悠久の機甲歩兵

竹氏

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テクニカとの邂逅

第114話 海岸線

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 王都を出てから遠回りをすること数日。
 草原を抜けた先に広がった海を目の前に、玉匣は海岸で停車し、僕らはまた休憩をとっていた。
 ここまでハンドルを握っていたシューニャは大きく伸びをしながら、その風もなく凪いだ海を指さした。

「これがベル地中海。南はユライア王国、西にカサドール帝国、北に交易国リンデンを接する凪いだ海。西の方で帝国軍と王国軍の間で制海権を巡って争っている」

「そりゃそうだ。その交易国とやらがどんな国かは知らねぇが、帝国は王国の海路を潰せりゃかなり有利に立てるしな」

 陸路による大量輸送が難しい現代では、海運の重要性は相当高いとは思う。ただ、今の自分たちに海路は関係がないので、僕はむしろ情報の空白地帯が気になったが。

「地中海ということは、東にも陸地が?」

「東は焼けた大地と呼ばれる、動植物が生きられない土地が広がっているらしい。理由は知らないけれど、危険だから近づけないのだとか」

 その言葉にダマルはほぉんと微妙な声を出した。
 地中海にしても焼けた大地にしても、800年前にはなかった地形だ。少なくともショコウノミヤコから北東方向に内海はなく、まして近づくこと自体が危険な場所なんて聞いたこともない。
 自分の記憶がない内にか、あるいは800年のうちに大規模な地殻変動が起こったのだろうと納得した。

「よし、そろそろ出発しよう。ダマル、シューニャと運転代わってやってくれ」

「ほいほーい」

 シューニャはこのところずっと運転しっぱなしであり、交代指示を出せば不思議そうな顔をしながらも指示に従ってくれる。
 集中している時、彼女は疲れを口にしようとしないため、こうして止まった時に様子を見てやらなければならないことが最近になって分かった。我慢強いのはいいことだが、それで身体を壊してしまいかねない。

「腰にきてるかい?」

「どうしてわかるの?」

「運転は思った以上に疲れるものだからね。しんどい時はすぐに言ってくれ」

「わかった。今度から気を付ける」

 彼女は実体験でよく理解できたのだろう。こくんと素直に頷いてくれる。
 しかし、少し交代指示が遅かったのだろう。緩やかに加速して踏み固められただけの街道をゆく玉匣の揺れに、シューニャは小さく眉間に皺を寄せていた。

「もう少しこまめに休憩と交代をしたほうがいいかな」

「馬車より余程乗り心地がいいはずなのに……不思議」

 凝り固まったであろう腰を17歳の少女がトントンと叩く姿は、流石に少し心配になる。否応なく歳を重ねれば身体の痛みとは付き合わなければならないのに、800年前においては未だ未成年の彼女が感じるべきではない。

「やっぱり風呂が欲しいねぇ」

 これは夜鳴鳥亭に滞在したときもそう思った。
 しかし、源泉でもないかぎり、溜められるほどの湯は基本的に貴重らしい。マオリィネが言うには、貴族には自宅に風呂やサウナを持つ者も居るらしいが、それはつまり貴族でなければ温浴の文化そのものが薄く、庶民は沐浴を当然としているということだ。
 おかげでファティマは心底心配そうな顔をしながらも、容赦のない言葉を突き刺してくる。

「おにーさん、もしかして壊れちゃった感じですか?」

「ほんと失礼だな君は」

 無自覚なほど壊れていれば判断できないが、今のところ思考は至って正常のはずだと、僕が梅干しのような顔を作れば、アポロニアはニヤニヤしながら彼女の発言をつついた。

「猫がベタベタしすぎたのが原因じゃないッスかぁ?」

 そんなことを言われてファティマが黙っているはずもなく、彼女は瞳を暗く輝かせると、見下ろすように疑いの目をアポロニアに向ける。

「犬こそ、おにーさんの食事に変な物入れてたりしそうで怪しいですよ」

「ほほぉーん? 食事を分けるときは全員の前だし、それ以前は全員同じ鍋ッスよ? バカも休み休み言ってほしいッスぅ」

「どーだかです。おにーさんが夜の見張りしてる時に差し入れしてることくらい知ってるんですから」

「それ言うなら猫なんて寝床に潜り込んでたッスよね?」

 見事な言葉の応酬の後、2人は揃ってふぅと小さく息を吐く。
 だが、これで収まるはずもなく、車体が何かを踏んだ振動が試合開始のゴングとなり、高速猫パンチとそれを躱しながら犬キックで反撃する熱戦が勃発した。

