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テクニカとの邂逅
第117話 港町ポロムルの夜と朝
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交易港は眠らない。
灯台の光が湾内を照らし、港にも灯篭が多数置かれて闇を侵食している。
シューニャから出かける許可を貰った僕は、そんな比較的明るい夜の街を1人でぶらついていた。
戦闘中でもない状況でプライベートな時間を過ごすと言うのは、思いの外久しぶりである。否、そもそも現代に目覚めてから、勉強や作業中以外であったかすら疑問だった。
おかげで誰にも気を遣わない1人の気楽さに僕は上機嫌であり、フラフラと目的もなく知らない街を歩き回る。
そんな中、とある街路に行き当たった。
「ここは……もしかして」
道端に佇む女、女、女、稀に男。それも道行く人に声をかけ、時として建物の中や路地の影へ消えていく。
ここがいわゆる風俗街であることは、現代知識に疎い自分からも一目でわかった。それも娼館として看板を出していないことを考えれば、暗黙の了解でまかり通る非公認の場所なのかもしれない。
――行ってみるか。
文化的な興味本位が半分、そして女所帯における自己抑制的な生活の反動が半分。僕は小銃や拳銃、バヨネットで武装していることを確認してから、細く暗い通りへ踏み込んだ。
間もなく目に入るのは、訳アリの雰囲気と貧しさが介在する特徴的な空間である。やけに高級そうな衣装を纏い堂々と煙管を吹かす女に、地面に寝そべって水煙草らしい何かを吸って恍惚とする老人。何があったのか痣だらけで震えている青年に、やけに蠱惑的な笑みを浮かべているキメラリア。また、暗がりの入口には武装したゴロツキたちの姿もあったりして、光の届かない世界は覗かない方がよさそうだった。
掃き溜めのような、それでいて秩序だっているような道を歩くこと暫く。街路の切れ目が見え始めた時、僕は初めて自分を呼び止める声を聞いた。
「そこの御方、お探しではないですかぁ……?」
おずおずとした喋り方に視線を回せば建物の隙間のような場所から、1人の少女が手招きしている。
見た目からはファティマより年下くらいだろうか。まだまだあどけなさが残る姿は、毛無と呼ぶには少しばかり獣の特徴が多いキメラリアだった。
「クシュ、かい?」
「あっ……ごめんなさい、卑賎なキメラリアが人間様に声をおかけするなど……」
僕が声を出せば、彼女はビクリと身体を震わせて後ずさってしまう。顔を隠した彼女の腕からは汚れているが緑色の羽毛が生えており、やはり鳥系らしい。
しかし、この臆病さで中々客も取れていないのだろう。襤褸から覗く脚は棒のように細く、明らかな栄養失調だった。
おかげで僕は彼女の怯えた様子に、ついきっちり返事をしてしまう。
「あぁいやすまん、別にそういうことは気にしてないんだ。ただ、見るのが初めてでね」
「はぁ」
こちらが慌てて取り繕ったことが不思議だったのだろう。クシュの少女は不思議そうな顔をする。
おかげで互いに言葉を失い、しばらく僕は沈黙のままに彼女を眺めていた。頭から飛び出す汚れた飾り羽、羽毛に覆われた細い腕、そしてはだけた襤褸の隙間から覗く、柔肌についた傷の跡。
ただ、僕が不躾に眺めていたことで、少女は何か期待を抱いたらしい。おずおずと口を開いた。
「……あの、買ってくださるんですか?」
「む……それは――」
身内の女性たちからの無防備さや、過剰なスキンシップに性欲がかきたてられる場面が多いことから、どこかで発散した方がいいと思っているのは事実であるが、眼前に立つ枝のような少女にそれをぶつけられるはずもない。何なら父性から庇護対象としか見られないと言うべきだろう。
