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母と面会できる喜びと悲しみ

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          令和2年12月28日

あすの正午過ぎに8か月ぶりに特別養護老人ホームで暮らす母の居室で
面会できることになった。
僕が今年の2月に交通事故を起こし
入院するまでは仕事帰りに毎日のように顔を出し
母の食事介助をしてから帰るのが日課だったのだけれど
新型の肺炎のせいもあり、面会は月に2回ガラス越しに電話で話せるだけ
という事になってしまった

アルツハイマー型認知症と廃用症候群を患う母は、ガラス越しでは嫌だとごねて

  手をつなぎたい、手を握ってほしい

と大きな声で言い続け、時間が過ぎ帰る時に

  明日も来てくれる?

と問いかけてくる声に、いつもつらい気持ちで 

  明日も来るよ

と答えていた

そんな中、明日は母の部屋に入って会える、
手を握れるし、食欲が落ちているらしいから
アイスクリームを食べさせてあげようと思う。


会える喜び、だけどそれを覆いつくす悲しみ


11月の中頃、施設で40度を超える高熱を出し、
救急搬送を受け入れてくれる病院が見つかるまで
2時間という時間がかかった。
それも、もし新型の肺炎であった場合は、
即時に転院という約束付きでだった
病院に駆け付けた時に母に同行してくれた、
施設の看護師さんは場合によっては濃厚な接触という事で
別室に隔離され、私と話をするのも衝立越しといった状態だった
そんな状態で30分ほど看護師さんと話しているうちに
医師から説明をしますのでと言われ
処置室に入らせていただいた

医師からはこのCTの画像からして、新型の肺炎ではないことを告げてくれたものの
念のため検査は致します
結果は明日のお昼過ぎにこちらから連絡いたします。
新型の肺炎であれ無しであれ,入院となると面会はできませんので離れていますが、
ここからお母さんの姿を見てあげてくださいと、優しい口調で伝えてくれた後に
説明を始めた言葉の内容に驚いてしまった

  新型の肺炎でないと思いますが、肺炎を起こしています。
  抗生物質の投与で元気に戻りますが
  高齢であることを考えますといつ急変するかもしれません
  その時の延命処置はどうしますか?

  せめて母の温かいうちに、駆けつけてあげたい。手を握り締めて送ってあげたい

と伝える言葉に、医師は

  患者さんの年齢、体力、心肺や腎臓の具合から考えると、延命処置を施しても
  長くはもちません。それと体のあちこちに穴をあけなければなりません。
  そのような痛々しい姿になりますが、いいんですか?

と言うような事を聞いてきたのだと思う。動転してしまったので
詳しい文言までは覚えていない

  分かりました。危ないとなればいつでも良いので連絡ください。
  そして母の体はきれいなままで、召させてあげたいと思います

というやり取りをして、その日は帰ることにした

翌日、病院から新型の肺炎でなかった事、
抗生物質の投与で熱が下がった事を知らされた事を聞き
喜んで電話を切った後、僕はいきなりの吐き気を我慢することもできず、
その場で吐瀉してしまった
気づきもしていなかったが、大きなストレスを抱えていたんだと思う
後もまだまだ心配なんだけど、とりあえずは嬉しさばかりだった

12月14日 母が退院となった
その時は新型の肺炎の集団での感染が出てしまった関連施設に
ずっと応援に入っていた状態だったので
退院の同行をする事はおろか、
自宅と関連施設の往復しかできない状態だったので
母を遠くから見ることすらできなかったけれど、
電話で状態を説明してくれた医師の言葉は
喜んでもよいと思える言葉ばかりで、
これならまだまだ大丈夫だって思わせてくれた。

今日、やっと僕の検査結果も大丈夫、
施設の警戒も解除という事になったので
母の施設から再三呼ばれていたことを思い出して、
必要な書類にサインをしに行った
それを終えるころに、病院まで同行してくれた看護師さんからこう告げられた

  実は入院時には食事量もちゃんとしていたのですが、
  退院してからは食事量が減ってきています
  ちょうど今日は施設の医師が来ていますので
  ご説明したいことがありますのでお待ちください。

そして説明に来てくれた医師からは

  かなり食事量は減ってきており、吸入させている酸素量も
  2リットルから3リットルに代わってきました
  慢性の肺疾患の状態から心臓に大きな負担がかかり、
  それは腎臓にも悪い影響を与えています。
  すぐとは言えませんが長くはもたないと思ってもらう方が
  よいかもしれません

いきなりの言葉に、目を閉じることすら忘れた 涙がこぼれだした

  分かりました。先月の入院時の説明で延命処置のことなど聞いております。
  お手を煩わせてしまうと思いますが、長く暮らしたこの施設で
  看取っていただきたいと思います
  どうかよろしくお願いいたします。

と伝えた。

その後は、今まで記入していなかった看取りに関する書類などに署名捺印し、
万が一の場合を考えて、どうなっていくのか? 死亡診断書は? 
家具の引き取りは?葬儀屋との連携や退去あとの原状回復にかかる費用なども
併せて聞いておいた

その時になって慌てたくないから、取り乱したくないから、そしてその後

  新型の肺炎のこともあるからまだ話のできるうちに会えることもできない
  手を握って、笑顔を見ることもできないのが残念です。

といった言葉に、看護師さんは

  いよいよ危ないとなった時には何時であっても連絡いたしますし
  看取り介護となったご家族様には、
  失礼ですが裏の非常階段を使ってお部屋の中で
  面会をしていただいても良いようにいたします。
  ただ、今日の今日という訳にはいきませんので、
  ご都合の良い日をお知らせください

と優しい口調で伝えてくれた。そのありがたさに涙が止まらなかった



そして明日、母の部屋で面会をすることになった
私も介護に関係する仕事をしている上で、食事が取れなくなってくると
死期が近くなってくることは知っている
そしてなにも受け付けてくれなくなって来だしても、
口にしてくれるものがあるのも知っている

それが、アイスクリーム 

それを明日、母に食べさせてあげようと思う。
ずっと寂しい思いをこの8か月させてきたから、
僕の顔を見て、手を握って、アイスクリームを口にしてくれたら
元気を取り戻して、食欲も戻るかもしれない。

だから、アイスクリームを明日食べさせるんだ 食べて欲しいんだ。
食べてくれなきゃ嫌だ。




桜を見せてあげたい。

今年買った中古のオープンカーに母を乗せて、満開に咲いた桜の宮公園に連れて行ってあげたい。
母に桜のトンネルの中を、ドライブさせてあげたい

だから、それまで、せめて春まで、元気でいてほしい。

だから、アイスクリーム、、、、


母に会える喜び、それを覆いつくす悲しみ



今夜だけは、泣き通して良いと思う

長い夜を悲しみで覆いつくしてしまいたい


















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2021.05.27 ユーザー名の登録がありません

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