289 / 296
4章 ドワーフの兵器編 第2部 刺客乱舞
289. あの日の教会 1
しおりを挟む
~五年前~
「ナイシスタ殿、次はあちらに」
先導する男が右手を向けた。少し先に見えるのはイムザン教の教会。その小さな前庭には、キャッキャとはしゃぎながら遊ぶ子供達の姿があった。教会が運営する孤児院。珍しくはない。
「教会……」
そう呟くナイシスタに、男は呆れる様に説明する。
「ここの神父は中々に厄介な奴でしてね。話し合いでまとまるかはまぁ……分かりません」
肩を竦める男。ナイシスタは「まぁ行ってみましょう、リテュエイン殿」と歩を進める。
◇◇◇
ジェフブロック。イオンザ王国の西、コカ・ルー領の西端にある小さな街。この街はイオンザにとって、常に頭の痛い問題の種であった。
西のセンドベル王国と国境を接するコカ・ルー領の、更にその西端の街ともなれば、本来ならば国防の要として機能する重要な防衛拠点であるはずだ。
勿論この街には防壁もあり、衛兵らも多数常駐している。見た目上、一応は国境の街としての体を成してはいるのだが、しかしそれは、本当に見た目だけの話だった。
人口は多いが活気があるとは言い難く、その住民の殆どが貧困層。行く当てのない者、難民、無頼の徒などがイオンザ中から、のみならずセンドベルからもやって来る。街はゴミに溢れ、犯罪に溢れ、薬が蔓延する危険地帯。
ジェフブロックはイオンザ王国最大のスラムだった。
街が丸ごとスラムと化しているこのジェフブロック。当然領主は対策を考え、過去に何度も改革の為に動いた。しかしそのどれもが失敗。もはや領主一人の力ではどうしようもなかった。
以降この街はイオンザの汚点であり恥部として、間違いなくそこに存在しているのにも関わらず、その存在を認識してはならないという、まるで幽霊の様な扱いを受けてきた。
触れてはならない街。ジェフブロック。
そしてこの街を治めるコカ・ルー領主、ワイナル・カウン辺境伯はとうとう禁断の決断をするに至り、統治官としてこの街に常駐するワイナルの長子リテュエインは、その準備に追われていた。
◇◇◇
「神父! いるか! おい神父!」
教会の中へ入るや、リテュエインは大声で怒鳴った。程なくして「何だ騒々しい」と、奥から神父が顔を出す。そしてリテュエインを見ると大きなため息を吐き「金ならないぞ。分かるだろ」と吐き捨てる。
「てめぇら貧乏人にそんなもんは期待はしちゃいねぇ」
リテュエインもまた神父にそう吐き捨てると、「良い話を持ってきた、聞きやがれ」と偉そうに踏ん反り返る。
「ドラ息子め。お前が偉いんじゃなく、お前の親父が偉いんだ」
神父は呆れながらそう話す。そしてリテュエインの背後に立つ数人の男女に鋭い視線を向ける。
「……奥に来い。礼拝堂で騒がれちゃ迷惑だ」
が、彼らの素性を確認するでもなく、神父は一人さっさと奥へ引っ込んだ。
「何が迷惑だ。誰もいやしねぇだろが」
リテュエインはそう愚痴ると右手を軽く前に出す。そして「では参りましょう」とナイシスタに呼び掛けた。ナイシスタは背後に立つナッカらに「あんたらはここで待ちな」と告げて奥へと進む。
◇◇◇
礼拝堂の奥、事務室へ通されたリテュエインとナイシスタ。リテュエインの話を聞くと、神父は「バカな!?」と声を上げて立ち上がった。
「ワイナルは正気か! そんなもん、上手く行くはずがない!」
「ワイナル様だ、クソ神父。良いか、親父殿は至って正気だ。ようやく決断なさった……遅かったくらいだ」
「上手く行く訳がなかろうが! すぐに軍が来て鎮圧され……!」
「何が鎮圧だ!!」
怒鳴ると同時にリテュエインはテーブルを叩いた。ビリビリとテーブルが震える。
「俺達が! カウン家がこの街の為にどれだけ手を尽くしてきたか! 治安が悪いと言われりゃ衛兵を増やし、食い物がないと言われりゃ配給を増やし、仕事がないと言われりゃ周辺に農地も用意した……だがどうだ!!」
再びドンと、リテュエインはテーブルを叩く。パキッと小さな音。天板の端のヒビが広がった。
「いくら衛兵を増やしてもクソ共が減る事はなく、配った配給はクソの元締が掻き集めて高値で売り捌き、作物を作れと渡したはずの農地じゃ葉っぱを作る始末……お陰で今やコカ・ルーは、誰もが眉をひそめる薬の一大供給元だ!」
