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4章 ドワーフの兵器編 第1部 欺瞞の魔女
223. 斯くして魔女は邪悪に笑う 8
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「な……!? 城の地下からですか!?」
ミーンは脱獄した。マベットのその言葉に驚きイベールは思わず聞き返した。レクリア城地下にある留置場は王都内に三つある留置場の中でも取り分け重大な犯罪を犯した者が入れられる。城の地下という立地、そして収容される者の性質上当然その警備は厳重だ。にも拘らずそこからの逃亡を許すなど、国にとってはとんでもない失態である。
「そうだ……城の地下からだ……」
チラリとイベールを見て静かにそう返答するマベット。そんな王の様子を見たイベールは途端に緊張に包まれゴクリと唾を飲んだ。その目から、その口調から、否が応でも伝わってくる。王の怒りの感情が更に強さを増したのだ。イベールは崇めるべく自国の王がこれ程の激しい怒りを露にしたのを初めて目の当たりにした。そして自身の体温がどんどん低下してゆき、まるで身も心もカチコチに凍り付いてしまうかの様な感覚に襲われ身動きが取れなくなった。
(でもこれは……却って助かったかも……)
マベットの激しい怒りに当てられ、萎縮し窮屈で不快な思いを感じたはずのイベール。しかしこの時彼は動けなくて良かった、好都合だなどと考えていた。何故ならば、少しでも動こうものならパンパンに膨れ上がった王の激しい怒りに触れてしまい、暴発でもするかの如くその怒りを破裂させてしまうのではないかと、そんな恐ろしい想像が頭を過ったからだった。ならば動けなくて結構、むしろ都合が良いと言うものだ。
(俺は氷……俺は石……俺は置物……)
そんな言葉を頭の中で繰り返しながら、イベールはこのまま微動だにせず王の怒りが収まるのを待とうと決意した。
「今からする話は、当時地下留置場の宿直勤務中だった衛兵からの証言だ。その日の深夜――」
マベットの怒りはイベールのみならずその場にいる者全員が感じていた。重苦しい空気の中マベットはミーンが留置場を脱した夜の話を始めた。
□□□
「いやぁ、いらっしゃいましたね、局長」
「……何ですか貴方、こんな所にまで顔を出すとは……ここがどこか分かっているんですか?」
「もちろん承知しておりますとも。ここは城、天下のレクリア城地下留置場でございます」
「……理解しているのなら結構。で、一体何の用ですかねぇ?」
「何の用とは寂しい事を仰る。もちろん局長、貴方様をお迎えに上がった次第でございます。こんな鉄の檻に閉じ込められてまぁ……何とお痛わしい」
「貴方とはそれ程親しい間柄ではなかったと思いますがねぇ。仕事上の付き合いしかなかった貴方が私を迎えにとは……誰に頼まれたんです?」
「またまた寂しい事を仰る。確かに局長とは仕事でしかお会いしておりませんでしたが……ま、良いでしょう。さて、誰かに頼まれたのかと問われるのであれば、私はこうお答えします。いいえ、誰にも。強いて申し上げるとするのならば……そうですね、職責に突き動かされて……とでも言いましょうか」
「貴方商人ですよねぇ、商人の職責って何ですか?」
「もちろん、必要な物を必要な人にお届けする事です。で、それにより生まれる幾ばくかの利益を頂戴すると……つまりここへは仕入れに伺った次第でございます」
「仕入れとは………………あぁ、なるほど。商品は私という事ですか」
「ご名答にございます。さすがは局長、冴えていらっしゃる」
「お世辞なんていりませんねぇ、何の足しにもなりません。で、貴方に仕入れられた私は一体どこに売り飛ばされるんです?」
「そんな身も蓋もない言い方をなさらないで下さい、悲しいじゃあありませんか。ま、売るのには違いないのですが」
「どこにと、聞いているんですがねぇ?」
「はい、遠く遠く、西の国。三ヶ月程は掛かりますかね、長旅になりますよ?」
「ふむ……沈んだ大地のどこか……という所ですかねぇ。そこへ行って私に何をしろと?」
「研究にございます。局長の興味の赴くまま、存分にあらゆる研究に没頭して頂きたい。もちろんタブーなんてありませんよ。どんなに人道にもとる極悪非道な実験でも、その成果如何ではきっと諸手を挙げて喜んでもらえるでしょう。そこは貴方様にとって、そんな夢の様な場所でございます」