しかし、立ち止まって彼女に期待を与えておきながら、自分の倫理感で少女を無視するのはどうなのか。そう考え始めてしまうと、彼女が早晩飢え死ぬ姿が想像できてしまい、僕はエゴだと理解しながらもポケットから銅貨の束を取り出してしまった。
すると、途端に少女の表情がぱっと氷解する。
「かか、買ってくださるんですか? 精一杯ご奉仕しますので!」
「い、いやその……夜食にでも付き合ってくれれば、奉仕とかはその――」
改めて突き付けられる生々しい言葉に、性欲どころか僅かな恐怖を覚える。それくらいに彼女は必死であり、こちらが身体はいいと暗に伝えても、強い視線で食い下がった。
「だ、ダメですよそんな。こんな体ですし、はじめてですけれど――それでもちゃんと、ちゃんとやりますから、どうかこの身を使って下さいませ!」
「はじめて!? い、いやそれはなおさら問題だろう……もっと自分を大切にしなさい」
「お優しいのですね。でも、私がお金の見返りに差し出せるものは、身体しかありませんから」
未だ成人しているかどうか怪しいくらいの娘が、身売りせねば生きていけない状況は、このご時世に珍しくないのかもしれない。ただ、それをそうですかと受け入れられるほど、自分は世の中を達観できていない。
おかげで、どこか困ったように笑う彼女に対し、僕は大きくため息をつく。
「立派な心掛けだが、君はまだ子どもだろう。大人に甘えられるときには素直に甘えるべきだ。そうでなくともそんな栄養状態で娼婦など――ぐュッ!?」
無理にお金を握らせながら、彼女を抱かないための理屈を説教がましく垂れていれば、突然背後から首を絞められた。
警戒していなかった自分が悪いが、まさか罠かと咄嗟に腰のホルスターへ手を回す。だが、その仕掛け人であるはずの少女は驚いた様子で、飛べもしない両腕をバタバタと羽ばたかせている。
そのあまりに純粋な様子に加え、後ろから響いた聞き覚えのある声に、僕は事態を悟らされた。
「おにーさーん……こんなとこで何してるんですか?」
地獄の底から響くような、という表現はこういう時に使うべきだろう。
これが強盗紛いの連中だったら、身体に風穴をあけるなりして逃れられたが、身内である以上そうはいかない。おかげで僕はハッキリと、自らの血の気が引いていくのを感じていた。
「ぜーんぜん帰ってこないと思ったら、ちょっとこれは駄目な奴ですよ」
「ふ、ファティ! これには訳が、いや正しくはそういうつもりはほとんどなかったというか――!」
「ほぉほぉ、ほとんど、ですか。やっぱり帰ってお説教です」
下手に教えた格闘技術が故か、一度ホールドされてしまえば力の差もあってとても振りほどけない。
おかげで僕は旦那様ぁと叫ぶ少女の声前に、冷たい石畳の上を引きずられながら、このくすんだ風俗街から宿へと連れ戻されたのだった。
■
頭が痛い。
いや正しくは、心のほうがなお痛い。
宿に連れ戻された僕は、2人相手に自らが置かれた釈明したのだが、残念ながら有罪判決を受け、ファティマにしっかり頭を噛まれたのである。
それは一晩明けても、なお重い空気として肩にのしかかり、明朗な声が響き渡る町中でも、両隣を固める2人は氷のように冷たかった。
「あの……そろそろ許してもらえませんかね。未遂ですし」
「おにーさんがクシュ好きだったとは思いませんでした。それもあんな痩せっぽちな」
「いや、ですから、僕は別にクシュだから立ち止まった訳ではなく、あんな様子の少女に声をかけられて無視をするのも気が引けたといいますか」
「不潔」
「僕が全面的に悪いです、はい」
取り付く島もない。
自分だって男である。身内にそういう感情を抱かないようにはしているが、先の王都で発生したファティマ寝台闖入事件などでは、健康的な肉体も相まってかなり悶々とさせられているのだ。
ならば一層、心身の健康のためと割り切って娼館を利用するのは、精神衛生上及び彼女らとの健全な付き合い上、必要な行為なのではないかとさえ思う。
