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4章 ドワーフの兵器編 第1部 欺瞞の魔女
218. 斯くして魔女は邪悪に笑う 3
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「レイシィが正式に第二班に配属となり、すぐに次の研究テーマを決める会議を開きました。私達はゼロから新しいものを生み出すべく様々な案を出しましたのですが、しかしどれも正直パッとせず……そんな中、レイシィが出した案は私達のそれとは少し違った視点で考えられたものでした」
□□□
「魔法の効果を……広範囲に広げる?」
第二研究室の片隅に集まった研究員達の視線が一点に集まる。注目を集めたのは配属となったばかりの若い魔導師と、そんな彼女の出したとある案だった。
「はい。魔弾を疑うと言いますか、翻って魔弾を進化させると言いますか……」
そう言うとレイシィは前に出した右の手のひらの上にフッと魔弾を作る。
「現代魔法の代名詞たるこの魔弾。言わずもがな圧縮させた魔力であり魔法の燃料です。魔導師の個々の技量にもよりますが、通常魔弾を射出し着弾後に発現する魔法の効果範囲の平均は精々人一人を巻き込むくらいの大きさかと。出来る限り大きな魔弾を作り、そして出来る限り多くの魔力を込めれば効果範囲を広げられもしますが、しかしそれでは魔弾の形成に時間が掛かる上に一度の魔力消費も大きく……まぁ総合的に見ればデメリットの方が目立つと言えます。ですので、なるべく少ない手間とリスクでそれを実現出来ないかと……」
話終わりと同時にレイシィは右手をギュッと握る。魔弾はスッと消えた。
「なるほど。発現させる魔法の効果範囲を広げる為に、まずはその種である魔弾を改良しようと……そういう事だね?」
「仰る通りです、主任。古代魔法に依らず広範囲攻撃を行うには、やはりこの魔弾というものを根本的に見直す必要があります。現状私達が放っている魔弾は、果たして現代魔法に於いての魔力供給方法の最適解なのか……まぁ既存の技術を改良しようという研究ですので若干地味な印象は否めませんが。しかし魔導兵団所属の魔導師達皆が扱える形にする事で、間違いなく現有戦力の底上げに繋がると確信します」
レイシィの発言に研究員達はにわかにざわめき始める。
「……確かにその通りだ」
「ええ、派手さはないけど有用性は充分ね」
「魔弾の可能性とは盲点でしたね」
「少ない魔力で効果を広げるとなると……」
「魔力そのものへのイメージも変えるべきでは?」
「しかし現実問題、魔弾はある意味完成されている訳で……」
「いやいや、ですからそれを疑おうと……」
そしてそのざわめきは途端に活発な議論となった。その様子を見たベニバスは呆れる様に苦笑いしながらパンパンと手を叩く。
「やれやれ、本当に君達は根っからの研究者だね。興味や疑問があれば場も流れもお構いなしにディスカッションを始めてしまう。その前に確認すべき事があるだろう、次の研究テーマはレイシィが出したこの案で決定という事で――」
□□□
魔法の効果を広範囲に広げる。広域攻撃魔法の事だ。この魔法には俺も大いに恩恵を受けた。エリテマ真教の総本山エス・エリテでの修行中の事。イゼロン山麓の街エリノスへ侵攻してきた隣国ハイガルド王国軍を迎撃する為、エリノスの高い城壁の上から部隊編成中のハイガルド軍にこの魔法を撃ち込んだのだ。とてつもない轟音と共に恐らくは一千程のハイガルド兵が吹き飛んだ。その一撃で戦況を引っくり返す事が可能な、ただひたすらに強力で凶悪な魔法……
「広域攻撃魔法……この国で生まれたんですね」
俺がそう言うとベニバスは静かに頷いた。
「そうです。広域攻撃魔法はレイシィの発案で研究が始まりこの国で誕生したんです。そして彼女の名は魔法史に刻まれる事となりました。魔導の歴史を百年進めたと……」
