な恐れと弱さから、全てを受け身に過ごしてきたのだから、せめて初めてのキスくらいは自分からしたかった。それもいざ勢いでやってしまえば、頭の中にまともな思考など残りはしない。ただただ唇から伝わる熱い体温だけが、頭の中を支配する。
 だから、僕がようやく下手くそなキスからシューニャを解放した時、彼女の頭はぐらぐらと揺れ、そのまま自分の胸に顔を埋めてしまった。

「はぁ、ぅ……い、いきなりは卑怯ぅ……初めて、だった、のに」

「ごめん、つい抑えられなくて。不快だったかな?」

 グリグリと胸に擦りつけるようにして、彼女は首を横に振って大きく息を吐く。流石に恥ずかしいらしく、顔は上げてくれなかったが、その様子だけで僕は彼女が可愛くて可愛くて、どうすればいいかが分からなくなってくる。
 挙句、普段聞かせてくれないような声色が、理性の防壁を軽く打ち壊しにかかってくる。

「その、もっと……ほしい」

「ぐ――やっばい、破壊力だなぁ……歯止めが効かなくなりそうだ」

「……歯止めなんていらない。私は貴方に全てを捧げた。だから、もっともっと求めてほしい。心も、身体も、何もかも……ん」

 潤む瞳だけを小さく見せて、再びのキスをねだって唇を突き出すシューニャに、僕は頭が溶けてしまうのではないかと思った。それも今までとは違い、10歳以上歳のはなれた彼女でも、恋人か妻という謎の免罪符までついてくるため、感情を抑えることが難しい。
 だからもう一度、今度は勢いに任せずにやろうと顔を近づかせていく。いつの間にか顔を出した朝陽が眩しいが、こうなればもう関係ない。
 と、思ったのだが。

「よーやく見つけました! おにーさ――ん゛ッ!?」

 ビクンと抱き合ったままの身体が跳ねる。
 少し間延びしたような声は、聞き間違うはずもない。ある意味最悪で、ある意味最高のタイミング。
 恐る恐る振り返った先では、いつの間に霧が晴れたのか太陽を背にし、尻尾を倍以上に膨らませたファティマが、何故かサンスカーラを肩に担いで立っていた。

「お……はよう、ファティ」

 シューニャが掠れるような声を出す。残念ながら、彼女の大きな耳には届かなかったようだが。

「おにおにおにおににににににににに」

「朝からバグらないでくれ――っていうのも無理だろうなぁ」

 どさりと地面にサンスカーラが落とされる。その表情は何故か幸せそうだったので、敢えて触れないこととしたが、わなないたファティマは最早止めようがない。

「いいいいい、犬といいシューニャといい、ズルいですよぉ! ボクもチューしてみたいのにぃ!」

「ちょっ、いや、その前に色々事情説明を――ぐふっ!?」

 ケットの俊敏さ恐るべし。僕が状況を伝えようとするより早く、彼女は自分とシューニャを纏めて抱き締めると、そのまま勢いよく僕の唇を奪う。
 ただ、先ほどまでの甘さと違い、勢いよく突っ込んできたファティマとのファーストキスには、血の味と痛みだけを残す物だった。そのためか、一瞬の触れただけの口づけを終えた彼女は、舌なめずりをしながら不服そうに耳を弾く。

「んー……思ってたよりよくないですね」

「そ、そりゃそうだろう。今のはほとんど頭突きというか――あ、と、シューニャ、秘密云々は大丈夫なんだろうか?」

「ん!? あ、えっと、誓いは成立してるから――多分……?」

 見られてはいけないという話だったが、泉を出ずとも互いの意志が確認できていれば問題ないのでは、とシューニャは腕の中で首を傾げる。多分、過去に同様の事例がないのだろう。
 とはいえ、自分とシューニャの意志は確認できたのだ。秘密だの誓いだのはもう問題にならない。

「むー……なんだか2人ともスッキリしてませんか?」

 問題は状況が理解できないまま突っ込んできたファティマである。自分の顔をゴシゴシと擦りつつ、訝し気な視線をこちらに向けてくるものの、流石にこの状況で、君にも、などと言い出すことは難しく、僕は後日改めて話すことを決めた。
 シューニャが最初だったと言うだけで、せっかくのプロポーズであることに代わりはないのだ。たとえ自分の我儘であっても、きちんと1人ずつ向き合いたいのである。
 なお、これは余談だがサンスカーラは夜が明けるまで、違和感に気付いて捜索に出てきた女性陣たちを押さえ込んでいたらしい。
 曰く、部屋から外に出た途端、可愛い女の子たちよぉ! と叫びながら飛びついてきたのだと、ファティマは顔色も悪く語る。流石に多勢に無勢だったからか、長期戦の末にボコボコポイされたようだが、それでもサンスカーラは幸せそうだったので、僕は恐るべき義姉に対し、静かに合掌を送っておいた。
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