北と南に二本の大きな川が流れるコカ・ルーは、農業に適した肥沃な土地であった。そんな土地であれば尚更、薬物の原料となる植物の育ちも良いだろう。
「俺達があれこれとやってる間、王家は一体何をした? 何もしちゃいねぇだろが!どんなに助力を求めようが、てめぇの庭に出来たクソ溜めだからてめぇで始末しろと、毎度有り難い説教食らってそれで終わりだ!」
イオンザ王家の言い分は尤もだ。各地の領主にその土地の支配権を渡している以上、その土地で起きた問題は基本的にそこを治める領主が請け負うべきなのだ。
だがこのジェフブロックに於いては、その理屈がそのまま当てはまるとは言い難い。
確かに一番最初の段階で、街のスラム化を止められなかった領主の責任はあるだろう。だがここまで事態が深刻化してしまっては、これはもはや一地方だけの問題ではない。国が関与して然るべき問題だ。
更に国境に近いという点も考慮すれば、国防という意味に於いても国が早急に手を入れなければならなかっただろう。
「もはや責任がどうとか、そんな段じゃねぇだろが! イオンザ中からクソが集まり、センドベルからもクソが集まり、良い具合に煮詰まったこのクソ溜めは、コカ・ルーだけじゃなくこの国の問題だ!」
溜まりに溜まった鬱憤。リテュエインは怒りに任せてその全てを吐き出した。ふぅふぅと肩で息をする彼を見て、神父は静かに両手を組み祈りを捧げる。「……信仰は否定しねぇさ」と、リテュエインは呟く様に言った。
「だがな神父。神イムザンは何もしちゃくれねぇぞ。この国と同様にな。だったらこっちから動くしかねぇ……仕える主は俺達が決めるんだよ」
「……戦になるぞ」
神父は祈りを捧げながら、視線だけをじろりとリテュエインに向ける。「望むところよ」とリテュエインは答えた。
領主、ワイナル・カウン辺境伯が下した決断。それはイオンザに見切りをつけ、センドベルの庇護下に入るというもの。つまりは、コカ・ルーのセンドベル編入だ。
この時点で、すでにセンドベルは国境付近に軍を駐留させていた。コカ・ルー領内の準備が整い次第、センドベル軍は国境を越え速やかにコカ・ルー全域に展開する。イオンザ国王ドゥバイルが差し向けるであろう国軍を迎え撃つ為だ。
ゆっくりと姿勢を戻す神父。「……で?」とリテュエインを見る。神父の顔を見たリテュエインは〝さすがに納得したか〟と思った。しかしすぐに〝ふん、当然だ〟と思い直す。
そもそも納得云々と思う事がおかしい。一介の神父がいくら反対した所で、領主の決定が覆る事などある訳がない。
「で、本題は何だ? そんな話をしに来た訳じゃないだろう。そもそも、俺にお伺いを立る意味がない」
「当たり前だ。お前に意見なんぞ求めちゃいない。良い話があると言っただろう、ここからが本題だ」
リテュエインはぐっと身を乗り出し「そうだな……」と、どこから話せば良いものかと思案する。そして口を開くと信じ難い言葉を吐き出した。
「まずは、この街を潰す」
少し間を置き、ようやく神父の口から「…………はぁ?」と疑問の声が漏れ出た。
「街を潰すってな……どういう意味だ?」
眉間にシワを寄せた神父を見て、そしてそのシワがあまりに深かったが為に、リテュエインは思わず「ハッ!」と声を上げて笑った。神父のそれは、リテュエインの思った通りの反応だった。
「意味も何も、言葉の通りだ」
リテュエインは薄っすらと笑いながら、怪訝な表情の神父に説明する。
「この街の建物を片っ端から取り壊し、更地にした後一から新たな街を作る」
「バカな……」
そう呟くや、神父は絶句した。街を潰し新たな街を作る? 一体何を言っている? 理解が及ばなかった。そんな馬鹿げた話、聞いた事もない。
「そんな事……そんな事出来る訳がない!」
怒鳴る神父とは対象的に、リテュエインは相変わらず緩い笑みを浮かべている。
「出来るんだ、やるんだよ。ソルーブ陛下ははっきりと、そう明言された」
ワイナルからの密書に、センドベル国王ソルーブ三世は殊の外喜んだ。
コカ・ルーを治める辺境伯の苦悩は間者から伝え聞いている。その窮状を鑑みるに、これが謀りの類いではないという事は明白。