だが、未だ初心なシューニャやファティマに、己の心中を理解してもらえるはずもなく、今後は監視も厳しくなることであろうことを思えば、性欲に関しては悟りの境地を目指す他なさそうだった。
「キョウイチ、残念に思ってる?」
「……想像に任せるよ」
訝し気な顔をするシューニャに、僕は匙を投げた。しばらくはムッツリスケベという悪名を頂くのは間違いないだろうが、甘んじて受けるほかないらしい。
居たたまれない空気の中ではあったが、目的地であるコレクタユニオン支部へとたどり着けば、外面の加減か自然と調子は普段通りに戻る。
「随分閑散としてるな」
ポロムル支部は小屋のような建物で、支部というよりは事務所に近い雰囲気だった。おかげで受付窓口も2つしかなく、朝だと言うのに人の姿も見られない。
その理由を、シューニャはため息ながらに語った。
「王都から数日で来れる距離だから、ポロムルの支部は大した機能を持っていない。というか、王国内ではコレクタの仕事が少ないから、王都以外は大体こんな感じ」
「なるほどね、道理で依頼書が少ない訳だ」
ちらと視線を向けた先にあるコレクタユニオンの掲示板は、中央に大々的に貼られている鉄蟹の殲滅以外、それこそ雑用的なものが僅かに残っている程度。その上、鉄蟹の殲滅を重大と言いつつ、紙がボロボロで長期にわたって放置されていた様子が伺え、仕事に対する態勢が緩いことも察せられた。
そんな怠慢さに苦笑する僕を置いて、シューニャは受付へと足を運ぶ。
「どーも、朝からご苦労さんです。見ない顔だけど……どちらさん?」
自分達に応対してくれたのは、卓に肘をついて欠伸をかみ殺していた、やる気のなさそうな女性だった。ボサボサに乱れた髪と隈《くま》が浮かんだ目元は、昨夜の少女とは異なる不健康さを如実に表している。
挙句、建物の中には彼女以外に職員らしき姿がないため、どうやら1人で切り盛りしているらしい。だからか、杜撰な対応にもシューニャは相変わらず顔色を一切変えないまま、要件を告げる。
「私たちはアマミ・コレクタ。先日ヴィンディケイタより直接依頼を受け、その報酬を受領に来た」
「名前付きって……おいおい、組織コレクタかい? んな連中がポロムルになんの用さ。この辺じゃ、あんたらみたいなのに回せる仕事はない――けど、強いて言うなりゃあの鉄蟹駆除くらいかな?」
場違いだとでも言いたげに彼女はケラケラと笑う。最後に掲示板の中心を親指で指し示すものの、逆にそれに僕らは顔を見合わせた。
「一応聞きたいんですが、それってコイツの話ですか?」
僕はファティマのザックから、報告用にと持ってきた戦利品のアームを取り出し、ゴトリと机の上に置いた。
すると、途端に受付の女性は笑顔のままで硬直する。
「えっ……なにこれ? 蟹の部品?」
「依頼の個体かはわからない。けれど、群れの1つを殲滅した」
シューニャが言うが早いか、女性は埃を被った紙束から書類をほじくり出すと、その束山が崩れるのも無視してつけペンをとった。
「誰が?」
「自分達と、居合わせたヴィンディケイタが」
と、僕。
「いつ?」
「昨日のお昼ですねー」
続いてファティマ。
「どこで?」
「ここから東へ進んだ先の街道沿い」
最後にシューニャ。
すると彼女はアームパーツをまじまじと確認してから、ぼりぼりと頭を掻いた。
「あったかなぁお金……あったよなぁ、先任が呑み代にしてなかったら」
机の下に身を入れつつ、何かとんでもない呟きが聞こえてくる。ここまでワンマンな仕事ぶりを見せつけられると、本気で職員は彼女しか居ないのかもしれない。
待つこと数分、女性は頭に埃を乗せて机の下から顔を出すと、古ぼけた袋を机の上に置いた。衝撃で僅かにそれが破れて、銀貨が数枚転がり出てきたため報酬だということがわかる。ついでに呑み代として横領されていることもなかったらしい。
「来て早々鉄蟹の群れをやっちまうとはねー……おねーさんもびっくりだ。鉄蟹の群れとやりあうなら、50人くらいの組織かい?」
