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定住生活の始まり
第172話 彼女の居場所
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以前と同じ角の部屋で、マオリィネは事のいきさつを説明していた。
勅令で僕の目付け役となること、それをガーラット・チェサピークという男が結婚話だと勘違いしたこと、それによって彼女がチェサピーク伯爵家の屋敷に半幽閉状態であったこと。
聞いているだけで、事態のしょうもなさを理解できる内容である。
「と、いうことなのよ。協力してくれない?」
おかげで、話し終えたマオリィネは非常に申し訳なさそうに頭を下げた。
そんな様子にさえも遠慮のないファティマは、しっかり欠伸をかみ殺しつつ、再度その場でゴロリと横になる。
「ふぁぁ……ぽっと出は毎回面倒な事もってきますよね」
「でもそのチェサピーク伯爵とやらは、なんで勅命に背いてマオリィネを逃がさないようにしてるッスか?」
勅命とは、まさに命に代えてもというべき絶対命令である。
本来ならば発された時点で臣下は遂行の義務を負う。それを万が一にも拒むようなことがあれば、相当の罰が与えられて然るべきものだ。
しかしアポロニアの疑問に対し、マオリィネは弱弱しく首を振った。
「ガーラット様は私を溺愛してくれているのだけれど、ちょっと度が過ぎてるのよ。私に縁談の話が来るたび、相手の家に脅迫文を送りつけるくらいだもの」
「うへぇ……マオリィネの結婚はまだまだ遠そうッスね」
「拗らせたオッサンは厄介だからなァ」
アポロニアは舌を出して露骨に嫌悪感を露わにし、ダマルは見慣れているとでも言いたげに骨をカチカチ慣らす。
貴族に自由恋愛は難しいだろうが、加えて縁談を妨害する老いぼれが居ては、進む話も進まない。考えるだけでとんでもない存在であった。
誰もが同情を心に抱いただろう。そんな中でシューニャだけは冷静に状況を考察していたのか、はてと小首を傾げた。
「その話とキョウイチの目付け役をこなすことの接点が見つからない。ガーラット・チェサピークは何を警戒してる?」
それもそうだと全員が揃ってマオリィネへ顔を向ける。
すると彼女は非常に辛そうに額を押さえると、コンプレッサーのドレン弁を抜いたような長い長い溜息をついた。
「わかるでしょう……キョウイチが私に手を出すんじゃないか、ってことよ」
どこかで梟のような声が聞こえた気がする。それくらいに部屋の中から音が発されなかったのだろう。
頭のねじが全部吹っ飛んでるのかと思うような発言から生まれた静寂を、近所迷惑を無視した大爆笑で打ち破ったのはダマルだった。
「カーッカッカッカ! そりゃあり得ねぇな! こんだけ女に囲まれときながら、誰にも手を出さねぇ、ドがつくヘタレだぜ?」
「言い方が悪いなラフィンスカル君。身持ちが堅くて人畜無害なことの何が悪いんだい」
僕はそう言ってガチャガチャうるさい骸骨を小突いた。
ストリのことがあるとはいえ、自分だって男である。時折見せる彼女らの無防備さに悶々とする夜だってゼロではない。
そんな中でもコミュニティの和を乱さないというのは、玉匣という少人数の集まりでは非常に重要だろう。それこそ誰かと恋愛関係など下手に築けば、周囲が居づらくなることは必至だ。
その辺りは正しく評価されているだろうと、僕は考えていた。少なくともダマル以外には。
しかし、実際突き付けられた現実は非情と言うべきものである。
「キョウイチが優柔不断なのはこの際どうでもいいのよ。そんなこと、ガーラット様が聞くわけないのだから」
さらりと後ろ髪を払いながら、マオリィネは驚くほど高威力の砲弾を胸に撃ち込んでくる。
なるほど彼女にはそういう風に見られていたのか。考えるだけで、心の装甲に生じた凄まじい亀裂がじわじわと拡大する。もしかすると遅延信管を利用した対艦砲弾だったのかもしれない。
