悠久の機甲歩兵

竹氏

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現代との接触

第33話 動物注意

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「じゃあ、今向かってるのはこの辺りですね」

 ファティマの指が地図にぐるりと円を描く。
 だが、僕にその指先はまったく見えていない。それどころか、視野のほとんどが大きな耳で埋められていた。
 ちょうど反対側から覗き込んでいたことが原因で、ファティマが俯いた途端、彼女の猫耳が頬に襲い掛かってきたのだ。
 柔らかい毛に覆われたそれの触り心地はよかったが、重要情報を隠されてしまってはたまらない。

「ファティマ、耳、耳が刺さってる」

「あはは! くすぐったいですよぉ」

 寝台が背後にあって逃げ道のない僕に対し、ファティマは大きく頭を振って、左右から高速耳ビンタをぶつけてくる。
 これは流石に少し痛かったので、彼女の頭を無理矢理押しのけると、ようやく目標地点が視認できた。
 
「現代の地図も捨てたもんじゃねぇなぁ。犬っコロは案外いい拾いもんだぜ?」

「流石に犬っコロはやめてほしいッス」

 ダマルの発言に、アポロニアはグルルと牙を剥いて見せた。それに慌てた骸骨は、犬って可愛いよなー、などと謎の弁明を行っていたが、彼女も睨んでいる事が馬鹿らしくなったらしく、再び視線を地図へと戻した。

「それで、このフラットアンドアーチっていうのはどういう場所なんだい?」

「書いてある通り、鉄鉱脈が点在してる場所ッスね」

「これで鉄鉱脈って読むのかい?」

 地図なのだから、せめてわかりやすい記号でもあればと思うが、見えるのはゴチャゴチャと文字らしき何かが羅列されているばかりで、内容は一切読み取れない。
 顔を顰めた僕の言葉に、アポロニアはギョッとして振り向いた。

「えっ? ご主人って文字が読めないんスか?」

「恥ずかしながら……今後のことを考えると、勉強するべきなんだろうけれど」

 余程衝撃的なカミングアウトだったのか、太い尻尾から力が抜け、だらりと垂れさがる。
 とはいえ、嘘を言っても仕方がない。一応にも800年前に義務教育を受けた身としては、文字の読み書きができないという不便さは十分に理解できており、現代社会で生きていく上では非常に重要な案件だった。

「必要なら私が教える」

 僕の呟きに、シューニャは自分の役目だと言いたげにこちらを見上げてくる。
 現代の識字率はわからないが、少なくとも彼女ほどの適任はそう簡単に見つかるものでもないだろう。そんな非常にありがたい申し出に、僕は素直に頭を下げた。

「落ち着いたら、その時はよろしく頼む」

「ん、任せて欲しい」

 無表情のまま、胸の前で小さく拳が握られる。
 張り切るには気が早いなと笑いつつ、僕は再び地図の上に視線を落とした。

「それで鉱脈と言ったが、この辺りには立坑でもあるのかい?」

「フラットアンドアーチは、地上に露出している巨大な鉄鉱脈がいくつもある地域だと聞いたことがある」

「成程……だが、どうにも」

 シューニャの説明通りならば、鉄鉱資源を採掘するのに驚くほど好条件の土地だと思う。起伏が一切存在しない平野でありながら多くの水源も見受けられる。
 それが僕にはあまりにも不自然に思えた。

「カサドール帝国は鉄資源が豊富なのかい?」

「んな訳ないじゃないっすか。2国相手にずーっと戦争してるんスよ? 西の山岳地帯に主力の鉱山があるッスけど、そこじゃ奴隷を使い潰す勢いで働かせて、それでも鉄が足りない状況ッス」

 自分は兵士になれてよかった、というアポロニアの呟きに、僕は腕を組んで頭を捻った。
 地図上に描かれた鉱脈は1つ2つではない。鉄が足りていないと言うならば、何故採取が簡単で輸送の手間も小さいであろう露天鉱脈を利用せず、インフラ整備が難しい山岳地の鉱山に頼り続けているのか。

