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テクニカとの邂逅
第142話 香るメントッカ
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「おにーさんがくしゃいです」
「メントッカみたいな臭いッスね……自分もあんまり好きじゃないッス」
「僕の体臭じゃなくて湿布の臭いだよね?」
皆が温め直されたスープを囲む中、僕はマオリィネに腫れあがった頬へ湿布を貼られていた。
普段ならばアポロニア辺りが手当てしてくれそうなものだが、何故か湿布薬を出した途端にキメラリア2人が大きく後ずさって鼻を押さえたため、結果的に御令嬢がため息をつきながら手当てをしてくれている。
「一体なんなんだい? その、めんとっか? っていうのは」
「砂漠の町で栽培が盛んな、僅かな水でも育つ頑丈な薬効植物。ちょうどその貼り薬のような香りがあって、鼻の利くキメラリアは苦手な者が多いらしい」
「なるほど、それでか」
シューニャの説明にちらと横を見れば、全く気にした様子のないマオリィネと、器用に兜の隙間からスープを流し込むダマル。その2人を挟んでもなお、身体を逸らしてアポロニアは座っており、ファティマに至っては玉匣の砲塔上まで逃げていた。鼻のいい2人には相当な激臭なのだろう。
ただ、その責任はとてもいいパンチを貰ってしまった僕にあるため、その反応を責めることもできなかった。
とはいえ、あの馬鹿力で拳を頬に頂戴して、意識を喪失することも奥歯が折れ飛ぶこともなかったのだから、頑丈さを褒めて欲しいとさえ思う。
無論、おもいっきりぶっ飛ばされたおかげで、全身痣だらけは避けられず、こうして湿布を貼られまくることになったというわけだ。
それでも、自分の方がまだマシかもしれないが。
「ヘンメ殿、コレどうしましょうか」
「そのうち起きるだろ。ほっとけ」
セクストンが完全に物扱いしているのは、彼の上司であり将軍ことエリネラである。一応ヘンメが手当てを施したものの、その後は適当に地面へと転がされていた。
彼女が倒れ伏している理由は単純で、最初の1撃が直撃したことによる慢心である。否、それどころか1発で片が付くと思っていた節すらあった。ただ先にも述べた通り、こちらとしても意識が残っていたこと自体、ほとんど奇跡なのでこれは仕方ないとも言える。
それでも腰に手をあててどうだと高笑いを決めていたのは頂けない。おかげで崩れかかった姿勢から飛び出した僕の肘がしっかりと鳩尾を捉え、前屈しかかったところを首投げで地面に叩きつけ、最後に裸絞で意識とサヨウナラしてもらったのだ。
ちなみに怪我と言うのは、ロガージョによって固められていた地面へ、首投げで後頭部を打ち付けたことで発生したたんこぶである。
結果、鍛え上げた徒手格闘技術によって辛勝を収めたわけだが、勝って得られるものはなく、失うものばかりの内容が故にこれっぽっちも嬉しくない。打ち身の傷だけで大損した気分である。
ただ、殺さなくてよかったという部分はなくもなかったが。
「僕と接触した緑色の羽根を持つクシュの少女、それを救ったエリと言う魔術師……か」
「本当にこのまま放逐するつもりなのかしら?」
僕は目を回す少女を見下ろしながら思う。
ジークルーンからのホウヅク伝がなければ、マオリィネはエリネラとセクストンを捕えていたことだろう。否、魔術師であるエリネラを捕縛するのは難しいため、この場で切り捨てていてもおかしくない。
ただ、ポロムルの町で起こった一連の騒動を聞かされた以上、最早彼女を殺すことはできなかった。
自分でも甘いとは思う。ついさっきまで本気で殺す気だった相手を、とも考える。だが、それでもエリネラがこちらへ接触するための手段が、結果的に善行となって少女の命を救ったのだとすれば、僕はそれに報いてやりたかったのだ。