「何が!!」
突如怒りの声を上げたのはイベール。憎むべき魔女を持ち上げる様なベニバスの話ぶりが耐えられなかったのだ。「おい、イベール」とデルカルはすぐにイベールを窘める。が、決して強い口調ではない。親の仇であるはずの魔女が如何に凄い人物だったのかなどと、本人にしてみたら全くふざけた話を聞かなければならないのだ。その心情は察するに余りある。突然の怒鳴り声にベニバスは一瞬驚いた表情を見せるが、しかしすぐに気を取り直すと「将軍、彼は……?」とデルカルに聞く。
「イベール・ザガー。軍所属で魔女の実験の被害者遺族だ」
デルカルの返答にベニバスはすぐにピンときた。ザガーという家名に心当たりがあったのだ。
「ひょっとして、ディル・ザガー隊長の……?」
イベールはそんなベニバスの言葉に反応し「父上を……知っているのですか?」と問い掛けた。
「ええ、それは良く……そうでしたか、ディル隊長の……」
当時を思い出し懐かしむ様に話すベニバス。しかしその言葉を遮る様にイベールは再び声を張り上げた。
「何故今更その話を蒸し返すんですか! 父上は魔女に殺された! 吹き飛ばされたんだ……なのに何故今更……!」
張り上げた声は徐々にか細くなってゆく。悲痛な表情を浮かべるイベールに「順を追って話しとる。今暫く我慢しとれ」とリドー公は声を掛ける。そして「ほれ、これでも食うて少し落ち着け」と大皿に盛られた茶請けの焼き菓子を指差した。「……は」と一応の返答をしたイベールはわしっと焼き菓子を掴むとボリボリと食べ始める。そして途中、チラリと俺の顔を見た。いや、見たというより睨んだ。
(まぁ気持ちは分かるけど……)
分かるけど、だからと言ってこの話を途中で止めるつもりはない。こちらはこちらで知らなければならないのだ、弟子として師の起こした事件の真実を。俺は話を戻そうと口を開く。ベニバスの話からとある疑問が生まれたのだ。
「ベニバスさん、これチームで研究してたんですよね? 何でお師匠の名前だけが世に広まったんです?」
広域攻撃魔法はお師匠が理論から構築して開発、その後瞬く間に大陸全土へと広まった。お師匠がドクトル・レイシィと呼ばれる様になった切っ掛けの出来事。と、その様に聞いていた俺はてっきりこの魔法はお師匠が一人で作り上げたものだと思っていた。しかし実際は違ったのだ。ベニバスを始め他の研究員達も携わっていたのだ。なのに何故彼らの名は……いやもっと言えば、何故ダグベ王国で生まれた魔法だと世に伝えられていないのか。やはり魔女の実験が関係しているのだろうか。するとベニバスは苦笑いしながら「まぁその辺は色々と……」と歯切れ悪く答えた。
「何故彼女の名前しか広まっていないのか。詳しい事情は後で話しますが……しかしその事情を抜きにしても、私達第二班のメンバーは皆それに納得しているんですよ。彼女一人がこの魔法の開発者であると、そう世の中に伝わっている事に対して何の不満もありません。何しろ彼女がいなければあの魔法は完成しなかっただろうと、間違いなくそう言えるからです。それくらい彼女の力は大きかった。例えば魔弾に替わる魔力の供給方法も彼女の閃きから生まれました。私が自室で書類仕事をしていた時――」
□□□
バンと勢い良く部屋の扉が開いた。同時に「主任!」という声と共に部屋に飛び込んでくる人の姿。突然の事にベニバスはビクッと身体を揺らしながら「うおっ!」と声を上げる。
「何だレイシィ……脅かすんじゃない。ノックくらい……」
「主任! 来てください!」
「あ! おいレイシィ!?」
慌てた様子で部屋に飛び込んできたレイシィを諭そうとするベニバス。しかしレイシィはお構いなしにベニバスの腕を掴むと部屋から引きずり出した。軍基地内研究棟から渡り廊下を進み本棟へ。この先角を曲がると食堂があるという所まで来ると、何やら辺りに白いもやの様なものが漂い始める。
(何だこれ……煙? いや、粉?)