ならば真心を示してやれば良い。
辺境伯の抱える問題を解決してやるのだ。そうすれば、充分に収穫の見込める土地が楽に手に入る。北方に位置する国にとって、農地はこの上なく重要だ。街の再生と防衛に掛かるであろう金も、まぁいずれは回収出来る。
「ジェフブロックを解体し、新たな街を作る。まともな街だ。クソ共はいらねぇ」
まだ何も始まってはいない。しかしリテュエインは満足気な表情を見せた。この巨大なスラムが美しい街へと生まれ変わる。リテュエインはそんな素晴らしい未来に浸っていた。
対して神父は呆然としていた。あまりに大きな、そして突拍子もないこんな話を聞けば、誰しもそんな反応になるだろう。「途方もない話だ」と、リテュエインの話は続く。
「どれだけの時と金が掛かるのか……だがこれは、センドベルがこのコカ・ルーにそれだけの価値があると、そう判断した証拠だ」
突き放し放ったらかしのイオンザと、金と手間を掛けると約束したセンドベル。どちらを選ぶのか。至極簡単な選択だ。
「……クソ共はいらないってのには賛成だ。だが他の住人はどうなる? 街を潰して建て直しの間……保障は?」
神父の疑問は当然だろう。悪人ばかりの街ではあるが、善良な者もいる。だがリテュエインは顔をしかめると「知った事か!」と吐き捨てた。
「どいつがクソでどいつがクソじゃないか、一人一人調べろってのか? そんなもんやってられる訳がねぇ。全員立ち退きだ、街に残りてぇんだったらその辺にテントでも張っとけ」
椅子の背にもたれ腕を組み、面倒臭そうに話すリテュエイン。その態度に神父は怒りを覚えた。バンとテーブルを叩き「乱暴な! 無責任過ぎる!」と声を上げる。
「では子供らはどうなる! 貴様は子供らを放り出すつもりか!」
バンバンとテーブルを叩きながら怒鳴る神父。リテュエインはニッと笑った。ようやく話の核心部分に辿り着いたと、そういう笑みだ。
「あぁ神父、分かっている。俺だって鬼じゃねぇ、子供らは例外だ。何の罪も責任もないからな。助け舟は出すさ」
リテュエインの浮かべる笑みに、神父は何とも言えない不快感を感じた。口が悪く、品行方正とは言えない男。しかし腐っても街の統治官だ。口では何だかんだ言っていても、そして粗いながらも、仕事はしっかりとする。そういう奴だと認識している。が……
「……助け舟とは?」
拭い切れない不信感を抱えつつ、神父はリテュエインに問う。するとリテュエインは「受け入れ先を探したさ」と返答。神父の認識通り、どうやら仕事はしていた様だ。
「難儀したぜ? なんせこのジェフブロックにゃいくつも孤児院がある。子供の数も相当だ。コカ・ルーの他の街や、センドベル国内の孤児院……まぁ、どうにか大半は捩じ込める」
「大半?」
「そうだ、残念ながら一部あぶれちまう。孤児院はどこもパンパンだ。世知辛い世の中じゃねぇか、天涯孤独の子供の何と多い事かよ……」
そう話して両手を組むリテュエイン。そして形ばかりの祈りを捧げるとパッと両手を離す。
「で、ここの子供らもその一部って訳だ」
肩を竦めてさらりと話すリテュエイン。その顔、その軽さに神父は怒りをぶり返す。
「バカな! 受け入れ先がないと言うのか!? ここには四十から子供がいるんだぞ! 彼らにテントで生活しろと……!」
「吠えんなよ!」
捲し立てる神父を一喝するリテュエイン。「良いからまぁ聞け」と、神父を宥めて話を続ける。
「あぶれた子供らをどうするか、あれこれ思案したが……まぁ妙案なんてそうそう浮かぶもんじゃねぇ。さてどうしたもんかと思っていた所に、声を掛けて下さったのがこちらの御方だ」
リテュエインはスッと右手を横に向けた。その手に促される様に、神父の視線もすぅ……と動く。視線の先に座っているのは、リテュエインと共に訪れた女。
神父は女の顔を見た。女もまた、神父の顔を見ていた。二人の怒鳴り合いにも、テーブルを叩く音にも、動じるどころか眉一つ動かさなかった女。何者か。
「こちらはブロン・ダ・バセルのナイシスタ・イエーリー殿。喜べよ神父、お前の背負っている荷を請け負って下さる御方だ」
「ブロン……ダ…………?」