「ああ。ここで僕が出会ったのはエリと言う流れの魔術師と、セクストンという旅人で、彼らはこれから帝国へ向かう途中だった。ということだ」
「はぁ……もうそれでいいわよ。キョウイチ、貸し1つだからね!」
「随分な借金だ。返せるといいんだが、自信ないなぁ」
こちらの捏ねた屁理屈にマオリィネは呆れかえりながらも、見て見ぬ振りを約束してくれた。対価に何かしらの無理難題を要求される覚悟は必要だろうが、彼女の貴族と思えない柔軟さには頭が下がる。
これでクシュの少女。曰くクリンと言うらしいが、彼女を救ってくれた恩には報えたと思いたい。これより先、エリネラたち一行が何事もなく帝国領まで辿り着けるかは保証しかねるが、それもここまでやってきた隠密性を考えて問題はないだろう。
未だ意識が天高く吹き飛んだままのエリネラを眺めていたセクストンは、僕の言葉にしっかり頭を下げてから、1つ大きく息を吐いて首を振った。
「……貴様は変わっている。敵対者を殺すことに一切の躊躇がないのに、僅かに言葉を交わした程度のキメラリア1人のために、今度はその相手を逃がすとは」
「うちの騎士が計算高いことに感謝してほしい、というところですね。無論、今後には多少期待させてもらいますよ。逆にこれ以降も帝国がこちらを狙ってくるとすれば、その時はそちらの首都を吹き飛ばすくらいのことはしますが」
「カッカッカ、気をつけろよセクストン。このムッツリ野郎は普段甘っちょろい癖に、やるってなったら本気で辺り一面火の海にしちまうぞ」
マキナの火力があれば、それも不可能ではない。今は片腕しか使えない状態だが、それでも将来を無視して全ての火力を投入するなら、町の1つくらいは地図から消せる。
それも先の戦闘を目の当たりにしたセクストンならば、容易に想像がついたに違いない。武装らしい武装はハーモニック・ブレード以外を用いなかったが、それでも帝国最強であろうエリネラを一方的に撃破したのだから。
だからか、律義な騎士補は静かに目を伏せた。
「私は皇帝陛下が決めたことを実行するだけの駒に過ぎない。だからやれと言われれば、もう1度貴様らを狙うだろう。だが私個人としてはそんなことにならぬよう力を尽くすと約束する。クロウドンを吹き飛ばされては困るんでな」
彼個人は軍隊という巨大組織の中において、何百何千居るかもわからない騎士補の1人である以上、力の及ぶ範囲などたかが知れている。
だが、その中でも尽力を約束してくれるのだから、僕は、それで十分です、と小さく頷いた。
ただ、その判断に肩を揺すって笑う者も居たが。
「いっそ帝国軍なんて辞めてコレクタにでもなればどうだセクストン。あぁ堅物のお前にゃ無理か」
「フラフラしている貴方と違って、私には家族があるのです。妻子を路頭に迷わせるわけにはいきません」
集団コレクタはコレクタユニオンという組織に属すものの、軍隊ほどの福利厚生は存在せず、自助努力のみによって自由を得ている。だからこそ、その中で我が道を進むヘンメは、巨大組織の部品である真面目なセクストンが滑稽だと笑う。
一方、祖国への貢献に誇りを持つ堅物騎士補セクストンは、明日もわからぬ根無し草とヘンメを見下して鼻を鳴らす。
こうなると、2人の間に火花が散るのは当然の帰結だった。
「なんだコラぁ!? そりゃ独り身の俺に対する当てつけか!?」
「ヘンメさんこそ、嫁が欲しいなら将軍でも持って帰ったらどうです?」
「こんなチンチクリン金貰っても要らねぇよ! 俺はもっと妖艶な感じの姉ちゃんが好きなんだ。こう、そこそこいい感じに化粧して金回りが良さそうで、普段おしとやかなのにベッドの中じゃ獣みてぇな感じのよ。わかるか?」
未だ夢の世界から帰ってこない少女を前にして言う台詞ではないが、では自分が嫁としてエリネラを持ち帰るかと聞かれれば、謹んでお断りする以上口を挟むことはやめておく。