「……帝国が開発できないような理由がある、ということか」

「ミクスチャが居るからじゃないんですかぁ?」

 だからボクたちが行くんでしょ、とファティマは首を傾げたが、それでは辻褄が合わない。
 ミクスチャが出現してから長い時間が経っているのならば、依頼内容は一般に周知されているはず。しかしグランマは、まるで極秘事項のように扱っていた。
 その上、国を滅ぼしたという話を聞く限り、ミクスチャは明らかに人里を襲撃する探知能力を持っていると考えるべきだろう。それが長期間に渡って討伐できていないのなら、帝国は少なくとも戦争などする余裕はないはずだ。
 僕が、ミクスチャ以外に何らかの危険があることを確信し始めた頃、あっ、とアポロニアが声を上げた。

「お、思い出したッス……ブラッド・バイトが大発生してるんスよ」

 彼女が声で漏らした言葉に、ファティマが尻尾の毛を一気に逆立てる。シューニャは僅かに表情を暗い物にした程度だったが、内心の動揺は隠せていなかった。
 逆にブラッド・バイトと言われてもサッパリわからない僕は、大発生というからには虫か何かだろうかと想像を巡らせる。
 だがそれは、突如起こった激しい衝撃に中断を余儀なくされた。

「うぉっ!?」

「わあっ!?」

 あまりの急制動に、僕の身体は地図を睨んでいた3人の元へと転げ、特に中央に座っていたファティマに覆いかぶさる形になった。
 同じように転げそうになったシューニャを咄嗟に抱えられたのは、不幸中の幸いと言えるだろう。その一方で見捨てざるをえなかったアポロニアは、砲塔バスケットの傍でしっかり逆さまになっており、完全に目を回している。
 一体何があったのかはわからないが、とりあえず衝撃が続かないことを確認した僕は、腕の中にすっぽりと収まっている金色の頭へと視線を向けた。

「いてて、シューニャ、怪我はないかい?」

「う、あ……だ、だい、じょうぶ」

「よし」

 彼女は頬を真っ赤に染めてぎこちなく頷く。その様子はどうにも不思議に思えたが、無事が分かれば今優先すべきは状況確認であるため、シューニャを解放して立ち上がろうと姿勢を正した。

「う゛ニ゛っッ!?」

 それとほぼ同時に響く妙な声。

「お、おにーさん! 尻尾踏んでます!」

「す、すまん!」

 どうりで装甲車の床にして、感触が柔らかいわけである。
 叫ぶファティマに僕が慌てて手を退けると、彼女はしきりに自分の尻尾を繕いはじめる。
 怪我をしてはいなさそうだが、大丈夫かと改めて問えば、これまた何故か頬を赤らめながら睨まれてしまった。

「むー……異性の尻尾は無闇に触っちゃダメなんですからね……それもあんなに乱暴に」

「わ、悪かったよ。後でちゃんと詫びるから……アポロニアは?」

「奇跡的に生きてるッスよぉ」

 大の字になったまま天を仰いでいる犬娘は、背丈相応に短い腕をプラプラ振って返事をする。
 最も痛い思いをしていそうではあったが、とりあえず酷い怪我を負ってはいないことを確認し、僕はようやく急制動の理由を確認するため運転席を覗き込んだ。

「ダマル、状況報告!」

 そこでは骸骨がハンドルを握った姿勢のままで固まっていた。
 どこかが骨折したというわけでもなさそうだが、声をかけてもなおダマルは一切動こうとせず、ただひだすらモニターを眺めている。
 一体何があったのかと眼孔の先を見て、僕はその理由を知らされた。

「――カバ?」

 正確にはカバに似た何かであろう。身体は中型トラックのように大柄で、更に口からは立派な牙が外向きに生えている。
 テーブルマウンテンの谷間、隘路になっている進路中央で、それは巨体を横たえてこちらを眺めていた。

