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テクニカとの邂逅
第143話 揺蕩う陰謀論(前編)
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ようやく起き出してきたエリネラは、頭に大きなコブがあるにも関わらず、気持ちよさそうに笑って見せる。
「負けたねー! うん、久しぶりに思いっきり負けた! あ、ねぇ、まだスープある?」
彼女は何もかも過去の事だと言わんばかりの様子で、小柄な体躯とは思えないほどの勢いでスープを飲み干すと、一切の逡巡なくお代わり要求するではないか。しかもそれだけにとどまらず、追加で生産されたサンドイッチもリスのように頬張り、パンくずをボロボロと零しながら、こちらを見てうんうんと頷いてくる。
この少女と全力で殴り合ったこと自体、もしかすると夢だったのではないかと思わされるほどの清々しさだ。
「アマミは強いね。テイマーは大体リビングメイル頼りで、直接攻撃されたらムールゥより弱っちいのばっかりだったけど。ねね、もっかいやんない?」
「いやいや、マキ―――リビングメイル無しじゃ、勝てる見込みはもうないかな……さっきのもほとんど不意打ちだし」
「そりゃあ油断したあたしが悪いんだ! 戦争じゃ不意打ちでもなんでも生きてた方が勝者で、殺されたらどんな理由でも負け犬でしょ?」
「死人に口なしってか? 極論だが正論だぜ」
過ぎたことには一切執着しない性格なのか、その潔さをダマルも気に入ったらしく膝を叩いてカッカッカと笑う。
とはいえ悔しくないわけではないらしく、今度は油断しないかんね、と食べかけのサンドイッチ片手に立ち上がると、こちらへ向けて人差し指を突きつけてきた。
「だからもうやらないって。というか、落ち着いて食べなさい」
その見た目の所為もあって言葉だけなら微笑ましいものだが、実行されては堪らないと僕は軽く手を振った。
だが、彼女の目にその行動がどう映ったのかは推して知るべし。途端にただでさえ各所が赤い姿だというのに、顔を耳まで真っ赤に染めて、むがぁーと絶叫して地団太を踏んだ。
「こ、子供扱いするなぁ! これでもあたしは18歳だぞ! 立派な大人なんだぞ馬鹿ぁー!」
「将軍。みっともないんでやめてください」
それを諫めるのは既に平常運転に戻ったらしいセクストンだ。本来なら立場に相当の隔たりがあるはずなのだが、何かと彼はエリネラに対して辛辣である。
それも自然に流れるようなので、最早ここまでがテンプレートと化していることは疑いようもなかった。
だからといって、感情起伏の激しいエリネラが反抗しないはずもない。
「セクストン騎士補、君はどっちの味方だ!?」
「正しい方を味方しています。というか、将軍の奇行が目に余ります」
「それって石頭のセクストンが謀反起こすくらいに?」
「謀反起こすくらいにです。あと誰が石頭ですか」
「じゃあしょうがないかぁ……」
よくわからない理由で納得したエリネラはその場にしゅんとして座りなおす。
「石頭は訂正しないのね」
そんな敵将の行動にマオリィネは苦笑を浮かべていた。
彼女は以前、エリネラが直接王国軍とぶつかった事はないと語っていたが、だとしても最大級の警戒を要する敵であることに違いはない。
しかし、マオリィネの対応は非常に穏やかであり、借り1つで手出し無用を納得してもらったとはいえ、なかなか困惑させられる光景だった。
「なによ? そんなに不思議そうな顔しなくてもいいじゃない」
「いや……なんというか意外な反応だなって」
「彼女はエリって言う魔術師なんでしょ? ただの素直な子供なら、別に目くじら立てることもないわ」