それは予想だにしない言葉だった。神父は大いに戸惑い、リテュエインを見て、そして再びナイシスタを見た。すると「初めまして、神父殿」と、ナイシスタは静かに口を開く。
「慎ましい、良い教会だねぇ……こんな場所でなら、きっと子供は真っ直ぐに育つ」
そう話してナイシスタは笑顔を見せた。美しく、そして歪んだ笑顔だ。
「ナイシスタ殿、次はあちらに」
先導する男が右手を向けた。少し先に見えるのはイムザン教の教会。その小さな前庭には、キャッキャとはしゃぎながら遊ぶ子供達の姿があった。教会が運営する孤児院。珍しくはない。
「教会……」
そう呟くナイシスタに、男は呆れる様に説明する。
「ここの神父は中々に厄介な奴でしてね。話し合いでまとまるかはまぁ……分かりません」
肩を竦める男。ナイシスタは「まぁ行ってみましょう、リテュエイン殿」と歩を進める。
◇◇◇
ジェフブロック。イオンザ王国の西、コカ・ルー領の西端にある小さな街。この街はイオンザにとって、常に頭の痛い問題の種であった。
西のセンドベル王国と国境を接するコカ・ルー領の、更にその西端の街ともなれば、本来ならば国防の要として機能する重要な防衛拠点であるはずだ。
勿論この街には防壁もあり、衛兵らも多数常駐している。見た目上、一応は国境の街としての体を成してはいるのだが、しかしそれは、本当に見た目だけの話だった。
人口は多いが活気があるとは言い難く、その住民の殆どが貧困層。行く当てのない者、難民、無頼の徒などがイオンザ中から、のみならずセンドベルからもやって来る。街はゴミに溢れ、犯罪に溢れ、薬が蔓延する危険地帯。
ジェフブロックはイオンザ王国最大のスラムだった。
街が丸ごとスラムと化しているこのジェフブロック。当然領主は対策を考え、過去に何度も改革の為に動いた。しかしそのどれもが失敗。もはや領主一人の力ではどうしようもなかった。
以降この街はイオンザの汚点であり恥部として、間違いなくそこに存在しているのにも関わらず、その存在を認識してはならないという、まるで幽霊の様な扱いを受けてきた。
触れてはならない街。ジェフブロック。
そしてこの街を治めるコカ・ルー領主、ワイナル・カウン辺境伯はとうとう禁断の決断をするに至り、統治官としてこの街に常駐するワイナルの長子リテュエインは、その準備に追われていた。
◇◇◇
「神父! いるか! おい神父!」
教会の中へ入るや、リテュエインは大声で怒鳴った。程なくして「何だ騒々しい」と、奥から神父が顔を出す。そしてリテュエインを見ると大きなため息を吐き「金ならないぞ。分かるだろ」と吐き捨てる。
「てめぇら貧乏人にそんなもんは期待はしちゃいねぇ」
リテュエインもまた神父にそう吐き捨てると、「良い話を持ってきた、聞きやがれ」と偉そうに踏ん反り返る。
「ドラ息子め。お前が偉いんじゃなく、お前の親父が偉いんだ」
神父は呆れながらそう話す。そしてリテュエインの背後に立つ数人の男女に鋭い視線を向ける。
「……奥に来い。礼拝堂で騒がれちゃ迷惑だ」
が、彼らの素性を確認するでもなく、神父は一人さっさと奥へ引っ込んだ。
「何が迷惑だ。誰もいやしねぇだろが」
リテュエインはそう愚痴ると右手を軽く前に出す。そして「では参りましょう」とナイシスタに呼び掛けた。ナイシスタは背後に立つナッカらに「あんたらはここで待ちな」と告げて奥へと進む。
◇◇◇
礼拝堂の奥、事務室へ通されたリテュエインとナイシスタ。リテュエインの話を聞くと、神父は「バカな!?」と声を上げて立ち上がった。
「ワイナルは正気か! そんなもん、上手く行くはずがない!」
「ワイナル様だ、クソ神父。良いか、親父殿は至って正気だ。ようやく決断なさった……遅かったくらいだ」
「上手く行く訳がなかろうが! すぐに軍が来て鎮圧され……!」
「何が鎮圧だ!!」
怒鳴ると同時にリテュエインはテーブルを叩いた。ビリビリとテーブルが震える。
「俺達が! カウン家がこの街の為にどれだけ手を尽くしてきたか! 治安が悪いと言われりゃ衛兵を増やし、食い物がないと言われりゃ配給を増やし、仕事がないと言われりゃ周辺に農地も用意した……だがどうだ!!」
再びドンと、リテュエインはテーブルを叩く。パキッと小さな音。天板の端のヒビが広がった。