ただ、その後に続いたヘンメの性癖暴露に関しては、周囲の女性陣全員がドン引きしているので、どことなくダマルと同じ立場な雰囲気が察せられて苦笑せざるを得ない。なんなら以前からヘンメを知っていたシューニャは、カマボコを逆さまにしたような目で彼を睨んでおり、ファティマは不快害虫を見たかのような表情で口を押えていた。
「ダマルさん3人分くらいの気持ち悪さですね。ちょっと吐いてきていいですか」
「ヘンメは悪趣味」
「お前らそれが元雇い主への態度か!? おぉい、そんな露骨に引くなって!」
一気に複数の視線が突き刺さったヘンメは、慌てて自分の正当性を叫んだものの、濁った元部下たちの瞳からは、既に侮蔑しか感じられない。
「前からそうでしたけど、久しぶりに聞いたら倍率ドンです」
「そんなだからマリベルに振り向いてもらえない」
「ちょっと待てシューニャ・フォン・ロール! お前何を知ってる!? というか、マリベルちゃんと知り合いだったのか!?」
シューニャが口にした名前にヘンメは掴みかかるような勢いで彼女へと迫った。しかし、彼女はヘンメの反応を予想していたらしく、手元に抱えたスープを零さないようにしながら素早く僕の背後へ逃げ込んでいく。
「彼女の愚痴は何度か聞いた。煙草臭い、とか、髭くらいちゃんと整えろ、とか散々。後、早すぎる? とかも言っていたし、それから――」
「わかった! もーわかったから、そのへんにしといてくれ!! それ以上俺を傷つけんな! ごめんなさい!」
たとえ義手義足でも力ならシューニャはヘンメに敵わないだろう。だが、言葉を弄するのなら、シューニャと争うのは少々無謀だった。
挙句、彼女が呟いたのは想い人らしき女性からの辛辣な意見であり、それも少々センシティブな内容だったことから、無頼漢は必死で許しを乞うていた。それどころか、ヘンメはその恋が実るか散るかするまで、シューニャに逆らうことができなくなったと言っていい。
だが、僕には一切関係のない事柄だったため、むしろ気になったのはシューニャの交友関係の方である。
「バックサイドサークルの友人かい?」
「キョウイチも見たことがあるはず。褐色肌の元神国人で灰色の髪をした娼婦」
突如飛び出した娼婦という言葉に体が硬直する。クリン以外に記憶はないはずだが、と頭を捻ってみるものの、それらしき記憶は一切見当たらない。なんならバックサイドサークル内で単独行動など、武器屋の中と決闘裁判くらいのものだろう。
ただ、その言葉を聞きつけたアポロニアは、離れていながらピンと耳を立てており、湿布の臭いに文句を言っていたファティマも、身体を翻して玉匣の上から降りてくる始末。おかげで僕は人知れず冷や汗が止まらなかった。
「お、思い当たる節は、ないんだが?」
「キョウイチのことを英雄と呼んで、街頭で言い寄ってきていたはず」
シューニャの言葉に、僕はその記憶が鮮明に浮かび、あぁ、と軽く手を打った。
「ミクスチャを狩った後の買い物で、客引きしてきた娼婦さんかい」
言われてみれば、ミクスチャ討伐の報告をした後で娼婦に囲まれた覚えがある。その中に確かにアッシュ系の髪色をした女性がいたはずだ。
しかし、あの時は剃刀の刃を喉笛に突き立てるられるような視線をシューニャとファティマから浴びせられており、逃げるようにその場を立ち去っている。おかげで、そのうちの1人がシューニャと知り合いだなんて思いもよらない。
感情表現が希薄である彼女の意外な交友関係に僕は感心していたのだが、そんな自分には後ろから2つの影が迫っていた。
「オイ待て、聞いてねぇぞムッツリ野郎。何1人でいい思いしてんだ!? ちゃんと俺も誘え!」
「この野郎、俺のマリベルちゃんに手ぇ出しやがったらただじゃ済まさねえぞ!! どうやって口説いたか教えてくれ! いや教えてくださいお願いします!」
気の弱い人なら心臓発作を起こしかねないような剣幕の2人に、僕はスープを零しそうになりながら身を引いた。
ダマルはガントレットを握りつぶさんばかりの勢いで拳を作り、ヘンメは斬りかかってこようかという構えのまま全力で縋ってくる。後ろではセクストンがやれやれと首を振っていたが、この2人を見ていると自分の性欲など無いに等しいのではないかとさえ思えてきた。