何を当たり前のことをと言わんばかりに、涼しい顔でマオリィネは言ってのける。逆に言えば、何があっても知らぬ存ぜぬを貫き、責任はお前にあるという意味だろう。
妙に律義な彼女には頭が下がる。
小声で、ありがとう、と伝えれば、彼女は僅かに頬を染めてフンとそっぽを向いてしまったが。
「そっちの黒いのまで子供って言うなー!!」
「わかったから口の周り拭くッスよ。ソース塗れッス」
どうにも見た目が幼いことがコンプレックスであるらしく、エリネラはまた勢いよく立ち上がろうとしたが、似たような体格なのに年上の風格を持つアポロニアは、その頭を有無を言わさずグッと押さえつけた。
こういう家庭的な面に関してアポロニアは強い。エリネラの口についた朱色のソースをしっかりと布で拭い、はい座る、と肩を押されてしまえば、大将軍様とはいえ呆気にとられたまま食事を再開する他なかった。完全に母親か姉のポジションである。
言われた通り、もそもそとサンドイッチを齧りはじめる彼女の様子は微笑ましい限りだったが、それをぺろりと平らげて今度は自ら口の周りを拭い始めた時、彼女は何かを思いついたように切り出した。
「そういえば、結局ヘンメがついてきた理由ってなんだったのさ? 別に暇だからって訳でもないんでしょ?」
「一言でまとめるなら、興味と礼だわな。まさか俺が女たらしの優男に命救われて、挙句そいつのケツを追っかけまわすことになるとは思わなかったが、それはとりあえず済んだ。これで半分だ」
礼を言うにしては失礼な言葉が多すぎる、と僕は顔を引き攣らせていたのだが、これがヘンメと言う男なのだろうと無理矢理納得する。
「暴言に関してはとりあえず置いておきますが……半分とは?」
「ま、こっちは後付けの理由だったんだが、むしろ本命に近くなっちまってよ。グランマからの届けもの――おい、なんで砂食ったような顔してんだ」
遠く離れた地に至ってなお、グランマの名前を聞かされる心労を誰が理解できるだろう。それも自分に関係のある話だと言うのだから、ヘンメの言葉通り、砂を口に入れて噛みつぶしたような顔になるのも無理はないことだった。
妖怪と呼ぶことに何の違和感もない老婆に憑りつかれたかのような感覚に、気持ちがズンズン沈んでいく自分に気を遣ってくれたのか、シューニャが自分たちのいきさつを簡単に説明してくれた。
「キョウイチはミクスチャの件以来グランマが苦手。というか、コレクタユニオンが厄介事のタネだと思っている節が非常に強い」
「あぁ、なるほどな。気持ちはよーくわかるが、見といた方が無難だぜ。いきなり後ろから喰われたいってんなら、無理にとは言わねえがよ」
それはグランマにか、と聞きそうになって口を噤む。下手に声に出してしまうと、本当にそうなりかねないという思考がよぎったからである。
実際、小柄で杖を突いた老婆の中身は、人間1人くらい軽く飲み込める妖魔と言っても過言ではないのだ。
結局僕は渋々、これ以上ないくらいしわくちゃの顔をして、ヘンメが差し出した数枚の紙を受け取って恐る恐る中を覗き見る。
それはいわゆる報告書だった。カメラなどあるわけもないが、代わりに内容を読まない限り何かわからないような挿絵が載せられている。
だが、その報告にざっと目を通してみても、どうにも何のことだからわからず僕は頭を捻った。シューニャから教えられた文字の読み書きが足りなかった訳ではなく、内容をこちらに伝える意味がわからないのである。
「あの群体ミクスチャの死体を解剖したら、中から帝国軍の鎧姿をしたキメラリアが見つかった。ええと、これが一体何を――」
一応それを口に出して読み上げれば、凄い早さでシューニャに報告書を奪い取られた。
「ヘンメ、詳しく聞かせて欲しい。これは起こり得ないこと」
「……シューニャ?」
「ミクスチャは生物を見境なく攻撃して死体を捕食するけれど、キメラリアでも人間でも人種だけは決して捕食しない」