だが、自分が如何に軟弱なメンタルの持ち主であったとしても、これだけで打ち倒されるほどではない。そう思いつつ必死でダメージコントロールを行っていた最中、しかし更なる攻撃が予期せぬ方向から襲いかかった。
「悪口は慎むべき。キョウイチはただ他人の想いに対して極端に疎いだけ」
「そーですよ! かなりぶきっちょなだけです!」
鋭い視線でマオリィネの発言撤回を求めるシューニャと、それに同調して八重歯を輝かせながら力強く拳を握りこむファティマだった。
彼女らに悪意など欠片もないに違いない。しかし悪意がないならば、それは純粋な心から発された評価であり、先のマオリィネの言葉以上に僕へ重篤な被害をもたらした。
「ご主人、大丈夫ッスか?」
胸を押さえて震える僕に対し、アポロニアが困ったような笑顔を向けてくる。
「ちょっと……そっとしておいてくれないか……」
「あの、アポロニアはいつでもご主人の味方ッスからね」
よしよしと頭を撫でてくる小さな手に、僕は慈母の姿を見た気がした。
傷を舐め合う行為に意味はないかもしれない。だが、人は何かに縋らねば生きていけぬ時もあるのだ。
僕がアポロニアの光に浄化され震える一方、ダマルは身体をカタカタ揺らしつつ、あー笑った、と言いながら話を続けた。
「まぁとりあえずその色呆け爺が、ウチの不能野郎を疑ってるのはわかった。だが、そいつが伯爵様だってんなら、町からお前を連れ出すのは簡単じゃなさそうだな」
「そうなのよ」
なんせ軍権を握るような貴族である。下手な事をすれば王国といきなり敵対関係になりかねないため、ダマルとマオリィネは揃ってうーむと首を捻った。
しかしそれに対して、シューニャは表情こそ変えないものの、やや自信に満ちた声を出す。
「そうでもない。マオリィネがここに居るなら、やりようはある」
彼女はそれだけ言うと、蝋燭を片手に小さな紙に何かをサラサラと書くと、揺らめく火にかざしてそれを乾かし始める。
シューニャにしては珍しく誰の賛否も聞かないままの行動であり、全員が呆気にとられた。
「いい案があるの?」
これを不安に思ったのか、当事者であるマオリィネは紙片を覗き込もうと彼女に歩み寄った。
しかしシューニャは、隠すように紙片を折り畳んでポーチに仕舞いこむと、内容の一切を語ることなく愛用のポンチョを身に纏う。
「全部後で話す。ファティ、少し出掛けるからついてきて」
「はぁい」
夜中だと言うのにきらりと輝くエメラルドの瞳はどこか好奇心に満ちて、知識欲全開モードの様子である。
こうなっては止められないことくらい誰もが先刻御承知であり、あっという間に廊下へと消えていく。それに斧剣だけを背負った軽装のファティマも、苦情の1つも言わないままで後に続いた。
それを無言で見送ったマオリィネは非常に不安そうな表情を浮かべており、助けを求めてこちらを振り向く。
「私、死んだりしないわよね?」
「流石にそりゃねぇだろうが……ありゃあ、完全にロクでもねぇこと考えてる顔だったからなんともなァ。恭一、放っといていいのか」
「まぁシューニャだし、多分大丈夫だよ。多分ね」
部屋に流れる拭いきれない不穏な空気。
ただそれさえも、心を木端微塵に破壊されてアポロニアに撫でられ続けていた僕にとっては、どうでもいいことだった。
この段階では、だが。
■
翌朝。
市壁の門が開かれると同時にチェサピーク家の私兵部隊は、その総力を結集し庶民街で大規模なローラー作戦を敢行していた。
民衆への聞き込みや街頭での情報提供の呼び掛けに始まり、過激なものでは隠れられそうと判断された場所や建物に対する強制捜査まで、とにかくあらゆる手段を駆使してである。
「マオリィネは居たかぁ!?」
「いえ、残念ながらまだ。門兵も見ておらぬようですし」
「ならばまだ平民街に居るはずだ。草の根分けても探し出せぃ!」
「了解であります……はぁ」
ただ、指揮官であるガーラットがフランベのように燃え上がる一方、それに付き合わされている兵たちの士気は極限まで低い状態で維持されていた。