ベニバスはその白いものを吸い込まない様に片手で口元を押さえながらレイシィと共に廊下の角を曲がる。そして食堂の前まで来るとその白いもやの様なものの正体が判明した。食堂前は取り分け辺りが白く包まれており、いくつもの大きな麻袋を台車へと積み直す兵の姿があった。そして床には口の開いた麻袋とその袋から外へ飛び出している白い粉。
「小麦粉か……」
辺りに舞っている白いもやは小麦粉だった。恐らく係の兵が台車を使い小麦粉が入った麻袋を食堂へ運び込もうとしていたのだ。しかし台車に麻袋を積みすぎた。一度に多くを運ぼうと欲をかいたのだ。結果積んでいた麻袋が崩れて袋の口が開き辺りが小麦粉だらけになった。そんな所だろう。
「レイシィ、小麦粉がどうかしたのか? まさかこれを手伝わせる為に引っ張ってきたとか?」
そう言いながらもベニバスは崩れた麻袋を台車へと積み直す作業に手を貸す。係の兵は「あぁ、済みません……」と申し訳なさそうにベニバスに礼を言う。しかしレイシィは「違いますよ! これです……よっと!」と言いながら兵が積み直した麻袋を抱える。そしてあろう事かドスンと床に勢い良く叩き付けた。
バフン……!
衝撃で口が開いた麻袋から飛び出した小麦粉が宙に舞い上がり、再び食堂前は真っ白になった。「うわっ! 何してんだ!?」と怒鳴る兵を尻目にレイシィは「主任! これですよ!」と嬉しそうにキラキラとした目で声を上げた。
「魔力を……粉状にして充満させる……?」
「そうです! その通りです主任! そもそもの考え方が間違っていたんですよ! やはり私達は魔弾というものに囚われていたんです。どうやって効率良く魔力を圧縮させるかと、今まではそればかり考えていましたが……でも違ったんです! 圧縮させる必要すらなかったんですよ! 魔力を粉状にして撒き散らす? 充満させる? そんなイメージが必要だったんですよ! これなら――」
□□□
「小麦粉がヒントだったんですか」
俺はなるほどと思った。広域攻撃魔法は前方に魔力を撒き散らすイメージで放出する。俺の場合は可燃性のガスを噴出して充満させるイメージだ。ではお師匠はどの様なイメージを持っていたのか。目に見えないガスという存在がこの世界で認識されているとは考えにくかった。ならば水蒸気? 湯を沸かした時の湯気か? などと考えていたのだが、まさか小麦粉だったとは。
「偶然彼女がその場に居合わせその光景を目にする事が出来たから生まれた発想なんだと、そう言ってしまえばそれまでです。しかしその場に居たのが私だったら果たしてどうだったか……舞い上がる小麦粉を見てもピンときていたかどうかは分かりません。ですが彼女は閃いた。それはやはり、誰よりもこの難問を真剣に考えていたからだと思うのです」
ベニバスの説明に目を細目ながら何度も頷くリドー公。「良い発想を生み出せるのも、優れた能力故だわな」と感心しながら呟いた。
「仰る通りですリドー様。この魔法、決して既存の技術の改良などという簡単なものではありませんでした。実に様々な問題が付いて回ったんです。この魔法は軍に所属する魔導師であれば誰もが使える形に仕上げる必要がありました。現有戦力の底上げ、それがそもそもの目的でしたので。なので魔法が完成したからそれで終わりという事ではありません。魔法の扱い方はもちろん魔力を放出させるイメージの共有から、必要ならばその鍛錬方法まで確立させて兵達の訓練に取り入れるなど……そこまでを一つのパッケージとして考える必要があったのです。しかしレイシィは自らが中心となり、それらの問題を次々と片付けていきました。私達はその手伝いをしたに過ぎません。レイシィは優秀な魔導師だ、誰もがそう認めていました。故に彼女の名が広まる事は必然であると、そう納得出来たのです」