「そうだ。食われもしねぇのにどうやってキメラリアがあの化物の中に入れた? 仮に自分から入ったとして、その理由は何だ?」
まるでこちらを試すように笑うヘンメに、シューニャは視線を鋭くしていく。
彼女が口にしたミクスチャの生態に関しては、以前マティから聞かされた覚えのあるものだった。
となると確かに、ミクスチャの中に人種の何者かが入っていた、というのは奇怪ではある。ただでさえ、あれはマキナ用突撃銃の弾を弾くような硬い表皮を持つ化物だ。それこそ無理矢理に口から入りでもしない限り、生身で侵入することは不可能だろう。
「キムンが力を求めて、とかじゃないんですか? なんかキムンって、そういうおバカが多い気がしますし」
そう言って大きな耳を揺らすのはファティマである。
彼女は至って真剣にそんなことを言うが、あまりにもぶっ飛んだ意見過ぎて現実味がなく、ヘンメも流石にあり得んと肩を竦めてしまう。こっそりダマルが笑いを堪えていたのは見なかったことにしよう。
「底なしのド阿呆でもやらねえだろうさ。それに証拠としては……そっちのデカパイちゃんには悪いと思うが――」
「喉笛くらい噛みつぶせるッスよ」
セクハラ発言にアポロニアが低い唸り声を響かせる。
本来ならば、たかがアステリオンと侮られてもいいところだが、ヘンメはその裏に隠された強烈な殺気に気付いたらしく、後ろ頭をぼりぼりと掻きむしった後で、じゃあ子犬ちゃんでいいか? と訂正していた。
ダマルならそれでも噛まれていただろうが、それ以上の譲歩を望んでも話が進まないと判断したらしく、不服そうな表情を作りつつも彼女は顎で先を促した。
「そのまぁなんだ、出てきたキメラリアの死体は毛無のアステリオンだったんだ。キムンでもできるかわからねえってのに、小犬が力づくでってのはまず無理だろ」
誰も否定できない正論である。
それこそ、ミクスチャが今までの物と違い、人種を丸のみにするわけでもない限りは。
ならばと、質問の切り口を変えたのはマオリィネだった。
「……帝国兵の鎧を着ていたと言ったわね。そっちはどうなの?」
「正直詳しいことはサッパリだが、少なくとも俺はそこが怪しいと思ってる」
「怪しいと言っても、生態は謎が多すぎる。出てくる度に見た目も特徴も全く違うし、正直何もわからないのだから結論は導けない」
少なくとも、800年前の段階には存在していなかったであろう生物であり、しかも現代においては脅威と認識されていても、生態に関する研究は進んでいないと着ている。
こうなると、ヘンメの言う怪しいは、誰にも解決できない謎でしかない。
だから誰も唸るばかりになると思っていたのだが、意外なことに声を発したのは、考えることが苦手と宣うエリネラだった。
「なんだっけなぁ……確かねぇ、城にミクスチャを研究してるとかいう物好きが居たような……前に皇帝となんか親し気に話してた気がするけど……んー誰だっけ」
「自分は知りませんが?」
「セクストンが来るより1年以上前のことだもん。でも、それから見てないし、追い出されたか土の下かどっちかなんだろーなぁ。名前も思い出せないや」
「曖昧な情報ですね」
セクストンが期待しても無駄だろうと、諦め顔で肩を竦めても、エリネラはまだ頭を捻っていた。
とはいえ、ミクスチャを研究していた何者かが居たという発言は、死骸の中から発見された帝国軍鎧姿のキメラリアと合わせて、確度の薄い情報をボンヤリと信じさせるには十分な力を有していたと言っていい。
だからだろうか、ダマルは煙草に火をつけながらヘンメに問うた。
「んで、結局何が言いてぇんだ? どうせ真実なんてわかりゃしねぇのに、わざわざこんなもん持ってきたってこたぁ、こっちに何かしらの期待があってのことだろが」
