悠久の機甲歩兵

竹氏

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定住生活の始まり

第198話 平常運転な僕の1日

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 冷え込む朝。僕は夜明けとともに目を覚ました。
 見慣れぬ天井に寝ぼけ眼を擦ろうとすれば、動かないどころか感覚もない腕に、素早く状況が思い出される。

 ――こりゃ本気で一晩中動けなかったんだなぁ。

 頭だけを動かして隣を見れば、シューニャが小さな寝息を立てており、それを抱き込むようにしてファティマが丸くなっている。
 では、反対側はどうか、と思ってまたぐるりと頭を回してみれば、至近距離でアポロニアと目が合った。

「ご主人……おはようッス」

「ああ、おはようアポロ」

 彼女はふにゃりと寝ぼけたような笑顔を浮かべると、枕にしていた僕の腕に軽く頬ずりしてから、そっと毛布から這い出していく。
 おかげで右腕が自由になった僕は、シューニャとファティマから左腕を静かに奪い返すとことができ、感覚を取り戻したことを確認してからアポロニアに続いた。その際腹の上に乗っていたポラリスがマットレスに転がったが、彼女は寝起きが悪いため、読解不能な寝言を呟いただけで夢の世界から帰ってはこなかった。

 ――ダマルも寝てるのか。

 部屋の寒さに暖炉の方を見てみれば、薪は随分前に燃え尽きたらしく、白い灰になっていた。その前ではダマルが毛布にくるまって横になっていたため、どうやら眠気が寒さに勝ったらしい。
 僕とアポロニアは皆を起こさないよう、静かに扉を開けて廊下へ出た。

「おおぉ、今朝も冷えるッスね……何か温かい飲み物でも入れるッスよ。ご主人は珈琲で――」

「お湯は僕が沸かしておくから、先に寝癖を直すといい」

「うぇっ!? あ、あんまり見ないでほしいッス……」

 ポニーテールを解いた彼女は毛量が多いからか、まるで頭に積乱雲を乗せたかのようになっていた。個室や玉匣で寝起きしていた時には見かけなかったが、今までは顔を合わせるより先に整えていたのだろう。
 アポロニアは恥ずかしそうに髪を両手で押さえると、急ぎ足で風呂場へ消えていった。

「勤勉な彼女の意外な一面、とでも言うべきかな?」

 一方の僕は珍しい物が見られたと面白がりながら、湯を沸かすためキッチンへ向かったのである。


 ■


 家の裏。
 森が迫るそこには腰の高さ程まで土嚢が積み上げられ、様々な距離に紙を貼り付けた木杭が設置されていた。
 これぞダマル設計の簡易射撃練習場である。小銃弾や拳銃弾の余裕が生まれたことで、家の改修と共に作られた物だった。
 その中で比較的近い的を、耳に布切れを詰めたシューニャは睨みつけ、トリガにぐっと力を籠める。
 6回続けて瞬く発砲炎と轟く銃声は、街道をゆく人々まで届いただろうか。

「ん……難しい」

 回転式拳銃オートリボルバーを下げた彼女はゆるゆると首を横に振る。
 標的との距離およそ25メートル。紙に描かれた円の内を射抜いたのは1発、円の外を射抜いたのが3発、残り2発は外れていた。
 シューニャは不服そうな表情を浮かべながら、教えられたとおりに空薬莢を箱の中へ捨ててから、新たに6発の弾を込め、再び正面を向いて構えなおす。

「はい止まる」

「ひゃ……っ!?」

 隣でそれを眺めていた僕は、狙いを定める彼女の肩をポンと叩いた。
 突然のことにシューニャはビクンと身体を跳ねさせたが、おかげで大体思った通りの原因が浮き彫りとなる。

「うん、やっぱり肩に力入れすぎかな。反動が怖いのはわかるけど、そんなにガチガチにならなくても大丈夫だ」

 彼女は己を非力だと思い込みすぎている節がある。おかげで銃を保持する事自体に緊張してしまい、それが全身を力ませているのだろう。
 柔らかく肩を押さえていた手をシューニャの細腕に沿わせ、グリップを握る手を外から合わせて包む。

「狙いをつけよう。深呼吸して、緊張しなくていい」

「う、ん」

 まずは射撃に慣れる事。練習を始めて間もない彼女に必要なのはそれだけだ。そうすれば自分の癖も銃の癖も、自然と分かるようになってくる。
 シューニャはコートの中で胸を上下させてゆっくり息を吐くと、改めて照星を覗き込んだ。
 ガァンと響く銃声は1回。それは無風の森で紙の的を揺らした。

「あ、たった?」

「お見事」

 円の中に穿たれた穴を見て、僕はゆっくり手を離す。
 ここで彼女の前に立っていたのが人種ならば、それがロンゲンであろうとヘルムホルツであろうと致命傷を負っていることだろう。武威など持たないシューニャであっても、小さな手に握られた武器にはそれだけの力がある。

「感覚を忘れないように。ほら、あと5発」

「――ん!」

 表情ではわかりにくいがよっぽど嬉しかったのだろう。シューニャは僅かに頬を紅潮させると再び的へ向き直って銃声を響かせた。
 真面目な彼女ならば、暫くの練習でそれなりに使えるようになるだろう。できれば使うような場面がないことを祈るが。

「ほへぇ、シューニャがちゃんと当ててるじゃないッスか」

 そこへ自動小銃を担いでアポロニアが現れる。
 午前中の家事を終えたのであろう。大体彼女は昼前くらいになってから、射撃練習を行っていた。

「そう言ったからにはアポロは最初から距離600、マガジン全弾命中できるよね?」

「アハハハ! まったまた、ご主人も冗談が上手いッス」

 へらへらと彼女は笑いながら射撃位置につくと、手慣れた様子でセレクターレバーをマニュアル射撃に切り替えて照星を覗き込む。
 だが非常に残念なことに、こちらには冗談のつもりなど欠片もない。そもそもアポロニアの腕なら、20発全弾命中くらいやってのけられるはずなのだ。
 だから僕は少し考えて、わかりやすい条件を提示した。

「1発外したら格闘戦訓練10分追加、5発以上外したらとりあえず足裏マッサージだな」

「えーっと……それ本気で言ってるッスか?」

「そりゃそうだろう。はいマークスマン、目標前方、狙え」

 冷や汗を垂らしてこちらを見上げる彼女に、僕は双眼鏡を覗き込みながら早くしなさいと手を振る。
 途端にアポロニアはさっきまでの余裕を喪失し、顔を青ざめさせた。

「う、嘘でしょご主人!? せめてご褒美も欲しいッスよぉ!」

「きちんと当てられたら考えてもいいよ。撃てぇ!」

「だぁーっ! やってやるッスぅ!」

 こちらの射撃指示に、彼女は破れかぶれになりながらトリガーを引く。
 アポロニアの射撃センスは素晴らしい。とはいえ、常に慢心してはいけないというのが、よくよく身に染みたことだろう。


 ■


 昼食を終えた僕は翡翠を着装し、再び射撃練習場に立つ。
 とはいえマキナ用の弾薬は貴重品なので、練習で使おうなどとは思っていない。

『よーし、モニターできた。データ取得、フルオート1秒だ』

 無線越しに聞こえるダマルの指示に従い、僕は右腕を動かして前方の木にレティクルを合わせる。
 構えるのは早くも分解整備を終えたマキナ用機関銃。そんな作業を寝起き早々瞬く間にやってのけるのだから、やはり骸骨は天才整備兵なのだろう。

『フルオート1秒、了解。発射態勢完了、照準正常』

『カウントダウン。3、2、1――』

 刹那、今までとは比べ物にならない断続音が鳴り響いた。
 銃口に装備されたマズルブレーキから炎が瞬き、曳光弾が赤い尾を引きながら飛んでいく。
 たった1秒、されど1秒。巻き上がった土煙の向こうで、木が倒れていくのが見えた。

『射撃終了。どうかな?』

『妙に弾が散るな。銃身冷却が上手くいってねぇのか? とりあえずもう1回バラすわ。前の携帯式超電磁砲パーソナルレールガンみてぇに、土壇場で射撃不能なんて洒落になんねぇ』

『そりゃ確かに。ガレージに運んでおくよ』

 僕としては思った通りの火力が発揮されたことで安心していたが、数値的には問題があったのだろう。ダマルの声は渋いものだった。
 マキナ用機関銃は突撃銃と比べて重く反動も大きいため、サブアームではとても扱えない武器だ。しかし両腕が正常に動作している今なら、これを実戦投入できるのは非常に心強いため、骸骨の細かい調整は必要不可欠である。
 再整備のためにガレージまで戻ってくれば、そこにはファティマがニコニコして待っていた。

「終わりましたか?」

『ああ、ダメだったけどね』

 大柄な機関銃を床に降ろしながら、困ったものだと首を振る。
 とはいえ、彼女が銃火器の整備状況を聞くためにここで待っているはずもなく、興味なさげにふーんと言ったきりで、表情も変えずにこちらへ歩み寄ってきた。

「じゃあ、おにーさんは暇ですよね?」

 大きな耳を揺らして首を傾げるファティマに、人の顔を見て暇だろうとは何事か、と怒ることもできない。何せ自分には、この後の予定が一切ないのだから。
 午前中の射撃訓練を見ていたからだろう。昼食の時点で彼女はうずうずしており、そんな時にマキナを着装すれば、待ち伏せくらいはしてくると思っていた。
 それも余程やる気に満ち溢れているのか、モコモコした上着の下に普段見えるはずのキュロットスカートの姿はなく、ピッチリとしたパイロットスーツに覆われたふくらはぎが覗いている。
 まさかそこに尻尾が見えるとは思わなかったが。

『いつの間に改造を……』

「いいでしょ? ダマルさんに聞いて、尻尾を出せるように穴を開けたんですよ。これでいつでも使えます」

 そう言ってファティマは、パイロットスーツに覆われた手をグッと握って見せる。もしかすると以前シンクマキナのハーモニックブレードを打ち払った時、何か手ごたえを感じていたのかもしれない。
 彼女は自由になった尻尾をピンと立てながら、翡翠の左腕に絡みつく。

「ねぇ、いーでしょ? ボクとも遊んでくださいよー」

 別に遊んでいたわけではないが、彼女にとっては組手や訓練は娯楽の1つであるため、僕はそのやる気を買って降参だと両手を挙げた。

『わかったよ、やろう。前と同じで、丸太が折れるまででいいかい?』

「んふふー……今日こそ一太刀入れて見せますからね」

 まるでプレゼントを貰ったかのように嬉しそうな笑顔の反面、握られる斧剣は相変わらず重々しい。
 その様子をダマルはガレージの勝手口から覗いていたが、自分事でもないのに背筋が寒くなったと後に語った。


 ■


 夕方頃に丸太が砕け散り、ようやくファティマから解放された僕は、暖炉の前で的を描いていた。
 この寒い中でも汗をかく程動き回ったため本当は風呂に入るつもりだったが、マオリィネがポラリスを連れて入浴中だとアポロニアから聞かされたため、風邪をひかないようにここを陣取ったのである。

 ――まさかファティまで進んで風呂に入るとは思わなかったが。

 タオルと着替えを片手に、ボクもお風呂に行ってきます、と宣言して廊下に消えていった彼女を思い出し、人とは慣れるものだとしみじみ思う。
 弱くなる炎に新たな薪を食わせながら、串と筆を紐で結んだだけの簡単な円規コンパスで、円を描いて中心を丸く塗れば簡単な的はすぐに出来上がる。あくまでそれっぽいというだけの物ではあったが。
 そんなインスタント標的が10枚ほど仕上がった頃、廊下からパタパタと軽い足音が聞こえてきた。

「どーん!」

 そう言って後ろから首に抱き着いてくるのは、長い青銀の髪を濡らしたポラリスである。湯上りで火照った彼女からは、ふんわりと石鹸の香りが漂って来た。

「こらこら、せっかくお風呂で身体を洗って来たのに、僕にくっついたらまた汚れてしまうだろう」

「んー? じゃあつぎはキョーイチと入ればいい!」

「駄目に決まってるでしょう。乙女としての恥じらいを持ちなさい」

 余程こだわりでもあるのか、相変わらず一緒に風呂に入りたがるポラリスに対し、マオリィネは首根っこを掴んで僕から引き剥がすと、はぁとため息をつく。
 地面に降ろされた彼女はその場にぺたんと尻もちをつき、しかし離れるのは断ると言わんばかりに僕の背中に体重を預けて、指導役たるマオリィネに不服気な表情を向けた。

