悠久の機甲歩兵

竹氏

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ユライア王国と記憶の欠片

第59話 ヒロイックテイルと野性の夕暮れ(前編)

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 怒声と断末魔、絶叫とウォークライ。
 人間集団の命をぶち込んで煮立てる魔女の鍋は、間もなく1つの結果を取り出そうとしている。
 槍が行き交って血飛沫が舞い、目が見えないと叫ぶ声を蹄が踏みつぶしたかと思えば、次の瞬間にはその主を石礫が弾き飛ばし、地に落ちた騎士に煌めく剣が殺到する。
 鶯《うぐいす》色をした雑草に覆われるグラデーションゾーンの東側において、帝国軍と王国軍は半年以上ぶりとなる大規模な会戦を行っていた。
 しかし攻撃を仕掛けた帝国軍は、何故か動きが鈍く士気も低い。
 あまりの不可解さに王国軍を指揮するガーラット・チェサピーク伯爵が、自らの立派なカイゼル髭を撫でて唸るほどだ。

「妙よなぁ……ここまで長い準備期間の後に仕掛けてきておきながら、なんと稚拙な戦いであるか。よもや罠とも思えぬし」

 右目に光るモノクル越しに、高台に設けられた陣地から戦場見下ろせば、数に劣るはずの自軍が圧倒的優位を維持していることが手に取るようにわかる。
 豪雨による河川増水時期に行われた帝国軍による奇襲作戦。はじめ帝国は気が狂ったと諸侯が鼻で笑っていることができた。
 それも束の間、帝国側が架橋を行っているという報告が入れば、宮廷は大混乱に陥ってしまう。
 緊急招集に応じられた兵力はあまりに少なく、ならばとガーラットは騎士団の少数警戒隊を差し向け、帝国軍の橋を奇襲占領する作戦を決めたのだが。

「いざ来てみればこちらより向こうが烏合の衆ではないか。敵将もなんだかわからん若輩であるし……まぁマオリィネが武勲を上げるチャンスと思えば、それはそれで良かったのかも知れんが」

 握りこんだ拳がめりめりと音を立てる。思い出されるのは黒髪の美少女、マオリィネ・トリシュナーのことだ。
 このガーラットという初老の男は、彼女にとって剣術の師であり、更に彼女を白色騎士団第二警戒隊隊長に抜擢した張本人であった。
 今回はその身内贔屓を他貴族が引き合いに出したことから、マオリィネの立場とチェサピーク伯爵家のプライドを守るため、血涙を流しつつも作戦を決行したのだ。
 事前情報が不足する中で帝国軍陣地を小部隊で奇襲せよ。そんな無謀極まる作戦に愛弟子を行かせた彼の心中が、穏やかであるはずもない。
 もし万が一にもマオリィネの身に何か起こったとあれば、この作戦に騎士団警戒隊を使わないのは身内が可愛いからでしょう? などとのたまった脂身子爵を、どんな手を使ってでも火炙りにしてやろうと思っているほどだ。

――今に見ておれよ。あの糞肉団子め、目にもの見せてくれるぞ。

 ガーラットは目の前に居る敵である帝国よりも、明らかに脂身子爵に対しての怒りを滾らせる。
 一応にも総大将である彼の鬼神の如き形相に、周囲を取り巻く護衛たちはそっと距離をとった。
 チェサピーク家の護衛たちは、よく言えば父性の塊、悪く言えば拗らせたヤバいオッサンの内情を知っているため、そっとタワーシールドを守るべき将へ向けて構えるのだ。
 しかしそんな最中、この男が待ち望んでいた報が届けられる。

「報告! 白色騎士団第二警戒隊からホウヅク伝が届きました」

 伝令兵は左腕にフクロウに似た猛禽を止まらせ、その足に括りつけられた書簡をガーラットへ差し出そうとして、溢れかえるほどの怒りにひぃっと声を上げた。
 だが鬼面ながらガーラットは、静かに振り返ると伝令兵からその書簡をしっかりと受け取る。
 この時、護衛たちは心の底からマオリィネの無事を祈った。
 そうでなければ次にこの男が向かう先は貴族の家か、あるいは彼女を捕らえている帝国軍陣地である。いくら任務であるとはいえ、それに付き合わされる彼らの祈りはそこらの宗教家たちより余程切実であった。
 そんな彼らの真摯な祈りに、神が微笑んだのかはわからない。
 しかしガーラットから溢れていた怒りの波動は突如消失すると、しばらくしてから肩を揺らしはじめ、最後にはフハハハハハハハという高笑いが響き渡った。

