悠久の機甲歩兵

竹氏

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ユライア王国と記憶の欠片

第102話 賽は投げられた

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「うあああああああああああ!! ダマルさん、ダマルさん! 何で、何で抵抗しなかったッスかぁ!!」

 悲痛な叫びをあげながら自分は泣いた。
 役に立てているか、などという次元ではない。シューニャを守ることも、ダマルを救うことも、小さなアステリオンの手では成し得なかったことが悔しくて、情けなくて。
 短い期間ではあったがご主人と訓練もして、付け焼刃でもジドーショウジュウの扱いを学び、今までにないくらい必死で体に叩き込んだが、それにすら現実は無価値を突きつけてくる。
 目の前で落とされた柳葉刀に、地面を転がったダマルの首。力なく鎧の身体が崩れ落ちた瞬間が焼き付いて離れない。
 仲間だった。家族だった。如何に彼が骸骨でも、自分は陽気で気さくで助平なダマルを、気の置けない存在として信頼していた。それさえ今は本当に打ち捨てられた骨のように転がっている。
 首を落としたキメラリアが手ごたえのなさに違和感を感じ、スケルトンだと叫んでおののいたとき、あの女は可笑しそうに笑っていた。

 ――スケルトンも首を落とせば死ぬのですね。

 何が呪いの騎士だ。むしろ呪いそのものだとほくそ笑む女に、どれだけ噛みついてやりたかったか。シューニャが人質になっていなければ、渾身の力で喉笛を噛み砕いてやったのに。
 これでコレクタユニオンは、タマクシゲにおける2つの重大な秘密を知っただろう。如何に英雄とはいえ、スケルトンのような魔物と行動を共にしていると知られれば、あらぬ疑いをかけられ立場が危うくなることは避けられない。当の本人は二度と物言わぬ白骨となったかも知れないが、魔物を使役していた事実が公になれば、誰が自分たちを受け入れられるだろう。
 今までの辛くも楽しかった日々を返してくれと、雑草を握り締めながら弱い拳で地面を打った。自分たちも誰かの命を奪ってきた以上、それは虫のいい話かもしれない。それでもあの温かい空間を奪われた悲しみは、理不尽を超越して涙を零れさせる。
 泣いて泣いて泣き叫び、どれくらい時間が経っただろうか。
 遠くからいつしか聞きなれた鎧の歩く音。まきなの動く不思議な音が聞こえて体を起こした。

『すまないアポロ、待たせた――?』

 あれほど待ち望んだ声にびくりと体が震える。
 しかし辺り一帯に打ち捨てられたキメラリアの亡骸と自分の姿に驚き、ヒスイは慌てて駆け寄ってきた。

『思ったより酷いな……何があった? ダマルは、シューニャはどうした?』

「じ、自分は……自分は――」

 仲間の1人さえ守れなかった役立たずは、彼にどんな顔を向ければいいのだろう。
 流れる涙と溢れる嗚咽は言葉を成さず、嫌々と子供のように首を振る事しかできなかった。

「おにーさん、あれ!」

 そんな自分に代わり、身体を傷だらけにした猫が周囲を見渡して叫んだ。
 そこには力なく下顎骨を開いたままで沈黙した髑髏が、まるで物であるかのように転がっていた。白く輝くそれを見る度、涙はやはり枯れることなく流れ出て、それでも必死に声を振り絞った。

「ダマルさんが……シューニャを人質に取られて……自分は、自分は何もできなかったッス……!」

『まさか、そんな――嘘だろう? ダマル』

 よろめくようにして、ご主人はあれほどお喋りだった頭蓋骨に歩み寄る。
 猫がそれをまじまじと確認すれば、今まで何度も何度も触れた頭骨に目を伏せて首を小さく横に振った。