そこまで話すとベニバスはティーカップを手に取りクッとお茶を一口、喉を潤した。そしてカップを手にしたまま再び話し出す。
「私達第二班は順調でした。全てが上手くいっていたのです。しかしそこであの騒動が起きました。忌まわしきあの研究のツケをいよいよ払う時が来たんです」
□□□
「魔法の効果を……広範囲に広げる?」
第二研究室の片隅に集まった研究員達の視線が一点に集まる。注目を集めたのは配属となったばかりの若い魔導師と、そんな彼女の出したとある案だった。
「はい。魔弾を疑うと言いますか、翻って魔弾を進化させると言いますか……」
そう言うとレイシィは前に出した右の手のひらの上にフッと魔弾を作る。
「現代魔法の代名詞たるこの魔弾。言わずもがな圧縮させた魔力であり魔法の燃料です。魔導師の個々の技量にもよりますが、通常魔弾を射出し着弾後に発現する魔法の効果範囲の平均は精々人一人を巻き込むくらいの大きさかと。出来る限り大きな魔弾を作り、そして出来る限り多くの魔力を込めれば効果範囲を広げられもしますが、しかしそれでは魔弾の形成に時間が掛かる上に一度の魔力消費も大きく……まぁ総合的に見ればデメリットの方が目立つと言えます。ですので、なるべく少ない手間とリスクでそれを実現出来ないかと……」
話終わりと同時にレイシィは右手をギュッと握る。魔弾はスッと消えた。
「なるほど。発現させる魔法の効果範囲を広げる為に、まずはその種である魔弾を改良しようと……そういう事だね?」
「仰る通りです、主任。古代魔法に依らず広範囲攻撃を行うには、やはりこの魔弾というものを根本的に見直す必要があります。現状私達が放っている魔弾は、果たして現代魔法に於いての魔力供給方法の最適解なのか……まぁ既存の技術を改良しようという研究ですので若干地味な印象は否めませんが。しかし魔導兵団所属の魔導師達皆が扱える形にする事で、間違いなく現有戦力の底上げに繋がると確信します」
レイシィの発言に研究員達はにわかにざわめき始める。
「……確かにその通りだ」
「ええ、派手さはないけど有用性は充分ね」
「魔弾の可能性とは盲点でしたね」
「少ない魔力で効果を広げるとなると……」
「魔力そのものへのイメージも変えるべきでは?」
「しかし現実問題、魔弾はある意味完成されている訳で……」
「いやいや、ですからそれを疑おうと……」
そしてそのざわめきは途端に活発な議論となった。その様子を見たベニバスは呆れる様に苦笑いしながらパンパンと手を叩く。
「やれやれ、本当に君達は根っからの研究者だね。興味や疑問があれば場も流れもお構いなしにディスカッションを始めてしまう。その前に確認すべき事があるだろう、次の研究テーマはレイシィが出したこの案で決定という事で――」
□□□
魔法の効果を広範囲に広げる。広域攻撃魔法の事だ。この魔法には俺も大いに恩恵を受けた。エリテマ真教の総本山エス・エリテでの修行中の事。イゼロン山麓の街エリノスへ侵攻してきた隣国ハイガルド王国軍を迎撃する為、エリノスの高い城壁の上から部隊編成中のハイガルド軍にこの魔法を撃ち込んだのだ。とてつもない轟音と共に恐らくは一千程のハイガルド兵が吹き飛んだ。その一撃で戦況を引っくり返す事が可能な、ただひたすらに強力で凶悪な魔法……
「広域攻撃魔法……この国で生まれたんですね」
俺がそう言うとベニバスは静かに頷いた。
「そうです。広域攻撃魔法はレイシィの発案で研究が始まりこの国で誕生したんです。そして彼女の名は魔法史に刻まれる事となりました。魔導の歴史を百年進めたと……」
「何が!!」
