悠久の機甲歩兵

竹氏

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定住生活の始まり

第173話 遊覧飛行

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 床にされている石レンガが踏み砕かれ、巻き上がる熱風に積もった砂塵が舞い上がる。
 盾を構える兵士たちが僅かに後ずさり、僕は彼らの作る円の中心に降り立った。
 ブースターの排気に晒され、美しい黒髪が乱れたこと関しては後で謝ろうと思いつつマオリィネへと歩み寄る。すると彼女は、安堵したように小さく琥珀色の瞳を揺らし、口元に小さな笑みを浮かべてくれたため、無作法を怒られる心配はなさそうだ。
 ただ、真っ先に声を上げたのはマオリィネではなく、彼女と相対していたカイゼル髭のナイスミドルである。パレードの時とは異なり鎧こそ着込んでいないが、どこか気品を感じさせるプールポワンと腰に添えられた立派なサーベルから、この男がガーラット・チェサピーク伯爵で間違いないだろう。

「ぬぅっ!? 空を飛ぶリビングメイルだと!?」

「キョウイチ……」

「何!? では彼奴が――!」

 マオリィネの呟きを聞いて、カイゼル髭の瞳に怒りの炎が宿る。
 だが、僕からすればこの髭親父に関してはどちらでもよく、必要なのはマオリィネの確保のみ。であればこそ、自分の口からは自然とため息が漏れた。

『言われた通り来てみたが、シューニャも無茶なことを考えるものだなぁ』

 シューニャ曰く、貴族に翡翠とアマミ・キョウイチの接点が大々的に知られたからには、最早隠すことに意味はない、と。これにはダマルも賛同し、作戦は決行された。
 白昼堂々マキナを用いての示威行為。ここまでやれば如何にガーラット・チェサピークとて、追撃などはできないだろうと踏んだのだ。
 実際兵士たちの間には動揺が広がっていることから、一定以上の効果はあったと見ていい。
 しかし、肝心のガーラット本人は恐れたり怯えたりするどころか、むしろ好都合とばかりに怒りのボルテージを上げ、こちらを指さしながら怒声を響かせてくる。

「貴様が……吾輩の可愛いマオリィネをたぶらかしたアマミ・キョウイチとやらか!」

『そんな覚えはありませんが、ただまぁ今回は本人の希望ですので、彼女は連れて行かせてもらいますよ。チェサピーク伯爵』

 僕はマオリィネを背に隠すようにして老貴族と相対する。
 その様子にガーラットは激しく歯を鳴らした。何せ、今まで愛弟子として接してきたであろう彼女が、すんなりとこちらの背に隠れたのを見せつけられたのだから。
 そして人間とは怒りが頂点を迎えると、表情が消える瞬間が訪れる。それは燃え盛る赤い炎が、潤沢な酸素を得て青くなるのと似ていた。

「この吾輩の前でよくぞそのような口を利けたものよ。ならば見事この屍を乗り越えて見せるがよい」

 驚くほど滑らかに、彼は自らの得物を引き抜いた。
 太陽の光を浴びて銀に輝く刀身に落ち着き払った表情が映り込む。だがその後ろでは、強く激しい怒りの奔流が空間を歪めるように揺らめいていた。

「え゛っ!? ガーラット様、いけません――!」

「きえぇぇぇぇぇぇぇぃ!!」

 マオリィネが静止するのも聞かず、猿叫を上げながらガーラットは飛び込んでくる。
 その太刀筋は今までに見た誰よりも速く鋭い。ファティマを翻弄したマオリィネが師と仰ぐ男の実力に、マキナ越しで僕は小さく息を呑んだ。

『なるほど……マオが強いわけだ。こりゃ生身じゃなくて良かった』

 的確に首を狙った一振りを反射的に持ち上げた左腕で受ければ、刃と装甲の間に火花が飛び散った。
 翡翠を着装していなければ、腕ごと首が飛んでいただろう。きちんと防げているはずなのに、気迫だけで首が繋がっているか不安になった。
 ファティマやヘルムホルツとは違った意味で、戦いたくない相手と言っていい。
 一方、必殺の一閃を防がれたことに対してか、ガーラットは表情を苦々しげに歪めた。

「腕にさえ刃が通らぬか。だが、その程度で吾輩の闘志を破れると思うでないぞ!」

『そう、ですか』

 握りなおされたサーベルが再び煌めく。
 瞬く間に何度も刃が装甲を撫で、金属同士がぶつかりあう派手な音が響き渡った。
 だが、その最後の一振りを、僕はハーモニックブレードで捉える。
 高速振動で複合装甲さえ貫く技術の刃。それは打ち合わせた途端に、美しいサーベルを中ほどから滑るように斬り飛ばした。
 回転しながら飛んだサーベルの刃が、戦いを呆然と眺めていた兵士の盾に突き刺さり、人の壁から悲鳴が上がる。