「見たか帝国軍の阿呆どもめ! ついでにボケナス肉団子め! 吾輩のマオリィネがあの程度に膝を折るはずがなかろう!」

 この言葉には兵たちも一瞬茫然としたが、その意味が理解できて徐々に顔に喜色が現れる。
 それはガーラットの一言で爆発した。

「全軍に伝えよ! 盗人共の脆弱な橋梁は、我らが白色騎士団第二警戒隊が占領した! 奴らには増援や補給どころか、最早逃げ道すらないのだ! 一気に踏みつぶしてしまえぇい!」

 歓声とともに伝令が駆け、護衛たちも盾を打ち鳴らして気勢を上げる。
 陣地が沸き立ち、今こそ武勲獲得の機会であると、待機していた後備兵たちが次々と武器を構えて飛び出した。
 ガーラットはそんな様子に満足したように頷くと、伯爵家と王国の紋章が入った白いマントを翻して自らも大柄な軍獣に跨り、親衛隊員から真銀で作られた騎兵槍を受け取って戦場へ躍り出る。
 たった一通の伝令ではあったが、それが戦いの雌雄を決したのは間違いない。


 ■


「炎の槍がミクスチャに突き刺さる! それでもあの悪魔は唸りを挙げて仲間を呼び、ついにご主人は奴らの手が届く場所まで距離を詰められたッス! いかなご主人とて憎きミクスチャの蛮力を身に受けては耐えられない、仲間の皆はもうだめだと諦めかけ――ミクスチャはその腕を振り下ろしたッス」

 椅子に乗って丸テーブルに足をかけ、木製のジョッキを片手に悲壮な表情を作る犬娘。その様子に周囲で聞いていた者たちは一様に息を呑む。中には聞きたくないとばかりに耳を塞いでしまう女子供の姿もあった。バチャバチャとミードがジョッキの中で暴れるが、誰もそんなことは気にしない。
 普段であればキメラリア・アステリオンがテーブルに足を乗せて等となれば店員につまみ出されることだろう。しかし宵闇迫る酒場は劇場の様相を呈し、その舞台に立つアポロニアに対して誰もそんなことはしない。それどころか群衆に紛れて店主すらも彼女の話に聞き入っていた。

「しかぁし! ご主人は諦めてなんかいなかった! 神より授けられし剣を振りかざせば、光を纏った刀身にミクスチャの腕は宙を舞い、そこから一振り二振り重ねれば次々とあの憎き悪魔の屍が積み重なっていく! ああ、その様こそまさに救世主ッス! 一等巨大な悪鬼は最後の力であがけども最早ご主人は止められず、流れる斬撃はその体を一刀両断斬り飛ばし、ついにミクスチャはその全てがご主人の足元に伏したッス。嗚呼それも迫害されたるリベレイタの身の上を案じての所業! キメラリアすら差別せず、また人々に一切の見返りを求めないその姿に人々は感涙し、ご主人はバックサイドサークルの危機を救ったのでありましたとさ」

 瞼を落として両手揺らし、アポロニアはおしまいおしまいと告げる。
 途端に店内の人々は沸き立った。一種酔っ払いの妄言ともとれるが、彼らにこれが真実かどうかなど関係ない。
 初めて耳にする英雄譚に、そしてやけに口が上手いキメラリアの語り手に、娯楽に飢えた農村の人々は歓声と惜しみない拍手を送った。
 話にのめり込んで興奮冷めやらぬ男も居れば、その行動に感動し涙する婦人も居る。中には戦う情景にいつか自分もと夢を膨らませる少年があり、一方で英雄の優しさと姿を夢想して頬を染める少女があった。
 しかしその英雄様の姿はその場になく、残されているのは今や大スターとなったアポロニアと、その下でサービスで振舞われた果物を齧る呆れ顔のシューニャだけだった。
 事態がここまで混沌としたのは、ちょうど太陽が傾き始めた頃まで遡る。
 早めに家畜を獣舎へ戻した怠け者たちから順々に、今宵も娯楽を求めて酒場へ集まり始める頃合いだった。
 あの中年女性から娯楽的話題を求められ続けていた恭一ら一行は、酒と飯とをゆったり口に運びつつ、自分たちの話をしていた。
 その中で頭目と見られた恭一は彼女からの質問が集中し、乾いていく咽を湿らせようと少しずつ酒を流し込んでしまう。
 そして誰も知るはずのない彼の弱点が浮き彫りとなった。