傍付きをしている兵卒はため息に乗せて思う。戦場ではあれほど頼りになる巨木のような武将なのに、なぜ弟子のことになるとここまで暴走できるのか、と。
彼の心中は、一刻も早く見つけるなり諦めるなりしてもらって、酒かっくらって寝たいという、これ以上ないくらいささやかな物だった。
ただでさえピリピリした空気に晒され続けているのだ。彼ほどガーラットに並んで朗報を望む者は居なかっただろう。
それは太陽が中天を指すころになって、ようやくもたらされた。
「報告! 南東部城壁付近でトリシュナー令嬢を見かけたとの情報が入りました!」
いつ胃が壊れるかと思っていた傍付きはようやく安堵の息を漏らす。
しかし、その背後でガーラットはいよいよ増して口から気炎を吐いた。
「よぉし……包囲網を敷いて確実に捕らえよ。しかし、丁重に扱うのだぞ。怪我をさせたり泣かせたりした者はその場で首を斬る」
これほど理不尽で冗談じみた命令は過去になかっただろう。
しかし、歴戦の将であるガーラット・チェサピークの言葉には一切の冗談など混ぜられておらず、その場に居合わせた兵たちは一様にすくみ上った。
心労ここに極まれり。だが、カイゼル髭はそんな彼らを一切勘定に入れず、ただマオリィネのためを思って走り出し、彼らは愚痴も言えないままそれに続く他なかったのである。
■
「御令嬢お待ちください! 御令嬢!」
「ああもう、来ないでったら!」
城壁の石階段を駆け上りながら、私は後ろに向かって叫ぶ。
これでもかなり隠れ続けられた方ではあるが、流石に城壁というあからさまな場所に逃げ込んでしまえば、発見されるのは道理だった。
とはいえ、それがシューニャから伝えられた作戦である以上、私には信じて従うことしかできない。
そして迫ってくるチェサピーク家の私兵たちの立場もよくわかるため、無闇に反撃したりもできずに、結局水掛け論を続けながら逃げ続ける。
「追わぬ訳にはいかんのです! 自分たちが伯爵に殺されてしまいます故!」
「ほんっと困った師匠様なんだから……そーゆーとこが嫌いって伝えてあげて!」
「そんなこと、一兵卒の自分らが言えるわけないじゃありませんか!?」
彼らの中にどころか、ガーラット・チェサピークをよく知る人物であれば、こんな伝言を口にすることなどとてもできないだろう。
とにかく必死で逃げ続ければ、全身を武装した兵士たちと、バトルドレスとサーベル以外はまともな装備をしていない自分とでは身軽さが違うため、距離が徐々に開いていく。
そうして辿り着いた城壁の上。吹きすさぶ寒風が身に染みる中、私はその光景にごくりと唾を飲んだ。
「――た、高いところって私苦手、なのに」
僅かに竦む足に喝を入れ、逃げ切れるだけ逃げてやろうと城壁上を走り出す。
しかし、それは数歩進んだ段階で無駄だと分かった。
なんせ目の前には既に、別方面から回り込んできた兵たちが盾を構えて待って居たのだから。
「ご観念を!」
「まぁ、そりゃそうするわよね……シューニャ、本当にこれで大丈夫なの?」
前も後ろも、なんなら今上がってきた階段も、その全てが兵士の壁となってとても抜けられない。
ふぅとため息混じりに肩の力を抜けば、盾の奥からゆっくりと背の高いカイゼル髭が歩み出てきた。
「追いかけっこは終わりだマオリィネ。いきなり逃げ出すとは思わなんだが」
「私は勅命に従うまでです、チェサピーク卿」
兵たちが道を作って歩いてくるという、あまりにも凝りすぎた演出に、私は堅くキツい言葉をあえて選ぶ。
それに対し、悠然と歩いてきていたガーラットは、ゴフゥと咳き込んで膝から崩れかけた。普段ならそのまま倒れ込んでいただろう。
だが、状況が状況であるためか、大きくよろめきながらも無理矢理姿勢と威厳を正してこちらと相対した。
「こ、心がけは結構である。だが時に臣下として、女王陛下の間違いを正す勇気も必要なのだぞ」
「そのような大それたこと、甚だ未熟であるこの身にはとてもできませんから」
「だから吾輩が居るのだ」
努めて穏やかな声で、憂いに満ちた目で、どこか寂し気にガーラットは空を見上げる。