「いくら衛兵を増やしてもクソ共が減る事はなく、配った配給はクソの元締が掻き集めて高値で売り捌き、作物を作れと渡したはずの農地じゃ葉っぱを作る始末……お陰で今やコカ・ルーは、誰もが眉をひそめる薬の一大供給元だ!」
北と南に二本の大きな川が流れるコカ・ルーは、農業に適した肥沃な土地であった。そんな土地であれば尚更、薬物の原料となる植物の育ちも良いだろう。
「俺達があれこれとやってる間、王家は一体何をした? 何もしちゃいねぇだろが!どんなに助力を求めようが、てめぇの庭に出来たクソ溜めだからてめぇで始末しろと、毎度有り難い説教食らってそれで終わりだ!」
イオンザ王家の言い分は尤もだ。各地の領主にその土地の支配権を渡している以上、その土地で起きた問題は基本的にそこを治める領主が請け負うべきなのだ。
だがこのジェフブロックに於いては、その理屈がそのまま当てはまるとは言い難い。
確かに一番最初の段階で、街のスラム化を止められなかった領主の責任はあるだろう。だがここまで事態が深刻化してしまっては、これはもはや一地方だけの問題ではない。国が関与して然るべき問題だ。
更に国境に近いという点も考慮すれば、国防という意味に於いても国が早急に手を入れなければならなかっただろう。
「もはや責任がどうとか、そんな段じゃねぇだろが! イオンザ中からクソが集まり、センドベルからもクソが集まり、良い具合に煮詰まったこのクソ溜めは、コカ・ルーだけじゃなくこの国の問題だ!」
溜まりに溜まった鬱憤。リテュエインは怒りに任せてその全てを吐き出した。ふぅふぅと肩で息をする彼を見て、神父は静かに両手を組み祈りを捧げる。「……信仰は否定しねぇさ」と、リテュエインは呟く様に言った。
「だがな神父。神イムザンは何もしちゃくれねぇぞ。この国と同様にな。だったらこっちから動くしかねぇ……仕える主は俺達が決めるんだよ」
「……戦になるぞ」
神父は祈りを捧げながら、視線だけをじろりとリテュエインに向ける。「望むところよ」とリテュエインは答えた。
領主、ワイナル・カウン辺境伯が下した決断。それはイオンザに見切りをつけ、センドベルの庇護下に入るというもの。つまりは、コカ・ルーのセンドベル編入だ。
この時点で、すでにセンドベルは国境付近に軍を駐留させていた。コカ・ルー領内の準備が整い次第、センドベル軍は国境を越え速やかにコカ・ルー全域に展開する。イオンザ国王ドゥバイルが差し向けるであろう国軍を迎え撃つ為だ。
ゆっくりと姿勢を戻す神父。「……で?」とリテュエインを見る。神父の顔を見たリテュエインは〝さすがに納得したか〟と思った。しかしすぐに〝ふん、当然だ〟と思い直す。
そもそも納得云々と思う事がおかしい。一介の神父がいくら反対した所で、領主の決定が覆る事などある訳がない。
「で、本題は何だ? そんな話をしに来た訳じゃないだろう。そもそも、俺にお伺いを立る意味がない」
「当たり前だ。お前に意見なんぞ求めちゃいない。良い話があると言っただろう、ここからが本題だ」
リテュエインはぐっと身を乗り出し「そうだな……」と、どこから話せば良いものかと思案する。そして口を開くと信じ難い言葉を吐き出した。
「まずは、この街を潰す」
少し間を置き、ようやく神父の口から「…………はぁ?」と疑問の声が漏れ出た。
「街を潰すってな……どういう意味だ?」
眉間にシワを寄せた神父を見て、そしてそのシワがあまりに深かったが為に、リテュエインは思わず「ハッ!」と声を上げて笑った。神父のそれは、リテュエインの思った通りの反応だった。
「意味も何も、言葉の通りだ」
リテュエインは薄っすらと笑いながら、怪訝な表情の神父に説明する。
「この街の建物を片っ端から取り壊し、更地にした後一から新たな街を作る」
「バカな……」
そう呟くや、神父は絶句した。街を潰し新たな街を作る? 一体何を言っている? 理解が及ばなかった。そんな馬鹿げた話、聞いた事もない。
「そんな事……そんな事出来る訳がない!」
怒鳴る神父とは対象的に、リテュエインは相変わらず緩い笑みを浮かべている。
「出来るんだ、やるんだよ。ソルーブ陛下ははっきりと、そう明言された」
