悠久の機甲歩兵

竹氏

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ユライア王国と記憶の欠片

第76話 蜘蛛の仕立て屋

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「何を言って……?」

 店員の言葉に呆気に取られていたが、よく見れば細い糸は体のどこにも巻かれていないことに気付いた。
 ではどうやってぶら下がっているのかと思えば、どうやらその糸は腰辺りから突き出した白黒のから伸びているようだ。
 例えるならばそう、蜘蛛である。

「キメラリア・アラネア。それも人型をとる個体はとても珍しい」

 シューニャがそう呟けば、店員はサーカスのようにぶら下がったままでぐるりと身体を回転させ、シューニャへと向き直った。その際、手足を動かしたようには見えなかったため、どうやら全て糸の動きだけで姿勢を制御できるらしい。

「物知りなお客様。でも人間?」

「トラブルを避けるために外で待機させている。店に入れてもいい?」

「拒む理由はないわ。どうぞ」

 そう言って店員が扉に向かって手を伸ばせば、シューニャの背後で独りでに扉が開いた。
 現代に自動ドアがあるはずもないため、どうやら彼女は店内に糸を張り巡らせて操っているのだろう。

 ――蜘蛛糸で支配された空間。恐ろしいものだな。

 人の体重を容易く支えられるほど強靭な糸。それを意のままに操ることができ、しかも自分はその巣とも言える場所に居る。想像するだけで背筋に一筋の冷や汗が流れた。
 シューニャが2人を呼びに行っている間に、僕は後ろからアラネアと呼ばれた店員を観察する。
 顔から首の付け根にかけては、色白な人間女性と変わらない。強いて特徴を言えば、|ワインレッドの瞳だろう。しかし黒いドレスから覗く手や足は、手袋やタイツで覆われているかの如く真っ黒であり、手の甲と足の甲にはどちらも白い筋が走っていた。
 そして何より不思議なのは、尻尾の代わりに腰から生える蜘蛛の腹部である。ラグビーボールほどの大きさで、真っ黒なボディは短い毛で覆われているらしい。付け根付近には手足と同じ白い太線が1筋走り、先端から細い糸が伸びていた。

「お客様、そんなに見つめないで」

 あまりにも熱心に観察しすぎたからか、彼女は微かに頬を染めながらこちらへと身体を向けなおす。
 如何に変わった見た目であっても、キメラリアは人間と同じメンタリティを持つ存在であり、何より相手は女性なのだ。

「あ、いや……これは失礼。見事な白黒だと思いまして」

 僕は咄嗟に頭を下げ、思ったままの感想を口にする。
 ただでさえ全身が白黒で構成されているような見た目の彼女だが、それが黒いドレスを着ている姿は驚くほど様になっており、薄く微笑むような表情と赤い瞳は独特の色気を醸し出していた。
 元々自分が蜘蛛に対して、好き嫌いという感情を持ち合わせていなかったからか、その腹部を合わせてこの女性の魅力なのだろうと素直に感じたのである。
 口にしてからあまりにも気安かったかと思ったが、彼女は目を細めて小さく笑った。

「お世辞が上手。キメラリアを口説くなんて変な人間」

「いや、別にそういうつもりでは――」

 そんな技術を持ち合わせてない僕は、慌ててそれを否定しながら、またも申し訳ないと頭を下げる。彼女の言葉をそのまま飲み込むなら、キメラリアへ恋慕を寄せる人間は、現代において余程稀有な存在なのだろう。あるいは変態と言うべきか。
 店員はこちらの様子を見てまたクスクスと笑うと、静かに糸を伸ばして地面へと両手をつき、体操選手のように柔らかく身体を曲げて地面に降り立った。

「変わったお客様、私はウィラミット。ウィラと呼んで?」

「天海恭一です。よろしく、えーっとウィラ、さん?」

「ウィラ、だけでいいの。ゆっくり見て行って」

 そう言って彼女は蜘蛛の腹部を揺らしながらカウンターの向こうへ潜り込むと、スツールに座って、すぐに編み物へと取り掛かる。一応にも商売であろうに、自らが作った服を売り込むつもりはさらさらないらしく、なんとも自由な女性だった。
 そこへシューニャに率いられて、キメラリア2人が顔を出す。

「おー、立派な服ですね」

 店に入ってくるなり、ファティマはウィラミットのドレスを見て感嘆の声をあげる。その後ろからひょっこり顔を出したアポロニアも、同じく驚いたように声を出したが、その理由は大きく異なっていた。

