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定住生活の始まり
第184話 日常の些細な変化
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ジークルーンとクリンが王都へ戻ってから数日。
ダマルの進言で各々に向き合うという行為を一時休止し、生活の中の変化を観察することが決定された。
そんなことをして何の意味があるのかと僕は思ったが、有無を言わさぬ骸骨の圧力に屈し、訓練やら冬支度やらと変わらぬ日常を過ごしている。
だけのはずだったのだが。
「……あー、ファティ?」
目の前で大きな耳がユラユラと揺れる。それは彼女が頭をぐりぐりと掻いているからに他ならない。
では何故目の前なのかといえば、僕がソファでくつろいでいる上に彼女が寝ころんでいるからである。
「なんですかぁ?」
「なんですかと聞きたいのはこっちだよ。なんで僕の膝に頭乗せて毛繕いしてるんだい」
「おにーさんが暇そうだったので」
「いや確かに暇なんだけどね、そうじゃなくてさ」
ただでさえ数日前から冷え込みは厳しさを増しており、ファティマの体温と暖炉の熱は確かに手放しがたい状況とはなっている。
しかし、いつ雪が降りだすか分からないからといって、常に湯たんぽを抱えて過ごす人間は居ないだろう。
「ダメですか?」
「駄目とまでは言わないが……」
ファティマは膝の上で頭をころりと回転させ、ちょうど仰向けの膝枕状態になってこちらを見上げてくる。
金の瞳から伝わる全力の甘え。さすがにこれを邪険にするのは憚られ、僕は唸るほかなかった。
「んふふ、おにーさんも一緒にぬくぬくしてましょーね」
こちらが拒絶しないとわかるや、ファティマはにんまりと微笑んで身体をよじ登ってくる。
こういう部分が最大の変化であろう。とにかくスキンシップが激化したのだ。
肩に顎を乗せて嬉しそうにゴロゴロと咽を鳴らしつつ目を細める様は、全力で懐き甘える猫そのものだった。
無論、そんな変化を周囲がなんとも思わないはずもない。
「こ、このエロ猫! 昼間っからなんつうイチャつきかたしてるッスかぁ!?」
リビングに入ってきたアポロニアは、手にしていた掃除用品をガラガラと床に落とし、驚愕からか羞恥からなのか、わなわなと身体を震えさせた。
しかも僕が状況を説明するより早く、ファティマは彼女を煽りにかかるのだから手に負えない。
「おにーさんはいいって言いましたもーん」
「んなぁっ!? ご、ご主人、今のホントッスか!?」
「いや僕はダメと言わなかっただけで、決していいとは言ってないんだが……」
「ぐ、ぐぬぬ、羨まし——じゃなくて、けしからんッス!」
ふふん、と鼻を鳴らすファティマにアポロニアは暫く複雑な表情を浮かべて唸る。
それは長い長い葛藤を彼女の中で引き起こし、けれど行きついた先はやはり実力行使だった。
「だぁぁぁぁっ!! やっぱり許せんッス!」
「ふぎッ!?」
密着されていた分、ファティマの毛が一気に逆立ったのがよくわかった。
それもそのはずで、なんとアポロニアは全力を持って彼女の長い尻尾を引っ張ったのである。
ゾワゾワとファティマの肌に鳥肌が立ち、堪らず膝の上から転げ落ちていった。
「こ、この駄犬、尻尾を狙うのはタブーですよ!」
「なんとでも言いやがれッス! イチャつく姿を延々見せられるよりか、断ッ然マシッスよ!」
「言いましたね!? ボクの大事な尻尾を狙ったこと、後悔させてあげます!」
べぇと舌を出して廊下へ駆けだすアポロニアに対し、ファティマもフシャーと威嚇の声を上げて全力で後を追っていく。
リビングに残されたのは一陣の風に揺れた暖炉の炎と、床に散らばった掃除道具、そして無言となって取り残された僕だけである。
おかげで静かになった部屋でソファに深く身体を沈れば、自然とため息が口から零れた。
「相変わらず、仲いいよなぁ」
誰も答える者など居ない。さっきまでの騒がしさが嘘のようだ。
そんな空間に1人で居れば、薪の弾ける音と炎の温かさに瞼が重くなるのは自然な事であろう。
だが、危うく眠りこけてしまう寸前、隣から小さな荷重が体に伝わって意識が再浮上する。
――ファティが戻ってきた、か?