「犬は下心がスケスケスケルトンなんですよ!」

「ご主人の理性に揺さぶりかけてるようなエロ猫に言われたく無いッス!」

 動き回れるほど広くない車内において、それはそれは見事な攻防だと感心する。ファティマの猫パンチは当たれば卒倒間違いなしの威力だろうが、狭さからバネを生かせないことを理解して、放つ速度に全力を注いでいるように見えた。逆にアポロニアは小柄な体躯で器用に攻撃を捌き、隙を見て脛を狙うローキックでパワー不足をカバーしている。
 そんな中で言葉まで交わすのだから、実は仲がいいのかもしれない。

「差し入れ食べてるおにーさんに絡みつこうとしてたのは、どこの誰でしたっけー?」

「さっきから聞いてればどこで見てやがったッスか!? そもそも、親愛と恋慕を一緒くたにしか考えられないとか、制御できない万年発情期には困ったもんッスね!」

「だ、誰が万年発情期ですかぁ! ボクだって結構頑張ったから、あれ以来グルグル状態にはなってませんよー!」

 加速する闘争は互いの秘密情報の投げ合いに陥りつつある。
 僕が止めに入るタイミングを見失っていれば、腰を擦っていたシューニャがポーチに手を突っ込んだ。
 途端にキメラリア2人の動きが停止し、その表情が固まったままゆっくりと血の気を失っていく。

「2人とも、私の言いたいこと、わかる?」

 ポーチの中でケイヤキクの実を弄ぶシューニャの顔が映し出すのは、まさに虚無。ただでさえ疲れていた彼女は、その裏側では冷たい炎が音もなく立ち上がらせている。

「座って」

「でもこのエロ猫が――!」

「スケベ犬のせいで――!」

 2人からの捨て身の抗議が見事に重なる。だが最早戦局は決しており、多少の体当たりなどでシューニャが揺らぐはずもない。
 むしろポーチからゴリっという何かが削れる音が聞こえたことで、2人は揃って耳を伏せ尾を足に巻き付けた。

「座って」

「「はい」」

 彼女らが無事解放されることを願いつつ、説教を背に僕は砲手席へと避難する。
 しかし、それで話題から解放されたかと思えば、席に着くや否や無線機が声を発した。

『お前、差し入れとか貰ってたの?』

 エーテル機関の音に阻まれる骸骨のもとにまで、キメラリアたちの声は届いていたらしい。少し頭が痛くなった。

「正しくは昨日の夜に貰った、だよ」

『内容を詳しく』

「何だい急に――ササモコ、だっけ? あのトウモロコシみたいな奴が生地に練り込まれたパンに、干し肉と葉物野菜を挟んだ奴だった」

『あの犬、お前だけ扱い違うよなァ……猫も人のことは言えねぇが、甘酸っぱすぎて舌もねぇのに唾が出てきそうだ』

「どっちかというとジューシーな感じの味付けだったと思うが」

『差し入れの味の話ぁしてねぇよ!』

 甘酸っぱいと言うから味の話をしたのに、では何のことだと聞いたら途端に無線を切られた。何か気に障ったらしいが、これは流石に理不尽極まる。
 しかも会話が途切れて間もなく、レーダーが甲高い音を立てるのだから堪らない。おかげで再びダマルの声が無線から響いてきた。