「結局妙案は浮かなんだ。故に、これより吾輩は陛下に勅命の取り下げを申し出るつもりだ。お前はそれが通るまで、安心して部屋で過ごしておればよい」
そのあまりにも絵になる立ち姿に、私は御師匠様と声が出かかったの必死で飲み込んだ。
流されるわけにはいかない。それが自分で決めた選択であり、既にキョウイチたちとの間に交わした約束なのだから。
「英雄アマミの目付けは王国にとって必須です。それとも、彼と敵対するおつもりですか?」
「珍しいこともある物だな。聞き分けの良かったお前が、何故そこまでこだわる?」
驚いたように、モノクルの奥で青い目が見開かれる。
それは核心を突いた質問で、だから初めて言葉を聞いてもらえたような気がして、私はようやく大恩ある師に笑顔を向けられた。
「……私自身が、望んで手に入れた居場所だからよ」
「マオリィネ、それは――」
ガーラットは僅かに1歩後退し、首を横に振る。
挙句その掠れるような声は、何処かから響いた兵士の声でかき消された。
「お、おい、あれはなんだ!?」
さざ波が広がるように全員の視線が城壁の外側。翼を持つ者だけが自由を約束された世界へ向けられる。
私でさえその姿に驚愕したのだ。見たこともない彼らが驚かないはずもない。
青空に溶け込むようにして飛翔する青い鎧の姿。それが僅かな白煙と陽炎を後ろに引きながら、こちらを見据えて近づいてきていたのだから。
勅令で僕の目付け役となること、それをガーラット・チェサピークという男が結婚話だと勘違いしたこと、それによって彼女がチェサピーク伯爵家の屋敷に半幽閉状態であったこと。
聞いているだけで、事態のしょうもなさを理解できる内容である。
「と、いうことなのよ。協力してくれない?」
おかげで、話し終えたマオリィネは非常に申し訳なさそうに頭を下げた。
そんな様子にさえも遠慮のないファティマは、しっかり欠伸をかみ殺しつつ、再度その場でゴロリと横になる。
「ふぁぁ……ぽっと出は毎回面倒な事もってきますよね」
「でもそのチェサピーク伯爵とやらは、なんで勅命に背いてマオリィネを逃がさないようにしてるッスか?」
勅命とは、まさに命に代えてもというべき絶対命令である。
本来ならば発された時点で臣下は遂行の義務を負う。それを万が一にも拒むようなことがあれば、相当の罰が与えられて然るべきものだ。
しかしアポロニアの疑問に対し、マオリィネは弱弱しく首を振った。
「ガーラット様は私を溺愛してくれているのだけれど、ちょっと度が過ぎてるのよ。私に縁談の話が来るたび、相手の家に脅迫文を送りつけるくらいだもの」
「うへぇ……マオリィネの結婚はまだまだ遠そうッスね」
「拗らせたオッサンは厄介だからなァ」
アポロニアは舌を出して露骨に嫌悪感を露わにし、ダマルは見慣れているとでも言いたげに骨をカチカチ慣らす。
貴族に自由恋愛は難しいだろうが、加えて縁談を妨害する老いぼれが居ては、進む話も進まない。考えるだけでとんでもない存在であった。
誰もが同情を心に抱いただろう。そんな中でシューニャだけは冷静に状況を考察していたのか、はてと小首を傾げた。
「その話とキョウイチの目付け役をこなすことの接点が見つからない。ガーラット・チェサピークは何を警戒してる?」
それもそうだと全員が揃ってマオリィネへ顔を向ける。
すると彼女は非常に辛そうに額を押さえると、コンプレッサーのドレン弁を抜いたような長い長い溜息をついた。
「わかるでしょう……キョウイチが私に手を出すんじゃないか、ってことよ」
どこかで梟のような声が聞こえた気がする。それくらいに部屋の中から音が発されなかったのだろう。
頭のねじが全部吹っ飛んでるのかと思うような発言から生まれた静寂を、近所迷惑を無視した大爆笑で打ち破ったのはダマルだった。
「カーッカッカッカ! そりゃあり得ねぇな! こんだけ女に囲まれときながら、誰にも手を出さねぇ、ドがつくヘタレだぜ?」
「言い方が悪いなラフィンスカル君。身持ちが堅くて人畜無害なことの何が悪いんだい」
僕はそう言ってガチャガチャうるさい骸骨を小突いた。