寝ぼけ眼を隣へ向ければ、輝く翠玉の瞳がこちらをじっと眺めていた。
それもぴったりと身体をこちらへ寄せ、なんなら小さく腕を絡ませている。
「シューニャ—―あぁ、なるほど」
欠伸をかみ殺しながらの言葉に、彼女は表情も変えないまま返事もしない。
ただこつんと肩に頭をぶつけ、片手で本を開いてそちらに視線を落とす。
これもまたシューニャと向き合ってからの大きな変化であり、彼女は甘えたいときに無言ですり寄ってくるようになっていた。
自分からのスキンシップが苦手だからか、シューニャはこうして静かにやってくる。最初は彼女の意図が分からず混乱したが、普段自室でしか読まないはずの本を持ってくるため、やがて理解が及んだ。
それはきっと彼女なりの照れ隠しなのだろう。だからポンポンと頭を撫でてやれば、より強く身体をこちらへ寄せてくる。
逆に少し放っておくと、焦れてくるのか絡ませた腕を小さく引いてきて面白い。
「なんだい?」
「その……もう少し、してほしい」
「シューニャまで甘えん坊になったなぁ」
やや照れたように言うシューニャの頭を、また優しく撫でる。すると彼女は穏やかに笑いながら読書を続けた。
無論、これも周囲が見逃すはずがないのだが。
「へぇ? 随分大胆な事するようになったのね」
「ッ!!」
突然聞こえた声に、シューニャはビクンと身体を跳ねさせてソファから立ち上がる。
振り返った先には、いつの間にか開かれた扉へもたれかかるようにして、ニヤニヤと笑うマオリィネの姿があった。
ついでに今までお勉強タイムだったポラリスも頬を膨らませている。
「シューナだめだよ! キョーイチはわたしの旦那さんなんだから!」
「じ、事実と齟齬がある。私は本を読んでいただけだし、キョウイチはポラリスと婚姻関係を結んでいない」
「もう少ししてほしい、ですって?」
「うぐっ……い、いつから見ていたの!?」
ニヤニヤと笑うマオリィネに対しシューニャは羞恥に顔を染めて、普段は絶対に出さないであろう大きな声で抗議する。
だが、その必死さは2人の確信を深めさせただけに過ぎなかっただろう。
「さぁ? でもそういうのは、プライベートな場所でやることをおススメするわね」
「それもダメだからね! キョーイチはあげないよ!」
「~~~~ッ!!」
マオリィネがふわりと黒髪を払いながら爽やかな笑みを浮かべれば、最早まともな反論すら浮かばなくなったらしく、シューニャは本を胸に抱えてリビングから逃げ出した。
それをポラリスが囃し立てて追うものだから、彼女にとっては盛大な拷問だっただろう。
残された僕はやれやれと肩を竦めたが、琥珀色の瞳にじっとりと睨まれていることに気付き、再び背筋を伸ばした。
「な、なんだい?」
「いーえ別に。随分甘やかすようになったものだと思っただけよ」
「甘やかしているつもりはないんだが……」
「ふぅん? じゃあ私にもしてくれる?」
呆れ顔が一転、マオリィネは悪戯を思いついたような悪い笑顔を浮かべる。
「え゛っ!? なんでマオが――いやいや、別に嫌とかそういう訳じゃないんだが!」
これには流石に慌てた。何が悲しくて好意を寄せるでもないアラサー男に頭を撫でて欲しいなどと言い出すのか、というものだ。
しかし、その反応が気に入らなかったのか、明らかにマオリィネは不服そうな顔を作ったため、僕は咄嗟に言い訳を口にする。
「はぁ……鈍いのは早々変わるはずもないか。まぁいいわ、明後日を楽しみにしてなさい」
結局再び呆れ顔に戻ったマオリィネは、ため息だけを残してリビングから出て行く。
自分は己惚れているつもりはない。けれど、それが大いなる勘違いを生んでいるのだとすれば、僕にはやはりわからないことだらけなのだ。
その上日常の変化という奴は、女性陣に限った事でもなかったりする。
■
「ここ2日間でみつけた銀貨1枚以上の報酬を出す仕事は、残念ながらこの3つだけです。遺跡の情報も特には……」
そう言ってテーブルにボロボロの依頼書を置くのは、借金返済のために連絡員として雇用されたサフェージュだ。
ダマル曰く、面倒な王都での情報収集を一任し、ついでに仕事も取ってきてもらう便利屋、という立場らしい。
そしてその第一便では、王都に事件無し、ということと、コレクタユニオンの依頼にも稼ぎのいい仕事は少ないということだけだった。
「しょっぺぇなぁオイ。お前手ぇ抜いてねぇか?」
「ちゃ、ちゃんとやってますよ! なんですかいきなり!」
骸骨鎧にサボタージュを疑われて、サフェージュは失礼だと怒る。
だが、そんな疑念はシューニャの一言でかき消された。
「王国のコレクタユニオンにいい仕事が少ないのはいつものこと」
「そうなのか。シューニャが言うなら間違いねぇな」
「ぼくへの信用がないことはよくわかりましたよ……」
一瞬で掌を返したダマルに対し、少年は恨みがましい目線をぶつける。
無論、骸骨がそれにとりあうはずもない。サフェージュは女性と見紛う美しい顔立ちをしているとはいえ、なんといっても男性なのだ。
「で、他に連絡はあるか?」
「はぁ……ウィラミットという方から、大量の服を渡された以外ありませんよ」
「ああ、ありがとう。これで凍え死にする心配もないし、王都で動物園を開く必要もなくなった」
結局あの日、マオリィネを脱出させる計画でごたついたことから、ウィラミットに頼んでいた衣替え用の服を受け取ることは叶わなかった。
耳聡い彼女の事だ。こちらの事情は既に知っていたようで、背負子一杯の衣服をサフェージュに預けてくれたらしい。
彼女にも迷惑をかけたことを思えば、今度何かしらお礼をしなければなるまい。無論、全てが落ち着いてからだが。
僕は報告に1つ頷き、少年の肩を叩いた。
「初仕事、よくやってくれた。それとダマルは基本こういう口調だから、あまり気にしなくていいよ」
「そう、ですか」
少し拗ねた様子で唇を尖らせている彼に、できるだけ優しく労いの言葉をかける。理由はさておき仕事仲間のストレスは、少ない方がいいに決まっているのだ。
そんな僕の対応を見てか、隣に腰を下ろしていたポラリスも、彼に対して同情的な視線を向けた。
「サフ兄ちゃん、ちょっとかわいそうかも」
「やめてよ。よけい惨めになるじゃないか……」
10歳そこらの小柄な少女に憐憫を向けられて、サフェージュは非常に苦しそうな表情を作った。
それもこれも借金を返すまでの辛抱であろうが、それまでに彼の胃に穴が開かないことを祈りたい。
「まぁ相棒がこう言ってんだ、初回報告はマルにしといてやるよ。そんじゃ、次の手紙もしっかり頼むぜ。ちゃんと仕事ができるとこを続けて見せりゃ、信用くらいしてやっからよ」
ダマルから投げ渡される数枚の手紙。
とはいえ、そのほとんどがマオリィネのものだったに違いない。
ただでさえ自分たちには王国の知り合いが少なく、それも手紙を出すような相手となれば片手で数えられそうなものだ。シューニャにならば、多少縁がある相手も居るかもしれないが。
それを受け取ってポーチに仕舞いこんだサフェージュは、微妙な表情を浮かべて内心を小さく呟いた。
「まぁ姐さんに会いに来れる口実があるのはいい、かなぁ」
「なんですか?」
「い、いやっ、なんでもないです! それじゃ!」
僅かに零れた声を聞き取ったらしいファティマが首を傾げれば、初心な少年は逃げるようにしてリビングを出て行った。
そんなサフェージュの様子を見て、アポロニアがクスクスと笑う。
「子どもッスねぇ」
「お前が言うことかよ。大概だろ」
「今日はどこの骨をくれるッスか?」
馬鹿にしたような骸骨の声に、犬娘は貼り付けたような笑顔で答えれば、部外者が居なくなった我が家は平常運転に戻る。
「マオ、何の手紙を出したんだい?」
「王宮への定期報告よ。一応それが役割だし、あとはこの間のいざこざの件を少しだけね」
「王宮への報告って言うと、僕らのことを?」
「まぁそうね。安心して、普通に生活してるだけだとしか書いてないわ」
そう言ってマオリィネは黒髪を軽く払った。
一応にも勅命で縛られている以上、マオリィネの報告を止めることはできない。
とはいえ、彼女が虚偽報告を行わない限り問題は起り得ないと思えば、むしろ安全を立証するいい役割を果たしてくれることだろう。
「別に疑ってなんていないよ。マオを信頼してるのは嘘じゃないんだから」