「うわ、マジじゃないッスか。ただでさえ珍しい人型のアラネアがこんな町中に、それも店まで構えてるなんて、聞いたことないッスよ」

 シューニャの見間違いかと思った、と彼女は笑う。それほどまで、ウィラミットのような存在は貴重なのだろう。
 しかし当の本人はどうとも思っていないらしく、編み物の手を止めないまま2人の様子をちらと横目で確認して、再び視線を手元に落とす。
 だが、アポロニアがファティマの後ろから全身を現した瞬間、ウィラミットはカッと目を見開くと、矢のような速さで彼女へと飛び掛かった。
 自分はジッと彼女の動きを観察していたはずなのに、気が付けばそこには編みかけの服と編針だけが残されているだけで、ウィラミットの姿は掻き消えていたのだ。これが魔法だと言われれば、僕はすぐに納得できたことだろう。
 うひゃぁというアポロニアの悲鳴に慌てて振り返れば、そこでは既に軍服の検分が始まっていた。

「体に合ってない服――男物?」

「あ、あはは、やっぱ気になるッスよね」

「キョウイチさんのものもそうだけれど、使われている布地は何? 染め抜きもとてもしっかりしたものだし、こんな不思議な手触りの繊維を私は知らない。何よりとても細かく複雑な裁縫……」

「そんなことまでわかるのか。凄いな」

 衣服に関してなどほぼ知識がない僕は、ウィラミットの真剣さに感心するしかできない。
 しかしアポロニアは以前にも同じような経験があるのか、困ったように笑いながら後ろ頭を掻いた。

「アラネアなら誰でもこんな感じッスよ。紡績から服飾から、とにかく繊維のこととなると目の色変えて知りたがるッスから」

「繊維産業に特化した種族。生まれた時から糸を扱って生活するから、彼女たちの裁縫技術は他種族とは比べ物にならないと言われる」

 生粋の繊維職人、それがアラネアだとシューニャは語る。
 実際目の前でアポロニアの軍服を掴んで離さないウィラミットは、今までの呆けた雰囲気が嘘のように集中しており、その姿を見れば彼女の説明も頷けた。
 そうして暫く何かを調べていた彼女だったが、見ても触れても納得がいかなかったらしく、キッと強い視線でアポロニアを見上げる。

「脱いでちょうだい」

「はっ!? い、いや、ここでッスか!?」

「今すぐ、急いで」

 有無を言わさぬ強い語調でウィラミットは迫った。それもアポロニアがあたふたとしている時間すら惜しかったのか、なんと自らの手で軍服のボタンをはずしにかかる。
 あまりにも突然の行動に、僕が慌てて店の外へと退避すれば、時を置かずして扉の向こうからキャーンという悲鳴が木霊した。


 ■


 カーテンが開かれて中からアポロニアが現れると、女性陣一同からおぉという声が上がる。
 オーカーに染め抜かれたコーデュロイ生地のタートルネックに、頑丈な帆布で作られたクリーム色のハーフパンツ。その上から焦げ茶色のダスターコートを纏い、足元はブラウンレザーで作られた編み上げのロングブーツという落ち着いたコーディネートだ。
 今までのダボダボな軍服とは比べ物にならない程完成されたスタイルは、服飾には浅学な僕でさえ、僅かに感動を覚える程だった。

「ふぅ……完成。サイズもバッチリ」

 一切のコーディネートを担当したウィラミットは、一仕事終えたと表情を煌めかせているのに対し、今回の主役であるはずのアポロニアは、何故か頬に汗を流しながら戦々恐々としていた。

「こ、このコートはアラネア繊維ッス……軽くて強くて燃えない、超高級品ッスよぉ……」

 多分彼女の中では恐ろしい数字で算盤が弾かれていたことだろう。しかしシューニャやファティマの時がそうだったように、彼女に似合うもので気に入ったというのならばそれに金を惜しむつもりはない。
 何より今回は既に商談が成立しているのだから、アポロニアの計算はまったくの無意味だ。

「これ、本当にもらっていいの?」

「ああ。相殺してくれるというのなら、こちらとしてもありがたいよ」

 ウィラミットの手の中には先ほどまでアポロニアが来ていた軍服が抱かれている。自動編み機による複雑な裁縫に興味を惹かれたらしく、アポロニアから引っぺがしたそれをじっと見つめていたため、もし良ければと物々交換を申し出たのだ。
 無論、800年前の古代物である軍服の希少価値《プレミア》はすさまじいものがある。しかしただの軍人でしかない自分やダマルには繊維産業の知識などほとんどなく、消費以外にできることなどなかった。
 しかしウィラミットであれば、より建設的な方向に使えるだろう。無論それはただの期待でしかなかったが、デザインだけでも再現できれば、自分たちの着慣れた服を生産できる可能性は十分にある。
 その上、シューニャから聞いたアラネア繊維の価値を考えれば、この交換は明らかにこちらに有利な条件だった。