ストリのことがあるとはいえ、自分だって男である。時折見せる彼女らの無防備さに悶々とする夜だってゼロではない。
そんな中でもコミュニティの和を乱さないというのは、玉匣という少人数の集まりでは非常に重要だろう。それこそ誰かと恋愛関係など下手に築けば、周囲が居づらくなることは必至だ。
その辺りは正しく評価されているだろうと、僕は考えていた。少なくともダマル以外には。
しかし、実際突き付けられた現実は非情と言うべきものである。
「キョウイチが優柔不断なのはこの際どうでもいいのよ。そんなこと、ガーラット様が聞くわけないのだから」
さらりと後ろ髪を払いながら、マオリィネは驚くほど高威力の砲弾を胸に撃ち込んでくる。
なるほど彼女にはそういう風に見られていたのか。考えるだけで、心の装甲に生じた凄まじい亀裂がじわじわと拡大する。もしかすると遅延信管を利用した対艦砲弾だったのかもしれない。
だが、自分が如何に軟弱なメンタルの持ち主であったとしても、これだけで打ち倒されるほどではない。そう思いつつ必死でダメージコントロールを行っていた最中、しかし更なる攻撃が予期せぬ方向から襲いかかった。
「悪口は慎むべき。キョウイチはただ他人の想いに対して極端に疎いだけ」
「そーですよ! かなりぶきっちょなだけです!」
鋭い視線でマオリィネの発言撤回を求めるシューニャと、それに同調して八重歯を輝かせながら力強く拳を握りこむファティマだった。
彼女らに悪意など欠片もないに違いない。しかし悪意がないならば、それは純粋な心から発された評価であり、先のマオリィネの言葉以上に僕へ重篤な被害をもたらした。
「ご主人、大丈夫ッスか?」
胸を押さえて震える僕に対し、アポロニアが困ったような笑顔を向けてくる。
「ちょっと……そっとしておいてくれないか……」
「あの、アポロニアはいつでもご主人の味方ッスからね」
よしよしと頭を撫でてくる小さな手に、僕は慈母の姿を見た気がした。
傷を舐め合う行為に意味はないかもしれない。だが、人は何かに縋らねば生きていけぬ時もあるのだ。
僕がアポロニアの光に浄化され震える一方、ダマルは身体をカタカタ揺らしつつ、あー笑った、と言いながら話を続けた。
「まぁとりあえずその色呆け爺が、ウチの不能野郎を疑ってるのはわかった。だが、そいつが伯爵様だってんなら、町からお前を連れ出すのは簡単じゃなさそうだな」
「そうなのよ」
なんせ軍権を握るような貴族である。下手な事をすれば王国といきなり敵対関係になりかねないため、ダマルとマオリィネは揃ってうーむと首を捻った。
しかしそれに対して、シューニャは表情こそ変えないものの、やや自信に満ちた声を出す。
「そうでもない。マオリィネがここに居るなら、やりようはある」
彼女はそれだけ言うと、蝋燭を片手に小さな紙に何かをサラサラと書くと、揺らめく火にかざしてそれを乾かし始める。
シューニャにしては珍しく誰の賛否も聞かないままの行動であり、全員が呆気にとられた。
「いい案があるの?」
これを不安に思ったのか、当事者であるマオリィネは紙片を覗き込もうと彼女に歩み寄った。
しかしシューニャは、隠すように紙片を折り畳んでポーチに仕舞いこむと、内容の一切を語ることなく愛用のポンチョを身に纏う。
「全部後で話す。ファティ、少し出掛けるからついてきて」
「はぁい」
夜中だと言うのにきらりと輝くエメラルドの瞳はどこか好奇心に満ちて、知識欲全開モードの様子である。
こうなっては止められないことくらい誰もが先刻御承知であり、あっという間に廊下へと消えていく。それに斧剣だけを背負った軽装のファティマも、苦情の1つも言わないままで後に続いた。
それを無言で見送ったマオリィネは非常に不安そうな表情を浮かべており、助けを求めてこちらを振り向く。
「私、死んだりしないわよね?」
「流石にそりゃねぇだろうが……ありゃあ、完全にロクでもねぇこと考えてる顔だったからなんともなァ。恭一、放っといていいのか」
「まぁシューニャだし、多分大丈夫だよ。多分ね」
