悠久の機甲歩兵

竹氏

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テクニカとの邂逅

第112話 旅路を再び

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 名も知らぬ小鳥が遊ぶ木陰に小川のせせらぎを聞きながら、木の幹を背もたれに座れば穏やかな空気は欠伸を誘う。
 王都を出発して間もなく、人目を気にして往来の多い南北を結ぶ主要街道から外れ、遠回りの細道を選んだことが幸いし、ちょっとした草影でのんびりと過ごすこともできていた。

「自然が綺麗だなぁ」

「帝国がカッサカサだったから余計にそう思うぜ……大した距離もねぇのに自然ってのはわかんねぇよ」

 潤沢な食料に水、金子にも余裕がある旅路なら、急ぐ必要はどこにもない。おかげで玉匣の速度は徒歩並みにゆっくりであり、シューニャの運転訓練を最優先にしながら進む。
 それも彼女が疲れたと言えばこうして休み、近くに川があれば水垢離して身体も清潔を保てる。それを乾かそうと陽に当たっていればぽかぽかと暖かく、うららかな陽気は平和そのものだった。

「ごっしゅじーん? 果物剥いたッスけど、食べるッスかぁ?」

「あぁ、ありがとう、貰うよ」

 王都で買ったらしいナイフを片手に、アポロニアが黄色く丸い果実を剥いたものを渡してくる。ダマルと共に1つ貰って齧れば、仄かな甘みと柔らかい触感が口の中に広がった。

「こりゃ梨っぽい甘さだなァ、水気が少ねぇけど」

「リサンって言うッスよ。庶民でも食べられる果物の代表で、焼いたりしても美味いッス。まぁ王国だと他にも買える果物は多いッスけど、帝国じゃこれでも高価ッス」

 王国様様だと告げるアポロニアに、つい最近ウィラミットへ果物をプレゼントしたことを思い出す。その理由はシューニャから、果物ならアラネアでも大体食べられる、と聞いたからなのだが、その時に幾つか高価なものも見かけていた。

「あぁ確かに。あのシイ……なんとかって果物は高かったなぁ」

「シイランは砂漠以外では生育しにくい上に、あまり日持ちしないからとても高価。逆に砂漠地帯では水分補給に用いられるくらい安いとも聞く」

「前にグランマから貰って食べましたね。けど、ボクはピルクの方が甘くておいしいと思います」

 シューニャの説明を聞いて居れば、いつの間にアポロニアの手から攫ったのか、ファティマが隣でリサンを齧って、口からシャクシャクと音を立ていた。
 しかしその味には不満があるらしく、長い尻尾が大きくブンブン揺する。

「んー……生のリサンは他と比べて薄味ですね」

「比較対象がおかしいッスよ。大体、ピルクなんてどこで食ったッスか」

「それもグランマがくれたんですよ。あんなに甘いもの一杯食べれるなんて、やっぱりお金持ちはすごいですよね」

 ピルク、という果物は市場でも見かけなかったため、それがどういうものなのかはわからないが、アポロニアの反応を見る限り、相当に高価な代物なのだろう。グランマから貰った果物の種類など覚えていないが、あの妖怪老婆は食べ飽きたとでも言いそうである。

「――そんなの、あった?」

「あれ? シューニャ気付いてなかったんですか? おにーさんが持って帰ってきてくれた籠に2粒だけ入ってたんですけど、痛みはじめてるみたいに柔らかかったんで、ボクその場で食べちゃいました」

 自分がグランマから貰った果物籠を渡した時、確かに彼女は興味深げに中身を覗いていたように思う。あの時、シューニャはミクスチャを相手にすると聞いて随分落ち込んでいたこともあり、ファティマが齧っている果物など気にもしていなかったらしい。
 それを聞いた彼女は、しばらくポカンと小さく口を開けて呆然としたが、何を思ったのか突然ファティマの尻尾を派手に引っ張った。

「ギニャっ!? しゅ、シューニャ、尻尾は駄目です! あいたたた!? 抜けちゃう、抜けちゃいます!」

 ファティマは尻尾を掴まれると上手くバランスが取れないらしく、たちまち地面にひっくり返った。それでもシューニャは余程怒り心頭なのか、尻尾を掴んだ腕を振り回し、その度に力で圧倒的に勝るはずのファティマは、地面を右へ左へ転がっていく。
 今までに見たことのない、シューニャらしからぬ烈火の如き激怒に、自分やダマルはおろか、普段なら馬鹿にして笑いそうなアポロニアまで唖然としていた。

「えっと……ピルクってのはそんなに高価なのかい?」

「そ、そりゃ勿論高価なんスけど、何よりあっという間に腐っちゃうから、ほとんど店に出回らないんスよ。あるとすれば保存用のシロップ漬けくらいで、それも普通に買えるような値段じゃ無いッス」