「ありゃ、ヤベェって……」

 ようやく硬直が解けたらしいダマルは、白い歯を鳴らしながら骨格を震わせる。
 大概の野生動物なら車で接近するだけで恐れて逃げてくれそうなものだが、目の前に鎮座する巨大カバモドキは驚きもせずに、突如現れたこちらを眺めていた。
 
「よし、迂回しよう」

 危険性がわからない野生動物を刺激するべきではないと、僕は即座に後退指示を出す。
 いきなり巨大生物とガチンコの戦いになることを避けるための判断としては、これが最善であろう。
 だが、ダマルは頭蓋骨を力なく左右に振った。

「遅かったらしいわ」

「へ?」

 骨の言葉が理解できず、改めてモニターを覗き込む。
 そこにはゆっくりと身体を起こすカバの姿が映し出されていた。その上、大木のように太い前足で数度地面をガリガリと引っ掻いている。
 その様はまるで、助走をつけているかのようだった。

「ああ、なるほど」

 たちまち陸上選手もびっくりのロケットスタートを決めた巨大カバモドキは、雄たけびを上げながらこちらへ向かって突進してくる。
 その様に僕とダマルは揃って情けない叫び声を上げた。

「「んなぁあああああああああ!!?」」

 骨の手が慌ててギアを後進位置へと変更し、軍用半長靴がアクセルペダルを全力で踏みつける。

「こ、後退後退後退!! ダマル急げ!」

「やってんだろが糞ボケぇ!」

 僕はシャルトルズの設計者を恨んだ。
 何故これを装輪装甲車にしなかったのか、と。
 無限軌道は高速性という面で装輪に劣る。おかげで玉匣は今までにないほどの急加速を見せていたと言うのに、僕にはとても鈍重に思えたのだ。
 加えて、巨大カバモドキは見た目にそぐわず俊敏であり、互いの距離は僅かずつ詰まっていた。
 これは不味いと僕は慌てて車両後部へ走る。
 
「総員警戒態勢! 座席についてシートベルトを締めるんだ」

「な、なんですかぁ?」

「ええいわからないか!」

 状況が呑み込めていないファティマを力づくで座席に座らせ、前からシートベルトを通して固定する。
 対するアポロニアは僕の切迫した表情に危機感を覚えたのか、自らせかせかと座席へ座り込んだ。

「ご主人、ベルトってどうするッスか?」

「僕がやるからジッとしてくれ!」

 今度全員に安全対応の講習が必要だと実感させられたが、こうなってからでは文句も言えない。
 急いでアポロニアの腰をシートベルトで締め付けると、蛙を潰したような声が聞こえたが、気にしている暇もない。

「シューニャは――」

 こちらの動きを見て学習していたのだろう。彼女だけは自らベルトを締めていたが、その視線は外部の状況を映し出すモニターに集中している。
 走行音で喧しい車内だというのに、シューニャの口から零れた言葉を僕は聞き逃さなかった。

「ブラッド・バイト」

「な……嘘、だろう?」

 驚愕する僕を翠玉の瞳がじっと見つめてくる。
 彼女は誤った情報を伝えることを極端に忌避するかのように、わからないことはハッキリわからないと、正確でない事柄には曖昧だと言葉を添えていた。
 信じたくはなかったが、眼前に迫る危険生物は目的地で大発生しているそれらしい。であれば、自分たちがとるべき手段は1つだった。

「ダマル! 進路そのまま、砲戦用意!」

「げぇっ!? あれと戦う気かよ! 頭おかしいんじゃねぇの!?」

「四の五の言うんじゃない。必要な戦力評価だ」

 僕は砲手席へと滑り込むと、モニター上に表示される砲塔側面の小さな突起を手早くタップする。

「煙幕展開!」

 砲塔の脇に備えられたスモークディス発煙弾チャージャー発射器から筒状の砲弾が飛び上がる。それは数秒間飛翔した後、空中で炸裂して白煙を地面に向けてばら撒いた。
 ただの野生生物ならば驚いて逃げ出したことだろう。だが巨大カバモドキは減速すらしないまま、大口を開いて白い煙幕を突っ切ってくる。