「ダマルさんで間違いないです……ボク、何回もバラしましたから、ちゃんとわかりますよ」

『馬鹿な……!? そんな簡単にやられる奴じゃないだろう?』

 無敵を誇るマキナが膝を折り、真銀よりなお硬い両手が地面に打ちつけられる。
 この世界で唯一ご主人の過去を共有できる存在。800年という遠い過去からの同郷。ダマルを失えば彼は本当に1人ぼっちになってしまう。
 それがわかっているのに、本当に涙を流すべきは自分などではなく彼のはずなのに、自分の頬を伝う涙はとめどなく、それでいて冷たかった。
 己の嗚咽と静かに吹く風の音だけがしばらく響いていたが、やがてマキナの足が地面を踏みつけて立ち上がる。その背が幽鬼のように揺らめく殺意を燻らせていることに、自分はビクリと身体を緊張させた

『……ダマルをやったのは、誰だ』

 低い低い声。
 そこにはいつもの優しさなどありはしない。にもかかわらず、あまりにもいつも通りトツゲキジュウを握る姿は、何より恐ろしく感じられる。
 だが言わねばならない。敵の思惑通りだとしても、全て伝えなければシューニャにまで凶刃が及ぶ。

「コレクタユニオン……ッス。見たことない女が、コレクタユニオンのためにって伝えろと言ったッスよ。シューニャを人質にして、ダマルさんの秘密を持って、奴らは――ッ!!」

『そうかい』

 ヒューンという甲高いマキナの鳴き声と共に、ご主人はトツゲキジュウを腰に戻すと、拳を僅かに開いて強く握りなおす。

「どうするつもりですか? シューニャを助けるのは、簡単じゃないと思いますけど」

 猫が不安そうに尾を垂らすのも無理はない。なんせ相手は国家からも一目置かれるコレクタユニオンという大組織な上、王都を根城にしている以上、虜囚の管理が強固なのは疑いようもない。
 だがそれでも、ご主人は一切揺らがなかった。

『シューニャを助けてコレクタを壊す。邪魔をするなら、国だろうが大衆だろうが関係なく、全員平等に焼き払う』

 いつもの温厚な姿はそこに無い。ひたすら敵を殺すだけの、まさに人々がリビングメイルと恐れるそのものが立っていた。
 怖い、と思ったのは最初以来だろうか。

「――ったく物騒なこと言いやがるぜ。町に入られる前になんとかすりゃ、そこまでしなくてもいいだろが」

 しかしその雰囲気も、響き渡った陽気な声には掻き消えてしまった。
 まさかと全員が慌てて振り返れば、物言わぬ姿だったはずの髑髏がカタカタと顎を揺らしながら喋っている。
 誰もが声を発せず唖然としていれば、頭蓋骨はカタカタと骨のぶつかる音を響かせながら、やれやれとため息をついてみせる。

「おいおーい、いくら俺が世界一クールでイカした骨だからって、見惚れるのは後にしてくれよ? アポロみてぇに、ひでぇ泣きっ面晒してくれるのも信頼と思えば悪い気分じゃねぇが、浮気ってのは流石に――なぁ聞いてる?」

 表情なんてありもしない癖に、不思議と腹の立つ笑顔が見えた気がして、それでもいつもと同じように神経を逆なでしてくる物言いが嬉しくて、居ても立っても居られなくなった自分は、地面を蹴って頭蓋骨に絡みついた。

「わぁー!! ダマルさぁぁぁぁん!!」

「おっほ!? 何、モテ期!? それなら是非そのデカパイで俺を挟んでくれよぉ」

 抱きしめたのも束の間、嬉しそうな声を上げる骨の眼孔に指を突っ込んで、全力で地面に叩きつけた。

「あばぁ!?」

「嫌いッスよ! ダマルさんなんて足の骨以外大嫌いッス!! 生きてるならなんでもっと早く言ってくれないッスか!? 自分の涙を返して欲しいッス!」

「そうですよ。敵も居ないのに、なんで死んだふりしてたんですか。もうちょっと遅かったら砕いて畑に撒いちゃうとこでした」

 どこか安堵した表情ではあったものの、猫は非常に辛辣な言葉を投げつける。本来なら死者は土葬されるが、既に骨であるダマルならば砕いて撒くほうがいいと思ったのかもしれない。
 しかし投げられた方のダマルは、これだからと大仰にため息をついて見せる。
 これにはついぞ今まで泣いていたことさえ忘れるほど、腹の底から激しい苛立ちを覚え、自分は半ば地面に刺さった頭蓋骨を掴み上げて睨みつけた。