「おにーさーん!? 説明なんて受けてないで助けて下さ――うなっ!? 逆撫では駄目です! ゾワゾワしますからっ!! ごめんなさい許してください、お願いですからシューニャぁ!?」

 涙目になって懇願するファティマに対し、無表情ながら目元に影を落とすシューニャは、一切の謝罪を受け付けず、長い尻尾を無慈悲に逆撫でし続ける。

「シューニャ、その辺で許してやってくれ。彼女にも悪気はなかったんだろうし……」

 状況は掴めないが、僕が流石に哀れだと仲裁に入れば、ようやく彼女は尻尾をぽいと打ち捨てた。
 人間には想像がつかないが、余程気持ち悪い感覚だったのだろう。ファティマは解放されるや否や、わたわたと僕の背に逃げ込み、自分の尾を入念に舐め始める。その姿を見て、シューニャはふぅと大きく荒々しい息を吐いた。

「……私の好物」

「えっ!? シューニャも食べたことがあったのかい?」

「ピルクはリンデン交易国の名産品。だから、収穫期なら司書の谷でも買えない程高価ではなかった。特にパイがとても美味しい」

 彼女がここまで恨めしそうに食の好みを語ることは珍しい。何せ普段から小食で、食に対する執着が薄い割に、選り好みすることなく何でも食べるため、好物など聞いたこともなかったのである。
 それもファティマに対して理不尽に怒ったのだから、相当好きなのだろう。未だに冷たい視線を彼女に投げかけているあたり、解放しただけで許す気はさらさらないらしい。
 そんな彼女に怯えて自分の影に隠れるファティマを見て、ダマルは派手に笑った。

「カーッカッカッカ! 馬鹿力猫でもシューニャには勝てねぇんだな! 食い物の恨みはおっそろしいねぇ」

「うぅー……尻尾は大事なんですもん……まだちょっとヒリヒリしますし」

 いつもならば骸骨を睨み返すなり、あるいは解体していたところだろうが、尻尾のせいでそれどころではないらしく、彼女は必至で毛繕いを続けながらシューニャの様子を伺っている。
 とはいえ、流石に食事のことで喧嘩を続けられても困るため、僕は間を取り持つことを決めた。

「まぁ、ファティも反省しているようだし、今度見かけたら買ってあげるから、ここは許してやってくれないかい?」

「――買って、くれるの?」

「そりゃ……まぁ?」

 突如向けられた輝く瞳に、何故だかとんでもない不安が脳裏をよぎる。
 とはいえ、一度口にした以上後には退けず、僕がハッキリと頷いてみせれば、シューニャは無表情のまま大きく万歳をして、喜びの大きさを表すではないか。
 彼女がここまで派手な反応を示したことで、不安は大きく膨れ上がり、僕は小声でアポロニアに助けを求めた。

「高価だとは言ってたが、その……ピルクってのは、どれくらい高いんだい?」

「保存品なら、輸入品扱う店で時価ッスね。1回買ってる人を見た時は、銀貨払ってたッスよ」

 べらぼうな値段設定に顔が引き攣った。それも買えないことはないという現状が、余計に嫌がらせのように思えてくる。
 一体どんな果物なら、そんな値段になるのか。急激に想像がつかなくなったことで、僕は余計な質問をつけ加えてしまった。

「どんな果物なんだい、銀貨相当って……」

「これっくらいのピンク色した果物ッス。保存品は砂糖漬けで1粒ずつ売られててその値段なんで、果物の宝石なんて言われるッスよ。なんせ交易国から運ぶとなれば――ご主人?」

 口を開けたまま固まった自分を、アポロニアは不思議そうにのぞき込んでくる。だからと言って、この衝撃は早々消えるものでもない。
 というのも、彼女が指で生み出した丸は、あろうことか苺くらいの大きさだったのだ。パイがどうのとシューニャは言っていたが、1つで銀貨1枚するような苺からパイを作るとすれば、どれほどの値段となるのか想像もつかない。
 だが、目の前でとても嬉しそうなシューニャを見れば、最早引っ込みなどつくはずもなく、僕は遠く天へ祈った。
 いつかリンデン交易国を訪れるその日まで、ピルクパイがシューニャの目にとまることの無いように、と。


 ■


 焼けた執務室が使えないため、クローゼは別の応接室を仮の執務室として使っている。それも山ほど出てくる過去の問題に少人数で立ち向かっているため、彼の疲労は驚くほどに色濃い。
 だからこそ、その報告をクローゼ以上に待ち望んだ者は居なかっただろう。