突如怒りの声を上げたのはイベール。憎むべき魔女を持ち上げる様なベニバスの話ぶりが耐えられなかったのだ。「おい、イベール」とデルカルはすぐにイベールを窘める。が、決して強い口調ではない。親の仇であるはずの魔女が如何に凄い人物だったのかなどと、本人にしてみたら全くふざけた話を聞かなければならないのだ。その心情は察するに余りある。突然の怒鳴り声にベニバスは一瞬驚いた表情を見せるが、しかしすぐに気を取り直すと「将軍、彼は……?」とデルカルに聞く。
「イベール・ザガー。軍所属で魔女の実験の被害者遺族だ」
デルカルの返答にベニバスはすぐにピンときた。ザガーという家名に心当たりがあったのだ。
「ひょっとして、ディル・ザガー隊長の……?」
イベールはそんなベニバスの言葉に反応し「父上を……知っているのですか?」と問い掛けた。
「ええ、それは良く……そうでしたか、ディル隊長の……」
当時を思い出し懐かしむ様に話すベニバス。しかしその言葉を遮る様にイベールは再び声を張り上げた。
「何故今更その話を蒸し返すんですか! 父上は魔女に殺された! 吹き飛ばされたんだ……なのに何故今更……!」
張り上げた声は徐々にか細くなってゆく。悲痛な表情を浮かべるイベールに「順を追って話しとる。今暫く我慢しとれ」とリドー公は声を掛ける。そして「ほれ、これでも食うて少し落ち着け」と大皿に盛られた茶請けの焼き菓子を指差した。「……は」と一応の返答をしたイベールはわしっと焼き菓子を掴むとボリボリと食べ始める。そして途中、チラリと俺の顔を見た。いや、見たというより睨んだ。
(まぁ気持ちは分かるけど……)
分かるけど、だからと言ってこの話を途中で止めるつもりはない。こちらはこちらで知らなければならないのだ、弟子として師の起こした事件の真実を。俺は話を戻そうと口を開く。ベニバスの話からとある疑問が生まれたのだ。
「ベニバスさん、これチームで研究してたんですよね? 何でお師匠の名前だけが世に広まったんです?」
広域攻撃魔法はお師匠が理論から構築して開発、その後瞬く間に大陸全土へと広まった。お師匠がドクトル・レイシィと呼ばれる様になった切っ掛けの出来事。と、その様に聞いていた俺はてっきりこの魔法はお師匠が一人で作り上げたものだと思っていた。しかし実際は違ったのだ。ベニバスを始め他の研究員達も携わっていたのだ。なのに何故彼らの名は……いやもっと言えば、何故ダグベ王国で生まれた魔法だと世に伝えられていないのか。やはり魔女の実験が関係しているのだろうか。するとベニバスは苦笑いしながら「まぁその辺は色々と……」と歯切れ悪く答えた。
「何故彼女の名前しか広まっていないのか。詳しい事情は後で話しますが……しかしその事情を抜きにしても、私達第二班のメンバーは皆それに納得しているんですよ。彼女一人がこの魔法の開発者であると、そう世の中に伝わっている事に対して何の不満もありません。何しろ彼女がいなければあの魔法は完成しなかっただろうと、間違いなくそう言えるからです。それくらい彼女の力は大きかった。例えば魔弾に替わる魔力の供給方法も彼女の閃きから生まれました。私が自室で書類仕事をしていた時――」
□□□
バンと勢い良く部屋の扉が開いた。同時に「主任!」という声と共に部屋に飛び込んでくる人の姿。突然の事にベニバスはビクッと身体を揺らしながら「うおっ!」と声を上げる。
「何だレイシィ……脅かすんじゃない。ノックくらい……」
「主任! 来てください!」
「あ! おいレイシィ!?」
慌てた様子で部屋に飛び込んできたレイシィを諭そうとするベニバス。しかしレイシィはお構いなしにベニバスの腕を掴むと部屋から引きずり出した。軍基地内研究棟から渡り廊下を進み本棟へ。この先角を曲がると食堂があるという所まで来ると、何やら辺りに白いもやの様なものが漂い始める。
(何だこれ……煙? いや、粉?)