『レーダーに感、何か知らんが結構な数の生体反応だぜ』

「一か所に留まってるようだけど、キャンプでもしてるのかな?」

『道のど真ん中でか? 随分迷惑な奴らが居たもんだぜ』

 ダマルは面倒くせぇと呟きながら玉匣を街道から逸らせ、背の高い雑草が生い茂る中を隠れて進む。おかげで車体の揺れが唐突に大きくなり、説教チームにも異常が伝わったらしい。シューニャがパタパタと車体前方へ走ったかと思えば、ややあってから無線の声が切り替わった。

『あくまで予想だけれど、隊商キャラバンが休憩しているのではないかと思う』

「キャラバン?」

『商人の集団のこと。彼らはポロムルで買い付けた物を王国各地の商店に卸し、逆に王国の産品をポロムルで交易国の商人へ売ることで利益を得ている』

「物流業者って感じだね。それが休憩を?」

『わからないけど可能性は高い。ホワイトコーストを東へ進めばトリシュナー子爵が治める辺境の町アチカがあって、果実酒が名産品だったはず』

 トリシュナー子爵と言われて、つい先日別れたばかりのマオリィネを思い出す。
 貴族であることを鼻にかけることもない彼女だが、狭い王国の中で5つしかない町の内1つを領地としているなれば、数奇な縁だと思わざるを得ない。
 そして酒の話に反応するのは、玉匣最小の大酒飲みアポロニアだ。無線の奥から何やら苦悶の声を上げている。

『あ、あの御貴族様がまさかアチカの領主一族ですとぉ!? ぬぬぬ、アチカ産の果実酒は美味いんス』

『黙って。キャラバンなら別に問題はない。下手に近づかなければ――』

 今度会ったら、などという呪詛のような呟きを、シューニャはバッサリ斬り捨てたが、彼女の声もまた独特の甲高い警報音にかき消された。

 ――非生物目標警告、だって?

 それは敵味方識別装置IFF反応が存在しない非生物目標を発見した際に発せられる音である。おかげで体に馴染んだ緊張感から僕は素早く主砲の安全装置を解除し、それと同時に玉匣も荒々しく停車した。

『相棒、レーダーから目標の種別はわかるか?』

「この反応なら……クラッカーだな。動きが鈍い」

 自分で判断しておきながら、その答えに小さく安堵の息を吐いた。
 一方、聞き覚えがない名詞に無線から質問が飛んでくる。

『クラッカァ、とは?』

「4つの足で動作する戦闘機械だよ。こう、円柱状のボディをしてるんだ」

 クラッカーは軍民問わずに利用された自動警備ロボットであり、ドラム缶を倒したような胴体から、4本の脚と2本の腕が生えているのが特徴的な姿をしている。民間用の物は腕にスタンガンを持つだけだが、軍用の物は胴体部に機銃を備える他、拳銃弾を防ぐ程度の装甲を持つ。
 ただ所詮は警備用で、胴体の機銃も拳銃弾を利用した対人用でしかなく、マキナや装甲車であれば真正面から蹴散らせてしまう。
 だから大した相手ではない、と言いたかったのだが、外観を聞いた直後の返事は驚くほど固い声だった。

『まさか、鉄蟹……?』

「今はそう呼ばれてるのかい? 蟹というか、蜘蛛っぽいが――」

『あれは雷の魔術を使う強敵。ただでさえキメラリアの多くは雷の魔術と相性が悪い上に、群れで人を襲う習性から、コレクタにも多くの死傷者を出している』

 彼女の説明から察するに、どうやらクラッカーは完全に暴走しており、かつ機銃弾を撃ち尽くしているものが大半らしい。しかし、非殺傷兵器のスタンガンが脅威とみなされているのは不思議であり、これにはダマルも微妙な声を出した。

『非殺傷用のスタンガンで殺されるってこたぁ、リミッターが壊れてんのかもしれねぇが……』

「最大でどれくらいの威力が出せるのかは知らないが、そんなことってあるかい?」

『さあな。そんなことよりどうするよ相棒? あそこの可哀想な奴らを助けるのか、あるいは見捨てて逃げるのか、俺ぁどっちでもいいぜ?』

 骸骨からの問いに、僕は少しだけ考える。
 クラッカーが機銃を使えないのなら、マキナや玉匣を衆目に晒すことなく小銃だけで十分に対処できるが、わざわざ回避できる戦闘に介入するのもどうかとは思う。
 しかし、シューニャは是非にと言い張った。