「支配人! バックサイドサークルからの応援が到着しました――って、ちょ、ちょっとぉ!?」

 茜に染まる部屋へ飛び込んできた数少ない職員の声に、彼は凄まじい勢いで立ち上がると、何も聞かないまま服装を整えつつ大股で廊下へ飛び出し、これまた凄まじい勢いで階段を下っていく。それほどまでに、彼の置かれた状況は切迫していたと言うべきだろう。
 クローゼが職員も置き去りのままロビーへ現れると、そこには9人の男女が未だ旅装すら解かないままで待機していた。
 そして彼が現れるや否や、そのうちの6人は素早く姿勢を正し、先頭に立っていた傍目に見ても受付嬢だったであろう女性が代表して前に出る。

「コレクタユニオン帝国領バックサイドサークル支部から派遣されました、マティ・マーシュ以下5名。着任の御挨拶に参りました」

 見事な営業のスタイルに、まともなのが来てくれたとクローゼは内心安堵の息を吐く。それも含めて、彼の内心にはシューニャへの感謝が渦巻いた。
 彼女以外は受付担当らしき女性が1人と、護衛を兼ねたであろうリベレイタが3人。揃って頭を下げるあたり、訓練された者たちであることは間違いなく、クローゼは興奮を抑えながら、努めて冷静に言葉を発した。

「暫定支配人のクローゼ・チェサピークだ。人手不足の折、転属の依頼を受けてくれたことに感謝する。見ての通り散らかっていて業務に支障を来す状況なので、さっそく各々担当する部署についてもらいたいが――その、後ろの者は一体?」

 行動を共にしていたのは雰囲気でわかるが、やけに凸凹した3人である。目深にフードを被った小柄な者が1人と、その脇を固める旅装の武人が1人、そして片手片足が義足らしい無頼漢が1人。
 見た目だけで判断するなら護衛のコレクタというのが妥当だったが、わざわざ義手義足をした不自由な者を回すのは不自然であり、それをマティに問えば、彼女は何故か困った顔で笑った。

「あ、あぁ、あの人たちは同行してくれた冒険者です。バックサイドサークルで手頃なコレクタが集まらなくて、グランマが特例的に雇った……という感じです」

「そう、か。まぁ、そういうことなら、誰か飲み物を入れて差し上げろ」

 グランマが雇ったとなれば既に賃金は支払われているだろうが、マティらを護衛してくれたことには感謝を伝えねばならないとクローゼは考えていた。ただ、結局体の不自由な者については疑問が残る。
 挙句、その義手義足の男が話しかけてくるものだから、彼は一層困惑した。

「クローゼっつったか? ちょっと聞きたいことがあるんだが、構わねぇか?」

「……何か?」

 無頼漢然とした男はコレクタには良く居るタイプだが、クローゼはその風貌に眼鏡の奥で目を細めた。
 腰にぶら下げられるのは、やけに使い込まれた鉄の棍棒。身体には上等な金属の胸当てと腰巻。最後に、金属で作られた高価そうな義手義足。冒険者というにはあまりに不自然な恰好である。
 しかもその男は、またとんでもないことを言い出した。 
 
「俺たちは英雄アマミってのを探してるんだが、何か知ってたら教えてくれねぇか?」

「コレクタではない貴方がたに、こちらの情報を伝えるわけにはいきません。規約ですので」

「なに、ただで教えてくれなんて虫のいいこたぁ言わねえよ。代わりに、俺たちはグランマから聞いた、英雄アマミがミクスチャを倒した顛末を教えてやる」

「何……?」

 これにクローゼは狼狽えた。
 ただの冒険者にグランマが情報を教えるはずはなく、しかしこの男が懐からチラつかせたスクロールは、間違いなくコレクタユニオンでしか用いられない物だったのだ。
 連なりすぎる疑問に、彼はいよいよ訳が分からなくなってこめかみを押さえ、助けを求めるようにマティへと視線を流す。すると彼女は何故かまた困ったように苦笑し、男の見せるスクロールへと掌を向けた。
 それが全ての答えである。グランマはわざと謎の冒険者を雇い入れ、情報を共有させようというのだ。あくまで暫定支配人でしかないクローゼが、コレクタユニオンの中でも絶対的な権力を持つグランマに、抗することなどできはしない。
 クローゼは緊張から大きく息を吐き、再び男へと向き直った。

「……いいでしょう。こちらへどうぞ」

「へへ、物分かりのいい奴は嫌いじゃないぜ」

 どこか疲れたような暫定支配人に対し、冒険者を名乗る男は肩を揺すって笑う。その後ろからマティは、人が悪いなぁ、と1人苦笑しながら、3人組が案内されていくのを見送ったのである。
 結局、彼女らの正式な着任は翌日に延期された。
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