「どういうカラクリかさっさと言うッス」

「ヒィッ!? いやだって、お前らいっつもこの状態まで解体するじゃねぇかよ!? おかげで最近自分でも体が外せることに気付いて、斬られる瞬間に背骨を切り離したって訳だ! いや自分じゃ戻せねぇんだけどな」

「おぉ、つまりボクのお仕置きも無駄じゃなかったと」

「いい方に解釈してんじゃねぇよ! いや、今日は役に立ったんだが――とりあえず組み立ててくれねぇか?」

「もー、面倒くさいですね」

 そうは言いながらも、猫はダマルの頭を崩れ落ちた体と合体させる。これに関しては最早職人技と言ってもいいくらいで、あっという間に骸骨騎士は立ち上がると、地面に落ちた兜と機関拳銃を拾いなおしてヒスイへ向き直った。

「さて相棒、これからどうする?」

『はぁ……無事なのはいいが、1つだけ言わせてくれ』

「なんだよ改まって。俺はそっちの趣味はねぇぜ?」

 さっきと変わらない低い声だったが、ダマルは清々しく笑い飛ばして見せる。ただご主人も余程苛立ったのか、兜を被っていない頭蓋骨を鋼の手でがっしりと掴んだ。

「あーだだだだだだだだ!? 砕ける、それは本気で砕けちまう!!」

 ジタバタと暴れる骨は軽く持ち上げられており、自分も猫も揃って、おお、と声を上げてしまった。
 かなり緩く握っているらしいが、ヒスイの怪力にはギリギリと頭蓋骨が軋んでいる。おかげで抵抗できたのも最初だけで、直ぐに全身が弛緩してプラリと垂れ下がり、それを確認したご主人はダマルを無造作に地面へと打ち捨てた。

『本気で心配したんだ、悪ふざけが過ぎる。それに、あまり皆を泣かせるな』

「――ったく、相変わらず冗談の通じねえ野郎だぜ。悪かったとは思うが、敵を騙すにはって奴だ。おかげで連中をビビらせられる」

 頭を擦《さす》りながら、しかしダマルは低い声でカカカと悪そうに笑うと、ゆっくりと林の方へ歩き始める。

「作戦は練ってある。安心しな、考えてることはお前と一緒だ。俺たちを敵に回したことを後悔させてやろうぜ」


 ■


 布をかけられた格子の向こうで人の叫び声がする。
 いつしか日は暮れ夜闇の中で、誰かが松明を焚いているのか炎の揺らめきが布を透けて見えていた。

「まったく面倒ですね。蟲よりも役に立たない連中が、今になって話と違うからなんて。自分たちの価値を理解できないなんて愚かだこと」

 布の切れ目からあの女の姿が見える。
 頬に返り血を浴びて地面を見下ろしており、手には血に濡れたクリス蛇行剣を握っていた。軍でもコレクタでも扱われない珍しい剣に私は顔を顰める。
 作った傷口を縫合させず苦痛を与えるための剣。その特徴から各地で禁忌とされ、携帯しているだけでも罪に問われかねない物だが、私は唯一好んでそれを使う連中を知っている。

――カニバル。

 そいつらは人でありながら人を喰らう外道。あらゆる国家で違法とされ、カニバルと認定されれば極刑は免れない。
 過去には帝国の北に広大な国を持っており、帝国の成立と当時に大規模な戦争を繰り広げたと聞く。だが当時はテイムドメイルを保有していた帝国によって平定され、ほとんどが処刑されて消えたとされていた。
 だが、この女は間違いない。