確かに女性が多い玉匣の中で、悶々とすることがないとは言わない。それが元で発散した方がいいなどと理由をつけて、ポロムルで夜の街に繰り出したことも事実である。残念ながら空振りに終わったが。
ただ、ここまで鬼気迫る形相を魅せることなど、僕にはできそうもなかった。
「こりゃ娼婦も嫌がるッスよ……」
「自分を迎えに来てくれる英雄騎士様なんてただの幻想よね。男は誰でもこんな感じだもの」
「見境なしって、ボクはどーかと思いますけど」
「愛は盲目と言う言葉があるけれど、それ以前に好む気が知れない。正直、何がそこまで性欲を駆り立てるのか理解できない」
女性たちは揃って辛辣だった。とはいえ、自分も男であり娼館へ行こうと試みた前科がある以上は、乾いた笑いを返すくらいしかできない。既婚者であるセクストンも大きく咳払いして視線を逸らしたところを見ると、彼女らを諫めたり反論することができない何か抱えているらしかった。
しかし、抜き身となった欲望は恐ろしい物で、数で勝る女性陣に対して2人は声を揃えて野獣の如く咆える。
「「うるせぇ、俺たちにとっちゃ大事な話なんだよっ!!!」」
その大音声は雷鳴の如く。
今の彼らならば、数万の大軍を前にしても退かず、むしろ迫力だけで敵の士気を挫くこともできるのではないだろうか。
「……う、ぁ? 何、すんごい声したけど、イテテ」
いわんや、紅の眠り姫を目覚めさせる程度、容易いものだったのだろう。
女性陣は士気を挫かれたと言うより、呆れ果てて言葉を失っていたのだろうが、僕は何も言わないことにした。
余計な火の粉は、被らない方がいいのだから。
「メントッカみたいな臭いッスね……自分もあんまり好きじゃないッス」
「僕の体臭じゃなくて湿布の臭いだよね?」
皆が温め直されたスープを囲む中、僕はマオリィネに腫れあがった頬へ湿布を貼られていた。
普段ならばアポロニア辺りが手当てしてくれそうなものだが、何故か湿布薬を出した途端にキメラリア2人が大きく後ずさって鼻を押さえたため、結果的に御令嬢がため息をつきながら手当てをしてくれている。
「一体なんなんだい? その、めんとっか? っていうのは」
「砂漠の町で栽培が盛んな、僅かな水でも育つ頑丈な薬効植物。ちょうどその貼り薬のような香りがあって、鼻の利くキメラリアは苦手な者が多いらしい」
「なるほど、それでか」
シューニャの説明にちらと横を見れば、全く気にした様子のないマオリィネと、器用に兜の隙間からスープを流し込むダマル。その2人を挟んでもなお、身体を逸らしてアポロニアは座っており、ファティマに至っては玉匣の砲塔上まで逃げていた。鼻のいい2人には相当な激臭なのだろう。
ただ、その責任はとてもいいパンチを貰ってしまった僕にあるため、その反応を責めることもできなかった。
とはいえ、あの馬鹿力で拳を頬に頂戴して、意識を喪失することも奥歯が折れ飛ぶこともなかったのだから、頑丈さを褒めて欲しいとさえ思う。
無論、おもいっきりぶっ飛ばされたおかげで、全身痣だらけは避けられず、こうして湿布を貼られまくることになったというわけだ。
それでも、自分の方がまだマシかもしれないが。
「ヘンメ殿、コレどうしましょうか」
「そのうち起きるだろ。ほっとけ」
セクストンが完全に物扱いしているのは、彼の上司であり将軍ことエリネラである。一応ヘンメが手当てを施したものの、その後は適当に地面へと転がされていた。
彼女が倒れ伏している理由は単純で、最初の1撃が直撃したことによる慢心である。否、それどころか1発で片が付くと思っていた節すらあった。ただ先にも述べた通り、こちらとしても意識が残っていたこと自体、ほとんど奇跡なのでこれは仕方ないとも言える。
それでも腰に手をあててどうだと高笑いを決めていたのは頂けない。おかげで崩れかかった姿勢から飛び出した僕の肘がしっかりと鳩尾を捉え、前屈しかかったところを首投げで地面に叩きつけ、最後に裸絞で意識とサヨウナラしてもらったのだ。