「ふふ、当然ね」
自信ありげに笑う彼女に、僕も自然と笑いを零す。
とはいえ、物事は小さな方が面倒に傾くことも多々ある。
そしてこの時僕は、彼女が語ったもう1つの手紙について、一切意識を向けていなかったのだ。
ダマルの進言で各々に向き合うという行為を一時休止し、生活の中の変化を観察することが決定された。
そんなことをして何の意味があるのかと僕は思ったが、有無を言わさぬ骸骨の圧力に屈し、訓練やら冬支度やらと変わらぬ日常を過ごしている。
だけのはずだったのだが。
「……あー、ファティ?」
目の前で大きな耳がユラユラと揺れる。それは彼女が頭をぐりぐりと掻いているからに他ならない。
では何故目の前なのかといえば、僕がソファでくつろいでいる上に彼女が寝ころんでいるからである。
「なんですかぁ?」
「なんですかと聞きたいのはこっちだよ。なんで僕の膝に頭乗せて毛繕いしてるんだい」
「おにーさんが暇そうだったので」
「いや確かに暇なんだけどね、そうじゃなくてさ」
ただでさえ数日前から冷え込みは厳しさを増しており、ファティマの体温と暖炉の熱は確かに手放しがたい状況とはなっている。
しかし、いつ雪が降りだすか分からないからといって、常に湯たんぽを抱えて過ごす人間は居ないだろう。
「ダメですか?」
「駄目とまでは言わないが……」
ファティマは膝の上で頭をころりと回転させ、ちょうど仰向けの膝枕状態になってこちらを見上げてくる。
金の瞳から伝わる全力の甘え。さすがにこれを邪険にするのは憚られ、僕は唸るほかなかった。
「んふふ、おにーさんも一緒にぬくぬくしてましょーね」
こちらが拒絶しないとわかるや、ファティマはにんまりと微笑んで身体をよじ登ってくる。
こういう部分が最大の変化であろう。とにかくスキンシップが激化したのだ。
肩に顎を乗せて嬉しそうにゴロゴロと咽を鳴らしつつ目を細める様は、全力で懐き甘える猫そのものだった。
無論、そんな変化を周囲がなんとも思わないはずもない。
「こ、このエロ猫! 昼間っからなんつうイチャつきかたしてるッスかぁ!?」
リビングに入ってきたアポロニアは、手にしていた掃除用品をガラガラと床に落とし、驚愕からか羞恥からなのか、わなわなと身体を震えさせた。
しかも僕が状況を説明するより早く、ファティマは彼女を煽りにかかるのだから手に負えない。
「おにーさんはいいって言いましたもーん」
「んなぁっ!? ご、ご主人、今のホントッスか!?」
「いや僕はダメと言わなかっただけで、決していいとは言ってないんだが……」
「ぐ、ぐぬぬ、羨まし——じゃなくて、けしからんッス!」
ふふん、と鼻を鳴らすファティマにアポロニアは暫く複雑な表情を浮かべて唸る。
それは長い長い葛藤を彼女の中で引き起こし、けれど行きついた先はやはり実力行使だった。
「だぁぁぁぁっ!! やっぱり許せんッス!」
「ふぎッ!?」
密着されていた分、ファティマの毛が一気に逆立ったのがよくわかった。
それもそのはずで、なんとアポロニアは全力を持って彼女の長い尻尾を引っ張ったのである。
ゾワゾワとファティマの肌に鳥肌が立ち、堪らず膝の上から転げ落ちていった。
「こ、この駄犬、尻尾を狙うのはタブーですよ!」
「なんとでも言いやがれッス! イチャつく姿を延々見せられるよりか、断ッ然マシッスよ!」
「言いましたね!? ボクの大事な尻尾を狙ったこと、後悔させてあげます!」
べぇと舌を出して廊下へ駆けだすアポロニアに対し、ファティマもフシャーと威嚇の声を上げて全力で後を追っていく。
リビングに残されたのは一陣の風に揺れた暖炉の炎と、床に散らばった掃除道具、そして無言となって取り残された僕だけである。
おかげで静かになった部屋でソファに深く身体を沈れば、自然とため息が口から零れた。
「相変わらず、仲いいよなぁ」
誰も答える者など居ない。さっきまでの騒がしさが嘘のようだ。
そんな空間に1人で居れば、薪の弾ける音と炎の温かさに瞼が重くなるのは自然な事であろう。
だが、危うく眠りこけてしまう寸前、隣から小さな荷重が体に伝わって意識が再浮上する。
――ファティが戻ってきた、か?