「ふふ、私の剣に興味がありますか?」

 覗いていたことに気づかれていたのだろう。彼女は冷酷な顔でクスクスと笑うと、そっとその切っ先をこちらへ向けてきた。
 未だ乾かない赤黒い血が柄へと流れており、松明の火に照らされて禍々しく光っている。殺意こそ乗せられていないが、剣を向けられているだけで私はグッと生唾を飲み込んだ。
 必死で恐怖を押さえ込んで平静を装いつつ、努めて無表情を維持しながら女に視線を向ける。

「……何故それを?」

「ブレインワーカーならおわかりでしょう?」

「コレクタユニオンとはいえ、バックサイドサークル以外では国家法に従う義務がある」

 王都に出入りするなら市壁の大門をくぐらなければならない。官憲に見咎められれば極刑もあり得るほど危険な行為だ。
 だが彼女は笑みを崩さない。それどころか酷く楽しそうにくるりとその場で回って見せる。

「国家法なんて所詮は平民を制御するための方便です。抜け道はそれこそごまんとありますわ。特に貴女の英雄様は清廉な御方でしょうけれど、大半の者は金と欲だけで簡単に動かせるものなんですよ」

 買収するくらいなんともないと彼女は言う。
 実際そうして税金逃れを行ったりする商人は多く、逆に賄賂を望むような官憲だって少なくない。しかし極刑となるべきカニバルを見逃しているようでは、王国衛兵隊には相当な汚職がはびこっているのだろう。それを堂々とこの女は語った。

「全ては主、フリードリヒ様の掌の上で……私は死刑になるべき女なのに、彼はそれさえ覆してくれるのですよ」

「フリードリヒは彼を敵に回した。私を人質としても彼は御せない」

「あのお優しい英雄様が、貴女を簡単に見捨てるとは思えませんけどねぇ?」

「随分嗅ぎまわってくれているらしい……でも、彼の本質を見抜けていないのは残念」

 ふぅと肩を竦めて見せれば、カニバルは僅かに表情を強張らせてクリスを私の首元へと突き付ける。
 刃物は持ち手の恐怖を覆い隠す盾となる。グランマが手綱を握れないと手を引いた相手である以上、たった一言で揺らぐほどに恐れているのだ。
 おかげで私も虚勢を張れた。あれほどイエヴァの前で笑おうと苦労したのに、こんな時ばかり口の端を釣り上げてやれるのもどうかとは思うが。

「怖いの? カニバル」

「――ふふ、うふふふふふ、面白い、面白いわ貴女。うまくいけばフリードリヒ様に頼んで私のペットにしてあげましょう。青い肢体をしゃぶって、痛みと快楽で私無しでは生きられないようしてね……」

 僅かに切っ先が喉に触れ、一瞬の痛みとジワリと広がる熱さが、傷をつけられたことを教えてくれた。
 しかし恐れながらも私は怯まない。ダマルを殺したことで既に賽は投げられてしまっており、私の救助が成功しても失敗してもキョウイチの行動は止まらないのだ。

「それまで、貴女が口をきけていることに期待する」

「楽しみね……とってもとっても楽しみですわ」

 格子から血に濡れたクリスが外へと出ていき、布が閉じられれば再び私は外部情報を得る手段を失った。
 尻もちをついて首を撫でれば、掌はぬらりと自らの血に染まる。
 玉匣なら一晩で辿り着いたロガージョの巣穴でも、ゆっくり進む獣車では丸1日かかるだろう。崩落した巣穴でどれくらいキョウイチとファティマが足止めされたかはわからないが、追いついてくる可能性は低くない。
 だが人質があっては、キョウイチも満足に戦えないかも知れないため、救助されるにあたり自分がどう動くべきか、恐怖に負けないよう必死でイメージを働かせる。自分にできることは、考える事だけなのだから。

「キョウイチ……」

 そんな中、脳裏に浮かんだ後ろ姿に、私は彼の名を小さく呟いた。
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