悠久の機甲歩兵

竹氏

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定住生活の始まり

第168話 例の約束について

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 宴の後は少しだけ物悲しい。
 それは熱気が過ぎ去ったからなのか、あるいは現実が戻ってくるのを見なければならないからなのか。
 新しい家で迎える初めての夜に、僕は2階のバルコニーで珈琲片手に夜風を浴びていた。

「なんだかんだ、遠くまで来たもんだよ」

 自分が口にしていたことではあるが、まさか豪邸で優雅に珈琲など嗜む日が本当に来ようとは思いもよらなかった。
 どうすれば800年前の兵士が、現代で富豪のようになれるのか。それもつい数か月前には泥水を啜らねばならないくらいに困窮していた放浪者がだ。
 自分はこの先どうなっていくのか。未来を見通す力などない平凡なる我が身には、今が幸福の絶頂なのでは、とさえ思えてくる。

「……ずっと前に大好きだった人、か」

 ポラリスの口から時折現れるストリと重なるような言動に、自分の心は大いに揺らいだ。
 それはストリに対する背信な気もするが、いつまでも塞ぎ込んでいる自分に対し、彼女が仕方なく差し向けた救いの手にも思えてくるのだ。
 答えを聞く手段などどこにもない。それこそ死の先で彼女と会えない限り、自分の心に聞くしかないような話である。

「僕はどうしたいんだろうなぁ」

「何が?」

 虚空に向かって呟いた独り言に、まさか返事が戻ってくるとは思わず、ビクリと肩を跳ね上げるのと同時にマグカップの中で珈琲が波が立った。

「シューニャかい、吃驚したよ」

「寒いバルコニーで考え事しているように見えたから。あまり身体を冷やすのは良くない」

 見れば彼女は家の中だというのに、紺色のポンチョをしっかり着込んでいる。どうにも寒いのはあまり得意でないらしい。

「あぁごめん、心配してくれたのかい?」

「ん。何か悩みがあるなら聞くけれど」

 小さな歩幅でこちらへ歩み寄ってくるシューニャ。1歩分の距離で立ち止まった彼女は、翠玉のような真剣な瞳でこちらを見上げてくる。
 だが、力になろうとしてくれる優しい彼女に、僕は首を横に振った。
 なんせ今まで考えていたことは、自分自身の中で決着をつけなければならない話であり、ポラリスとの出会いによって変化の糸口も掴めそうなのだから。

「いや、大丈夫だよ。それにどちらかと言えば、話を聞いて回らないといけないのは僕の方だろう」

 僕は湯気が消えかかっている温いコーヒーを一気に煽って、ふぅと小さく息をつく。
 そんな様子にか、シューニャは首を傾げていた。

「聞く……って何を?」

「前に僕がマオから言われていた約束があったろう? 向き合えと言われても、僕にはイマイチわかってないんだが、とりあえず全員と話してみようかとは思って――」

 余りにも抽象的すぎる約束だが、交わしてしまった以上は果たしたい。
 ジンクスとして言うならば、出撃の前に約束なんぞするものではないのだろうし、実際僕にはストリとの約束を反故にせざるを得なくなった過去もある。
 とはいえ、今回はそのジンクスも上手く機能しなかったのか、あるいは皆の懸命な支援がそれを断ち切ったのか、約束の対象は誰も失われることなく生き延びることができた。
 ならばこそ、約束は誠実に果たさねばならない。マオリィネ曰く、答えは彼女らが知っているとのことであり、ちょうどいいかと話を切り出したのだが。

「シューニャ? 大丈夫かい」

 シューニャは何故かこちらを見つめたまま呆けており、こちらの声はまるで届いていないようだった。
 あるいは自分の後ろに何か立って居たりするのかと振り返ってみるも、そこには闇が広がるばかりで特に何もない。はて、と目の前で軽く手を振ってみれば、そこでようやく彼女は肩を震わせて、今までに見たことの無いくらいの素早さで後ろへ飛びのいた。

「ん!? だ、大丈夫! 別に、なんでも、ない……」

「そ、そうかい? ならちょうどいいし、少し時間を貰って2人で話しを――」

「えぁ、あの、ごめん! 用事を思い出したから、また今度で!」

 珍しく彼女は視線を泳がせたかと思うと、おどおどした様子で周囲を見回し、最後にぎこちなく頭を下げる。
 用事と言われては止めるわけにも行かず、しかし彼女は僕の返事を聞くより先にポンチョを翻してバルコニーから逃げるように出て行ってしまった。
 それに代わる形で現れた軍作業着姿のダマルが、廊下から顔を覗かせる。