『可能なら駆除してほしい。鉄蟹……動き回るクラッカァはどこかに被害をもたらす可能性が高いし、コレクタユニオンから討伐報酬がもらえるかもしれない』

『へぇ? 小遣い稼ぎになるってんなら悪くねぇ話だな』

「――いいだろう。このまま見捨てるのも寝覚めが悪いし、たまにはコレクタらしい仕事でもしようか」

 僕がそう言って砲手席から出ると、下では自分の判断を予想していたのか、ファティマとアポロニアが完全武装の状態で待っていた。
 とはいえ、電撃が苦手という彼女らを連れて行くのはどうか、とも思うのだが。
 
「雷の魔術は苦手なんじゃないのかい?」

「嫌いですけど、お仕事はちゃんとやります」

「ジュウが効くなら近づく必要もないッスから、自分は平気ッスよ」

「――わかった。危ないと思ったすぐに退避するように。2人の足ならクラッカーに遅れは取ることもないだろうし」

 さっきまで喧嘩していた2人がそろって頷くのを見て、僕は苦笑しつつ荷物室から装備品を引っ張り出した。
 久しく使っていないボディアーマーを身に纏い、自動小銃を肩に回して、ホルスターに自動拳銃を叩き込み、そこでダマルがアッと声を上げた。
 何かあったのかと運転席の方を覗き込めば、骸骨はいけねぇいけねぇと言いながらシューニャに黒い何かを差し出しており、彼女は驚いて身を引いていた。

「な、何?」

「いや、相棒にシューニャの自衛手段を作れって言われたの思い出してな。その腰につけた飾りよりゃマシだろうって話さ。リボルバーだから間違って足を撃ち抜くこともねぇだろうし」

 差し出されていたのはどうやら回転式拳銃《オートリボルバー》のグリップらしい。そのあまりに突拍子の無い話にシューニャは混乱したらしく、僕とグリップの間で暫く視線を彷徨わせ、少しおどおどした様子のまま安全装置のかかったそれを手に取った。
 そんな彼女の姿は想像通りである一方、骸骨には言いたいこともある。

「話を聞かないと思えば、渡してなかったのか」

「いやぁ、我ながら完全に忘れてたゼ」

 そう言いながら、ダマルは軽く頭骨を叩いてみせる。これで肉のある体なら、ウインクしながら舌を出していたところだろう。妙に腹が立つ。
 話をしてから既に1週間以上が経過しており、しかも訓練は俺がやっておくと骸骨自ら豪語していたのだ。それがまさか、人がホルスターに拳銃を突っ込むまで忘れていたなどと。

「……ファティ、後でダマルを解体してくれ」

「いやぁ待て! 待ってください! これには深い訳があってだな!」

 ヘルメットを被った僕の冷たい視線に、ダマルはわたわたとガントレットを振りまわす。しかし、その深い訳という奴はカタカタ顎を鳴らすばかりで、一向に出てくることは無く、ファティマは時間切れと見てこちらを振り向いた。

「それはお仕事ですか?」

「お仕事です」

「どう考えても違ぇよ!? お前ら揃って頭膿んでんのか!」

 完全に無視される形になったダマルは頭を抱えて叫んだものの、最早後の祭りである。何故素直に謝ろうと思わないのか。
 軽くお仕置きを決定しつつ準備を終えた僕は、気を引き締めて後部ハッチを開く。

「さて、じゃあ行くとしよう。シューニャとダマルは玉匣で待機しててくれ。それと、構造と使い方は今のうちに教えておくように」

「い、イエス・サー」

 さもないと、がつかなかっただけよかったと思ってほしい。
 首を傾げるシューニャに背を向け、僕は微妙な表情を浮かべたキメラリア2人を連れて、雑草の海へと分け入った。
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