「発煙弾効果認められず」

『動物って考えるのが馬鹿みてぇに思えてきたぜ!』

 ダマルの声がレシーバー越しにあり得ないと叫ぶ。
 威嚇が効かないなら躊躇う訳には行かない。僕は車載機関銃を遠隔操作モードに切りかえ、モニター越しの照準によってトリガを引いた
 非装甲の車両くらいならば、容易くスクラップにできる威力の銃撃である。ただの動物が傷を負わないはずもない。
 そう、思っていたのだが。

「……あれって装甲目標だったりするのかい?」

『カバの頭に装甲が施されてるなんて話ゃ聞いたことねぇけどなぁ』

 咄嗟に口を閉じたブラッド・バイトは、前頭部で銃弾を跳ね返したのである。
 動物とは思えないほどの外皮の強度に、僕もダマルも驚愕を通り越して冷静になっていた。こんな生物が大発生している中に、車両1台で突入する自分たちの未来を憂えたともいえる。
 そんな中、兵員室からファティマの声が響いた。

「シューニャ、危ないですよ!」

 何事だと振り返ってみれば、いつの間にかシューニャが砲手席の背後にしがみついている。
 不整地路を急速に後退する激しい揺れの中で席を立ったことに、僕は大いに慌てさせられた。

「こ、こら、何してる!? ちゃんと座って――」

「口の中」

「何?」

「ブラッドバイトを狩る時の常套手段は、口の中に火矢を射かけること」

 自らの口を開いて、シューニャはハッキリとその中を指差した。
 確かに幾ら硬質な表皮をもっていたとしても、口の中まで強固にすることは難しいだろう。
 だが、狙うにしても簡単ではない。

「しかし、どうやって狙えと」

「攻撃の時になら、必ず口を開くはず。だから、ブラッドバイトの狩猟は多くの死者を出す」

 無謀ともいえる戦術で人はこれを駆除してきた、と彼女は語る。
 生身の人間にできて、装甲車にできないはずがない。

「わかった、おいで!」

「わ……!?」

 僕は素早くシューニャを膝へ抱きかかえると、モニター上でチェーンガンをタップし、横に現れたメニューから焼夷榴弾を選択する。

「今日はなんだか強引」

「余裕がないからね。チェーンガン、装填よし!」

 外を映すモニター上で、ブラッド・バイトは目と鼻の先まで迫っていた。
 その状況にダマルが無線機から悲痛な声を上げる。

『おい早く撃て! 体当たりなんぞされたら、俺の愛車がボコボコになっちまう!』

 言うが早いか、ブラッド・バイトが大口を開いて飛び掛かってくる。
 だが、ここまで至近距離ならば狙いをつける必要もない。画面いっぱいに広がってくる真っ赤な口に向けて、僕は発射桿を握りこんだ。
 チェーンがモーターの動力を機関砲に伝え、チャンバーに押し込まれた薬莢の尻を撃鉄が叩けば、爆発の力を得た砲弾はライフリングに導かれながら回転し、砲口に装備されたマズルブレーキから火炎とガスを噴き上げる。
 刹那、ブラッド・バイトから雄たけびが上がった。
 放たれた焼夷榴弾が、口の中から体内へ侵入して炸裂したのだろう。超高温の火炎をばら撒く砲弾は、ブラッド・バイトの中を瞬く間に焼き尽くした。
 たった1発の射撃で、巨大な化物は地響きと共に地面へと倒れ伏す。そのあまりに大きな口を含め、身体のあちこちから黒煙が立ち上っていた。

『一撃かよ……』

「は、ハハハ――ありがとうシューニャ、助かったよ」

 呆気にとられたダマルの声を聞いて、僕は笑いながらシューニャの頭をぐりぐりと撫でまわした。

「うあ、あ、あう―――こ、子ども扱いしないでほしい」

 肩越しにエメラルドの瞳に睨まれたが、僅かに朱を帯びた頬は満更でもなさそうだった。
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