寝ぼけ眼を隣へ向ければ、輝く翠玉の瞳がこちらをじっと眺めていた。
それもぴったりと身体をこちらへ寄せ、なんなら小さく腕を絡ませている。
「シューニャ—―あぁ、なるほど」
欠伸をかみ殺しながらの言葉に、彼女は表情も変えないまま返事もしない。
ただこつんと肩に頭をぶつけ、片手で本を開いてそちらに視線を落とす。
これもまたシューニャと向き合ってからの大きな変化であり、彼女は甘えたいときに無言ですり寄ってくるようになっていた。
自分からのスキンシップが苦手だからか、シューニャはこうして静かにやってくる。最初は彼女の意図が分からず混乱したが、普段自室でしか読まないはずの本を持ってくるため、やがて理解が及んだ。
それはきっと彼女なりの照れ隠しなのだろう。だからポンポンと頭を撫でてやれば、より強く身体をこちらへ寄せてくる。
逆に少し放っておくと、焦れてくるのか絡ませた腕を小さく引いてきて面白い。
「なんだい?」
「その……もう少し、してほしい」
「シューニャまで甘えん坊になったなぁ」
やや照れたように言うシューニャの頭を、また優しく撫でる。すると彼女は穏やかに笑いながら読書を続けた。
無論、これも周囲が見逃すはずがないのだが。
「へぇ? 随分大胆な事するようになったのね」
「ッ!!」
突然聞こえた声に、シューニャはビクンと身体を跳ねさせてソファから立ち上がる。
振り返った先には、いつの間にか開かれた扉へもたれかかるようにして、ニヤニヤと笑うマオリィネの姿があった。
ついでに今までお勉強タイムだったポラリスも頬を膨らませている。
「シューナだめだよ! キョーイチはわたしの旦那さんなんだから!」
「じ、事実と齟齬がある。私は本を読んでいただけだし、キョウイチはポラリスと婚姻関係を結んでいない」
「もう少ししてほしい、ですって?」
「うぐっ……い、いつから見ていたの!?」
ニヤニヤと笑うマオリィネに対しシューニャは羞恥に顔を染めて、普段は絶対に出さないであろう大きな声で抗議する。
だが、その必死さは2人の確信を深めさせただけに過ぎなかっただろう。
「さぁ? でもそういうのは、プライベートな場所でやることをおススメするわね」
「それもダメだからね! キョーイチはあげないよ!」
「~~~~ッ!!」
マオリィネがふわりと黒髪を払いながら爽やかな笑みを浮かべれば、最早まともな反論すら浮かばなくなったらしく、シューニャは本を胸に抱えてリビングから逃げ出した。
それをポラリスが囃し立てて追うものだから、彼女にとっては盛大な拷問だっただろう。
残された僕はやれやれと肩を竦めたが、琥珀色の瞳にじっとりと睨まれていることに気付き、再び背筋を伸ばした。
「な、なんだい?」
「いーえ別に。随分甘やかすようになったものだと思っただけよ」
「甘やかしているつもりはないんだが……」
「ふぅん? じゃあ私にもしてくれる?」
呆れ顔が一転、マオリィネは悪戯を思いついたような悪い笑顔を浮かべる。
「え゛っ!? なんでマオが――いやいや、別に嫌とかそういう訳じゃないんだが!」
これには流石に慌てた。何が悲しくて好意を寄せるでもないアラサー男に頭を撫でて欲しいなどと言い出すのか、というものだ。
しかし、その反応が気に入らなかったのか、明らかにマオリィネは不服そうな顔を作ったため、僕は咄嗟に言い訳を口にする。
「はぁ……鈍いのは早々変わるはずもないか。まぁいいわ、明後日を楽しみにしてなさい」
結局再び呆れ顔に戻ったマオリィネは、ため息だけを残してリビングから出て行く。
自分は己惚れているつもりはない。けれど、それが大いなる勘違いを生んでいるのだとすれば、僕にはやはりわからないことだらけなのだ。
その上日常の変化という奴は、女性陣に限った事でもなかったりする。
■
「ここ2日間でみつけた銀貨1枚以上の報酬を出す仕事は、残念ながらこの3つだけです。遺跡の情報も特には……」
そう言ってテーブルにボロボロの依頼書を置くのは、借金返済のために連絡員として雇用されたサフェージュだ。
ダマル曰く、面倒な王都での情報収集を一任し、ついでに仕事も取ってきてもらう便利屋、という立場らしい。
そしてその第一便では、王都に事件無し、ということと、コレクタユニオンの依頼にも稼ぎのいい仕事は少ないということだけだった。