「何か……いまいち信用出来ませんねぇ」
「何と酷い事を仰る……私が今まで局長に嘘を吐いた事がございましたか? まぁ多少誇大な表現になる事はあったなと、そう思う自覚こそありますが……しかしながら少なくとも彼の国では、間違っても貴方様をこんな風に鉄の檻に閉じ込めるなんて事はしないでしょう。結果さえ出せば、ですがね。にしても局長、何でこんな事になったのですか? いやまぁ、事情は把握しておりますが……何と言うか、慎重な局長らしくないなぁと、そう思ったものでして」
「……相変わらず嫌な人ですねぇ、貴方。こちらの痛い所に遠慮なく手を突っ込む……まぁあれですねぇ、一言で言えば焦ったのですよ。あの素晴らしい薬の効果を早く世に知らしめたいと、そう思い焦ってしまったのです。堪え性がないのは私の悪い所ですねぇ。結果少々強引な手段を用いて、こんな所に閉じ込められているという訳です」
「なるほどなるほど……いやはや、理由を知れてスッキリしました。天才ミーン様も人の子なんだと、そういう事でしたか」
「……嫌な言い方をしますねぇ。でもまぁ、貴方には感謝していますよ。貴方があれを調達してくれたお陰でレゾナブルが生まれた訳ですから」
「これはこれは、ありがとうございます。私の仕事がお役に立ったのならば何よりでございます。ですが私はあくまで商品を販売したのみ。あれの可能性に気付き見事素晴らしい薬に仕上げたのは偏に局長の……」
「あの、そろそろここから出してもらえませんかねぇ。いい加減檻の中はうんざりです。悠長に話し込んでいる場合でもなし……どの道私に選択肢はありません、甘んじて商品としての立場を受け入れましょう。それにこのままここにいたら拷問にでも掛けられてしまいます。そんな事になったら貴方、一発で口を割る自信がありますよ? 貴方の事も躊躇なく話してしまうでしょうねぇ」
「おっとそれは大変。それでは局長、自由な世界へどうぞ」
「ふぅ、やれやれ……ようやく解放ですねぇ。あぁそうそう、ついで商品をもう一つ仕入れてみませんか? 三班の責任者で……」
「はい。ジタイン主任ですね。すでにお助けしております」
「すでに?」
「はい。あの方は優秀だと伺っておりました。そして局長を尊敬し心酔なさっておいでの様でしたので、一緒にどうかとお誘いした所二つ返事でご了承頂けました。すでに私の手の者がお助けし外で局長をお待ちになっておいでです」
「そうですか、ならば結構。私より先に、という所が少し引っ掛かりますが……」
「まぁまぁ、細かい所は良いではありませんか。では参りましょう、衛兵達が目を覚まさないとも限りませんので」
「目を? これ、死んでるんじゃないんですか?」
「そんな訳ないじゃないですか、私は商人ですよ? 殺しはしない、これは商人としての私の矜持の一つです。殺して物品を奪うなんて強盗のする事ですよ」
「深夜に城に忍び込んで盗みを働くのは違うとでも? しかし眠らせるというのは些かぬるいと思いますがねぇ。目を覚まして反撃でもされたらどうするんです?」
「彼らは寝ている訳でもありませんよ。意識はあります、私達の会話も聞こえているはずです。少々面白い薬を入手致しましてね、これなんですが……揮発性の高い液体でして、これを嗅ぐと途端に全身の力が抜け身動き出来なくなります。手足は動かず瞼も開かず、でも意識ははっきりしていて耳も聞こえる……これは怖いですよ、自分の身体はどうなってしまったのか、なんて……フフフ……」
「……笑い事ではありませんよ、そういう事は先に言っておいて欲しいですねぇ。余計な事までペラペラと話す所でしたよ。しかし……面白い薬ですねぇ、それ」
「おや局長、興味がおありでしたらご用立て致しましょうか?」
「それは有難い。しかし私は今無一文です、出世払いで良いですか?」
「宜しゅうございます、商談成立という事で……ではそろそろ参りましょう」