部屋に流れる拭いきれない不穏な空気。
ただそれさえも、心を木端微塵に破壊されてアポロニアに撫でられ続けていた僕にとっては、どうでもいいことだった。
この段階では、だが。
■
翌朝。
市壁の門が開かれると同時にチェサピーク家の私兵部隊は、その総力を結集し庶民街で大規模なローラー作戦を敢行していた。
民衆への聞き込みや街頭での情報提供の呼び掛けに始まり、過激なものでは隠れられそうと判断された場所や建物に対する強制捜査まで、とにかくあらゆる手段を駆使してである。
「マオリィネは居たかぁ!?」
「いえ、残念ながらまだ。門兵も見ておらぬようですし」
「ならばまだ平民街に居るはずだ。草の根分けても探し出せぃ!」
「了解であります……はぁ」
ただ、指揮官であるガーラットがフランベのように燃え上がる一方、それに付き合わされている兵たちの士気は極限まで低い状態で維持されていた。
傍付きをしている兵卒はため息に乗せて思う。戦場ではあれほど頼りになる巨木のような武将なのに、なぜ弟子のことになるとここまで暴走できるのか、と。
彼の心中は、一刻も早く見つけるなり諦めるなりしてもらって、酒かっくらって寝たいという、これ以上ないくらいささやかな物だった。
ただでさえピリピリした空気に晒され続けているのだ。彼ほどガーラットに並んで朗報を望む者は居なかっただろう。
それは太陽が中天を指すころになって、ようやくもたらされた。
「報告! 南東部城壁付近でトリシュナー令嬢を見かけたとの情報が入りました!」
いつ胃が壊れるかと思っていた傍付きはようやく安堵の息を漏らす。
しかし、その背後でガーラットはいよいよ増して口から気炎を吐いた。
「よぉし……包囲網を敷いて確実に捕らえよ。しかし、丁重に扱うのだぞ。怪我をさせたり泣かせたりした者はその場で首を斬る」
これほど理不尽で冗談じみた命令は過去になかっただろう。
しかし、歴戦の将であるガーラット・チェサピークの言葉には一切の冗談など混ぜられておらず、その場に居合わせた兵たちは一様にすくみ上った。
心労ここに極まれり。だが、カイゼル髭はそんな彼らを一切勘定に入れず、ただマオリィネのためを思って走り出し、彼らは愚痴も言えないままそれに続く他なかったのである。
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「御令嬢お待ちください! 御令嬢!」
「ああもう、来ないでったら!」
城壁の石階段を駆け上りながら、私は後ろに向かって叫ぶ。
これでもかなり隠れ続けられた方ではあるが、流石に城壁というあからさまな場所に逃げ込んでしまえば、発見されるのは道理だった。
とはいえ、それがシューニャから伝えられた作戦である以上、私には信じて従うことしかできない。
そして迫ってくるチェサピーク家の私兵たちの立場もよくわかるため、無闇に反撃したりもできずに、結局水掛け論を続けながら逃げ続ける。
「追わぬ訳にはいかんのです! 自分たちが伯爵に殺されてしまいます故!」
「ほんっと困った師匠様なんだから……そーゆーとこが嫌いって伝えてあげて!」
「そんなこと、一兵卒の自分らが言えるわけないじゃありませんか!?」
彼らの中にどころか、ガーラット・チェサピークをよく知る人物であれば、こんな伝言を口にすることなどとてもできないだろう。
とにかく必死で逃げ続ければ、全身を武装した兵士たちと、バトルドレスとサーベル以外はまともな装備をしていない自分とでは身軽さが違うため、距離が徐々に開いていく。
そうして辿り着いた城壁の上。吹きすさぶ寒風が身に染みる中、私はその光景にごくりと唾を飲んだ。
「――た、高いところって私苦手、なのに」
僅かに竦む足に喝を入れ、逃げ切れるだけ逃げてやろうと城壁上を走り出す。
しかし、それは数歩進んだ段階で無駄だと分かった。
なんせ目の前には既に、別方面から回り込んできた兵たちが盾を構えて待って居たのだから。
「ご観念を!」
「まぁ、そりゃそうするわよね……シューニャ、本当にこれで大丈夫なの?」