「5人です。いや、ダマルとアポロは含んでいいのか?」
「外部協力者は含まないから3人」
「は!? えっ、じゃあなに!? この銀貨50枚を最大でも5人で割るの!?」
今までにない大きな声だった。
敵の素性を知る自分としては、クラッカーにこの報酬はかなり優良な依頼だと思う。とはいえ、それは警備モデルが相手だったからであり、軍用の重クラッカーを狩るとなれば、クロスボウ程度しか遠距離攻撃手段を持たない現代人には荷が重い。
だからこそ、そんな力を見せつけた自分達に、なびこうとする姿勢はある意味当然だった。
「あのぉ、リーダーくぅん? この後予定とか空いてたら、おねーさんと一緒に呑みにいかない? これでも一応、支配人なんて呼ばれてるんだけどぉ」
このコレクタユニオン支部が出張所に過ぎないことが、彼女からの支配人宣言でハッキリした。そして支配人が直接受付をするくらいに暇である以上、他に職員など居るはずもない。
加えて、僅かに彼女の口から香る飲兵衛の臭いに、僕は速やかに逃げ出したい気持ちで一杯だったものの、アポロニアのことを思い出して踏みとどまった。
「遠慮しておきます――あぁでも、この近くでアチカ産のいい果実酒を売ってる店をご存じでしたら、教えていただきたいのですが」
「ちぇー、ざーんねん。アチカの酒なら大体どこでも売ってるし、ここはお酒の斡旋所じゃないよぉ?」
心底残念そうに、何なら自分の口に入らない物になど興味がないと、あからさまに面倒くさそうな態度を取られる。
だが、いい酒の情報を得るなら、酒飲みに聞くのが最良の手段で間違いないため、僕は1つ譲歩してみることにした。
「それは残念です。あとで差し入れようとか思ったのですが――」
「そこの角にある建物の地下。泥水をくれって言わないと出してくれないから、気を付けな」
呑兵衛予想は見事に的中していた。
彼女は急に背筋を伸ばしたかと思えば、今までにない真剣な表情で、窓の外にある倉庫らしき建物を力強く指さす。看板なども出ていないことから、穴場的な場所らしい。
しかし、彼女にも1本買ってくることを約束して踵を返そうとすれば、そこをシューニャに止められた。
「肝心の報酬がまだ。これが依頼書」
「何これ……って、黒猪ホルツから? でもこれ、証明印ないけど?」
「彼は、後でホウヅクを証明に送ると言っていましたが――」
「ホントにぃ? ホウヅクなんて暫く来てないけど?」
あの武人然とした男が約束を違えるとは考えにくいが、支配人はないないと首を振る。
ただ、少し考えればその原因は明らかに自分たちの所為だった。
「僕らが早すぎた、って感じかな」
「慣れすぎて失念していた……不覚」
猪面の重戦士が約束したのは、ポロムルで1泊すれば届いているはず、ということのみ。その計算に玉匣というロストテクノロジーによる速度は入っていないのだ。
「明日の朝、もう一度確認に来る」
「いつでもきていーわよぉ。あ、今度はお酒持ってきてねぇ」
先任の呑み代がどうのと言っていた支配人だが、どちらかといえばこの女の方が余程酒のために横領を働きそうだとは流石に口にしなかった。
ヘルムホルツが言う通りならば彼女は、怠惰な癖に規律は守る難儀な女、なのだから。
灯台の光が湾内を照らし、港にも灯篭が多数置かれて闇を侵食している。
シューニャから出かける許可を貰った僕は、そんな比較的明るい夜の街を1人でぶらついていた。
戦闘中でもない状況でプライベートな時間を過ごすと言うのは、思いの外久しぶりである。否、そもそも現代に目覚めてから、勉強や作業中以外であったかすら疑問だった。
おかげで誰にも気を遣わない1人の気楽さに僕は上機嫌であり、フラフラと目的もなく知らない街を歩き回る。
そんな中、とある街路に行き当たった。
「ここは……もしかして」
道端に佇む女、女、女、稀に男。それも道行く人に声をかけ、時として建物の中や路地の影へ消えていく。