先ほどまで変態狂骨の名に恥じぬ会話をしていたとは思えない豹変ぶりに、最も驚いたのは同志と呼ぶにふさわしいヘンメである。
しばし兜を睨んで固まったかと思えば、ふぅと肩を落とすと薄い笑いを浮かべた。
「やれやれ……ダマルだったか? 勘働きのいい野郎だ」
「俺ぁこう見えて有能多才だからな。そんで?」
「これは俺の予想っつーかほとんど妄想だが、帝国はミクスチャを作れるんじゃないかと思ってる。酔っ払いの戯言みたいな話だが、万が一そうだったとすれば……どうなるかは想像つくよな?」
万が一よりもさらに低い確率だろうと思う。だというのに、少し前にフェアリーから生命創造という話を聞かされていたこともあって、完全否定するには至れなかった。
無論、現代の生命科学技術で、そんなことが可能なのかという疑問は大いに残る。少なくとも800年前でも一般的な技術というには程遠く、骨のように雑学的知識を多く持ち合わせる者でなければ、生命創造の実験自体を信じることすら無理があるのだから。
確証もないのにイメージだけが独り歩きするのは、それこそオカルトの専門分野と言ってもいいが、ではなぜそんなことを人が信じたがるのかと言えば、そう考えた方が辻褄が合う場合が多いからに違いない。この場合でもまた、人間種を捕食しないはずのミクスチャ体内に帝国軍鎧姿のキメラリアが取り込まれていた、という前提条件をそのままに辻褄が合ってしまう。
「まさか……ヘンメ殿は帝国軍の鎧だけでそんなことを?」
セクストンが馬鹿馬鹿しいと表情を歪めるのも無理のない。何せ証拠の欠片もない妄想の産物なのだから。
しかし、ヘンメは自分の理論にそれなりの自信があるらしく、それも嬉しくないとばかりに顔を顰めながら僕の方を指さした。
「もちろんそれが最大の理由だが、他にも理由が無くはねぇ。例えばそれ、テイムドメイルだ」
「帝国軍は長い間テイムドメイルを保有していない」
シューニャの呟きに一瞬全員の視線が集中したが、何もなかったかのように彼女はスープを啜ったため、ヘンメが、その通りだ、と話を繋ぐ。
「にもかかわらず、テイムド持ちの2国相手に喧嘩を吹っかけた。その結果、エリやらスヴェンソン・リッジリーやらの奮闘があって、ようやく今の状況が維持できてるような状況だ。だが、そうまでして続けるこの戦争が帝国にとって何の価値がある?」
「あ、それなんですけど、ボクもずーっと不思議に思ってたんです。なんで王国も神国も帝国に攻め込もうとしないんですか? それこそテイムドメイルで叩いちゃえば、帝国なんてあっという間に滅ぼせそうなのに」
玉匣の後部ハッチに腰を下ろしていたファティマは、尻尾の先を毛繕いする手を止めて疑問を投げた。
確かにマキナの保有が国防の要であるならば、帝国とその他2国の戦力比には隔絶した差がある。それこそ王国が攻勢に転じられないのは、保有するマキナが2機とも行動不能となっているためだろうという想像はつくが、話に聞く限り帝国に並ぶ大国らしい神国が、同じような状況だとは考えづらい。
だが、それに対するマオリィネの答えは、あまりにアッサリしたものだった。
「簡単に言えば、旨味がないからよ」
「負けたねー! うん、久しぶりに思いっきり負けた! あ、ねぇ、まだスープある?」
彼女は何もかも過去の事だと言わんばかりの様子で、小柄な体躯とは思えないほどの勢いでスープを飲み干すと、一切の逡巡なくお代わり要求するではないか。しかもそれだけにとどまらず、追加で生産されたサンドイッチもリスのように頬張り、パンくずをボロボロと零しながら、こちらを見てうんうんと頷いてくる。
この少女と全力で殴り合ったこと自体、もしかすると夢だったのではないかと思わされるほどの清々しさだ。
「アマミは強いね。テイマーは大体リビングメイル頼りで、直接攻撃されたらムールゥより弱っちいのばっかりだったけど。ねね、もっかいやんない?」