ワイナルからの密書に、センドベル国王ソルーブ三世は殊の外喜んだ。
コカ・ルーを治める辺境伯の苦悩は間者から伝え聞いている。その窮状を鑑みるに、これが謀りの類いではないという事は明白。
ならば真心を示してやれば良い。
辺境伯の抱える問題を解決してやるのだ。そうすれば、充分に収穫の見込める土地が楽に手に入る。北方に位置する国にとって、農地はこの上なく重要だ。街の再生と防衛に掛かるであろう金も、まぁいずれは回収出来る。
「ジェフブロックを解体し、新たな街を作る。まともな街だ。クソ共はいらねぇ」
まだ何も始まってはいない。しかしリテュエインは満足気な表情を見せた。この巨大なスラムが美しい街へと生まれ変わる。リテュエインはそんな素晴らしい未来に浸っていた。
対して神父は呆然としていた。あまりに大きな、そして突拍子もないこんな話を聞けば、誰しもそんな反応になるだろう。「途方もない話だ」と、リテュエインの話は続く。
「どれだけの時と金が掛かるのか……だがこれは、センドベルがこのコカ・ルーにそれだけの価値があると、そう判断した証拠だ」
突き放し放ったらかしのイオンザと、金と手間を掛けると約束したセンドベル。どちらを選ぶのか。至極簡単な選択だ。
「……クソ共はいらないってのには賛成だ。だが他の住人はどうなる? 街を潰して建て直しの間……保障は?」
神父の疑問は当然だろう。悪人ばかりの街ではあるが、善良な者もいる。だがリテュエインは顔をしかめると「知った事か!」と吐き捨てた。
「どいつがクソでどいつがクソじゃないか、一人一人調べろってのか? そんなもんやってられる訳がねぇ。全員立ち退きだ、街に残りてぇんだったらその辺にテントでも張っとけ」
椅子の背にもたれ腕を組み、面倒臭そうに話すリテュエイン。その態度に神父は怒りを覚えた。バンとテーブルを叩き「乱暴な! 無責任過ぎる!」と声を上げる。
「では子供らはどうなる! 貴様は子供らを放り出すつもりか!」
バンバンとテーブルを叩きながら怒鳴る神父。リテュエインはニッと笑った。ようやく話の核心部分に辿り着いたと、そういう笑みだ。
「あぁ神父、分かっている。俺だって鬼じゃねぇ、子供らは例外だ。何の罪も責任もないからな。助け舟は出すさ」
リテュエインの浮かべる笑みに、神父は何とも言えない不快感を感じた。口が悪く、品行方正とは言えない男。しかし腐っても街の統治官だ。口では何だかんだ言っていても、そして粗いながらも、仕事はしっかりとする。そういう奴だと認識している。が……
「……助け舟とは?」
拭い切れない不信感を抱えつつ、神父はリテュエインに問う。するとリテュエインは「受け入れ先を探したさ」と返答。神父の認識通り、どうやら仕事はしていた様だ。
「難儀したぜ? なんせこのジェフブロックにゃいくつも孤児院がある。子供の数も相当だ。コカ・ルーの他の街や、センドベル国内の孤児院……まぁ、どうにか大半は捩じ込める」
「大半?」
「そうだ、残念ながら一部あぶれちまう。孤児院はどこもパンパンだ。世知辛い世の中じゃねぇか、天涯孤独の子供の何と多い事かよ……」
そう話して両手を組むリテュエイン。そして形ばかりの祈りを捧げるとパッと両手を離す。
「で、ここの子供らもその一部って訳だ」
肩を竦めてさらりと話すリテュエイン。その顔、その軽さに神父は怒りをぶり返す。
「バカな! 受け入れ先がないと言うのか!? ここには四十から子供がいるんだぞ! 彼らにテントで生活しろと……!」
「吠えんなよ!」
捲し立てる神父を一喝するリテュエイン。「良いからまぁ聞け」と、神父を宥めて話を続ける。
「あぶれた子供らをどうするか、あれこれ思案したが……まぁ妙案なんてそうそう浮かぶもんじゃねぇ。さてどうしたもんかと思っていた所に、声を掛けて下さったのがこちらの御方だ」
リテュエインはスッと右手を横に向けた。その手に促される様に、神父の視線もすぅ……と動く。視線の先に座っているのは、リテュエインと共に訪れた女。
神父は女の顔を見た。女もまた、神父の顔を見ていた。二人の怒鳴り合いにも、テーブルを叩く音にも、動じるどころか眉一つ動かさなかった女。何者か。