「おい、なんかシューニャがすげぇ勢いで走っていったが、お前何したんだ?」

「いや、特になにも……用事があると言ってたし、それが随分急ぎだったんじゃないかな」

 ほぉん、とダマルは微妙な声を出して頭を掻いた。

「こんな夜中まで用事って、小娘も忙しいんだなァ。まぁなんでもいいんだが、お前もさっさと風呂入れよ。明日は朝から買い出し行くんだろうが」

「そうだね、そうさせてもらおう」

 手を振る骸骨と別れ、バルコニーを出た僕は広い階段を下る。
 実際明日の買い出しはかなり大規模な物になることが予想されていた。
 今日の立食会で使い切った食材の補充、冷蔵庫の導入に伴う生鮮食品類の追加、冬支度として防寒具の獲得が主任務である。
 それに加えて、女性陣は今までの流浪生活では持ち得なかった道具類を買うつもりらしい。何か楽しそうにアポロニアとシューニャが話をしていたのを昼間に見かけた。
 はたして何を買うつもりなのだろう、と適当な想像を巡らせながらキッチンの扉を潜る。するとそこでは、オーカーに染められたタートルネックの袖を捲ったアポロニアが、小気味よい音を立てながら包丁を振るっており、僕が踏み込むと分厚い獣耳を弾きながら、肩越しにこちらを振り向いてくれた。

「ありゃご主人、珈琲お替りッスか?」

「いや、マグカップを洗いに来ただけだよ。アポロは朝ごはんの仕込みかい?」

「そッスよー。朝からぜーんぶ準備するのは大変ッスからねぇ」

「いつも悪いなぁ」

 尻尾を穏やかに振るアポロニアの隣に立ち、文明の利器たる蛇口を捻れば清涼な水が流れてくる。
 それが見ていて楽しいのか、彼女は上機嫌に目を細めた。

「これもお仕事ッスよ。自分はご主人の下働きで雇われてるんスから」

「あぁそうか、そうだったね。居るのが当たり前になりすぎてるなぁ」

「ちょっと照れるッスけど、そう言ってもらえると嬉しいッス。自分もご主人から離れるつもりなんて、これっぽっちも無いッスからね」

 丸い野菜であるアカボの皮を剥きながら、アポロニアは僅かに頬を染めて口元を緩める。
 手元を一切見ていないというのに、彼女がクルクルと包丁を操れば、皮の剥けた野菜はあっという間にまな板の上に積み重なっていく。
 この技術が自分たちの胃袋を支えているのだと思えば、雇用関係がどうという話でもなく自然と頭が下がる。ただ、マグカップを手にしたままだったせいで、どうにも間抜けな絵面だっただろうが。

「ありがとう、本当に助かってる」

 僕がそう言えば、彼女はふと包丁を振るう手を止めた。
 かと思えば、いつもと同じように半目を作ってにんまりと笑い、ボリューミーな髪で覆われた頭を僕の肩に寄せてくる。

「お給料以外のお礼は、頭で受ける主義ッス」

「はいはい」

 わしわしと癖のある赤茶色の髪を撫でてやれば、彼女は嬉しそうに太い尻尾を振り回した。時折肉厚な耳に触れると、くすぐったいのか妙な笑い声も聞こえてくる。

「えへへへへ……ご主人の手は大きくて気持ちいいッスよ」

「そりゃ何よりだ」

 そうして暫く彼女の頭を撫でている内に、バルコニーで考えていたことが再び浮かび上がってきた。

「そうだアポロ。この間のマオに言われた約束についての話なんだが」

「うぇっ!? な、何ッスか突然!?」

 僕が口にした途端、彼女はエビのような勢いで僕と距離を取り、大袈裟に身を引いて目を瞬かせた。
 加えて耳やら尻尾やらといった獣らしい部分の毛を逆立て、ハッキリと驚愕を表しているではないか。