「ちょっと旦那、急に口数減ったけど大丈夫かい?」

「あぁ平気――で、す?」

 何故立ち上がろうとしたのかはわからない。否、酔っ払いに行動の理由を聞くことに何の意味があろうか。
 手から滑り落ちるジョッキ。傾く椅子に傾く体。
 ゆっくりと流れた時間の先、彼は吸い込まれるようにして椅子から腰を浮かせた姿勢を維持したままで床に倒れ込んだ。ふざけているものだと思いこんでファティマが口に含んだミードを吹き出したが、彼女以外は慌てて恭一に駆け寄る。

「キョウイチ! キョウイチ!」

「うあっちゃぁ……まだ蜂蜜酒5杯ッスよ? 大の男が倒れるなんてあるんスか?」

 ぺちぺちとシューニャが顔を叩いてみるも一切反応はなく、なんならつい数秒前まで平常運転に見えていた顔色は青を通り越して白っぽくなっていた。
 その様子にあーあと中年女性は首を振る。

「こりゃしばらく起きないよ。ほらそっちのケットも笑ってないで、上の部屋使っていいから連れてってやんな」

「お? ボクがですか?」

「アンタ以外に誰が居るんだい。アステリオンより力はあるだろ」

「わかりました。おにーさん、ほら行きますよ」

 応答がないのを知りながらもファティマは声をかけつつ、恭一を軽々肩に担いで階段を上がっていく。

「私も上に――」

「お嬢ちゃんは話の続き、聞かせておくれよ? あぁ部屋代はタダにしてやるからさ」

 シューニャもその後を追おうと腰を浮かせたが、しかし中年女性店員にがっちりと肩を掴まれて阻止された。

「う……あ、アポロニア、私はこういうのは苦手」

「そんじゃまぁ、自分が覚えてる範囲で話すッス」

 また空になったジョッキを机に置き、恭一が飲み残したミードもついでに呑んで息を吐けば、話すと言う単語に反応した周囲の客たちが徐々に輪を狭めてくる。
 実際恭一が旅についての質疑応答を行っていた段階で、既に近隣の人々にはとの噂が広まっており、語り手が生まれるとなれば自然と視線が集まるのは道理であった。
 それもいざ語らせてみれば、演劇も斯くやという話し上手であったため、人々はあっという間にのめり込んだ。なんなら家族を呼びに行く者が現れてアンコールをねだられる始末である。
 気が付けば人々は椅子だけでなくテーブルにまで鈴なりに座り、床に立てる場所もなく、挙句の果てには店の外にまで人が詰めかけての大混雑となっていた。
 その光景に結局シューニャはため息をつき、そろそろお開きかと窓を眺めて、ふと疑問を覚える。

「ファティが、帰ってきていない?」


 ■


 人の騒ぐ声に目が覚めた。
 いつから自分が眠っていたのだろうか。やけに重い体に反響する音、視界もぼやけて頭が痛む。
 久しく忘れていた二日酔いの感覚に、ゆっくりと自分の身に起こった出来事が思い起こされる。
 天井は暗く鎧戸から月明かりが覗いているのが見える以上、少なくとも数時間は意識を喪失していたらしい。

――やらかしたな。シューニャ達に謝らないと。

そう思って鈍い感覚の身体を起こそうとすれば、自分の胸あたりにそれなりの重さがのしかかっていることに気が付いた。

「む……これ、は?」

「くぅ……くぅ……」

 無理矢理首だけ持ち上げて、それを見ればシーツの上にオレンジ色の髪の毛と大きな耳が見える。その上気持ちよさそうな寝息まで立てているではないか。
 一気に体中から汗が噴き出した。二日酔いで朦朧としていた頭が急激に運転を再開する。
 記憶がない恐怖は生命保管システムから出てきた時よりも圧倒的に恐ろしい。それはまるで責任という名前の爆弾を搭載した対地攻撃機が、自らの心へ狙いを定めたかのようだった。
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