「しょっぺぇなぁオイ。お前手ぇ抜いてねぇか?」
「ちゃ、ちゃんとやってますよ! なんですかいきなり!」
骸骨鎧にサボタージュを疑われて、サフェージュは失礼だと怒る。
だが、そんな疑念はシューニャの一言でかき消された。
「王国のコレクタユニオンにいい仕事が少ないのはいつものこと」
「そうなのか。シューニャが言うなら間違いねぇな」
「ぼくへの信用がないことはよくわかりましたよ……」
一瞬で掌を返したダマルに対し、少年は恨みがましい目線をぶつける。
無論、骸骨がそれにとりあうはずもない。サフェージュは女性と見紛う美しい顔立ちをしているとはいえ、なんといっても男性なのだ。
「で、他に連絡はあるか?」
「はぁ……ウィラミットという方から、大量の服を渡された以外ありませんよ」
「ああ、ありがとう。これで凍え死にする心配もないし、王都で動物園を開く必要もなくなった」
結局あの日、マオリィネを脱出させる計画でごたついたことから、ウィラミットに頼んでいた衣替え用の服を受け取ることは叶わなかった。
耳聡い彼女の事だ。こちらの事情は既に知っていたようで、背負子一杯の衣服をサフェージュに預けてくれたらしい。
彼女にも迷惑をかけたことを思えば、今度何かしらお礼をしなければなるまい。無論、全てが落ち着いてからだが。
僕は報告に1つ頷き、少年の肩を叩いた。
「初仕事、よくやってくれた。それとダマルは基本こういう口調だから、あまり気にしなくていいよ」
「そう、ですか」
少し拗ねた様子で唇を尖らせている彼に、できるだけ優しく労いの言葉をかける。理由はさておき仕事仲間のストレスは、少ない方がいいに決まっているのだ。
そんな僕の対応を見てか、隣に腰を下ろしていたポラリスも、彼に対して同情的な視線を向けた。
「サフ兄ちゃん、ちょっとかわいそうかも」
「やめてよ。よけい惨めになるじゃないか……」
10歳そこらの小柄な少女に憐憫を向けられて、サフェージュは非常に苦しそうな表情を作った。
それもこれも借金を返すまでの辛抱であろうが、それまでに彼の胃に穴が開かないことを祈りたい。
「まぁ相棒がこう言ってんだ、初回報告はマルにしといてやるよ。そんじゃ、次の手紙もしっかり頼むぜ。ちゃんと仕事ができるとこを続けて見せりゃ、信用くらいしてやっからよ」
ダマルから投げ渡される数枚の手紙。
とはいえ、そのほとんどがマオリィネのものだったに違いない。
ただでさえ自分たちには王国の知り合いが少なく、それも手紙を出すような相手となれば片手で数えられそうなものだ。シューニャにならば、多少縁がある相手も居るかもしれないが。
それを受け取ってポーチに仕舞いこんだサフェージュは、微妙な表情を浮かべて内心を小さく呟いた。
「まぁ姐さんに会いに来れる口実があるのはいい、かなぁ」
「なんですか?」
「い、いやっ、なんでもないです! それじゃ!」
僅かに零れた声を聞き取ったらしいファティマが首を傾げれば、初心な少年は逃げるようにしてリビングを出て行った。
そんなサフェージュの様子を見て、アポロニアがクスクスと笑う。
「子どもッスねぇ」
「お前が言うことかよ。大概だろ」
「今日はどこの骨をくれるッスか?」
馬鹿にしたような骸骨の声に、犬娘は貼り付けたような笑顔で答えれば、部外者が居なくなった我が家は平常運転に戻る。
「マオ、何の手紙を出したんだい?」
「王宮への定期報告よ。一応それが役割だし、あとはこの間のいざこざの件を少しだけね」
「王宮への報告って言うと、僕らのことを?」
「まぁそうね。安心して、普通に生活してるだけだとしか書いてないわ」
そう言ってマオリィネは黒髪を軽く払った。
一応にも勅命で縛られている以上、マオリィネの報告を止めることはできない。
とはいえ、彼女が虚偽報告を行わない限り問題は起り得ないと思えば、むしろ安全を立証するいい役割を果たしてくれることだろう。
「別に疑ってなんていないよ。マオを信頼してるのは嘘じゃないんだから」
「ふふ、当然ね」
自信ありげに笑う彼女に、僕も自然と笑いを零す。
とはいえ、物事は小さな方が面倒に傾くことも多々ある。
そしてこの時僕は、彼女が語ったもう1つの手紙について、一切意識を向けていなかったのだ。
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