「いやいや、マキ―――リビングメイル無しじゃ、勝てる見込みはもうないかな……さっきのもほとんど不意打ちだし」
「そりゃあ油断したあたしが悪いんだ! 戦争じゃ不意打ちでもなんでも生きてた方が勝者で、殺されたらどんな理由でも負け犬でしょ?」
「死人に口なしってか? 極論だが正論だぜ」
過ぎたことには一切執着しない性格なのか、その潔さをダマルも気に入ったらしく膝を叩いてカッカッカと笑う。
とはいえ悔しくないわけではないらしく、今度は油断しないかんね、と食べかけのサンドイッチ片手に立ち上がると、こちらへ向けて人差し指を突きつけてきた。
「だからもうやらないって。というか、落ち着いて食べなさい」
その見た目の所為もあって言葉だけなら微笑ましいものだが、実行されては堪らないと僕は軽く手を振った。
だが、彼女の目にその行動がどう映ったのかは推して知るべし。途端にただでさえ各所が赤い姿だというのに、顔を耳まで真っ赤に染めて、むがぁーと絶叫して地団太を踏んだ。
「こ、子供扱いするなぁ! これでもあたしは18歳だぞ! 立派な大人なんだぞ馬鹿ぁー!」
「将軍。みっともないんでやめてください」
それを諫めるのは既に平常運転に戻ったらしいセクストンだ。本来なら立場に相当の隔たりがあるはずなのだが、何かと彼はエリネラに対して辛辣である。
それも自然に流れるようなので、最早ここまでがテンプレートと化していることは疑いようもなかった。
だからといって、感情起伏の激しいエリネラが反抗しないはずもない。
「セクストン騎士補、君はどっちの味方だ!?」
「正しい方を味方しています。というか、将軍の奇行が目に余ります」
「それって石頭のセクストンが謀反起こすくらいに?」
「謀反起こすくらいにです。あと誰が石頭ですか」
「じゃあしょうがないかぁ……」
よくわからない理由で納得したエリネラはその場にしゅんとして座りなおす。
「石頭は訂正しないのね」
そんな敵将の行動にマオリィネは苦笑を浮かべていた。
彼女は以前、エリネラが直接王国軍とぶつかった事はないと語っていたが、だとしても最大級の警戒を要する敵であることに違いはない。
しかし、マオリィネの対応は非常に穏やかであり、借り1つで手出し無用を納得してもらったとはいえ、なかなか困惑させられる光景だった。
「なによ? そんなに不思議そうな顔しなくてもいいじゃない」
「いや……なんというか意外な反応だなって」
「彼女はエリって言う魔術師なんでしょ? ただの素直な子供なら、別に目くじら立てることもないわ」
何を当たり前のことをと言わんばかりに、涼しい顔でマオリィネは言ってのける。逆に言えば、何があっても知らぬ存ぜぬを貫き、責任はお前にあるという意味だろう。
妙に律義な彼女には頭が下がる。
小声で、ありがとう、と伝えれば、彼女は僅かに頬を染めてフンとそっぽを向いてしまったが。
「そっちの黒いのまで子供って言うなー!!」
「わかったから口の周り拭くッスよ。ソース塗れッス」
どうにも見た目が幼いことがコンプレックスであるらしく、エリネラはまた勢いよく立ち上がろうとしたが、似たような体格なのに年上の風格を持つアポロニアは、その頭を有無を言わさずグッと押さえつけた。
こういう家庭的な面に関してアポロニアは強い。エリネラの口についた朱色のソースをしっかりと布で拭い、はい座る、と肩を押されてしまえば、大将軍様とはいえ呆気にとられたまま食事を再開する他なかった。完全に母親か姉のポジションである。
言われた通り、もそもそとサンドイッチを齧りはじめる彼女の様子は微笑ましい限りだったが、それをぺろりと平らげて今度は自ら口の周りを拭い始めた時、彼女は何かを思いついたように切り出した。
