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現代との接触
第35話 機甲歩兵と汗
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「おぉー、凄い大きいですね」
「自分も直接見るのは初めてッス」
朝靄の中に立ち上がったそれは、想像をはるかに超える大きさだった。
頂上部までどれくらいだろう。数十メートルはありそうなアーチ状の巨大鉄塊が、目の前に鎮座している。
「これが地図のここ、境界線に立つアーチだと思う。地域の1番外側にある」
シューニャは地図を辿りながら、キメラリア2人と現在位置の再確認を行っている。
にもかかわらず、僕とダマルはその見た目にただただ呆然としていた。
「僕の見間違いってわけじゃないよね」
「いや、冗談だろ……」
ゆっくりとダマルが鉄塊に歩み寄る。
最低でも数百年は風雨に晒されたであろうそれは、全ての塗装が剥げ落ち赤く錆びた地金を晒していた。大量の砂が側面に積もっていることから、風が強く吹く地域なのかもしれない。
それを骨の手が軽く払いのけていく。最初はただ地金が現れるだけだったが、やがて何かが彫られた場所を探り当てた。
「支柱名、第168外縁天蓋支柱。竣工、新共通歴1805年。第8地上農業区」
エンボス状に刻まれた文字が、嫌という程に現実を叩きつけてくる。
もしかすると、自分の心は未だに800年の経過を信じていなかったかもしれないが、その些細な抵抗もこれで終止符が打たれてしまった。
「キョウイチ……今のは」
急に何を言い出したのか、とシューニャが駆けよってくる。
僕もダマルも文字が読めないことを彼女は前提としていたらしく、謎の刻印を読み上げているとは思わなかったのだろう。
様々な感情が揺れ動いたことで呆然してしまったが、シューニャに袖を引かれて、あぁと息を吐いた。
「これは僕らの時代の亡骸だ。何度も見たことがあるんだ」
「奇遇だな。俺もよーく知ってるぜ」
企業連合に属していた人間ならば、いや諸外国の人間でさえ知らない者は居なかったのではないだろうか。
「環境遮断大天蓋、ホシノアマガサ……こんなになっちまってるとはなぁ」
今は見る影もない鉄骨に、ダマルはそう呟いた。
企業連合を象徴する施設の1つであり、多くの国民の生活を守っていた巨大な傘。
自分に残された最後の記憶が、新共通歴1910年頃のもので間違いなければ、現在は2700年前後ということになる。
つまりホシノアマガサは既に齢900年近くなっており、錆びた鉄塊となり果てているとはいえその形状を維持しているのは奇跡と言っていいだろう。
僕が物心ついた時には、既に空を覆っていた環境遮断天蓋。曰く、様々な災害や汚染から人々を保護する目的で作られた特殊ドームである。
今でこそ支柱しか残っていないが、元々は支柱の周囲に透明な膜を展開していた。技術的には試作されていた電磁バリアということになるそうだが、見た目がまるでビニール傘のようでホシノアマガサという名前の由来になったという。
完成時には世界中に喧伝された最新鋭システムであり、これで人類は1000年以上耐えられると言われていた。
皮肉にも当時の人々が死に文明が滅んでなお耐え抜いたのは、その支柱だったわけだが。
「これがあるってこたぁ……ここは」
「企業連合国首都、ショコウノミヤコで間違いないね」
僕はシューニャが手にしていた地図に視線を落とす。
自分たちは決して違う世界に来たわけではない以上、ありとあらゆる土地は地理で習った名前の場所だったはずなのだ。
「あの摩天楼がこれかァ」
ダマルの呟きに僕は目を伏せる。
この鉄塊を除けば、周囲には瓦礫が散らかるばかりで建造物など見る影もない。左も右も地平線で、唯一後ろにだけはぼんやりとテーブルトップマウンテンが見えるだけだ。
記憶の中にある高層ビルが林立した大都会は、まるで蜃気楼のように消え去っていた。
「フラットアンドアーチに都市があった?」
「あぁ、僕らの記憶が正しければ間違いない。眠らない大都市がね」
シューニャの質問を背に聞きながらしゃがみ、白く見える砂を手にすくってみる。