「マオリーネはキョーイチと入りたくないの?」

「ばっ、馬鹿な事言わないの! そんなこと思う訳、な、ない、じゃない?」

「ほんとにー? なーんかあやしいなー」

 自分としてはハハハと苦笑するだけの質問である。
 だというのにマオリィネは普段のクールな雰囲気を霧散させ、声を裏返して残念さを披露しつつうろたえた。
 おかげで空色の瞳には懐疑の念が色濃く宿ってしまい、彼女は視線をふいと逸らす。ただ、これが大いなる失敗だった。

「マオリィネは嘘をつく時、視線を右上に向ける。今がそう」

「ちょっとシューニャ!! 余計な事教えないでくれる!」

 それはジークルーンが言っていたマオリィネの癖だった。シューニャがわざわざ引き出してきたということは、彼女の中で信憑性が非常に高いと判断されたのだろう。
 指導官の新たな弱点を聞いたポラリスは、悪戯っぽい笑みを浮かべてシューニャと頷きあうと、揃ってマオリィネに向き直った。

「変態貴族」

「えっちなんだー」

「変態貴族って何よ!? それにポラリスがそれ言うのはおかしいでしょう!?」

 まるで金にものを言わせて性に奔放な生活を送っているかのような異名に、マオリィネは顔を真っ赤にして怒る。これをさらりと流せるようになれば、残念さが少しはマシになるのかもしれないが、年頃の女性にそれを求めるのは酷だろう。
 とはいえ、流石に少し哀れになってきたので、僕は応援の手を差し伸べることにした。

「あまり意地悪言うんじゃないよ。それに僕ぁね、風呂には静かに入りたいんだ」

 我が家が賑やかなのは素晴らしいことであり、それを最近は幸福だと感じても居る。だが風呂だけは自分にとって大切な、言わば完全プライベートの安らぎ空間なのだ。稀に骸骨が一緒に入っていることもあるが、あれは風呂に居る時静かなので、出汁を取っている思えば安らぎ空間が揺らぐこともない。
 それは僕のささやかな願望を混ぜた援護射撃だったのだが、ポラリスにとって理解の及ばぬものだったらしく、着弾点は大きくずれ込んだ。

「しずかに……じゃあシューナとならいいの?」

「ッ!? そっ、それは困る……私の身体は見ても楽しいものじゃないし……」

「いや、そういう意味じゃないんだが――」

 突然の掌返しを受けたシューニャは、こちらも一瞬で冷静の仮面を剥がされて居心地悪そうに身体を揺する。彼女には知識がある分ほかの誰より想像力も豊かなのかもしれない。言葉は尻すぼみになり、耳まで赤く染まった顔をふいと逸らした。
 僕は急ぎ訂正せねばと口を開いたものの、それより早く今まで一方的な守勢だったマオリィネが逆襲に転じてしまう。

「ムッツリ賢者、よねぇ?」

「むっつり?」

「ぐっ……言ってくれる」

 挑発するような琥珀色の視線に、無表情の裏で青白い炎が巻き上がるのが見えた。それもポラリスが無邪気に煽るものだから、自称大人たちは今にも戦端を開きかねない。
 おかげで僕は間接的な和平介入を諦めて立ち上がり、2人の間に入って高低差のある頭にポンと手を置いた。

「全く賑やかな家だ。子どもじゃないんだから喧嘩しない」

「わたしはこどもー」

 全く悪びれる様子もなく火種たるポラリスが腰にしがみ付いたからか、シューニャはどこか気まずそうに目を伏せ、マオリィネもこちらを見て困ったような笑顔を浮かべた。
 僕は場が落ち着いたことを確認して、雪ん子を腰に貼りつけたままで簡易標的制作キットを片付けはじめる。するとタイミングよく廊下から声がかかった。

「おにーさーん。上がりましたよー」

「あぁ、じゃあ入らせてもらうよ」

 こうして僕の1日は終わっていく。なんのことはない、賑やかで穏やかな日。
 この幸福が永遠に続けというのは、戦場で両手を血に染めた兵士には過ぎたる願いだろうか。
 風呂場の窓から見えた夕方の空は、静かに雪を舞わせ始めていた。
 今晩はまた冷えるのかもしれない。
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