「あぁ、ちょっと待って下さい。衛兵君、聞こえてますか? 陛下への伝言をお願いしたい。良いですか? え~、陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう存じます。さて、私はこの度国を離れる事と相成りました。それが一体どの様な事態を引き起こすのか、聡明な陛下であられますれば当然の事、充分ご理解頂けるものと存じます。そうですねぇ、恐らく五年十年の間に特に軍事面に於いて、この国は他国に追い抜かされますでしょう。世話になった国が他国の食い物にされるのは見るに忍びない……ですのでどうか、存分に抗い下さいませ。あぁそれと殿下。貴方とのお喋り、楽しかったですよ……ま、そんな所ですかねぇ。衛兵君、任せましたよ? 確かに伝えて下さいねぇ。お待たせしました、では行きましょうか」
□□□
「衛兵達は皆薬を嗅がされ身動きを封じられた。意識はあるが身体は動かないという状況で二人の会話のみ聞こえていた。故にその商人というのが何者なのか、どんな風貌をしているのかなどの視覚情報は得られていない。異変に気付いたのは翌朝、交代の兵が現場を訪れ発覚した。当然その頃にはミーンもジタインもいなかった……」
「協力者がいたのか……」
ポツリと呟くジェスタに対し「そうだ」と答えるマベット。そして怒りに歪んだ顔を更にしかめて「ふざけた話だ。取り調べをお喋りなどと……!」と吐き捨てた。
「ふざけたついでに言うとだな、会計部から開発局絡みの取引伝票を全て押収し精査したのだ。話の内容からすると、ミーンはどうやらその商人から薬の材料を調達していたと推測出来る。よもや全て奴が自費で購入していた訳ではあるまい。その商人というのが何者なのか、ヒントくらいは見つかるかも知れんと思ってな。そうした所、雑費名目の不審な取引伝票が何枚も見つかった。取引先は全て同じ、宛名は……」
マベットは一呼吸置くとギリッと奥歯を噛む。
「宛名はダグベ商会、レクリア城支部……!」
(うぉ……)
俺は心の中で唸ってしまった。そしてマベットの過剰とも思える怒りっぷりに納得した。それだけコケにされたら、そりゃあ怒るわなぁ……と。
「それはさすがに……」と呟いたジェスタ。しかしその先の言葉は出てこなかった。何と声を掛けたら良いか分からなかったのだろう。気持ちは分かる。
「ダグベ商会などと……馬鹿にするにしても程があるというものだ! 何だレクリア城支部とは!」
声を荒らげるマベット。対照的にジェスタは静かに、冷静に問い掛ける。
「つまり、ミーンはその伝票を切って材料費を回収していたのではないかと?」
それは敢えてそうしたのだ。マベットの怒気を少しでも収めようと、ジェスタは敢えて落ち着いた様子を見せながら聞いたのだ。しかしマベットはソファーの肘掛けをガンと叩いて「そうに違いない!」と怒鳴った。
「私はすぐに会計部と監査部の責任者を呼んで事情を聞いた。逆らえなかったと、二人ともそう申しておったわ。ミーンは会計部と監査部の責任者を抱き込んでおったのだ。故にそのふざけた取引が表に出る事がなかった! 奴の影響力の大きさに気付けなかった我らの落ち度ではあるが……にしても馬鹿にし過ぎだ!」
コンコン、コンコンとソファーの肘掛けを拳で叩きながら、マベットは捲し立てる様にそう話すと下を向いてふぅぅ……と深く息を吐く。そして前を向いたその顔は幾分表情が和らいでいる様に思えた。怒りを吐き出し少し落ち着いたのだろう。ほんの少しだけ……
「あの、ゴート将軍の方は……どうだったんですか?」
俺はデルカルに尋ねた。マベットが冷静さを取り戻すにはもう少し掛かりそうだったからだ。デルカルは「目ぼしいものは何も……」と答えたが「ただ、一つだけ……」と言葉を続けた。
「将軍の机の中からとあるメモが見つかった。その紙には副作用の症状を発症した特務隊の隊員の名と、その症状の内容や起きてしまった事件の詳細などが記されていた。私はそれを将軍が罪の意識故に記したものだと、そう受け取った。どうでも良いと思っていたらそんなものは残さないだろう。軽口を叩く皮肉屋ではあったが、ゴート将軍という人は本来自分の身を削ってでも国の為に尽くしたいと、そう考える実直な人だ。きっと後悔していたのだろう、自身の愚かな決断を……」
「ゴート周辺からは何も見つからなかったのでな……」
デルカルが話し終わるとマベットは再び口を開いた。その顔は怒りに満ち満ちていた先程の表情とは打って変わって穏やかなものになっていた。
「我らに残されたのは完成品と思われるレゾナブル百本のみとなった。これを解析しこの薬の秘密を解き明かさなければならん。私はすぐに研究員達にその旨の指示を出した。と同時に、実験の為に王都を離れていたベニバスら開発局第二班を呼び寄せたのだ」
ミーンは脱獄した。マベットのその言葉に驚きイベールは思わず聞き返した。レクリア城地下にある留置場は王都内に三つある留置場の中でも取り分け重大な犯罪を犯した者が入れられる。城の地下という立地、そして収容される者の性質上当然その警備は厳重だ。にも拘らずそこからの逃亡を許すなど、国にとってはとんでもない失態である。
「そうだ……城の地下からだ……」
チラリとイベールを見て静かにそう返答するマベット。そんな王の様子を見たイベールは途端に緊張に包まれゴクリと唾を飲んだ。その目から、その口調から、否が応でも伝わってくる。王の怒りの感情が更に強さを増したのだ。イベールは崇めるべく自国の王がこれ程の激しい怒りを露にしたのを初めて目の当たりにした。そして自身の体温がどんどん低下してゆき、まるで身も心もカチコチに凍り付いてしまうかの様な感覚に襲われ身動きが取れなくなった。
(でもこれは……却って助かったかも……)
マベットの激しい怒りに当てられ、萎縮し窮屈で不快な思いを感じたはずのイベール。しかしこの時彼は動けなくて良かった、好都合だなどと考えていた。何故ならば、少しでも動こうものならパンパンに膨れ上がった王の激しい怒りに触れてしまい、暴発でもするかの如くその怒りを破裂させてしまうのではないかと、そんな恐ろしい想像が頭を過ったからだった。ならば動けなくて結構、むしろ都合が良いと言うものだ。
(俺は氷……俺は石……俺は置物……)
そんな言葉を頭の中で繰り返しながら、イベールはこのまま微動だにせず王の怒りが収まるのを待とうと決意した。
「今からする話は、当時地下留置場の宿直勤務中だった衛兵からの証言だ。その日の深夜――」
マベットの怒りはイベールのみならずその場にいる者全員が感じていた。重苦しい空気の中マベットはミーンが留置場を脱した夜の話を始めた。
□□□
「いやぁ、いらっしゃいましたね、局長」
「……何ですか貴方、こんな所にまで顔を出すとは……ここがどこか分かっているんですか?」
「もちろん承知しておりますとも。ここは城、天下のレクリア城地下留置場でございます」
「……理解しているのなら結構。で、一体何の用ですかねぇ?」
「何の用とは寂しい事を仰る。もちろん局長、貴方様をお迎えに上がった次第でございます。こんな鉄の檻に閉じ込められてまぁ……何とお痛わしい」
「貴方とはそれ程親しい間柄ではなかったと思いますがねぇ。仕事上の付き合いしかなかった貴方が私を迎えにとは……誰に頼まれたんです?」
「またまた寂しい事を仰る。確かに局長とは仕事でしかお会いしておりませんでしたが……ま、良いでしょう。さて、誰かに頼まれたのかと問われるのであれば、私はこうお答えします。いいえ、誰にも。強いて申し上げるとするのならば……そうですね、職責に突き動かされて……とでも言いましょうか」
「貴方商人ですよねぇ、商人の職責って何ですか?」
「もちろん、必要な物を必要な人にお届けする事です。で、それにより生まれる幾ばくかの利益を頂戴すると……つまりここへは仕入れに伺った次第でございます」
「仕入れとは………………あぁ、なるほど。商品は私という事ですか」
「ご名答にございます。さすがは局長、冴えていらっしゃる」
「お世辞なんていりませんねぇ、何の足しにもなりません。で、貴方に仕入れられた私は一体どこに売り飛ばされるんです?」
「そんな身も蓋もない言い方をなさらないで下さい、悲しいじゃあありませんか。ま、売るのには違いないのですが」
「どこにと、聞いているんですがねぇ?」
「はい、遠く遠く、西の国。三ヶ月程は掛かりますかね、長旅になりますよ?」
「ふむ……沈んだ大地のどこか……という所ですかねぇ。そこへ行って私に何をしろと?」
「研究にございます。局長の興味の赴くまま、存分にあらゆる研究に没頭して頂きたい。もちろんタブーなんてありませんよ。どんなに人道にもとる極悪非道な実験でも、その成果如何ではきっと諸手を挙げて喜んでもらえるでしょう。そこは貴方様にとって、そんな夢の様な場所でございます」
「何か……いまいち信用出来ませんねぇ」
「何と酷い事を仰る……私が今まで局長に嘘を吐いた事がございましたか? まぁ多少誇大な表現になる事はあったなと、そう思う自覚こそありますが……しかしながら少なくとも彼の国では、間違っても貴方様をこんな風に鉄の檻に閉じ込めるなんて事はしないでしょう。結果さえ出せば、ですがね。にしても局長、何でこんな事になったのですか? いやまぁ、事情は把握しておりますが……何と言うか、慎重な局長らしくないなぁと、そう思ったものでして」
「……相変わらず嫌な人ですねぇ、貴方。こちらの痛い所に遠慮なく手を突っ込む……まぁあれですねぇ、一言で言えば焦ったのですよ。あの素晴らしい薬の効果を早く世に知らしめたいと、そう思い焦ってしまったのです。堪え性がないのは私の悪い所ですねぇ。結果少々強引な手段を用いて、こんな所に閉じ込められているという訳です」
「なるほどなるほど……いやはや、理由を知れてスッキリしました。天才ミーン様も人の子なんだと、そういう事でしたか」
「……嫌な言い方をしますねぇ。でもまぁ、貴方には感謝していますよ。貴方があれを調達してくれたお陰でレゾナブルが生まれた訳ですから」
「これはこれは、ありがとうございます。私の仕事がお役に立ったのならば何よりでございます。ですが私はあくまで商品を販売したのみ。あれの可能性に気付き見事素晴らしい薬に仕上げたのは偏に局長の……」
「あの、そろそろここから出してもらえませんかねぇ。いい加減檻の中はうんざりです。悠長に話し込んでいる場合でもなし……どの道私に選択肢はありません、甘んじて商品としての立場を受け入れましょう。それにこのままここにいたら拷問にでも掛けられてしまいます。そんな事になったら貴方、一発で口を割る自信がありますよ? 貴方の事も躊躇なく話してしまうでしょうねぇ」
「おっとそれは大変。それでは局長、自由な世界へどうぞ」
「ふぅ、やれやれ……ようやく解放ですねぇ。あぁそうそう、ついで商品をもう一つ仕入れてみませんか? 三班の責任者で……」
「はい。ジタイン主任ですね。すでにお助けしております」
「すでに?」
「はい。あの方は優秀だと伺っておりました。そして局長を尊敬し心酔なさっておいでの様でしたので、一緒にどうかとお誘いした所二つ返事でご了承頂けました。すでに私の手の者がお助けし外で局長をお待ちになっておいでです」
「そうですか、ならば結構。私より先に、という所が少し引っ掛かりますが……」
「まぁまぁ、細かい所は良いではありませんか。では参りましょう、衛兵達が目を覚まさないとも限りませんので」
「目を? これ、死んでるんじゃないんですか?」
「そんな訳ないじゃないですか、私は商人ですよ? 殺しはしない、これは商人としての私の矜持の一つです。殺して物品を奪うなんて強盗のする事ですよ」
「深夜に城に忍び込んで盗みを働くのは違うとでも? しかし眠らせるというのは些かぬるいと思いますがねぇ。目を覚まして反撃でもされたらどうするんです?」
「彼らは寝ている訳でもありませんよ。意識はあります、私達の会話も聞こえているはずです。少々面白い薬を入手致しましてね、これなんですが……揮発性の高い液体でして、これを嗅ぐと途端に全身の力が抜け身動き出来なくなります。手足は動かず瞼も開かず、でも意識ははっきりしていて耳も聞こえる……これは怖いですよ、自分の身体はどうなってしまったのか、なんて……フフフ……」
「……笑い事ではありませんよ、そういう事は先に言っておいて欲しいですねぇ。余計な事までペラペラと話す所でしたよ。しかし……面白い薬ですねぇ、それ」
「おや局長、興味がおありでしたらご用立て致しましょうか?」
「それは有難い。しかし私は今無一文です、出世払いで良いですか?」
「宜しゅうございます、商談成立という事で……ではそろそろ参りましょう」
「あぁ、ちょっと待って下さい。衛兵君、聞こえてますか? 陛下への伝言をお願いしたい。良いですか? え~、陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう存じます。さて、私はこの度国を離れる事と相成りました。それが一体どの様な事態を引き起こすのか、聡明な陛下であられますれば当然の事、充分ご理解頂けるものと存じます。そうですねぇ、恐らく五年十年の間に特に軍事面に於いて、この国は他国に追い抜かされますでしょう。世話になった国が他国の食い物にされるのは見るに忍びない……ですのでどうか、存分に抗い下さいませ。あぁそれと殿下。貴方とのお喋り、楽しかったですよ……ま、そんな所ですかねぇ。衛兵君、任せましたよ? 確かに伝えて下さいねぇ。お待たせしました、では行きましょうか」
□□□
「衛兵達は皆薬を嗅がされ身動きを封じられた。意識はあるが身体は動かないという状況で二人の会話のみ聞こえていた。故にその商人というのが何者なのか、どんな風貌をしているのかなどの視覚情報は得られていない。異変に気付いたのは翌朝、交代の兵が現場を訪れ発覚した。当然その頃にはミーンもジタインもいなかった……」
「協力者がいたのか……」
ポツリと呟くジェスタに対し「そうだ」と答えるマベット。そして怒りに歪んだ顔を更にしかめて「ふざけた話だ。取り調べをお喋りなどと……!」と吐き捨てた。
「ふざけたついでに言うとだな、会計部から開発局絡みの取引伝票を全て押収し精査したのだ。話の内容からすると、ミーンはどうやらその商人から薬の材料を調達していたと推測出来る。よもや全て奴が自費で購入していた訳ではあるまい。その商人というのが何者なのか、ヒントくらいは見つかるかも知れんと思ってな。そうした所、雑費名目の不審な取引伝票が何枚も見つかった。取引先は全て同じ、宛名は……」
マベットは一呼吸置くとギリッと奥歯を噛む。
「宛名はダグベ商会、レクリア城支部……!」
(うぉ……)
俺は心の中で唸ってしまった。そしてマベットの過剰とも思える怒りっぷりに納得した。それだけコケにされたら、そりゃあ怒るわなぁ……と。
「それはさすがに……」と呟いたジェスタ。しかしその先の言葉は出てこなかった。何と声を掛けたら良いか分からなかったのだろう。気持ちは分かる。
「ダグベ商会などと……馬鹿にするにしても程があるというものだ! 何だレクリア城支部とは!」
声を荒らげるマベット。対照的にジェスタは静かに、冷静に問い掛ける。
「つまり、ミーンはその伝票を切って材料費を回収していたのではないかと?」
それは敢えてそうしたのだ。マベットの怒気を少しでも収めようと、ジェスタは敢えて落ち着いた様子を見せながら聞いたのだ。しかしマベットはソファーの肘掛けをガンと叩いて「そうに違いない!」と怒鳴った。
「私はすぐに会計部と監査部の責任者を呼んで事情を聞いた。逆らえなかったと、二人ともそう申しておったわ。ミーンは会計部と監査部の責任者を抱き込んでおったのだ。故にそのふざけた取引が表に出る事がなかった! 奴の影響力の大きさに気付けなかった我らの落ち度ではあるが……にしても馬鹿にし過ぎだ!」
コンコン、コンコンとソファーの肘掛けを拳で叩きながら、マベットは捲し立てる様にそう話すと下を向いてふぅぅ……と深く息を吐く。そして前を向いたその顔は幾分表情が和らいでいる様に思えた。怒りを吐き出し少し落ち着いたのだろう。ほんの少しだけ……
「あの、ゴート将軍の方は……どうだったんですか?」
俺はデルカルに尋ねた。マベットが冷静さを取り戻すにはもう少し掛かりそうだったからだ。デルカルは「目ぼしいものは何も……」と答えたが「ただ、一つだけ……」と言葉を続けた。
「将軍の机の中からとあるメモが見つかった。その紙には副作用の症状を発症した特務隊の隊員の名と、その症状の内容や起きてしまった事件の詳細などが記されていた。私はそれを将軍が罪の意識故に記したものだと、そう受け取った。どうでも良いと思っていたらそんなものは残さないだろう。軽口を叩く皮肉屋ではあったが、ゴート将軍という人は本来自分の身を削ってでも国の為に尽くしたいと、そう考える実直な人だ。きっと後悔していたのだろう、自身の愚かな決断を……」
「ゴート周辺からは何も見つからなかったのでな……」
デルカルが話し終わるとマベットは再び口を開いた。その顔は怒りに満ち満ちていた先程の表情とは打って変わって穏やかなものになっていた。
「我らに残されたのは完成品と思われるレゾナブル百本のみとなった。これを解析しこの薬の秘密を解き明かさなければならん。私はすぐに研究員達にその旨の指示を出した。と同時に、実験の為に王都を離れていたベニバスら開発局第二班を呼び寄せたのだ」
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