「そういえば、結局ヘンメがついてきた理由ってなんだったのさ? 別に暇だからって訳でもないんでしょ?」
「一言でまとめるなら、興味と礼だわな。まさか俺が女たらしの優男に命救われて、挙句そいつのケツを追っかけまわすことになるとは思わなかったが、それはとりあえず済んだ。これで半分だ」
礼を言うにしては失礼な言葉が多すぎる、と僕は顔を引き攣らせていたのだが、これがヘンメと言う男なのだろうと無理矢理納得する。
「暴言に関してはとりあえず置いておきますが……半分とは?」
「ま、こっちは後付けの理由だったんだが、むしろ本命に近くなっちまってよ。グランマからの届けもの――おい、なんで砂食ったような顔してんだ」
遠く離れた地に至ってなお、グランマの名前を聞かされる心労を誰が理解できるだろう。それも自分に関係のある話だと言うのだから、ヘンメの言葉通り、砂を口に入れて噛みつぶしたような顔になるのも無理はないことだった。
妖怪と呼ぶことに何の違和感もない老婆に憑りつかれたかのような感覚に、気持ちがズンズン沈んでいく自分に気を遣ってくれたのか、シューニャが自分たちのいきさつを簡単に説明してくれた。
「キョウイチはミクスチャの件以来グランマが苦手。というか、コレクタユニオンが厄介事のタネだと思っている節が非常に強い」
「あぁ、なるほどな。気持ちはよーくわかるが、見といた方が無難だぜ。いきなり後ろから喰われたいってんなら、無理にとは言わねえがよ」
それはグランマにか、と聞きそうになって口を噤む。下手に声に出してしまうと、本当にそうなりかねないという思考がよぎったからである。
実際、小柄で杖を突いた老婆の中身は、人間1人くらい軽く飲み込める妖魔と言っても過言ではないのだ。
結局僕は渋々、これ以上ないくらいしわくちゃの顔をして、ヘンメが差し出した数枚の紙を受け取って恐る恐る中を覗き見る。
それはいわゆる報告書だった。カメラなどあるわけもないが、代わりに内容を読まない限り何かわからないような挿絵が載せられている。
だが、その報告にざっと目を通してみても、どうにも何のことだからわからず僕は頭を捻った。シューニャから教えられた文字の読み書きが足りなかった訳ではなく、内容をこちらに伝える意味がわからないのである。
「あの群体ミクスチャの死体を解剖したら、中から帝国軍の鎧姿をしたキメラリアが見つかった。ええと、これが一体何を――」
一応それを口に出して読み上げれば、凄い早さでシューニャに報告書を奪い取られた。
「ヘンメ、詳しく聞かせて欲しい。これは起こり得ないこと」
「……シューニャ?」
「ミクスチャは生物を見境なく攻撃して死体を捕食するけれど、キメラリアでも人間でも人種だけは決して捕食しない」
「そうだ。食われもしねぇのにどうやってキメラリアがあの化物の中に入れた? 仮に自分から入ったとして、その理由は何だ?」
まるでこちらを試すように笑うヘンメに、シューニャは視線を鋭くしていく。
彼女が口にしたミクスチャの生態に関しては、以前マティから聞かされた覚えのあるものだった。
となると確かに、ミクスチャの中に人種の何者かが入っていた、というのは奇怪ではある。ただでさえ、あれはマキナ用突撃銃の弾を弾くような硬い表皮を持つ化物だ。それこそ無理矢理に口から入りでもしない限り、生身で侵入することは不可能だろう。
「キムンが力を求めて、とかじゃないんですか? なんかキムンって、そういうおバカが多い気がしますし」
そう言って大きな耳を揺らすのはファティマである。
彼女は至って真剣にそんなことを言うが、あまりにもぶっ飛んだ意見過ぎて現実味がなく、ヘンメも流石にあり得んと肩を竦めてしまう。こっそりダマルが笑いを堪えていたのは見なかったことにしよう。
「底なしのド阿呆でもやらねえだろうさ。それに証拠としては……そっちのデカパイちゃんには悪いと思うが――」