ベニバスはその白いものを吸い込まない様に片手で口元を押さえながらレイシィと共に廊下の角を曲がる。そして食堂の前まで来るとその白いもやの様なものの正体が判明した。食堂前は取り分け辺りが白く包まれており、いくつもの大きな麻袋を台車へと積み直す兵の姿があった。そして床には口の開いた麻袋とその袋から外へ飛び出している白い粉。
「小麦粉か……」
辺りに舞っている白いもやは小麦粉だった。恐らく係の兵が台車を使い小麦粉が入った麻袋を食堂へ運び込もうとしていたのだ。しかし台車に麻袋を積みすぎた。一度に多くを運ぼうと欲をかいたのだ。結果積んでいた麻袋が崩れて袋の口が開き辺りが小麦粉だらけになった。そんな所だろう。
「レイシィ、小麦粉がどうかしたのか? まさかこれを手伝わせる為に引っ張ってきたとか?」
そう言いながらもベニバスは崩れた麻袋を台車へと積み直す作業に手を貸す。係の兵は「あぁ、済みません……」と申し訳なさそうにベニバスに礼を言う。しかしレイシィは「違いますよ! これです……よっと!」と言いながら兵が積み直した麻袋を抱える。そしてあろう事かドスンと床に勢い良く叩き付けた。
バフン……!
衝撃で口が開いた麻袋から飛び出した小麦粉が宙に舞い上がり、再び食堂前は真っ白になった。「うわっ! 何してんだ!?」と怒鳴る兵を尻目にレイシィは「主任! これですよ!」と嬉しそうにキラキラとした目で声を上げた。
「魔力を……粉状にして充満させる……?」
「そうです! その通りです主任! そもそもの考え方が間違っていたんですよ! やはり私達は魔弾というものに囚われていたんです。どうやって効率良く魔力を圧縮させるかと、今まではそればかり考えていましたが……でも違ったんです! 圧縮させる必要すらなかったんですよ! 魔力を粉状にして撒き散らす? 充満させる? そんなイメージが必要だったんですよ! これなら――」
□□□
「小麦粉がヒントだったんですか」
俺はなるほどと思った。広域攻撃魔法は前方に魔力を撒き散らすイメージで放出する。俺の場合は可燃性のガスを噴出して充満させるイメージだ。ではお師匠はどの様なイメージを持っていたのか。目に見えないガスという存在がこの世界で認識されているとは考えにくかった。ならば水蒸気? 湯を沸かした時の湯気か? などと考えていたのだが、まさか小麦粉だったとは。
「偶然彼女がその場に居合わせその光景を目にする事が出来たから生まれた発想なんだと、そう言ってしまえばそれまでです。しかしその場に居たのが私だったら果たしてどうだったか……舞い上がる小麦粉を見てもピンときていたかどうかは分かりません。ですが彼女は閃いた。それはやはり、誰よりもこの難問を真剣に考えていたからだと思うのです」
ベニバスの説明に目を細目ながら何度も頷くリドー公。「良い発想を生み出せるのも、優れた能力故だわな」と感心しながら呟いた。
「仰る通りですリドー様。この魔法、決して既存の技術の改良などという簡単なものではありませんでした。実に様々な問題が付いて回ったんです。この魔法は軍に所属する魔導師であれば誰もが使える形に仕上げる必要がありました。現有戦力の底上げ、それがそもそもの目的でしたので。なので魔法が完成したからそれで終わりという事ではありません。魔法の扱い方はもちろん魔力を放出させるイメージの共有から、必要ならばその鍛錬方法まで確立させて兵達の訓練に取り入れるなど……そこまでを一つのパッケージとして考える必要があったのです。しかしレイシィは自らが中心となり、それらの問題を次々と片付けていきました。私達はその手伝いをしたに過ぎません。レイシィは優秀な魔導師だ、誰もがそう認めていました。故に彼女の名が広まる事は必然であると、そう納得出来たのです」
そこまで話すとベニバスはティーカップを手に取りクッとお茶を一口、喉を潤した。そしてカップを手にしたまま再び話し出す。
「私達第二班は順調でした。全てが上手くいっていたのです。しかしそこであの騒動が起きました。忌まわしきあの研究のツケをいよいよ払う時が来たんです」
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