ここがいわゆる風俗街であることは、現代知識に疎い自分からも一目でわかった。それも娼館として看板を出していないことを考えれば、暗黙の了解でまかり通る非公認の場所なのかもしれない。
――行ってみるか。
文化的な興味本位が半分、そして女所帯における自己抑制的な生活の反動が半分。僕は小銃や拳銃、バヨネットで武装していることを確認してから、細く暗い通りへ踏み込んだ。
間もなく目に入るのは、訳アリの雰囲気と貧しさが介在する特徴的な空間である。やけに高級そうな衣装を纏い堂々と煙管を吹かす女に、地面に寝そべって水煙草らしい何かを吸って恍惚とする老人。何があったのか痣だらけで震えている青年に、やけに蠱惑的な笑みを浮かべているキメラリア。また、暗がりの入口には武装したゴロツキたちの姿もあったりして、光の届かない世界は覗かない方がよさそうだった。
掃き溜めのような、それでいて秩序だっているような道を歩くこと暫く。街路の切れ目が見え始めた時、僕は初めて自分を呼び止める声を聞いた。
「そこの御方、お探しではないですかぁ……?」
おずおずとした喋り方に視線を回せば建物の隙間のような場所から、1人の少女が手招きしている。
見た目からはファティマより年下くらいだろうか。まだまだあどけなさが残る姿は、毛無と呼ぶには少しばかり獣の特徴が多いキメラリアだった。
「クシュ、かい?」
「あっ……ごめんなさい、卑賎なキメラリアが人間様に声をおかけするなど……」
僕が声を出せば、彼女はビクリと身体を震わせて後ずさってしまう。顔を隠した彼女の腕からは汚れているが緑色の羽毛が生えており、やはり鳥系らしい。
しかし、この臆病さで中々客も取れていないのだろう。襤褸から覗く脚は棒のように細く、明らかな栄養失調だった。
おかげで僕は彼女の怯えた様子に、ついきっちり返事をしてしまう。
「あぁいやすまん、別にそういうことは気にしてないんだ。ただ、見るのが初めてでね」
「はぁ」
こちらが慌てて取り繕ったことが不思議だったのだろう。クシュの少女は不思議そうな顔をする。
おかげで互いに言葉を失い、しばらく僕は沈黙のままに彼女を眺めていた。頭から飛び出す汚れた飾り羽、羽毛に覆われた細い腕、そしてはだけた襤褸の隙間から覗く、柔肌についた傷の跡。
ただ、僕が不躾に眺めていたことで、少女は何か期待を抱いたらしい。おずおずと口を開いた。
「……あの、買ってくださるんですか?」
「む……それは――」
身内の女性たちからの無防備さや、過剰なスキンシップに性欲がかきたてられる場面が多いことから、どこかで発散した方がいいと思っているのは事実であるが、眼前に立つ枝のような少女にそれをぶつけられるはずもない。何なら父性から庇護対象としか見られないと言うべきだろう。
しかし、立ち止まって彼女に期待を与えておきながら、自分の倫理感で少女を無視するのはどうなのか。そう考え始めてしまうと、彼女が早晩飢え死ぬ姿が想像できてしまい、僕はエゴだと理解しながらもポケットから銅貨の束を取り出してしまった。
すると、途端に少女の表情がぱっと氷解する。
「かか、買ってくださるんですか? 精一杯ご奉仕しますので!」
「い、いやその……夜食にでも付き合ってくれれば、奉仕とかはその――」
改めて突き付けられる生々しい言葉に、性欲どころか僅かな恐怖を覚える。それくらいに彼女は必死であり、こちらが身体はいいと暗に伝えても、強い視線で食い下がった。
「だ、ダメですよそんな。こんな体ですし、はじめてですけれど――それでもちゃんと、ちゃんとやりますから、どうかこの身を使って下さいませ!」
「はじめて!? い、いやそれはなおさら問題だろう……もっと自分を大切にしなさい」
「お優しいのですね。でも、私がお金の見返りに差し出せるものは、身体しかありませんから」
未だ成人しているかどうか怪しいくらいの娘が、身売りせねば生きていけない状況は、このご時世に珍しくないのかもしれない。ただ、それをそうですかと受け入れられるほど、自分は世の中を達観できていない。
おかげで、どこか困ったように笑う彼女に対し、僕は大きくため息をつく。
「立派な心掛けだが、君はまだ子どもだろう。大人に甘えられるときには素直に甘えるべきだ。そうでなくともそんな栄養状態で娼婦など――ぐュッ!?」
無理にお金を握らせながら、彼女を抱かないための理屈を説教がましく垂れていれば、突然背後から首を絞められた。
警戒していなかった自分が悪いが、まさか罠かと咄嗟に腰のホルスターへ手を回す。だが、その仕掛け人であるはずの少女は驚いた様子で、飛べもしない両腕をバタバタと羽ばたかせている。
そのあまりに純粋な様子に加え、後ろから響いた聞き覚えのある声に、僕は事態を悟らされた。
「おにーさーん……こんなとこで何してるんですか?」
地獄の底から響くような、という表現はこういう時に使うべきだろう。
これが強盗紛いの連中だったら、身体に風穴をあけるなりして逃れられたが、身内である以上そうはいかない。おかげで僕はハッキリと、自らの血の気が引いていくのを感じていた。
「ぜーんぜん帰ってこないと思ったら、ちょっとこれは駄目な奴ですよ」
「ふ、ファティ! これには訳が、いや正しくはそういうつもりはほとんどなかったというか――!」
「ほぉほぉ、ほとんど、ですか。やっぱり帰ってお説教です」
下手に教えた格闘技術が故か、一度ホールドされてしまえば力の差もあってとても振りほどけない。
おかげで僕は旦那様ぁと叫ぶ少女の声前に、冷たい石畳の上を引きずられながら、このくすんだ風俗街から宿へと連れ戻されたのだった。
■
頭が痛い。
いや正しくは、心のほうがなお痛い。
宿に連れ戻された僕は、2人相手に自らが置かれた釈明したのだが、残念ながら有罪判決を受け、ファティマにしっかり頭を噛まれたのである。
それは一晩明けても、なお重い空気として肩にのしかかり、明朗な声が響き渡る町中でも、両隣を固める2人は氷のように冷たかった。
「あの……そろそろ許してもらえませんかね。未遂ですし」
「おにーさんがクシュ好きだったとは思いませんでした。それもあんな痩せっぽちな」
「いや、ですから、僕は別にクシュだから立ち止まった訳ではなく、あんな様子の少女に声をかけられて無視をするのも気が引けたといいますか」
「不潔」
「僕が全面的に悪いです、はい」
取り付く島もない。
自分だって男である。身内にそういう感情を抱かないようにはしているが、先の王都で発生したファティマ寝台闖入事件などでは、健康的な肉体も相まってかなり悶々とさせられているのだ。
ならば一層、心身の健康のためと割り切って娼館を利用するのは、精神衛生上及び彼女らとの健全な付き合い上、必要な行為なのではないかとさえ思う。
だが、未だ初心なシューニャやファティマに、己の心中を理解してもらえるはずもなく、今後は監視も厳しくなることであろうことを思えば、性欲に関しては悟りの境地を目指す他なさそうだった。
「キョウイチ、残念に思ってる?」
「……想像に任せるよ」
訝し気な顔をするシューニャに、僕は匙を投げた。しばらくはムッツリスケベという悪名を頂くのは間違いないだろうが、甘んじて受けるほかないらしい。
居たたまれない空気の中ではあったが、目的地であるコレクタユニオン支部へとたどり着けば、外面の加減か自然と調子は普段通りに戻る。
「随分閑散としてるな」
ポロムル支部は小屋のような建物で、支部というよりは事務所に近い雰囲気だった。おかげで受付窓口も2つしかなく、朝だと言うのに人の姿も見られない。
その理由を、シューニャはため息ながらに語った。
「王都から数日で来れる距離だから、ポロムルの支部は大した機能を持っていない。というか、王国内ではコレクタの仕事が少ないから、王都以外は大体こんな感じ」
「なるほどね、道理で依頼書が少ない訳だ」
ちらと視線を向けた先にあるコレクタユニオンの掲示板は、中央に大々的に貼られている鉄蟹の殲滅以外、それこそ雑用的なものが僅かに残っている程度。その上、鉄蟹の殲滅を重大と言いつつ、紙がボロボロで長期にわたって放置されていた様子が伺え、仕事に対する態勢が緩いことも察せられた。
そんな怠慢さに苦笑する僕を置いて、シューニャは受付へと足を運ぶ。
「どーも、朝からご苦労さんです。見ない顔だけど……どちらさん?」
自分達に応対してくれたのは、卓に肘をついて欠伸をかみ殺していた、やる気のなさそうな女性だった。ボサボサに乱れた髪と隈《くま》が浮かんだ目元は、昨夜の少女とは異なる不健康さを如実に表している。
挙句、建物の中には彼女以外に職員らしき姿がないため、どうやら1人で切り盛りしているらしい。だからか、杜撰な対応にもシューニャは相変わらず顔色を一切変えないまま、要件を告げる。
「私たちはアマミ・コレクタ。先日ヴィンディケイタより直接依頼を受け、その報酬を受領に来た」
「名前付きって……おいおい、組織コレクタかい? んな連中がポロムルになんの用さ。この辺じゃ、あんたらみたいなのに回せる仕事はない――けど、強いて言うなりゃあの鉄蟹駆除くらいかな?」
場違いだとでも言いたげに彼女はケラケラと笑う。最後に掲示板の中心を親指で指し示すものの、逆にそれに僕らは顔を見合わせた。
「一応聞きたいんですが、それってコイツの話ですか?」
僕はファティマのザックから、報告用にと持ってきた戦利品のアームを取り出し、ゴトリと机の上に置いた。
すると、途端に受付の女性は笑顔のままで硬直する。
「えっ……なにこれ? 蟹の部品?」
「依頼の個体かはわからない。けれど、群れの1つを殲滅した」
シューニャが言うが早いか、女性は埃を被った紙束から書類をほじくり出すと、その束山が崩れるのも無視してつけペンをとった。
「誰が?」
「自分達と、居合わせたヴィンディケイタが」
と、僕。
「いつ?」
「昨日のお昼ですねー」
続いてファティマ。
「どこで?」
「ここから東へ進んだ先の街道沿い」
最後にシューニャ。
すると彼女はアームパーツをまじまじと確認してから、ぼりぼりと頭を掻いた。
「あったかなぁお金……あったよなぁ、先任が呑み代にしてなかったら」
机の下に身を入れつつ、何かとんでもない呟きが聞こえてくる。ここまでワンマンな仕事ぶりを見せつけられると、本気で職員は彼女しか居ないのかもしれない。
待つこと数分、女性は頭に埃を乗せて机の下から顔を出すと、古ぼけた袋を机の上に置いた。衝撃で僅かにそれが破れて、銀貨が数枚転がり出てきたため報酬だということがわかる。ついでに呑み代として横領されていることもなかったらしい。
「来て早々鉄蟹の群れをやっちまうとはねー……おねーさんもびっくりだ。鉄蟹の群れとやりあうなら、50人くらいの組織かい?」
「5人です。いや、ダマルとアポロは含んでいいのか?」
「外部協力者は含まないから3人」
「は!? えっ、じゃあなに!? この銀貨50枚を最大でも5人で割るの!?」
今までにない大きな声だった。
敵の素性を知る自分としては、クラッカーにこの報酬はかなり優良な依頼だと思う。とはいえ、それは警備モデルが相手だったからであり、軍用の重クラッカーを狩るとなれば、クロスボウ程度しか遠距離攻撃手段を持たない現代人には荷が重い。
だからこそ、そんな力を見せつけた自分達に、なびこうとする姿勢はある意味当然だった。
「あのぉ、リーダーくぅん? この後予定とか空いてたら、おねーさんと一緒に呑みにいかない? これでも一応、支配人なんて呼ばれてるんだけどぉ」
このコレクタユニオン支部が出張所に過ぎないことが、彼女からの支配人宣言でハッキリした。そして支配人が直接受付をするくらいに暇である以上、他に職員など居るはずもない。
加えて、僅かに彼女の口から香る飲兵衛の臭いに、僕は速やかに逃げ出したい気持ちで一杯だったものの、アポロニアのことを思い出して踏みとどまった。