「こちらはブロン・ダ・バセルのナイシスタ・イエーリー殿。喜べよ神父、お前の背負っている荷を請け負って下さる御方だ」
「ブロン……ダ…………?」
それは予想だにしない言葉だった。神父は大いに戸惑い、リテュエインを見て、そして再びナイシスタを見た。すると「初めまして、神父殿」と、ナイシスタは静かに口を開く。
「慎ましい、良い教会だねぇ……こんな場所でなら、きっと子供は真っ直ぐに育つ」
そう話してナイシスタは笑顔を見せた。美しく、そして歪んだ笑顔だ。
0
お気に入りに追加
38
あなたにおすすめの小説
無能スキルと言われ追放されたが実は防御無視の最強スキルだった
さくらはい
ファンタジー
主人公の不動颯太は勇者としてクラスメイト達と共に異世界に召喚された。だが、【アスポート】という使えないスキルを獲得してしまったばかりに、一人だけ城を追放されてしまった。この【アスポート】は対象物を1mだけ瞬間移動させるという単純な効果を持つが、実はどんな物質でも一撃で破壊できる攻撃特化超火力スキルだったのだ――
【不定期更新】
1話あたり2000~3000文字くらいで短めです。
性的な表現はありませんが、ややグロテスクな表現や過激な思想が含まれます。
良ければ感想ください。誤字脱字誤用報告も歓迎です。
異世界転移しましたが、面倒事に巻き込まれそうな予感しかしないので早めに逃げ出す事にします。
sou
ファンタジー
蕪木高等学校3年1組の生徒40名は突如眩い光に包まれた。
目が覚めた彼らは異世界転移し見知らぬ国、リスランダ王国へと転移していたのだ。
「勇者たちよ…この国を救ってくれ…えっ!一人いなくなった?どこに?」
これは、面倒事を予感した主人公がいち早く逃げ出し、平穏な暮らしを目指す物語。
なろう、カクヨムにも同作を投稿しています。
クラス転移から逃げ出したイジメられっ子、女神に頼まれ渋々異世界転移するが職業[逃亡者]が無能だと処刑される
こたろう文庫
ファンタジー
日頃からいじめにあっていた影宮 灰人は授業中に突如現れた転移陣によってクラスごと転移されそうになるが、咄嗟の機転により転移を一人だけ回避することに成功する。しかし女神の説得?により結局異世界転移するが、転移先の国王から職業[逃亡者]が無能という理由にて処刑されることになる
初執筆作品になりますので日本語などおかしい部分があるかと思いますが、温かい目で読んで頂き、少しでも面白いと思って頂ければ幸いです。
なろう・カクヨム・アルファポリスにて公開しています
こちらの作品も宜しければお願いします
[イラついた俺は強奪スキルで神からスキルを奪うことにしました。神の力で学園最強に・・・]
勇者召喚に巻き込まれ、異世界転移・貰えたスキルも鑑定だけ・・・・だけど、何かあるはず!
よっしぃ
ファンタジー
9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です!
僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。
つねやま じゅんぺいと読む。
何処にでもいる普通のサラリーマン。
仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・
突然気分が悪くなり、倒れそうになる。
周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。
何が起こったか分からないまま、気を失う。
気が付けば電車ではなく、どこかの建物。
周りにも人が倒れている。
僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。
気が付けば誰かがしゃべってる。
どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。
そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。
想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。
どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。
一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・
ですが、ここで問題が。
スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・
より良いスキルは早い者勝ち。
我も我もと群がる人々。
そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。
僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。
気が付けば2人だけになっていて・・・・
スキルも2つしか残っていない。
一つは鑑定。
もう一つは家事全般。
両方とも微妙だ・・・・
彼女の名は才村 友郁
さいむら ゆか。 23歳。
今年社会人になりたて。
取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。
日本帝国陸海軍 混成異世界根拠地隊
北鴨梨
ファンタジー
太平洋戦争も終盤に近付いた1944(昭和19)年末、日本海軍が特攻作戦のため終結させた南方の小規模な空母機動部隊、北方の輸送兼対潜掃討部隊、小笠原増援輸送部隊が突如として消失し、異世界へ転移した。米軍相手には苦戦続きの彼らが、航空戦力と火力、機動力を生かして他を圧倒し、図らずも異世界最強の軍隊となってしまい、その情勢に大きく関わって引っ掻き回すことになる。
集団転移した商社マン ネットスキルでスローライフしたいです!
七転び早起き
ファンタジー
「望む3つのスキルを付与してあげる」
その天使の言葉は善意からなのか?
異世界に転移する人達は何を選び、何を求めるのか?
そして主人公が○○○が欲しくて望んだスキルの1つがネットスキル。
ただし、その扱いが難しいものだった。
転移者の仲間達、そして新たに出会った仲間達と異世界を駆け巡る物語です。
基本は面白くですが、シリアスも顔を覗かせます。猫ミミ、孤児院、幼女など定番物が登場します。
○○○「これは私とのラブストーリーなの!」
主人公「いや、それは違うな」
クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~
いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。
他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。
「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。
しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。
1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化!
自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働!
「転移者が世界を良くする?」
「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」
追放された少年の第2の人生が、始まる――!
※本作品は他サイト様でも掲載中です。
見よう見まねで生産チート
立風人(りふと)
ファンタジー
(※サムネの武器が登場します)
ある日、死神のミスにより死んでしまった青年。
神からのお詫びと救済を兼ねて剣と魔法の世界へ行けることに。
もの作りが好きな彼は生産チートをもらい異世界へ
楽しくも忙しく過ごす冒険者 兼 職人 兼 〇〇な主人公とその愉快な仲間たちのお話。
※基本的に主人公視点で進んでいきます。
※趣味作品ですので不定期投稿となります。
コメント、評価、誤字報告の方をよろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる