流浪の魔導師

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4章 ドワーフの兵器編 第2部 刺客乱舞

268. 持ち上げようとする男

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(これはひどい……)

 若い男は背中にひどい火傷を負っていた。聞けばオークの放った魔法に巻き込まれたそうだ。ヤリスはうつ伏せに地面に寝ている男を治癒魔法で治療する。本当に酷い火傷だ。だが幸いな事にこの程度ならば自分の腕でも何とかなる。

 南東方向へ大きく弧を描く西大通り。ちょうどそのカーブの真ん中辺りには衛兵達が守る拠点が築かれていた。拠点と言えば何だか聞こえが良いが、しかしそんな大層なものではない。行き場をなくした避難民が二人三人とうずくまり、その内に怪我人もそこで足を止め、それを見た衛兵達が彼らを守る為に集まり、衛兵達の姿を見て更に人や怪我人が集まった、といった成り行きの末に出来た至極しごく簡易的なものだ。
 しかしいくら簡易的なものとは言え街中まちじゅうが戦場と化しているこの状況下で、わずかでも身体と気を休める事が出来るこの様な場所は貴重であると言えるだろう。そしてこの拠点を維持出来ているのはひとえに西地区を担当する衛兵隊が優秀であるからに他ならない。
 細い通りが網目の様に走る西地区には工房の他に小さな飲み屋が多く店を構えている。それらの飲み屋は仕事終わりの職人達を狙ったものであり、日が傾き職人街から金鎚を叩く音が聞こえなくなる頃には、今度は飲み屋街が賑やかな喧騒けんそうに包まれる、というのがこの西地区の日常だ。
 酒好きが多いドワーフの、その中でも気性の荒い職人達がつどい酒を飲む。揉め事や小競り合いなどは起きて当然で、それらが喧嘩に発展するなど毎夜の事だ。そんな彼ら酔っ払った荒くれドワーフ達をじ伏せる役目は、彼ら以上に屈強な者でなければ務まらないだろう。
 更に西地区は街のその構造上、国にとって望ましくない連中が潜伏するのにちょうど良い。捕まったら裁判を待たずに即処刑となる様な、そんな凶悪犯罪者が路地の奥に潜んでいるかも知れない。その様な危険な存在に遅れを取らない為には相応の力を持った者達が必要だ。

 以上の理由から西地区に配属される衛兵は、第三大隊の中でも特に出来る・・・者達が選抜されている。だが大隊選りすぐりの彼らをしても、オークは手に余る存在だった。

「退避!! 退避しろ!!」

 衛兵の声が響き渡る。パッと顔を上げるとヤリスは辺りを見回した。すぐ隣で治療の番を待っている足を怪我した老人が、ヤリスの背後を見ながら「あ……ああ……」と呆然とした顔で声を漏らしている。瞬間振り返るヤリスの目に飛び込んで来たのは、大鎚ハンマーを振り上げながら地面を蹴りこちらに向けて宙を飛ぶオークの姿だった。衛兵隊が抜かれたのだ。

(な……!?)

 それはさながら投石器から放たれた大岩の様だった。ヤリスは咄嗟とっさに腰の剣に手を掛ける。が、しかしどうする? よしんば上手くオークを仕留められたとしてもあの勢いまでは殺せない。いくら剣を打ち付けた所で大岩が粉々に砕ける事はないだろう。

(クッ……)

 避けるか? そうだ、避けなければ。では……怪我人を見捨てて…………?

「……クソッ!!」

 思わず怒鳴った。一人だけで逃げるなどあり得ない。オークが大鎚ハンマーを振り下ろす瞬間その腕を斬り落とすか、あるいはこちらも地面を蹴り喉元辺りを貫いてやろうか。いずれにしても玉砕、彼らと共に圧し潰されてしまうのだが。覚悟を決めたヤリスは剣を抜きながら立ち上がろうとする。と、


「ぬぅんっ!!!!」


 掛け声と共に何か大きなものが横から飛んで来て着地寸前のオークと激突、オークは大鎚を落としながら建物の壁に弾き飛ばされた。一体何が起きたのか、ヤリスは目を疑った。横から飛んで来たのはオークに劣らぬ程の大きな男。いや、そんなはずはない。あのオークくらい大きな人間などさすがにいるはずがない。ともかく、オークと見紛みまごうばかりの大きな男が体当りしてオークを弾き飛ばしたのだ。
 呆然とするヤリスを余所よそに男は壁に飛ばされたオークの背後へ回ると、両腕を精一杯に伸ばしオークの腰辺りをガチッと掴む。そして身を沈めると「むん……!!」と声を上げながら何やら力を込め始めた。

(いや……そんな……)

 ヤリスは言葉を失う。男はどうやらオークを持ち上げ放り投げようとしている様だ。さすがにそれは無理だ。そう思うヤリスは次の瞬間驚愕きょうがくした。

 ふわ……

 何とオークの足が地面から浮いたのだ。「馬鹿な!?」と思わずヤリスは声を上げる。しかし確かに、オークは男に持ち上げられている。このまま後ろに放り投げてしまうのか。只々驚くヤリスだったが……

 ストン

 男はオークを地面へ下ろし「むぅ……無理か」と呟いた。「それはそうだろう!!」とヤリスは再び声を上げる。グゥゥとうなったオークは後ろを振り返り男を見た。オークの膂力りょりょくは凄まじい。得物などなくとも殴り付けるだけでそれは充分凶器だ。「これを……!」とヤリスは自身の剣を男へ差し出そうとする。男は何も持っていないのだ。しかし男はそんなヤリスには目もくれず、「ふん!」と掛け声を上げながら踏み込むのと同時に右腕を大きく振り上げた。

 ガツッ!

 大きく上へ伸ばしながら振り抜いた男の右拳はオークの顔面を捉えた。たたら・・・を踏みながら後ろへよろけるオーク。しかし男は手を緩めない。

「ふん! ふん! ふん!」

 ガツッ、ガツッと男は何度もオークの顔面を殴る。そのたびに雨垂れと共に血が飛び散り、それをヤリスはただ呆然と眺めていた。あの巨体を弾き飛ばすなど……あの巨体の顔に拳が届くなど……何よりも、素手でオークとやり合うなどと……信じられない光景だが信じるより他ない。顔面をぐちゃぐちゃに潰されたオークはその場に崩れ落ちた。信じるしかないだろう、目の前のこれは現実だと。

「ふぅぅぅ……」

 男は大きく息を吐くと自身の拳を見ながら「硬い……」と呟き、そしておもむろにヤリスを見た。

「大事ないか?」

 男にそう問い掛けられたヤリスは、そこでようやくハッと我に返った。

「あ……はい、こちらは……」

 こちらは無事だと言い掛けたヤリスだったが、「いや! 貴殿こそ!」とすぐに男の身を案じた。男の拳は血塗れだった。素手でオークを何度も殴ったのだ、それはまさに岩を殴ったのと同じ事ではないか。拳が潰れてしまっていてもおかしくはない。しかし男は拳を開いたり握ったりしながら「大事ない」と答えた。どうやら拳の血はオークのものの様だ。

「そう……ですか…………あ!」

 あまりに衝撃的な出来事にすっかり忘れていたが、ヤリスは怪我人の治療が途中である事を思い出し、背中に火傷を負った若い男の治療を再開する。その様子を見た男は「手伝おう」と言って、ヤリスの隣であんぐりと口を開けている老人の足を治療し始めた。

(この男……治癒魔法まで……)

 火傷の治療をしながらも、ヤリスの視線は男の魔法に奪われていた。瓦礫がれきか何かが当たったのか、老人の左足はふくらはぎがザックリと裂けていたのだが、男は実に手早く丁寧に老人の裂傷を治して見せた。頑丈なだけではなく、治癒魔法の使い手としても優秀だ。

(これは……法衣だよな……)

 次にヤリスは男の服装に目がいった。この辺では見かけない濃紺の法衣。少なくともイムザン教の神官や関係者ではなさそうだ。と、ヤリスは男の視線が自身の手元に向いているのに気が付いた。まだか? とでも言いたげなその目に、ヤリスは慌てて「こちらももう終わります!」と答えた。


 ▽▽▽


 その後数人の怪我の治療を行った二人。作業はあっという間に終わった。男は辺りを見回し「ここは移動した方が良い。いつまでもたん」と言う。「同感です」とヤリスも同意した。

「本当にありがとうございます、貴殿のお陰で我らは救われた。貴殿は……」

「デンバだ。イゼロンから来た」

「イゼロン? 霊峰れいほうイゼロン山ですか。ではエリテマ真教の……」

「修道士だ」

「道理で……」

 ヤリスは得心とくしんした。聞いた事があったのだ。霊峰れいほうイゼロンに総本山を構えるエリテマ真教。イゼロンに住まうしんエリテマの使徒たる修道士達は、皆一流の治癒師であるのと同時に優秀な戦士であるという。

「デンバ殿、私はヤリスと申します。不躾ぶしつけながら……是非ぜひ貴殿にお力添え頂きたく……!」

「力添え?」

「はい。まずは避難民達を出来る限り安全な場所へ……宮殿が開放されているそうですのでそこへ……そして出来れば、私がお仕えしている御方達にもお力をお貸し頂けないでしょうか」

「むぅ……」

 デンバは腕を組み考える。早くイオンザへ向かいたい所だが、しかしこの混乱を放置して行くのもはばかられる。人々が困っているのなら手を貸すべきだ。

「分かった、手を貸そう」

「ありがとうございますデンバ殿! イムザン神のご加護に……いえ、エリテマ神のご加護にも感謝を……」

 両手を組み額に当てるヤリス。デンバは軽く目を閉じ両の手のひらを腰辺りで上に向ける。エリテマ真教の祈りのポーズだ。

「では行きましょう。衛兵達にも伝えねば……」

 二人が行動を開始した頃先程ヤリスに救われた衛兵ドーギンは、ここより少し先で見慣れぬ兵装の者達と遭遇していた。
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