「そんな大袈裟に驚かなくても」

「い、いやだって、それってあの――テクニカの地下で、の奴、ッス、よね?」

「その通りなんだが、僕はどうしていいかわからなくてね。とりあえず1人ずつ話を聞こうと思ってて――」

「ちょちょちょ、ちょっと後にしてもらっていいッスかね!? いいい、いろいろ心の準備とかあるッスから!」

 目を泳がせるアポロニアに、できれば答えを教えてくれないか、と聞こうとしたのだが、こちらの言葉に被せるようになった彼女の声に全てかき消された。
 大きく振り回される両腕を見るに、よほど慌てているようだが、止めに入ることも難しい。なんせ彼女の右手には包丁の刃が輝いているのだから。

「い、いやいや、そんなに緊張するようなことでもないだろうに」

「す、る、ん、ス、よ!! ほら、ご主人お風呂まだッスよね!?」

 逃げていたかと思えば、今度は顔を真っ赤にして迫ってくる。小さい身体にもかかわらず――包丁を持っていることも含めて――凄まじい迫力に、僕は軽く後ずさった。
 それを好機と見たらしく、彼女は全身をこちらの背にぶつける形でキッチンから押し出そうとしてくる。

「お、おいおい、まだマグカップが洗えてない――」

「自分がやっとくッスから! さっさとお風呂入って寝るッス!」

 あっという間に廊下へと追いやられた挙句、マグカップだけを素早く奪われ、ピシャリと扉を閉じられてしまえば、残念ながら僕も成すすべもない。

「……もしかしてこの話題は口にしない方がいいのか?」

 マオリィネは、皆に聞けばわかるとか、ちゃんと向き合えばイイコトがあるかもしれない、なんて言っていたものの、いざ時間を作ってどうすればいいか聞きに行けばこの対応である。
 心の機微を読むことに関しては、欠陥機としか言いようのない自分では、まったく理解に苦しむのだが、どうにも軽々しく話せるようなことではないらしい。
 であれば、多分シューニャが用事だと言って走っていったのも、アポロニアと同じように心の準備的なものが必要だったのだろう。

「考えても仕方ないか。言われた通り、風呂入ろう」

 結局僕は思考の全てをゴミ箱へ放り込み、タオルを片手に風呂場へと足を向けた。
 廊下にも僅かに漏れてくる湯気を見る辺り、エーテル発電機が発生させる熱によって、風呂は常に追い炊き状態にあるのだろう。
 垢も疲れも悩みでさえも、湯に浸かれば流せる気がして、僕は気分を上げながら浴室の扉を押し開けた。

「お?」

「えっ?」

 まさかそこで人影を見ることになるとは思わなかったが。
 白い靄のような湯気は、外気が冷たく湯温が高いためだろう。温泉も斯くやというほど沸き上がって、防水照明の黄色い光を乱反射している。
 その中央でキョトンとした金色の目と大きな耳が、こちらを見て固まっていた。三つ編みを解いたことで凄まじい毛量が浴室に広がっていたが、そんなことはほとんど目に入っていない。
 はっきり分かるのは健康的な肌の色のみ。おかげで僕には、後ろ頭を掻いて笑うことしかできなかった。

「あー、うん。そういえば鍵、なかったね。失礼しました」

「にゃああああああああああッ!!?」

「おばふっ」

 踵を返すよりも早く、否、目にも止まらぬ速さで僕は頬を拳に打ち抜かれていた。あんなにキレのあるストレート猫パンチは見たことがない。
 開けたままだった扉から廊下に向かって吹き飛ばされた僕は、強かに壁へ打ち付けられながら、自分でも驚くほど冷静だった。広い浴室を思えば、よくあの距離を一瞬で詰めてきたなぁとか、この一撃で頭蓋骨陥没とかしてないといいなぁとか、そういう類の思考である。
 目の前でまたピシャリと閉められる扉。この短時間でそんなことを2回も経験するなど、稀有なこともあるものだ。少し泣きそうである。
 そしてよく響いたその音を聞いてか、リビングで遊んでいたらしいポラリスがひょっこりと顔を出した。

「キョーイチ? こんなとこで寝てたら風邪ひくよ?」

「……そう、ですね」

 このまま寝てしまいたい。そう思っていたが、ポラリスが居る反面そんなことはできず、僕はふらつく頭を揺すりながらリビングへと身体を引き摺って行ったのだった。
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