「喉笛くらい噛みつぶせるッスよ」
セクハラ発言にアポロニアが低い唸り声を響かせる。
本来ならば、たかがアステリオンと侮られてもいいところだが、ヘンメはその裏に隠された強烈な殺気に気付いたらしく、後ろ頭をぼりぼりと掻きむしった後で、じゃあ子犬ちゃんでいいか? と訂正していた。
ダマルならそれでも噛まれていただろうが、それ以上の譲歩を望んでも話が進まないと判断したらしく、不服そうな表情を作りつつも彼女は顎で先を促した。
「そのまぁなんだ、出てきたキメラリアの死体は毛無のアステリオンだったんだ。キムンでもできるかわからねえってのに、小犬が力づくでってのはまず無理だろ」
誰も否定できない正論である。
それこそ、ミクスチャが今までの物と違い、人種を丸のみにするわけでもない限りは。
ならばと、質問の切り口を変えたのはマオリィネだった。
「……帝国兵の鎧を着ていたと言ったわね。そっちはどうなの?」
「正直詳しいことはサッパリだが、少なくとも俺はそこが怪しいと思ってる」
「怪しいと言っても、生態は謎が多すぎる。出てくる度に見た目も特徴も全く違うし、正直何もわからないのだから結論は導けない」
少なくとも、800年前の段階には存在していなかったであろう生物であり、しかも現代においては脅威と認識されていても、生態に関する研究は進んでいないと着ている。
こうなると、ヘンメの言う怪しいは、誰にも解決できない謎でしかない。
だから誰も唸るばかりになると思っていたのだが、意外なことに声を発したのは、考えることが苦手と宣うエリネラだった。
「なんだっけなぁ……確かねぇ、城にミクスチャを研究してるとかいう物好きが居たような……前に皇帝となんか親し気に話してた気がするけど……んー誰だっけ」
「自分は知りませんが?」
「セクストンが来るより1年以上前のことだもん。でも、それから見てないし、追い出されたか土の下かどっちかなんだろーなぁ。名前も思い出せないや」
「曖昧な情報ですね」
セクストンが期待しても無駄だろうと、諦め顔で肩を竦めても、エリネラはまだ頭を捻っていた。
とはいえ、ミクスチャを研究していた何者かが居たという発言は、死骸の中から発見された帝国軍鎧姿のキメラリアと合わせて、確度の薄い情報をボンヤリと信じさせるには十分な力を有していたと言っていい。
だからだろうか、ダマルは煙草に火をつけながらヘンメに問うた。
「んで、結局何が言いてぇんだ? どうせ真実なんてわかりゃしねぇのに、わざわざこんなもん持ってきたってこたぁ、こっちに何かしらの期待があってのことだろが」
先ほどまで変態狂骨の名に恥じぬ会話をしていたとは思えない豹変ぶりに、最も驚いたのは同志と呼ぶにふさわしいヘンメである。
しばし兜を睨んで固まったかと思えば、ふぅと肩を落とすと薄い笑いを浮かべた。
「やれやれ……ダマルだったか? 勘働きのいい野郎だ」
「俺ぁこう見えて有能多才だからな。そんで?」
「これは俺の予想っつーかほとんど妄想だが、帝国はミクスチャを作れるんじゃないかと思ってる。酔っ払いの戯言みたいな話だが、万が一そうだったとすれば……どうなるかは想像つくよな?」
万が一よりもさらに低い確率だろうと思う。だというのに、少し前にフェアリーから生命創造という話を聞かされていたこともあって、完全否定するには至れなかった。
無論、現代の生命科学技術で、そんなことが可能なのかという疑問は大いに残る。少なくとも800年前でも一般的な技術というには程遠く、骨のように雑学的知識を多く持ち合わせる者でなければ、生命創造の実験自体を信じることすら無理があるのだから。