ちなみに怪我と言うのは、ロガージョによって固められていた地面へ、首投げで後頭部を打ち付けたことで発生したたんこぶである。
結果、鍛え上げた徒手格闘技術によって辛勝を収めたわけだが、勝って得られるものはなく、失うものばかりの内容が故にこれっぽっちも嬉しくない。打ち身の傷だけで大損した気分である。
ただ、殺さなくてよかったという部分はなくもなかったが。
「僕と接触した緑色の羽根を持つクシュの少女、それを救ったエリと言う魔術師……か」
「本当にこのまま放逐するつもりなのかしら?」
僕は目を回す少女を見下ろしながら思う。
ジークルーンからのホウヅク伝がなければ、マオリィネはエリネラとセクストンを捕えていたことだろう。否、魔術師であるエリネラを捕縛するのは難しいため、この場で切り捨てていてもおかしくない。
ただ、ポロムルの町で起こった一連の騒動を聞かされた以上、最早彼女を殺すことはできなかった。
自分でも甘いとは思う。ついさっきまで本気で殺す気だった相手を、とも考える。だが、それでもエリネラがこちらへ接触するための手段が、結果的に善行となって少女の命を救ったのだとすれば、僕はそれに報いてやりたかったのだ。
「ああ。ここで僕が出会ったのはエリと言う流れの魔術師と、セクストンという旅人で、彼らはこれから帝国へ向かう途中だった。ということだ」
「はぁ……もうそれでいいわよ。キョウイチ、貸し1つだからね!」
「随分な借金だ。返せるといいんだが、自信ないなぁ」
こちらの捏ねた屁理屈にマオリィネは呆れかえりながらも、見て見ぬ振りを約束してくれた。対価に何かしらの無理難題を要求される覚悟は必要だろうが、彼女の貴族と思えない柔軟さには頭が下がる。
これでクシュの少女。曰くクリンと言うらしいが、彼女を救ってくれた恩には報えたと思いたい。これより先、エリネラたち一行が何事もなく帝国領まで辿り着けるかは保証しかねるが、それもここまでやってきた隠密性を考えて問題はないだろう。
未だ意識が天高く吹き飛んだままのエリネラを眺めていたセクストンは、僕の言葉にしっかり頭を下げてから、1つ大きく息を吐いて首を振った。
「……貴様は変わっている。敵対者を殺すことに一切の躊躇がないのに、僅かに言葉を交わした程度のキメラリア1人のために、今度はその相手を逃がすとは」
「うちの騎士が計算高いことに感謝してほしい、というところですね。無論、今後には多少期待させてもらいますよ。逆にこれ以降も帝国がこちらを狙ってくるとすれば、その時はそちらの首都を吹き飛ばすくらいのことはしますが」
「カッカッカ、気をつけろよセクストン。このムッツリ野郎は普段甘っちょろい癖に、やるってなったら本気で辺り一面火の海にしちまうぞ」
マキナの火力があれば、それも不可能ではない。今は片腕しか使えない状態だが、それでも将来を無視して全ての火力を投入するなら、町の1つくらいは地図から消せる。
それも先の戦闘を目の当たりにしたセクストンならば、容易に想像がついたに違いない。武装らしい武装はハーモニック・ブレード以外を用いなかったが、それでも帝国最強であろうエリネラを一方的に撃破したのだから。
だからか、律義な騎士補は静かに目を伏せた。
「私は皇帝陛下が決めたことを実行するだけの駒に過ぎない。だからやれと言われれば、もう1度貴様らを狙うだろう。だが私個人としてはそんなことにならぬよう力を尽くすと約束する。クロウドンを吹き飛ばされては困るんでな」
彼個人は軍隊という巨大組織の中において、何百何千居るかもわからない騎士補の1人である以上、力の及ぶ範囲などたかが知れている。
だが、その中でも尽力を約束してくれるのだから、僕は、それで十分です、と小さく頷いた。
ただ、その判断に肩を揺すって笑う者も居たが。