透明なガラス屑が多く混じりこんだそれは、持ち上げるや否やあっという間に風に攫われて流れていった。
時間の流れがそうしたのか、あるいは人為的な何かが起こったのかはわからない。
だが、コンクリートをはじめとする建材の全てが自然に砂になることなど、現実に起こりえるとは思えない以上、およそ、町を消し飛ばすほどの禁止兵器が撃ち込まれたのだろう。
滅亡が目前に迫った人類は、いとも容易く狂気に染まったと考えるのが、一番納得できる予想だった。
「写真でもあればよかったな」
僕はシューニャを振り返りながら、頭を掻いた。
「シャシン?」
一度、完全な状態のショコウノミヤコをシューニャに見せてあげたかった。それは永遠に叶うことのない願いだろうが。
だが、感傷に浸っていても仕方がないと僕は首を横に振る。自分たちが生きていくためにやるべきことは、ハッキリしているのだから。
「説明は玉匣に戻ってからにしようか。ダマル、出発だ」
「そうだな。廃墟眺めてたってはじまらねぇや」
ダマルとて思うところはあったのだろうが、直ぐにその思考を断ち切ったようで、いそいそと玉匣へと乗り込んだ。
「おにーさんたちが言ってること、全然わからない時がありますよね」
「単語すら理解できないのはキツいッスよ。宗教とかの説教聞かされてる時みたいッス」
キメラリア2人は揃って首を傾げる。
理解力の高いシューニャでさえも苦労する内容は、彼女たちにとって呪文のようだったことだろう。とはいえ、噛み砕くにも限度があるために、僕は既に匙を投げていた。
■
玉匣は中心部の湖を目指して出発した。
ミクスチャがフラットアンドアーチの何処にいるかはわからない。ならばとにかく中心部に行ってみるか、という適当な判断である。
いつ接敵してもいいようにと僕は翡翠を身に纏い、揺れる車内で武装の確認を始めていた。
『マキナの射撃武装使うのは、今回がはじめてか』
床に並べられたのは、マキナの一般的な装備である突撃銃、対装甲目標用の狙撃銃、そして現有装備で最大火力を誇る携帯式電磁加速砲《パーソナルレールガン》の3種類である。
「タマクシゲの火が出る棒に似てますね」
『まぁそんなもんだよ』
ファティマはそれらをペタペタと触っていた。
生身で用いる狙撃銃と比べて、重量や火薬量などの制約が大幅に小さいマキナ用は遥かに大型だ。むしろ砲と呼称するべきかもしれない。
「なんかこないだよりマキナがごっつくなってる気がするッス」
『肩に誘導弾発射器乗せてるからだろうね』
「できるならそいつは使わずに済んでほしいぜ。装填済みで2発と再装填装置に2発しかねぇんだから、最悪今回で売り切れだ」
そう言われると使いにくい。
対戦車用の誘導弾は装甲貫通力の高い装備だ。800年前の戦場ではその手軽さから、便利に撃ちまくっていた記憶がある。
それらを全て翡翠に搭載したとして、全力出撃1回で弾薬はほぼ底をつくだろうと僕は予想している。
施設に置いてあった装備を全種類積んできたことから、武装のバリエーションこそ多いものの、どれも弾薬そのものは大した量がないのだ。
その上、先日の出来事から、敵対勢力はミクスチャだけではないときている。
「恭一! 武器展示会は一旦中止だ! 巨大カバがお出ましだぜ!」
ダマルの言葉に、反射的に後部ハッチを蹴り開けると、対マキナ用狙撃銃を手に玉匣の上に躍り出た。
あまりに突然の動きに、ファティマは飛びのきアポロニアはその場でひっくり返って苦情を吐く。
「ちょ……ご主人! 動くなら動くって言ってほしいッスよぉ」
「犬は言わないと反応もできないんですか?」
それを華麗に躱したファティマが口に手を当てて、どんくさいと馬鹿にする。なにおうとアポロニアも応じて、無線機から聞こえてくる車内の様子は騒がしい。
その様子に、戦闘を前にして暢気なものだと笑みが零れ、慌てて表情を引き締める。
『目標視認、左前方4匹』
セーフティを解除してコッキング。
初弾がチャンバーへ送り込まれ、武装と連動したシステムが長距離狙撃モードに切り替わる。
『殺す必要はねぇぞ。足狙って動きとめさせりゃそれでいい』
『わかってるよ』
照準を太い足に振った。
正直に言えば、精密な狙撃はあまり得意ではない。