「し、真銀の剣を、一振りで断ち切っただと……?」

 自らの愛刀を失った衝撃か、ガーラットは振り抜いた姿勢のままで固まっていた。
 正直なところ、自分としても冷や汗ものである。上手く合わせられたからよかったものの、下手に踏み込んでハーモニックブレードを振れば、ガーラットもろとも真っ二つにしてしまう危険があったのだから。
 それで王国と敵対するのはもちろん、何よりマオリィネに恨まれるようなことをしたいはずもない。
 だからこそ、武器だけを破壊して戦意を奪えたのは最良の結果と言えるだろう。
 誰にも気づかれないように胸を撫でおろした僕は、マオリィネへと向き合った。

『では、自分はこれにて。マオ、ちょっと失礼するよ』

「ちょっと、キョウイチ何を――きゃぁ!?」

 金属に覆われたマキナの手で、僕は彼女の軽い身体を抱きかかえる。

『しっかり掴まっててくれ。快適な空の旅にご案内だ』

 マオリィネだけではなく、その言葉を聞いた誰もが唖然としていた。
 実際、シューニャから作戦の詳細説明を受けた際、僕も同じような顔をさせられている。
 翡翠はカタログスペックの上で、玉泉重工製のどのマキナよりもジャンプブースターの推進力が高い。
 とはいえ、産みの親であるリッゲンバッハ教授も、人を抱えて空を舞うテストなどしたことはなかっただろう。にもかかわらず、我らが整備士が軽いノリで、いけるだろ? などと口にしたものだから、シューニャは自ら発案した作戦に自信を深め、ゴーサインを出してしまったのだ。
 そして一度作戦が動き出せば、それがいかに無謀であろうと、兵士は決定に従って走るのみ。だから自分は躊躇わない。

「うひゃああああああああああああ!?」

 マオリィネの叫びを纏いながら、翡翠の足が城壁の縁を蹴り、支えるもののない宙へと舞い上がる。
 ジャンプブースターの推進力だけで飛ぶマキナはどん臭い。だからこそ企業連合軍は晩年、空戦に特化したロシェンナに苦戦を強いられ、汎用的な空戦ユニットを設計して無理矢理対応していた。
 そして現在、空戦ユニットなど装備しているはずもない翡翠は、右へ左へよろめきながら無理矢理飛んでいる。

『加減して飛ぶってのは、意外と神経使うね』

 推進力を高めれば多少安定するだろうが、速度を上げれば生身のマオリィネへの負担は確実に大きくなる。
 だが、低速飛行は驚くほど不安定で、僕は姿勢制御に中々苦戦していた。
 一方、そんなことを考慮してくれるはずもない同乗者は、金切り声を上げて首にしがみついてくる。

「無理無理無理、降ろしてぇ! 私高いとこダメなの!」

『はっはっは、そりゃあ困ったなぁ』

 マオリィネが高所恐怖症だとは、博識なシューニャでも知らなかったのだろう。だが、今更なので僕はカラカラと笑い飛ばす。

「全っ然困ってないじゃない! 鬼畜、人でなし――んみゃあああああああああ!?」

 風に機体が揺れる度、彼女は普段絶対に見せたくないであろう派手な取り乱し方をしてくれるので面白い。
 しかし、叫ぶ度に足をばたつかせ、涙と鼻水をぼたぼた流しながらしがみついてこられては、姿勢制御はより一層難易度が高くなっていた。

『怖がるのはいいが、着地する時に叫んでると舌噛むよ』

 苦し紛れに放った僕の言葉が、彼女の耳に届くことはない。
 結局のところ、草原の中に停車した玉匣の前に翡翠が着地する瞬間まで、マオリィネの喚く声は途切れることなく、出迎えてくれた面々の前でいきなりで醜態を晒すこととなったのだった。


 ■


「うむむむむ……」

 はこれ以上ないくらいに悩んでいた。
 早朝から英雄一行が隠れるように動き出したのは、野次馬を避けるためだっただろう。そこまではむしろ好都合だと思ったのだが。
 そそくさと門を潜った彼らの後を追いかけてみれば、なんと一行は人が消えると噂の遺跡へと足を向けたのである。
 いきなり消されるなんてまっぴらごめんだとは思ったものの、しかし怖い物見たさもあって、その者は恐る恐る追跡を続けた。
 しかし、いざ遺跡に着いてみれば、たちまち聞いたこともない異様な音が響き渡り、身の危険を感じて転げるように交差点までを逃げ帰ってしまったのである。