「いっそ帝国軍なんて辞めてコレクタにでもなればどうだセクストン。あぁ堅物のお前にゃ無理か」
「フラフラしている貴方と違って、私には家族があるのです。妻子を路頭に迷わせるわけにはいきません」
集団コレクタはコレクタユニオンという組織に属すものの、軍隊ほどの福利厚生は存在せず、自助努力のみによって自由を得ている。だからこそ、その中で我が道を進むヘンメは、巨大組織の部品である真面目なセクストンが滑稽だと笑う。
一方、祖国への貢献に誇りを持つ堅物騎士補セクストンは、明日もわからぬ根無し草とヘンメを見下して鼻を鳴らす。
こうなると、2人の間に火花が散るのは当然の帰結だった。
「なんだコラぁ!? そりゃ独り身の俺に対する当てつけか!?」
「ヘンメさんこそ、嫁が欲しいなら将軍でも持って帰ったらどうです?」
「こんなチンチクリン金貰っても要らねぇよ! 俺はもっと妖艶な感じの姉ちゃんが好きなんだ。こう、そこそこいい感じに化粧して金回りが良さそうで、普段おしとやかなのにベッドの中じゃ獣みてぇな感じのよ。わかるか?」
未だ夢の世界から帰ってこない少女を前にして言う台詞ではないが、では自分が嫁としてエリネラを持ち帰るかと聞かれれば、謹んでお断りする以上口を挟むことはやめておく。
ただ、その後に続いたヘンメの性癖暴露に関しては、周囲の女性陣全員がドン引きしているので、どことなくダマルと同じ立場な雰囲気が察せられて苦笑せざるを得ない。なんなら以前からヘンメを知っていたシューニャは、カマボコを逆さまにしたような目で彼を睨んでおり、ファティマは不快害虫を見たかのような表情で口を押えていた。
「ダマルさん3人分くらいの気持ち悪さですね。ちょっと吐いてきていいですか」
「ヘンメは悪趣味」
「お前らそれが元雇い主への態度か!? おぉい、そんな露骨に引くなって!」
一気に複数の視線が突き刺さったヘンメは、慌てて自分の正当性を叫んだものの、濁った元部下たちの瞳からは、既に侮蔑しか感じられない。
「前からそうでしたけど、久しぶりに聞いたら倍率ドンです」
「そんなだからマリベルに振り向いてもらえない」
「ちょっと待てシューニャ・フォン・ロール! お前何を知ってる!? というか、マリベルちゃんと知り合いだったのか!?」
シューニャが口にした名前にヘンメは掴みかかるような勢いで彼女へと迫った。しかし、彼女はヘンメの反応を予想していたらしく、手元に抱えたスープを零さないようにしながら素早く僕の背後へ逃げ込んでいく。
「彼女の愚痴は何度か聞いた。煙草臭い、とか、髭くらいちゃんと整えろ、とか散々。後、早すぎる? とかも言っていたし、それから――」
「わかった! もーわかったから、そのへんにしといてくれ!! それ以上俺を傷つけんな! ごめんなさい!」
たとえ義手義足でも力ならシューニャはヘンメに敵わないだろう。だが、言葉を弄するのなら、シューニャと争うのは少々無謀だった。
挙句、彼女が呟いたのは想い人らしき女性からの辛辣な意見であり、それも少々センシティブな内容だったことから、無頼漢は必死で許しを乞うていた。それどころか、ヘンメはその恋が実るか散るかするまで、シューニャに逆らうことができなくなったと言っていい。
だが、僕には一切関係のない事柄だったため、むしろ気になったのはシューニャの交友関係の方である。
「バックサイドサークルの友人かい?」
「キョウイチも見たことがあるはず。褐色肌の元神国人で灰色の髪をした娼婦」
突如飛び出した娼婦という言葉に体が硬直する。クリン以外に記憶はないはずだが、と頭を捻ってみるものの、それらしき記憶は一切見当たらない。なんならバックサイドサークル内で単独行動など、武器屋の中と決闘裁判くらいのものだろう。
ただ、その言葉を聞きつけたアポロニアは、離れていながらピンと耳を立てており、湿布の臭いに文句を言っていたファティマも、身体を翻して玉匣の上から降りてくる始末。おかげで僕は人知れず冷や汗が止まらなかった。
「お、思い当たる節は、ないんだが?」
「キョウイチのことを英雄と呼んで、街頭で言い寄ってきていたはず」
シューニャの言葉に、僕はその記憶が鮮明に浮かび、あぁ、と軽く手を打った。
「ミクスチャを狩った後の買い物で、客引きしてきた娼婦さんかい」
言われてみれば、ミクスチャ討伐の報告をした後で娼婦に囲まれた覚えがある。その中に確かにアッシュ系の髪色をした女性がいたはずだ。
しかし、あの時は剃刀の刃を喉笛に突き立てるられるような視線をシューニャとファティマから浴びせられており、逃げるようにその場を立ち去っている。おかげで、そのうちの1人がシューニャと知り合いだなんて思いもよらない。
感情表現が希薄である彼女の意外な交友関係に僕は感心していたのだが、そんな自分には後ろから2つの影が迫っていた。
「オイ待て、聞いてねぇぞムッツリ野郎。何1人でいい思いしてんだ!? ちゃんと俺も誘え!」
「この野郎、俺のマリベルちゃんに手ぇ出しやがったらただじゃ済まさねえぞ!! どうやって口説いたか教えてくれ! いや教えてくださいお願いします!」
気の弱い人なら心臓発作を起こしかねないような剣幕の2人に、僕はスープを零しそうになりながら身を引いた。
ダマルはガントレットを握りつぶさんばかりの勢いで拳を作り、ヘンメは斬りかかってこようかという構えのまま全力で縋ってくる。後ろではセクストンがやれやれと首を振っていたが、この2人を見ていると自分の性欲など無いに等しいのではないかとさえ思えてきた。
確かに女性が多い玉匣の中で、悶々とすることがないとは言わない。それが元で発散した方がいいなどと理由をつけて、ポロムルで夜の街に繰り出したことも事実である。残念ながら空振りに終わったが。
ただ、ここまで鬼気迫る形相を魅せることなど、僕にはできそうもなかった。
「こりゃ娼婦も嫌がるッスよ……」
「自分を迎えに来てくれる英雄騎士様なんてただの幻想よね。男は誰でもこんな感じだもの」
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しかし、抜き身となった欲望は恐ろしい物で、数で勝る女性陣に対して2人は声を揃えて野獣の如く咆える。
「「うるせぇ、俺たちにとっちゃ大事な話なんだよっ!!!」」
その大音声は雷鳴の如く。
今の彼らならば、数万の大軍を前にしても退かず、むしろ迫力だけで敵の士気を挫くこともできるのではないだろうか。
「……う、ぁ? 何、すんごい声したけど、イテテ」
いわんや、紅の眠り姫を目覚めさせる程度、容易いものだったのだろう。
女性陣は士気を挫かれたと言うより、呆れ果てて言葉を失っていたのだろうが、僕は何も言わないことにした。
余計な火の粉は、被らない方がいいのだから。
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しかし彼は、異世界の知識を利用して新な魔法を生み出すスキル【魔学者】を使用できるが、彼はそのスキルを隠し、無能を演じていただけだった。
そうとは知らずに、彼を追放した赤いバラは、今までシロウのサポートのお陰で強くなっていたことを知らずに、ダンジョンに挑む。だが、初めての敗北を経験したり、その後借金を背負ったり地位と名声を失っていく。
一方自由になったシロウは、新な町での冒険者活動で活躍し、一目置かれる存在となりながら、追放したマリーを助けたことで惚れられてしまう。手料理を振る舞ったり、背中を流したり、それはまるで押しかけ女房だった!
これは、チート能力を手に入れてしまったことで、無能を演じたシロウがパーティーを追放され、その後ソロとして活躍して無双すると、他のパーティーから追放されたエルフや魔族といった様々な追放少女が集まり、いつの間にかハーレムパーティーを結成している物語!
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