前も後ろも、なんなら今上がってきた階段も、その全てが兵士の壁となってとても抜けられない。
ふぅとため息混じりに肩の力を抜けば、盾の奥からゆっくりと背の高いカイゼル髭が歩み出てきた。
「追いかけっこは終わりだマオリィネ。いきなり逃げ出すとは思わなんだが」
「私は勅命に従うまでです、チェサピーク卿」
兵たちが道を作って歩いてくるという、あまりにも凝りすぎた演出に、私は堅くキツい言葉をあえて選ぶ。
それに対し、悠然と歩いてきていたガーラットは、ゴフゥと咳き込んで膝から崩れかけた。普段ならそのまま倒れ込んでいただろう。
だが、状況が状況であるためか、大きくよろめきながらも無理矢理姿勢と威厳を正してこちらと相対した。
「こ、心がけは結構である。だが時に臣下として、女王陛下の間違いを正す勇気も必要なのだぞ」
「そのような大それたこと、甚だ未熟であるこの身にはとてもできませんから」
「だから吾輩が居るのだ」
努めて穏やかな声で、憂いに満ちた目で、どこか寂し気にガーラットは空を見上げる。
「結局妙案は浮かなんだ。故に、これより吾輩は陛下に勅命の取り下げを申し出るつもりだ。お前はそれが通るまで、安心して部屋で過ごしておればよい」
そのあまりにも絵になる立ち姿に、私は御師匠様と声が出かかったの必死で飲み込んだ。
流されるわけにはいかない。それが自分で決めた選択であり、既にキョウイチたちとの間に交わした約束なのだから。
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「珍しいこともある物だな。聞き分けの良かったお前が、何故そこまでこだわる?」
驚いたように、モノクルの奥で青い目が見開かれる。
それは核心を突いた質問で、だから初めて言葉を聞いてもらえたような気がして、私はようやく大恩ある師に笑顔を向けられた。
「……私自身が、望んで手に入れた居場所だからよ」
「マオリィネ、それは――」
ガーラットは僅かに1歩後退し、首を横に振る。
挙句その掠れるような声は、何処かから響いた兵士の声でかき消された。
「お、おい、あれはなんだ!?」
さざ波が広がるように全員の視線が城壁の外側。翼を持つ者だけが自由を約束された世界へ向けられる。
私でさえその姿に驚愕したのだ。見たこともない彼らが驚かないはずもない。
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以上をご理解の上でお読みください
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Sランク昇進を記念して追放された俺は、追放サイドの令嬢を助けたことがきっかけで、彼女が押しかけ女房のようになって困る!
仁徳
ファンタジー
シロウ・オルダーは、Sランク昇進をきっかけに赤いバラという冒険者チームから『スキル非所持の無能』とを侮蔑され、パーティーから追放される。
しかし彼は、異世界の知識を利用して新な魔法を生み出すスキル【魔学者】を使用できるが、彼はそのスキルを隠し、無能を演じていただけだった。
そうとは知らずに、彼を追放した赤いバラは、今までシロウのサポートのお陰で強くなっていたことを知らずに、ダンジョンに挑む。だが、初めての敗北を経験したり、その後借金を背負ったり地位と名声を失っていく。
一方自由になったシロウは、新な町での冒険者活動で活躍し、一目置かれる存在となりながら、追放したマリーを助けたことで惚れられてしまう。手料理を振る舞ったり、背中を流したり、それはまるで押しかけ女房だった!
これは、チート能力を手に入れてしまったことで、無能を演じたシロウがパーティーを追放され、その後ソロとして活躍して無双すると、他のパーティーから追放されたエルフや魔族といった様々な追放少女が集まり、いつの間にかハーレムパーティーを結成している物語!
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