「やっぱり英雄と呼ばれるだけあって、普通の考えじゃ通用しない、かぁ」

 その呟きには負け惜しみがこれでもかと含まれていた。
 だがその者は、そんな悔しさをいとも容易く吹き飛ばす事態が目前に迫っているとは、夢にも思わなかっただろう。

「……はぇ?」

 ピクリと動く白い耳。キメラリア特有の獣らしいパーツが、人より早くまたも聞き覚えのない音を拾う。
 それは徐々に大きくなり、紫色の瞳が驚愕に大きく見開かれた。

「うぉ、ウォーワゴン!?」

 遺跡にだけ繋がった一本道から現れたのは、獣もなく走る鋼の車である。
 その者は轟音を立てて突き進んでくるそれに驚き、また転がるようにしてコゾ畑に飛び込んだ。
 泥に汚れたキメラリアになど目もくれず、ウォーワゴンは猛然と走り去る。周囲の人々も含め、その者はただただ唖然とするほかなかった。
 至る現在。
 ようやく冷静に働くようになった頭で、その者は必死で考える。

「さっきのあれが英雄の物だとしたら……追いかけるべきなんだろうけど……うーん」

 石の上に腰かけていても妙案など浮くはずもない。
 道に残された跡を追いかけるのは難しくないだろうが、鋼のウォーワゴンの噂が本当だった以上、下手に近づくのも恐ろしく思えて手が震える。
 そのほとんど詰みに近い思考に、その者はため息をついてがっくりと項垂れた。

「あの……そこの、フーリー、さん?」

「え?」

 高い声にその者が顔を上げてみれば、そこには緑色の羽毛を持ったクシュの少女が、心配そうな顔をして立っていた。
 それもキメラリアとしては非常に珍しいお着せ姿であり、隣には主人らしき貴族の女性も一緒である。
 その者は訝し気な目を2人に対して向けたが、まさか彼女らが英雄の関係者であろうとは、夢にも思っていなかった。


 ■


 自宅に戻ってこれたのは日が暮れてからだった。
 それも最大目標であった、消耗品の買い出しが果たせていないため、精神的な疲労が非常に大きくのしかかる。

「なんだか無駄に疲れたなぁ」

 枯れ木を放り込んだ暖炉の前で、僕はファティマとポラリスにのしかかられながら、ぐったりとソファに身体を預けていた。

「だ、だから、悪かったってば……」

「別にマオのせいじゃないだろう」

 部屋の中で居心地悪そうに身体を揺する彼女に、ひらひらと手を振って気にするなと意志表示を送る。
 不幸な事故だったのだと思いつつため息をつけば、自分の隣にアポロニアが渋い顔で腰を下ろした。

「でもご主人、これじゃ明日のご飯が無いッスよ」

「……明日はポロムルかな」

 冷蔵庫の中身を管理する彼女の言葉は重い。
 それを聞いたマオリィネは余計に小さくなった気がしたが、この際は仕方ないだろう。
 しかし、そんな重苦しい部屋の空気に、シューニャは扉を開けるなり問題ないと言い放った。

「こうなることは想定の範囲内。だから既に手は打ってあるし、ポロムルへ行く必要はないはず」

「一体、どんな手を?」

 彼女が自分と離れて行動していたのは、ウィラミットの店の中と夜に少し出掛けただけである。
 僅かそんな時間だけで一体何ができるというのか、と僕が不思議そうな顔をすると、シューニャはどこか自信ありげな声を出す。

「クローゼに行商を呼んでもらうよう頼んでおいた」

 あの夜中に店など開いているはずもない。
 だからこそ、シューニャはコレクタユニオンにあの紙片を放り込んできたのだと言う。
 仮とはいえクローゼはコレクタユニオンの支配人であり、そのうえ王国貴族の一員でもある。それを躊躇いなく顎で使うシューニャに、僕は僅かな恐怖さえ覚えた。

「現代で通販ね……今度クローゼさんにお詫びしないと」

「私も謝るわ。少なくとも原因は私なんだから」

「ああ、そうしてくれると、助かるよ」

 腹の上で響くファティマの咽の音を聞きながら、ぼんやりと菓子折りの内容を考える。
 現代の謝罪における作法など知らないが、せめて気持ちくらいは伝えておかなければならないだろう。
 拾って来ただけの適当な薪が、暖炉の中で弾けて火の粉を散らす中、炎が揺らめくのを眺めていれば、僕の意識は思考の海の中で、ゆっくりと睡魔に沈められていった。
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