 ――軍服が銀貨100枚になるとはなぁ。

 流石に出処に関する情報はかなりぼかしたが、ウィラミットには服の出所などどうでもいいらしく、むしろその技術に関する知識がないかと迫られたほどだ。

「また面白い物を見つけたら、是非持ってきて。貴方達なら歓迎するわ」

「ああ、贔屓にさせてもらうよ」

 契約成立の証に白黒模様の手を取れば、彼女はにこりと小さく笑う。暗いワインレッドの瞳を見れば、何とも不思議な魅力に呑まれそうになった。
 年齢を聞いてはいないが、玉匣の女性陣よりも年上に見える落ち着いた雰囲気は、まさしく大人の魅力と表現すればいいだろうか。ただでさえ異性との関りが薄かった僕は、妖艶とも見えるその雰囲気に頬が少し熱くなったように感じて、ついつい視線を逸らしてしまう。
 とはいえ、こちらの内心など今のアポロニアには全く関係がない話であり、売買契約が結ばれる握手を目にした彼女は、血の気の引いた顔で悲鳴を上げた。

「ひいいいいぃっ!? ちょっと、ちょっと待つッスよぉ!」

 アポロニアは慌ててこちらに駆け寄ってくると、僕の胸元に飛びついて目に涙を溜めながら首を千切れんばかりに左右へ振った。

「自分はこんないい服頂けないッス!」

「なんで? よく似合ってるんだからそれでいいじゃないか。着替えも必要だろうから、ついでに選んでくるといい」

 僕は大袈裟だと笑いながら、彼女を軽くあしらう。
 衣食住の充実は生活の基本であり、そこに金を惜しむ理由などない。それも最高級と名高い品が運よく交換で手に入るというのだから、これほどありがたいことはないだろう。
 そして衣料のプロフェッショナルたるウィラミットは、既に着替えについても手を回していたらしく、畳まれた服を何着かこちらへ差し出してくれる。

「これをどうぞ。そっちの子犬さんにはよく似合うと思うわ」

「流石、手際がいいね。アポロ、君が文句なければ着替えはこれでどうだろう?」

「き、着替えって――ギャーッ!!」

 恐る恐る振り返ったアポロニアは、ウィラミットが抱えている衣服の束を見た途端、絶叫を響かせながら全身の毛を逆立てる。
 その様子が面白いのか、ウィラミットが薄い笑みを貼り付けたままホレホレと服を差し出せば、彼女は駄々っ子のように頭を振りながら、僕の腰にしがみ付いて滂沱の涙を流した。

「待って待って、ご主人! 早まっちゃダメッス!! 自分を奴隷として売り払っても、そんな銀貨何百枚とかいう価値はないッスよぉ!」

「君は僕のことをなんだと思ってんだい。これは必要経費だし、既に契約は成立しているんだ。あぁ、もういいや。ファティ、それ受け取ってくれ」

「はぁい」

 派手に取り乱すアポロニアは頑なに考え直してと喚くため、僕は対応が面倒くさくなってファティマに購入品の一切を丸投げする。
 彼女はそれを嫌がることもなくウィラミットから受け取っていたが、その価値を理解しているからか、服をザックに入れる際はやけに慎重だったが。

「色々とお騒がせしてすみません。また寄らせてもらうよ」

「ごしゅ、ご主人! 待って、待ってってばぁ!」

 僕はウィラミットに対して軽く一礼し、ついでに未だ縋りつく犬娘を小脇に抱えて踵を返す。
 アポロニアは手足をばたつかせて抵抗したものの、ただでさえ非力な上、胸以外はシューニャよりも小柄な体躯である。体重など重いはずもなく、結果歩き出す自分を止めることはおろか、拘束から逃れることすらままならなかった。

「キョウイチさん」

「ん?」

 しかし僕が扉を軽く開いたところで、背中に投げかけられた声に足を止める。
 何か忘れ物でもあったかと肩越しに振り返れば、そこでは相変わらず感情の読めない表情を浮かべたままの彼女が、小さく手を振っていた。

「また、……ね」

「――ああ」

 疑問が混ざった曖昧な返事を残し、僕は扉を鳴らして外へ出る。
 その真意はわからなかったが、優しげな眼をしたウィラミットは、まるで未来を見透かしているかのように思えた。
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