「遠慮しておきます――あぁでも、この近くでアチカ産のいい果実酒を売ってる店をご存じでしたら、教えていただきたいのですが」
「ちぇー、ざーんねん。アチカの酒なら大体どこでも売ってるし、ここはお酒の斡旋所じゃないよぉ?」
心底残念そうに、何なら自分の口に入らない物になど興味がないと、あからさまに面倒くさそうな態度を取られる。
だが、いい酒の情報を得るなら、酒飲みに聞くのが最良の手段で間違いないため、僕は1つ譲歩してみることにした。
「それは残念です。あとで差し入れようとか思ったのですが――」
「そこの角にある建物の地下。泥水をくれって言わないと出してくれないから、気を付けな」
呑兵衛予想は見事に的中していた。
彼女は急に背筋を伸ばしたかと思えば、今までにない真剣な表情で、窓の外にある倉庫らしき建物を力強く指さす。看板なども出ていないことから、穴場的な場所らしい。
しかし、彼女にも1本買ってくることを約束して踵を返そうとすれば、そこをシューニャに止められた。
「肝心の報酬がまだ。これが依頼書」
「何これ……って、黒猪ホルツから? でもこれ、証明印ないけど?」
「彼は、後でホウヅクを証明に送ると言っていましたが――」
「ホントにぃ? ホウヅクなんて暫く来てないけど?」
あの武人然とした男が約束を違えるとは考えにくいが、支配人はないないと首を振る。
ただ、少し考えればその原因は明らかに自分たちの所為だった。
「僕らが早すぎた、って感じかな」
「慣れすぎて失念していた……不覚」
猪面の重戦士が約束したのは、ポロムルで1泊すれば届いているはず、ということのみ。その計算に玉匣というロストテクノロジーによる速度は入っていないのだ。
「明日の朝、もう一度確認に来る」
「いつでもきていーわよぉ。あ、今度はお酒持ってきてねぇ」
先任の呑み代がどうのと言っていた支配人だが、どちらかといえばこの女の方が余程酒のために横領を働きそうだとは流石に口にしなかった。
ヘルムホルツが言う通りならば彼女は、怠惰な癖に規律は守る難儀な女、なのだから。
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「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
超克の艦隊
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「合衆国海軍ハ 六〇〇〇〇トン級戦艦ノ建造ヲ計画セリ」
米国駐在武官からもたらされた一報は帝国海軍に激震をもたらす。
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六四〇〇〇トンで建造されるはずだった「大和」は、しかしさらなる巨艦として誕生する。
だがしかし、米海軍の六〇〇〇〇トン級戦艦は誤報だったことが後に判明。
情報におけるミスが組織に致命的な結果をもたらすことを悟った帝国海軍はこれまでの態度を一変、貪欲に情報を収集・分析するようになる。
そして、その情報重視への転換は、帝国海軍の戦備ならびに戦術に大いなる変化をもたらす。
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※超注意書き※
1.政治的な主張をする目的は一切ありません
2.そのため政治的な要素は「濁す」又は「省略」することがあります
3.あくまでもフィクションのファンタジーの非現実です
4.そこら中に無茶苦茶が含まれています
5.現実的に存在する如何なる国家や地域、団体、人物と関係ありません
6.カクヨムとマルチ投稿
以上をご理解の上でお読みください
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