だが、相手は狙われていることを意識することもない大型目標だ。これに当てられなければ、そもそも訓練学校からやり直しだろう。
耳をつんざく砲声が響き渡る。
マズルブレーキに和らげられた反動を、翡翠の制御システムが吸収してなお、銃身は軽く跳ね上がる。
発射された徹甲弾は音速を超えて突き進み、瞬く間に先頭を走っていたブラッド・バイトに突き刺さった。
銃の照準特性に対して、システムの調整が甘かったのだろう。弾丸は狙いを定めていた足から上に逸れて頭部を直撃する結果となったが、さしもの厚皮も装甲車を軽く貫通する徹甲弾には耐えられなかったらしい。
先頭の1頭が派手に転倒したことで、後方から走っていた1頭が追突する形で巻き込まれ、左右の2頭にも混乱が発生した。
『ダマル! 目標が混乱した! 今のうちに距離をとれ!』
『了解了解、足じゃなかったな』
通信機越しにカッカッカと言う笑いが聞こえる。
ならお前がやってみろと言いたかったが、自分の腕が悪いことをなすりつけても仕方がない。
だから僕は、今回照準がずれた原因についてをハッキリと伝えた。
『弾道が上に逸れた。翡翠のシステム、誤差修正よろしく』
『げぇ、藪蛇だった! 当てられたんだからいいじゃねぇか――ってわけにもいきませんよね、後でやっときます』
言葉の裏に込めた圧力が通じたことを確認し、僕は通信を切る。
ブラッド・バイトも、いきなり仲間の頭部が吹き飛ばされたことに怯えてか、流石に追撃してこようとはしなかった。
弾薬の消費がたった1発で済んだことは僥倖と言えるだろう。
周囲から接近してくる生物の反応がないことを確認して、僕は開きっぱなしの後部ハッチから車内へと戻った。
「おかえり」
「「おかえりなさーい」」
シューニャの言葉に合わせて、キメラリア2人が僕を迎えてくれる。
『あー……ただいま?』
とりあえず返事はしたものの、車内の状況に僕は正直困惑していた。
何故かアポロニアのおでことファティマの顎に歯型が残っており、しかしシューニャを前で2人揃って正座させられている。
いわば、お説教の最中だったのだ。
「子どもじゃないのだから、無闇に暴れないで欲しい」
「「ごめんなさい」」
2人の獣耳が揃ってぺたりと垂れ下がる。
どうやら自分を元気よく迎えてくれたのは、シューニャの視線から逃れるためだったらしい。内容としては、間違いなくじゃれあいについてだろう。
車体の前では、また骨がカッカッカと笑っている。
そんな彼女らを横目で見ながら、僕は狙撃銃の安全装置を戻してガンラックに立てかけた。
「シューニャ、そのくらいで許しておやりよ。反省してるんだろう?」
「ん……キョウイチが言うなら、仕方ない」
お許しが出たとわかるや、ファティマの顔がパッと明るくなり、アポロニアも大きくため息をつきながら冷や汗を拭った。
「汗、か」
アポロニアの動きに、僕は自分も汗をかいていることに気づいて、一度マキナを脱装する。
800年前の戦争中にも、汗はそれなりに重要な問題だった。
マキナには環境に対応するための機内温度調整装置が搭載されていたとはいえ、人間は冬の寒さの中でも僅かではあるが発汗するし、運動したりストレスを感じればその量も多くなる。
するとマキナの内装は確実に汚れ、不衛生な状態になってくるのだ。
現代では一日中着装状態で居なければならないわけでもないので、そのうち洗おうと思いながら袖口で額の汗を払う。
「おにーさん?」
「どうし――た」
そんな僕の様子を見ていたファティマが、何か不穏な表情を湛えてゆっくり迫ってきた。
妙な圧力を感じて僕が1歩と後ずされば、逃がすまいと彼女は僕の肩に飛び掛かり、がっしりとホールドしてくる。おかげで拭いたばかりの汗が再度額を伝った。
「ちょっと動かないでください」
言うや否や、ファティマは首元に顔を近づけてくる。
流石にこれは焦った。異性への耐性が薄いこともあるかもしれないが、ドギマギする感情と首元に噛みつかれそうという恐怖感が混在し、更にファティマの頭からふわりと髪の匂いが鼻をくすぐられて、何が何だかわからなくなる。
僕の首元で鼻を鳴らす音が聞こえたのはその時だ。
「あ、あの、ファティマ――さん?」
「うーん……おにーさん、ちょっと臭いますよ?」
僕の身体に凄まじい電流が走ったのは、言うまでもないだろう。
ファティマからの拘束が解かれたと言うのに、僕は石像のように動けなくなっていた。
「自分も直接見るのは初めてッス」
朝靄の中に立ち上がったそれは、想像をはるかに超える大きさだった。
頂上部までどれくらいだろう。数十メートルはありそうなアーチ状の巨大鉄塊が、目の前に鎮座している。
「これが地図のここ、境界線に立つアーチだと思う。地域の1番外側にある」
シューニャは地図を辿りながら、キメラリア2人と現在位置の再確認を行っている。
にもかかわらず、僕とダマルはその見た目にただただ呆然としていた。
「僕の見間違いってわけじゃないよね」
「いや、冗談だろ……」
ゆっくりとダマルが鉄塊に歩み寄る。
最低でも数百年は風雨に晒されたであろうそれは、全ての塗装が剥げ落ち赤く錆びた地金を晒していた。大量の砂が側面に積もっていることから、風が強く吹く地域なのかもしれない。
それを骨の手が軽く払いのけていく。最初はただ地金が現れるだけだったが、やがて何かが彫られた場所を探り当てた。
「支柱名、第168外縁天蓋支柱。竣工、新共通歴1805年。第8地上農業区」
エンボス状に刻まれた文字が、嫌という程に現実を叩きつけてくる。
もしかすると、自分の心は未だに800年の経過を信じていなかったかもしれないが、その些細な抵抗もこれで終止符が打たれてしまった。
「キョウイチ……今のは」
急に何を言い出したのか、とシューニャが駆けよってくる。
僕もダマルも文字が読めないことを彼女は前提としていたらしく、謎の刻印を読み上げているとは思わなかったのだろう。
様々な感情が揺れ動いたことで呆然してしまったが、シューニャに袖を引かれて、あぁと息を吐いた。
「これは僕らの時代の亡骸だ。何度も見たことがあるんだ」
「奇遇だな。俺もよーく知ってるぜ」
企業連合に属していた人間ならば、いや諸外国の人間でさえ知らない者は居なかったのではないだろうか。
「環境遮断大天蓋、ホシノアマガサ……こんなになっちまってるとはなぁ」
今は見る影もない鉄骨に、ダマルはそう呟いた。
企業連合を象徴する施設の1つであり、多くの国民の生活を守っていた巨大な傘。
自分に残された最後の記憶が、新共通歴1910年頃のもので間違いなければ、現在は2700年前後ということになる。
つまりホシノアマガサは既に齢900年近くなっており、錆びた鉄塊となり果てているとはいえその形状を維持しているのは奇跡と言っていいだろう。
僕が物心ついた時には、既に空を覆っていた環境遮断天蓋。曰く、様々な災害や汚染から人々を保護する目的で作られた特殊ドームである。
今でこそ支柱しか残っていないが、元々は支柱の周囲に透明な膜を展開していた。技術的には試作されていた電磁バリアということになるそうだが、見た目がまるでビニール傘のようでホシノアマガサという名前の由来になったという。
完成時には世界中に喧伝された最新鋭システムであり、これで人類は1000年以上耐えられると言われていた。
皮肉にも当時の人々が死に文明が滅んでなお耐え抜いたのは、その支柱だったわけだが。
「これがあるってこたぁ……ここは」
「企業連合国首都、ショコウノミヤコで間違いないね」
僕はシューニャが手にしていた地図に視線を落とす。
自分たちは決して違う世界に来たわけではない以上、ありとあらゆる土地は地理で習った名前の場所だったはずなのだ。
「あの摩天楼がこれかァ」
ダマルの呟きに僕は目を伏せる。
この鉄塊を除けば、周囲には瓦礫が散らかるばかりで建造物など見る影もない。左も右も地平線で、唯一後ろにだけはぼんやりとテーブルトップマウンテンが見えるだけだ。
記憶の中にある高層ビルが林立した大都会は、まるで蜃気楼のように消え去っていた。
「フラットアンドアーチに都市があった?」
「あぁ、僕らの記憶が正しければ間違いない。眠らない大都市がね」
シューニャの質問を背に聞きながらしゃがみ、白く見える砂を手にすくってみる。
透明なガラス屑が多く混じりこんだそれは、持ち上げるや否やあっという間に風に攫われて流れていった。
時間の流れがそうしたのか、あるいは人為的な何かが起こったのかはわからない。
だが、コンクリートをはじめとする建材の全てが自然に砂になることなど、現実に起こりえるとは思えない以上、およそ、町を消し飛ばすほどの禁止兵器が撃ち込まれたのだろう。
滅亡が目前に迫った人類は、いとも容易く狂気に染まったと考えるのが、一番納得できる予想だった。
「写真でもあればよかったな」
僕はシューニャを振り返りながら、頭を掻いた。
「シャシン?」
一度、完全な状態のショコウノミヤコをシューニャに見せてあげたかった。それは永遠に叶うことのない願いだろうが。
だが、感傷に浸っていても仕方がないと僕は首を横に振る。自分たちが生きていくためにやるべきことは、ハッキリしているのだから。
「説明は玉匣に戻ってからにしようか。ダマル、出発だ」
「そうだな。廃墟眺めてたってはじまらねぇや」
ダマルとて思うところはあったのだろうが、直ぐにその思考を断ち切ったようで、いそいそと玉匣へと乗り込んだ。
「おにーさんたちが言ってること、全然わからない時がありますよね」
「単語すら理解できないのはキツいッスよ。宗教とかの説教聞かされてる時みたいッス」
キメラリア2人は揃って首を傾げる。
理解力の高いシューニャでさえも苦労する内容は、彼女たちにとって呪文のようだったことだろう。とはいえ、噛み砕くにも限度があるために、僕は既に匙を投げていた。
■
玉匣は中心部の湖を目指して出発した。
ミクスチャがフラットアンドアーチの何処にいるかはわからない。ならばとにかく中心部に行ってみるか、という適当な判断である。
いつ接敵してもいいようにと僕は翡翠を身に纏い、揺れる車内で武装の確認を始めていた。
『マキナの射撃武装使うのは、今回がはじめてか』
床に並べられたのは、マキナの一般的な装備である突撃銃、対装甲目標用の狙撃銃、そして現有装備で最大火力を誇る携帯式電磁加速砲《パーソナルレールガン》の3種類である。
「タマクシゲの火が出る棒に似てますね」
『まぁそんなもんだよ』
ファティマはそれらをペタペタと触っていた。
生身で用いる狙撃銃と比べて、重量や火薬量などの制約が大幅に小さいマキナ用は遥かに大型だ。むしろ砲と呼称するべきかもしれない。
「なんかこないだよりマキナがごっつくなってる気がするッス」
『肩に誘導弾発射器乗せてるからだろうね』
「できるならそいつは使わずに済んでほしいぜ。装填済みで2発と再装填装置に2発しかねぇんだから、最悪今回で売り切れだ」
そう言われると使いにくい。
対戦車用の誘導弾は装甲貫通力の高い装備だ。800年前の戦場ではその手軽さから、便利に撃ちまくっていた記憶がある。
それらを全て翡翠に搭載したとして、全力出撃1回で弾薬はほぼ底をつくだろうと僕は予想している。
施設に置いてあった装備を全種類積んできたことから、武装のバリエーションこそ多いものの、どれも弾薬そのものは大した量がないのだ。
その上、先日の出来事から、敵対勢力はミクスチャだけではないときている。
「恭一! 武器展示会は一旦中止だ! 巨大カバがお出ましだぜ!」
ダマルの言葉に、反射的に後部ハッチを蹴り開けると、対マキナ用狙撃銃を手に玉匣の上に躍り出た。
あまりに突然の動きに、ファティマは飛びのきアポロニアはその場でひっくり返って苦情を吐く。
「ちょ……ご主人! 動くなら動くって言ってほしいッスよぉ」
「犬は言わないと反応もできないんですか?」
それを華麗に躱したファティマが口に手を当てて、どんくさいと馬鹿にする。なにおうとアポロニアも応じて、無線機から聞こえてくる車内の様子は騒がしい。
その様子に、戦闘を前にして暢気なものだと笑みが零れ、慌てて表情を引き締める。
『目標視認、左前方4匹』
セーフティを解除してコッキング。
初弾がチャンバーへ送り込まれ、武装と連動したシステムが長距離狙撃モードに切り替わる。
『殺す必要はねぇぞ。足狙って動きとめさせりゃそれでいい』
『わかってるよ』
照準を太い足に振った。
正直に言えば、精密な狙撃はあまり得意ではない。
だが、相手は狙われていることを意識することもない大型目標だ。これに当てられなければ、そもそも訓練学校からやり直しだろう。
耳をつんざく砲声が響き渡る。
マズルブレーキに和らげられた反動を、翡翠の制御システムが吸収してなお、銃身は軽く跳ね上がる。