確証もないのにイメージだけが独り歩きするのは、それこそオカルトの専門分野と言ってもいいが、ではなぜそんなことを人が信じたがるのかと言えば、そう考えた方が辻褄が合う場合が多いからに違いない。この場合でもまた、人間種を捕食しないはずのミクスチャ体内に帝国軍鎧姿のキメラリアが取り込まれていた、という前提条件をそのままに辻褄が合ってしまう。
「まさか……ヘンメ殿は帝国軍の鎧だけでそんなことを?」
セクストンが馬鹿馬鹿しいと表情を歪めるのも無理のない。何せ証拠の欠片もない妄想の産物なのだから。
しかし、ヘンメは自分の理論にそれなりの自信があるらしく、それも嬉しくないとばかりに顔を顰めながら僕の方を指さした。
「もちろんそれが最大の理由だが、他にも理由が無くはねぇ。例えばそれ、テイムドメイルだ」
「帝国軍は長い間テイムドメイルを保有していない」
シューニャの呟きに一瞬全員の視線が集中したが、何もなかったかのように彼女はスープを啜ったため、ヘンメが、その通りだ、と話を繋ぐ。
「にもかかわらず、テイムド持ちの2国相手に喧嘩を吹っかけた。その結果、エリやらスヴェンソン・リッジリーやらの奮闘があって、ようやく今の状況が維持できてるような状況だ。だが、そうまでして続けるこの戦争が帝国にとって何の価値がある?」
「あ、それなんですけど、ボクもずーっと不思議に思ってたんです。なんで王国も神国も帝国に攻め込もうとしないんですか? それこそテイムドメイルで叩いちゃえば、帝国なんてあっという間に滅ぼせそうなのに」
玉匣の後部ハッチに腰を下ろしていたファティマは、尻尾の先を毛繕いする手を止めて疑問を投げた。
確かにマキナの保有が国防の要であるならば、帝国とその他2国の戦力比には隔絶した差がある。それこそ王国が攻勢に転じられないのは、保有するマキナが2機とも行動不能となっているためだろうという想像はつくが、話に聞く限り帝国に並ぶ大国らしい神国が、同じような状況だとは考えづらい。
だが、それに対するマオリィネの答えは、あまりにアッサリしたものだった。
「簡単に言えば、旨味がないからよ」
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5.現実的に存在する如何なる国家や地域、団体、人物と関係ありません
6.カクヨムとマルチ投稿
以上をご理解の上でお読みください
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Sランク昇進を記念して追放された俺は、追放サイドの令嬢を助けたことがきっかけで、彼女が押しかけ女房のようになって困る!
仁徳
ファンタジー
シロウ・オルダーは、Sランク昇進をきっかけに赤いバラという冒険者チームから『スキル非所持の無能』とを侮蔑され、パーティーから追放される。
しかし彼は、異世界の知識を利用して新な魔法を生み出すスキル【魔学者】を使用できるが、彼はそのスキルを隠し、無能を演じていただけだった。
そうとは知らずに、彼を追放した赤いバラは、今までシロウのサポートのお陰で強くなっていたことを知らずに、ダンジョンに挑む。だが、初めての敗北を経験したり、その後借金を背負ったり地位と名声を失っていく。
一方自由になったシロウは、新な町での冒険者活動で活躍し、一目置かれる存在となりながら、追放したマリーを助けたことで惚れられてしまう。手料理を振る舞ったり、背中を流したり、それはまるで押しかけ女房だった!
これは、チート能力を手に入れてしまったことで、無能を演じたシロウがパーティーを追放され、その後ソロとして活躍して無双すると、他のパーティーから追放されたエルフや魔族といった様々な追放少女が集まり、いつの間にかハーレムパーティーを結成している物語!
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