発射された徹甲弾は音速を超えて突き進み、瞬く間に先頭を走っていたブラッド・バイトに突き刺さった。
銃の照準特性に対して、システムの調整が甘かったのだろう。弾丸は狙いを定めていた足から上に逸れて頭部を直撃する結果となったが、さしもの厚皮も装甲車を軽く貫通する徹甲弾には耐えられなかったらしい。
先頭の1頭が派手に転倒したことで、後方から走っていた1頭が追突する形で巻き込まれ、左右の2頭にも混乱が発生した。
『ダマル! 目標が混乱した! 今のうちに距離をとれ!』
『了解了解、足じゃなかったな』
通信機越しにカッカッカと言う笑いが聞こえる。
ならお前がやってみろと言いたかったが、自分の腕が悪いことをなすりつけても仕方がない。
だから僕は、今回照準がずれた原因についてをハッキリと伝えた。
『弾道が上に逸れた。翡翠のシステム、誤差修正よろしく』
『げぇ、藪蛇だった! 当てられたんだからいいじゃねぇか――ってわけにもいきませんよね、後でやっときます』
言葉の裏に込めた圧力が通じたことを確認し、僕は通信を切る。
ブラッド・バイトも、いきなり仲間の頭部が吹き飛ばされたことに怯えてか、流石に追撃してこようとはしなかった。
弾薬の消費がたった1発で済んだことは僥倖と言えるだろう。
周囲から接近してくる生物の反応がないことを確認して、僕は開きっぱなしの後部ハッチから車内へと戻った。
「おかえり」
「「おかえりなさーい」」
シューニャの言葉に合わせて、キメラリア2人が僕を迎えてくれる。
『あー……ただいま?』
とりあえず返事はしたものの、車内の状況に僕は正直困惑していた。
何故かアポロニアのおでことファティマの顎に歯型が残っており、しかしシューニャを前で2人揃って正座させられている。
いわば、お説教の最中だったのだ。
「子どもじゃないのだから、無闇に暴れないで欲しい」
「「ごめんなさい」」
2人の獣耳が揃ってぺたりと垂れ下がる。
どうやら自分を元気よく迎えてくれたのは、シューニャの視線から逃れるためだったらしい。内容としては、間違いなくじゃれあいについてだろう。
車体の前では、また骨がカッカッカと笑っている。
そんな彼女らを横目で見ながら、僕は狙撃銃の安全装置を戻してガンラックに立てかけた。
「シューニャ、そのくらいで許しておやりよ。反省してるんだろう?」
「ん……キョウイチが言うなら、仕方ない」
お許しが出たとわかるや、ファティマの顔がパッと明るくなり、アポロニアも大きくため息をつきながら冷や汗を拭った。
「汗、か」
アポロニアの動きに、僕は自分も汗をかいていることに気づいて、一度マキナを脱装する。
800年前の戦争中にも、汗はそれなりに重要な問題だった。
マキナには環境に対応するための機内温度調整装置が搭載されていたとはいえ、人間は冬の寒さの中でも僅かではあるが発汗するし、運動したりストレスを感じればその量も多くなる。
するとマキナの内装は確実に汚れ、不衛生な状態になってくるのだ。
現代では一日中着装状態で居なければならないわけでもないので、そのうち洗おうと思いながら袖口で額の汗を払う。
「おにーさん?」
「どうし――た」
そんな僕の様子を見ていたファティマが、何か不穏な表情を湛えてゆっくり迫ってきた。
妙な圧力を感じて僕が1歩と後ずされば、逃がすまいと彼女は僕の肩に飛び掛かり、がっしりとホールドしてくる。おかげで拭いたばかりの汗が再度額を伝った。
「ちょっと動かないでください」
言うや否や、ファティマは首元に顔を近づけてくる。
流石にこれは焦った。異性への耐性が薄いこともあるかもしれないが、ドギマギする感情と首元に噛みつかれそうという恐怖感が混在し、更にファティマの頭からふわりと髪の匂いが鼻をくすぐられて、何が何だかわからなくなる。
僕の首元で鼻を鳴らす音が聞こえたのはその時だ。
「あ、あの、ファティマ――さん?」
「うーん……おにーさん、ちょっと臭いますよ?」
僕の身体に凄まじい電流が走ったのは、言うまでもないだろう。
ファティマからの拘束が解かれたと言うのに、僕は石像のように動けなくなっていた。
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